第339話 真実の重み
「ご、ごめんなさい」
罪悪感から、思わず腕を引っ込めようとしたが、物凄い力が、輝の動きを止めた。
「べ、別に、へ、変なことを」
しどろもどろになる輝を、下から真由はじっと見つめ、おもむろに口を開いた。
「あなたは…どうして、このままでいる?本能を解放すればいい。そうすれば…人間なんて恐れることはないのに」
「え」
輝は、引く力を止めた。
「人間以上の存在になれるのに」
輝の目を見つめながら、上半身を上げた真由。
普段の輝ならば、それでも真由のはだけた胸元に目が行くのだが…今回は、そんな余裕もない。
「君は…」
輝は、真由の瞳の中に恐ろしいものを感じた。だけど、さらにその奥に、悲しいものがあるような気がした。
そのことが、罪悪感をこえて恐怖を覚え始めているはずの輝に、本人も予想できない台詞を吐き出させた。
「泣いてるの…」
しばらくの間を開けてから、真由は目を見開くと、立ち上がった。
「な、何を!」
自ら口にした言葉に驚きながらも、今度は逆に見上げることになった輝は、ただじっと…真由の瞳から視線を外せなくなっていた。
「な、何を馬鹿なことを!」
予想以上に狼狽え出した真由は、輝を睨んだ。
「この私が、どうして泣く!」
その叫んだ真由の雰囲気が、変わった。
輝の全身の毛が逆立つと、無意識に後ろに飛んだ。
壁に背中をつけ、距離を取った輝。
「な、何だ?」
それでも、心が落ち着かなかった。輝の中の犬神が、危険を告げていた。
「あたしが、どうして!」
真由が右手を振り上げた瞬間、
「どうかしたのかい?」
その腕を後ろから掴む相手がいた。
高坂である。
「部長!」
輝が喜びの声を上げた。
休憩所に戻って来たのは、高坂だけではなかった。
戦い終わった梨々香や十六、打田も魔法陣から出てきた。
「何があった?」
高坂の言葉に、真由は腕を振り払うと、魔法陣に向けて走り出した。
「高木君!」
高坂は叫んだが、真由の行動を止めなかった。
真由が飛び込んだ魔法陣、高坂は横目で見つめるだけだった。
「外は危険だぞ!」
飛び出した真由を心配する打田。
「チッ!」
再び銃を構え、魔法陣に向かおうとする梨々香。
そんな2人と違い、十六の乗っ取った舞が、高坂に訊いた。
「追いますか?」
「…いや」
高坂は、目を奥で震えている輝に向け、
「しかし…ここからは出るぞ!危険だ」
その後早足で、梨々香と打田を追い抜いた。
「輝!出るわよ!」
舞が、輝に叫んだ。しかし、動かない輝に向けて、日本刀を握り締めた手を発射した。
顔スレスレで、壁に突き刺さった日本刀の輝きに、輝は何とか立ち上がる力を取り戻した。
「は、はい!」
壁に手を当て弾くように、前に歩き出した輝を確認すると、突き刺さっていた日本刀が抜け、十六の腕に戻って行った。
「いくぞ」
高坂は、魔法陣に飛び込んだ。
全員が魔法陣から出て、巨木のそばに現れたのを確認すると、
「走れ!」
高坂は叫んだ。
「え!」
意味がわからずに、一瞬ぼっとしてしまった打田と梨々香を十六が後ろから掴むと、無理矢理走らせた。
「輝!」
一歩反応が遅れた輝が走り出した瞬間、巨木が爆発し破裂した。
「うわああ!」
爆風に煽られた輝は、前転するように、地面を転がった。
「輝!」
高坂は振り返ろうとしたが、後ろから吹いてくる風の強さに、後ろを見れなかった。
「だ、大丈夫です」
輝は回転しながらも、何とかバランスを取り、走り出した。
さすがは、逃げ足に定評がある輝である。あっという間に、十六を追い越した。
「みんな!大丈夫か?」
爆風が止んだのを背中に感じて、高坂は足を止めた。
「な、何があったのですか?」
