第31話 足りないもの
「危ない!」
僕は叫んだ。
「え?」
少年は聞こえたのか、後ろを振り返った。
見えるはずもなかったが、その瞬間、ジュリアンはゆっくりと歩き出した。
少年の横を、ジュリアンが通り過ぎていく。
少年は後ろを向いたまま、気づかない。
「アルテミア!できるだけ、ここから離れて!」
「わかってる!」
また逃げようとするアルテミアを、今度は逃がさない。
ジュリアンの動きは、先程とは比べものにならないくらい、速くなった。
槍を使い、攻撃を払おうとするが、ジュリアンの拳は隙間を狙って、すべてがヒットした。リーチの差なんて、物ともせずに。
「アルテミア!」
だんだんと、アルテミアの動きが鈍くなっていく。
(気持ちが負けてる!)
僕は、何度も叫んだ。
「アルテミア!離れろ!逃げろ!」
チェンジ・ザ・ハートで払うのを止めたアルテミアは、全身で拳を受けながら、前を睨んだ
「逃げろだと!」
声に怒りがこもっている。
アルテミアは殴られながら、ある体勢に入っていく。
「女神の一撃!?やめろ!ここは病院だぞ」
頭に血が昇ったアルテミアには、聞こえない。
「どいつもこいつも…あたしをコケにしやがって!」
チェンジ・ザ・ハートが光る。脇に挟むと、発動体勢に入る。
「A Blow Of Goddess!」
「駄目だ!アルテミア!」
もう止める方法は、一つしかない。
「モード・チェン」
アルテミアと変わろうとして、叫んだ僕の言葉を言い終わらない内に、
「う」
アルテミアは、体をくの字に曲げ、脇に挟んでいたチェンジ・ザ・ハートを落とした。
地面に転がるチェンジ・ザ・ハート。
ジュリアンの膝蹴りが、アルテミアの腹に叩き込まれていた。
そのまま、前に崩れ落ちるアルテミア。
「モード・チェンジ!」
僕は、もう一度叫んだ。
倒れている途中で、アルテミアと変わった僕の視線の隅に、ジュリアンの顔が一瞬映った。
ほんの一瞬だったけど、ジュリアンの瞳を覗くことができた。
変わったばかりの僕に、膝蹴りの衝撃が伝わってきた。痛さに顔をしかめながらも、僕ははっきりと、ジュリアンの瞳の奥を確認できた。
(泣いている…)
相変わらず目は血走り、狂ったように、殺す殺すと呟いているが…。
(違う!この人は…)
僕は痛みをこらえて、倒れる瞬間、両手を地面につけた。
「くそ!」
そして、必死に顔を上げ、そのまま立ち上がろうとした。
正面に、車椅子の少年がいた。
不思議そうに少年は首を傾げ、事態を理解していないようだ。
「いたぞ!」
少年の後ろの扉が開き、病院内から警備隊が飛び出してきた。
「来るな!」
叫ぼうとしたが、まだ声が出なかった。
「敵、発見!」
出てきた警備隊は、5人。全員魔力を込めたマシンガンを装備していた。
「撃て!」
と隊長らしき者が、叫んだ刹那…全員の首が飛んでいた。
怯える看護婦と、少年。そして、惨殺された警備隊を見た時、僕はジュリアンのことを理解した。
ゆっくりと立ち上がると、僕はジュリアンと少年の間に入り、対峙した。
(ここじゃ…駄目だ)
僕はゆっくりとジュリアンを見ながら、後ろに歩き出した。
ジュリアンはついて来る。
(できるだけ…ここから離れないと)
僕は、一度足を止めると、大きく深呼吸した。
「召還」
ポイントは、まだ全然使っていなかった。
アルテミアが、ブラックカードを持ったことにより、僕のカードはポイントが減らず、貯金だけが増えることになっていた。ブラックカードは、無制限であり、増減がないからだ。
僕のカードで、召還したフライング・アーマーを背中に装着すると、その場から飛び立った。
「ありがとう」
眼下に見える少年に頭を下げると、僕は全速力で、町の外を目指す。
ジュリアンの気配はしないが、絶対に追ってきているはずだ。
上から見ると、街は騒がしく、何かあったみたいだ。
大きなビルが傾き、救護隊が走り回っていた。
その街の外に、広がる草原。
少し向こうの方に、人々が張る結界が見えた。
(結界をこえる時間はない)
本当に街のすぐそばに、僕は着地した。
フライング・アーマーのミサイルを撃つこともなく、僕は捨てた。
(どうせ…ミサイルなんて撃っても、あの人には通じない)
僕が着地すると、目の前にもう…ジュリアンが立っていた。
もうわかっていた。
自分のやるべきことが…。
「チェンジ・ザ・ハート」
僕は、右手を真横に突き出すと…街の方から、チェンジ・ザ・ハートが、手の中に吸い込まれるように飛んできた。
しっかりと掴むと、僕の意識を感知して、チェンジ・ザ・ハートは巨大な砲台のような銃に変わる。
バスター・モード。
僕専用の武器タイプだ。
僕は、銃口をジュリアンに向けた。
それは、ごく自然で、なんの殺気もない…おもちゃの銃を、無邪気に向けるように。
(ジュリアンは…殺気や恐れなどが…自分に向けられた相手にのみ…攻撃する)
バーサーカ(狂戦士)といわれ、動くものをすべて殺す悪魔。そういわれていたが、事実は違う。
(彼女は…できるかぎり、攻撃するのを抑えているんだ)
唸るような声も、歯を食いしばり、できるだけ…攻撃を抑えている。
心の中で、泣きながら。
ジュリアンを倒す為には、まったく殺気を感じさせることなく、撃たなければならない。
それは、わかったけど…僕はジュリアンと対峙しながら、引き金を引くことができなくなっていた。
指先が震えていた。
(駄目だ…。今逃げたら、殺される)
彼女に、恐怖を向けても、駄目だ。
(でも…)
僕の脳裏から、先程見えたジュリアンの瞳が消えない。
(彼女は…呪いに操られているだけなんだ…。それに…)
僕が撃てない理由…。
(彼女は、人間じゃないか!)
