第342話 穏やかに壊されて
「あなたは?」
大袈裟にびくっと身を震わせた百合花とは違い、刈谷は冷静に、姿を見せた人物を頭の中で確認していた。
「君は確か…一年の高木君」
顎に手を当て、少し考え込むポーズだけを取る刈谷の言葉を聞いて、後ろにいた4人がざわめいた。
「高木…」
「まさか!」
「摩耶の妹…」
「そう言われれば…そっくりだな」
ひそひそ話す4人の声に、ボロボロになった制服を着て、俯きがちの真由は微かに唇を震わせた。
「高木…さん!?」
その名字を聞いて、百合花ははっとした。
(あの…自殺した)
百合花と摩耶は、同じクラスだった。
だけど…百合花は、摩耶の顔を覚えていなかった。
いや…違う。
忘れたのだ。
同じクラスであったとしても、摩耶は見てはいけないもの…近付いてはいけないものだった。
友達と思われてはいけない。仲間と思われてはいけない。
可哀想と思いながらも、百合花は距離を取り、顔を合わすことはなかった。
なぜならば…百合花は、平和主義者だからだ。
学校から離れれば、いじめはいけないと友達に言えた。
絶対に、あってはならないと主張することもできた。
だけど、現実は…。
今もまた…摩耶そっくりの真由から距離を取ろうと、後ずさっていた。
「へえ〜」
「妹か」
「そうか…」
「ああ…」
4人の内、女は3人。
そして、百合花は知っていた。
摩耶を苛めていたのは…その3人だと…。
規律を重んじる大月学園で、暴力によるいじめはなかった。
だからこそ、陰険になるのだ。
そして、今…目の前に立つ真由の姿は、ボロボロであり…かつての摩耶と重なった。
彼女達も、摩耶が死んだと聞いた時は…多少なりとも罪悪感を感じていた。
しかし、摩耶にそっくりである真由を見て、その罪悪感は消えた。
いや…普段の環境にいたならば、消えることはなかっただろう。
安全を求め、逃げ回っているとはいえ…魔物がいる極限状態の危険な場所にいた。
そのことが…彼女達を、無意識とはいえ、追い詰めていた。
その緊張と恐怖は、目の前に現れた真由に向けられた。
「まあ〜いいじゃないか」
4人の内の男が、真由に近付いた。
「どこかで休もうよ」
その男の視線は、ボロボロの制服から覗かれる下着に向いていた。
「そ、そうね」
自分よりも弱い者を見つけた安堵感で、女達は笑った。
「…」
刈谷は無言になりながらも、眼鏡の奥から鋭い眼光を真由に向けていた。
「…」
百合花も無言だったが、歩き出した真由達の後ろに続いて歩こうとした。ただ…流されるままに。
しかし、その行動はすぐに、凍り付くことになった。
「ぐはあ」
真由の横にいた男が、いきなり血を吐き出したのだ。
「え」「え!」
「きゃあ!」
一瞬、何が起こったかわからない女達。
「いいわ!この瞬間が!」
真由は、にやりと笑った。血塗れの腕には、男から抜き取った心臓が握られていた。まだ脈打つ心臓の匂いを嗅ぐと、顔をしかめて後ろに捨てた。
「きゃあ!」
その惨劇の意味を知った女達は、真由に背を向けて逃げようとした。
しかし、彼女達の足は膝から下を切り取られ、逃げることができなくなった。
ただ逃げようとした勢いが、彼女達を前に倒させ、
「い、いやああ!」
足の先から血を噴き出し、パニックになりながらも、土を抉り逃げようとした。
しかし、逃げれる訳がなかった。
1人の背中に向けて、真由は上から指を突き刺すと、そのまま背骨を抉り出した。
「!」
声にならない悲鳴を上げて、あまりの痛さに即死した女を見て、真由はつまらなさそうに、背骨を投げ捨てると、残りの2人に目をやった。
腕の力だけで必死に逃げようとする2人の女の真後ろに立つと、真由は笑いかけた。
「心配しなくていいわ。一瞬では殺さないから」
数分後、彼女達は肉片に変わった。
「ひいい!」
その様子を見て、百合花は逃げようとした。
しかし、足がもつれ、転倒してしまった。
そんな百合花に、真由はゆっくりと近付いて来る。
「ど、どうして!わたしは、何もしていないのに!何もしていないのに!いじめてもいないのに!」
泣き叫ぶ百合花に、少し興醒めたように欠伸をした真由。
「わたしは…ただ…」
「ただ…何かしら?」
欠伸をした後、真由が訊いた。
「いじめてなんていない!ただ…知っていただけ」
「そうね〜。そうかもしれないわね」
真由は、百合花に微笑むと、
「あたしもあなたと同じよ」
手刀を振りかぶった。
「ひいい」
何とか立ち上がり、走りだそうとした百合花は、後ろにいた刈谷とぶつかった。
「きゃ」
悲鳴を上げ、再び転んだ百合花は、腕を組んで立つ刈谷に叫んだ。
「助けて!」
その叫びに、刈谷は百合花を見ることなく、ただ冷静に言い放った。
「それは…無理だな。君は、助けたかい?ただ見てただけだろ」
「え」
涙を流していた百合花の顔が、凍り付く。
「見てるだけだった君が、今度は助けを求めるのかい?」
刈谷は、ずれてきた眼鏡を人差し指で上げると、
「それは虫がよすぎるよ」
最後にちらっと見ると、絶望的な言葉を投げつけた。
「それに、僕は平和主義者なんだ。争いに巻き込まないでくれたまえ」
「話は終わったかしら?」
真由は、百合花の後ろで笑った。
「こういう話は、決着がつかないものよ。相手が死ぬ以外はね」
「た、助けて…誰か」
それが、百合花の最後の言葉になった。
崩れ落ちた百合花を挟んで、真由と刈谷は見つめ合う。
数秒後、刈谷は跪いた。
「お初にお目にかかります。女神ソラよ」
その様子に、ソラは鼻を鳴らし、刈谷を見下ろした。
「やはり…貴様は、リンネの手の者か」
「は!」
刈谷は、再び頭を下げると、
「リンネ様より、ソラ様の完全なる復活の為に尽くせと命じられております」
「フン!余計な真似を」
真由は顔をしかめた。
「さらに、リンネ様よりプレゼントがございます」
刈谷の言葉に、真由は合宿所の方に目を向けた。
「フン」
真由は、隠密部隊と魔物がやり合っている地点に向けて歩き出した。
その後ろ姿に頭を下げながら、刈谷はほくそ笑んだ。
完全に気配が消えたことを確認すると、刈谷は頭を上げ…立ち上がった。
「女神ソラよ。あなたの宴は、単なる余興に過ぎない。その後こそが、真の宴が始まる」
そう言うと、立ち去ろうとした刈谷は、地面に転がる百合花達の死体に気付き、足を止めた。
「この世で美しくないものは、一つだけある」
刈谷が、百合花達を睨むと、火がついた。
一瞬で、灰になる死体を…刈谷は見ることはない。
背を向けて、森の中を歩き出した。
「それは…人間だ」
刈谷がいなくなった後、灰は風に飛ばされ…完全にこの世から消えてなくなった。