高坂も追い越して、足を止めた輝の質問に、すぐに答えることはできなかった。
「…」
ふっ飛んだ巨木を見つめ、高坂は拳をぎゅっと握り締めた。
跡形もなくなった巨木。そのなくなった事実だけではなく、もう休憩所に入れないことを意味していた。
「すぐに出ていなければ…休憩所に閉じ込められていた」
高坂の口からやっと出た言葉に、輝はぎょっとなった。
「え!」
「く!」
高坂は顔をしかめた。
「一体、誰が?」
梨々香と打田も、巨木の跡を見つめ唖然としていた。
「部長…」
高坂の隣に、十六が来た。
「わかっている」
高坂は頷き、巨木に背を向けると、
「ここから離れるぞ。休憩所以外にも、休める場所はある」
歩き出した。
「た、高木さんは!大丈夫でしょうか!」
輝は、高坂の遠ざかっていく後ろ姿に訊いた。
「心配するな。彼女なら大丈夫だ」
高坂は振り返ることなく、答えた。
「探しましょう!この島で1人では危険です」
輝の言葉に、高坂は足を止めた。
「輝…」
そして、後ろを振り返ると、真剣な顔を向け、
「確信が、持てたことだけ言おう。でないと、命に関わるからな」
「部長?」
「輝…いや、打田君と矢島君も聞いてくれ」
高坂は、三人の顔を交互に見てから、言葉を噛み締めるように衝撃的な事実を口にした。
「高木君は…人間ではない」
ほぼ同時刻。
合宿所で、イライラしながら、腕を組んで食堂内を行ったり来たりする絵里香のそばに、口許に笑みを浮かべながら、リンネが来た。
「どうしましたか?」
リンネの言葉に、絵里香は足を止めた。
「上野先生…」
絵里香はリンネを見ると、ため息をつき、
「嫌な予感がするんです。今回の合宿は…今の内に中止にした方が…」
「それは、できないでしょう」
絵里香の言葉の途中で、ぴしゃりとリンネが言い放った。
「上野先生…」
絵里香は、目を見開いた。
「今回の合宿には、学園の支援者からの要望もあります。それは…ご存知のはずでは?」
リンネは真剣な顔を向けながら、心の中でほくそ笑んでいた。
「そ、それは…」
絵里香は口ごもった。
「下手すれば…生徒を鍛えるのは、二の次…」
今度は、リンネが腕を組み、食堂内を歩き出した。
「真の目的は…島内の魔物の殲滅。この島を売却する為に」
「う!」
絵里香は、何も言えなくなった。
防衛軍の崩壊により、最大の就職先と出資者を失った学園は、経営難に陥っていた。
黒谷理事長が脳死に近い状態になり、回復が見込めない状態になったことにより、大月学園の支援者達が当面の資金を得る為に計画したことであった。
この島の近海には、海底資源が豊富であることが明らかになっていた。
「し、しかし!この島には、資源よりも守るべきものが…」
思わず口にした絵里香の言葉に、リンネはわざとらしく目を見開き、
「それは、何ですか?」
「う…い、いえ」
絵里香は口ごもった。守るべきもの…そのことは、学園側に知らされていなかった。
知っているのは、絵里香とさやか…高坂しかいない。
冷や汗を流す絵里香を見て、リンネは話題を変えた。
かわいそうからではなく、面白くなくなるからだ。
「前田先生…。生徒達の心配は入りませんわ。支援者から、応援として隠密部隊が島に向かっています」
「隠密部隊?」
絵里香は、眉を寄せた。
「幸いなことに、港の近くに…彼らの里がありましたから」
リンネの意味深な言葉に、絵里香はピンと来た。
「ま、まさか…」
「そのまさかですわ。日本地区が誇る…隠密部隊」
リンネはにやりと笑って見せてから、おもむろにその名を口にした。
「伊賀」
「伊賀…」
絵里香は唾を飲み込み、
「やはり…忍者か」
今から起こるだろう島の運命に、さっきとは違う冷や汗を流した。