どんなに血の洗礼を受け、ヴァンパイアの眷属になったとしても、血まみれになっていようと…。
(人間じゃないか)
今まで、僕が戦ってきたのは、すべて魔物だった。
ネーナやマリーは、人の姿をしていたが、どこか異様な雰囲気を醸し出していた。
だけど…ジュリアンは…。魔物の気を発しているが、そのベースは紛れもなく、人間だった。
人を殺すこと。
僕が、どれほどの魔物と戦い、倒してきたとしても…人を撃つなんてできない。
そんな僕の躊躇いに気づいたのか…ジュリアンは一歩僕に近づいてきた。
「ヒィ」
軽く悲鳴を上げ、後ろに下がろうとした僕の頭に、声が響いた。
(撃ちなさい!それが、あの子の為よ)
「誰…?」
僕は、引き金に手をかけながら、震えが止まらない。頭に響く声には、聞き覚えがあった。
(あの子はもう…人ではありません。もとにもどすこともできません。今のあの子を止めているのは、格闘家としてのプライドだけ)
僕はもう一度、ジュリアンの瞳の中を覗いた。
やはり、涙が見えた。
(涙が見えるのなら…)
響く声も泣いていた。
(あなたは、やさしいのね)
僕の緊張が解けてくる。
(だっだら…尚更、お願い)
僕は目をつぶった。銃口だけは、ジュリアンから外さない。
(撃って)
「うわあああああっ!!」
引き金を弾いた。
巨大な炎と雷…それと、人の悲しみが、ジュリアンを直撃した。勝負は一瞬でついた。
僕は、両膝を地面に落とした。
震えが戻ってきた。チェンジ・ザ・ハートを落とし、僕は泣いてしまった。
「僕は…僕は…人を殺してしまった」
嘆き苦しみだす僕に、誰かが後ろから近づいてきた。
僕のすぐ横で立ち止まり、
「君が殺したのは、人ではない。人の姿をしていても、化け物だよ」
「ロバート…さん」
僕のそばに来たのは、ロバートだった。
ロバートは、ジュリアンが立っていた場所まで歩きだした。
「化け物さ」
黒ずんだ地面を蹴り、存在したことさえ、消し去ろうとする。
「ロバートさん」
ロバートはフッと笑うと、僕の方を見た。
「赤星くん」
ロバートの口調は、いつもよりどこか威圧的だ。
「君は強くなった。魔神クラスも倒せる程に…もうアルテミアも必要ないくらいに」
ロバートはまた、僕に近づいてくる。
「ロバートさん…どういう意味?」
ロバートの言葉が理解できない。
「わかるはずだ。人は人としか、生きていけない」
ロバートの瞳が、怪しく光った。そして、僕に向けて手を伸ばした。
「渡したまえ。指輪を」
「ロバートさん…?」
ロバートはにやりと笑い、
「君がいれば、アルテミアなどいなくていい。よければ…君を、安定者の次期候補に推薦してもいい」
「安定者…」
僕は、その言葉を知らなかった。
「そう」
ロバートは頷き、
「魔物から、人間を守る為に、存在する防衛軍の最高機関」
ロバートは、僕に近づいてきた。
「あなたは…」
僕の勘が、感じた違和感を危険だと告げた。
「ロバートさんじゃない」
僕は落ちたチェンジ・ザ・ハートを掴むと、トンファータイプのまま装着した。
「勘は鋭いな」
感心したように言うロバートに、僕はチェンジ・ザ・ハートを構えた。
「だが…矛盾しているな。さっきは、嘆いた人間に対して、武器を向けるとはな」
「何!」
絶句する僕に、手を突き出したまま、ゆっくりと近づいてくる。
「それも…チェンジ・ザ・ハートとはな」
ロバートは、チェンジ・ザ・ハートを見つめ、小さく呟いた。
「死んでもなお…我々の前に、立ちはだかるのか…先輩」
「赤星!あたしと変われ!」
突然、アルテミアが叫んだ。その声には、怒りがこもっていた。
僕は頷き、左手を突き出した。
「待ち給え」
ロバートは、差し出していた手で、僕を制した。
「この体では、君達とは戦えない…レベルが違いすぎる。それに…」
ロバートは自らの手を見、
「バカなやつだ。女の為に…」
「あんたは…一体」
ロバートは改めて、僕を見据えると、
「我が名は、クラーク・パーカー。安定者の1人だ」
「クラーク・パーカー!お前か」
アルテミアが叫んだ。
ロバートは微笑むと、
「今日は、部下の体を借りたが…今度は、きちんとした姿でいずれ、会おう」
そう言うと、ロバートは糸の切れたあやつり人形のように、その場で崩れ落ちた。
「ロバートさん!」
僕は、ロバートに駆け寄り、抱き上げた。
「うう」
ロバートは意識を失っていた。
「安定者…」
この世界は、魔物だけじゃない。
「安定者…あいつら!やっとでてきやがったな」
アルテミアの声は震えていた。
興奮するアルテミアと、戸惑っている僕は、ロバートの左手に気付かなかった。