第310話 ノワール
「…で、どうして…俺はここにいるんだ?」
授業が終わった放課後。
輝は、学校から二駅向こうの駅前に新たにできたショッピングモールに来ていた。
それも…綾瀬理沙、さらに高木真由と一緒である。
と言っても、真由とは偶然、ショッピングモールに行く途中でばったりと出会ったのである。
もともと真由の姉である…自殺した麻耶の親友である理沙とは、お互い顔見知りのはずであるが、まったく会話がなかった。
それなのに、一階の吹き抜け部分に作られたカフェに3人はいた。
カウンターにドリンクを注文に来た輝は、3人分のジュースの代金を払った後、財布の中身を見た。
「経費で落ちるんだろうか…」
一応…領収書を貰うと、輝は三つのカップを持って、理沙と真由が座るテーブルに急いだ。
ことの始まりは、こうだ。
数日後に急に決まった合宿の為に、必要なものを備えたいと理沙が言い出したのだ。
一人で買いに行くつもりだった理沙だが、高坂が認めなかった。
その為、輝が護衛として、ついていくことになったのだ。
昨日は、高坂達を振り切った理沙であるが、今回は目的もはっきりしているからか…目の前から消えることはなかった。
2人で一緒に電車(電力では動いていないが…)に乗り、ショッピングモールまで来たのだ。
電車から、ホームに降りた瞬間、輝と理沙は、真由に会ったのだ。
「!」
無茶苦茶驚いた輝の横と前に立つ2人は、まったく驚いていなかった。
お互い頭は、下げたが…そこに笑顔はなかった。
その様子に、長年女に迫害されてきた輝は、ぴんときた。
(これは…仲がよくない)
なのに…一緒に合流した理由は、簡単だった。
輝達の後ろに、絶妙な間合いをあけながら、監視している人の気配を察知したからだ。
それの気配は、輝が知っているものだった。
さらに、まったく気配を消すつもりがない…もう一人の腐れ縁が近くに感じられていたのである。
(アハハハ)
輝は、心の中で笑った。
輝達の席から随分離れ、ショッピングモール内を行き来する人混みを利用して気づかれないように、尾行しているのは…中小路緑だった。
「チッ。何普通に合流してんだよ」
緑は、同じテーブルに座る理沙と真由を見ていた。2人の間に、会話はない。
そんな2人と緑の対角線上の位置にあるカフェのテーブルに、ある意味堂々と座っているのが、矢島梨々香であった。
「輝のやつ!ターゲットと仲良くお茶って!何やってるんだ!」
尾行でありならば、このカフェ名物の特大パフェをさらに大盛りにして注文した梨々香。そのパフェと格闘する姿は、ある意味目立っていたが、これまた堂々とテーブルに置かれた銃があからさまで、行き交う人々は見てみぬふりをしていた。
「お客様…当建物内は、武器所持は」
店員が注意しょうとしたが、血走った梨々香の目を見て、何も言えなくなった。
この世界で、武器の保有は勿論、認められている。
しかし、日本地区のこの地域は、魔物の出現率が異様に低かった。それ故に、このようなショッピングモールが作られ、電車が定時通りに動いていたのだ。
その為、安全を売りにしているショッピングモール内は、人間間のトラベルを考慮して、武器の所持は禁止していた。
それでも、魔物の襲撃の可能性が零でないかぎり、強制的に禁止にはできなかったのだ。
哲也達防衛軍の力や、月のご加護で守られていた街であることを、人々は知らない。
現在は、防衛軍は解体。月の戦士も実質…今は、一人しかいない。
それでもなお…この土地に、魔物が襲って来ないのは…その2つよりも、恐ろしい存在が複数いたからである。
勿論…そのことも、人々が知ることはない。
「ご、ごゆっくりと…」
諦めた店員が、テーブルから去るのと同時に、別の訪問者が梨々香の前に現れた。
「久しぶりね。梨々香」
梨々香のパフェの前に、吹き抜けの天井から、一人の妖精が降り立った。
「元気にしてた?」
身長40センチ程の妖精を見て、梨々香は顔をしかめ、
「お陰様でね」
舌を出した。
妖精も顔をしかめ、舌を出した後、ため息をついた。
「これが…あの勇者ダラスの孫だと思うと、情けなくなるわ」
「お爺ちゃんは、関係ないでしょ!それに、あんまり会ったこともないしさ!」
梨々香は、パフェにスプーンを突っ込んだ。
「それにしても…」
妖精は、じっと梨々香の顔を見つめた後、
「ダラスの血が混じってる癖に、顔はのっぺらぼうよね。鼻が低いし」
肩をすくめて見せた。
次の瞬間、妖精の顔に銃口が向けられていた。
「あ、あたしの鼻が、団子鼻って言うつもりか?」
「成る程ね!」
妖精はポンと手を叩き、
「この地区では、こんな鼻をそう言うんだ!」
嘲るように笑った。
「てめえ!」
梨々香が怒りに任して、銃の引き金を弾こうとした瞬間、横合いから手が伸びてきて、弾倉を握りしめた。
引き金を弾けなくなった。
「こんなところで、銃を撃とうだなんて…本当に、新聞記者を目指しているのか?」
呆れたように言う低い声に、梨々香ははっとして、銃を掴んでいる男を見上げた。
「おじさん!」
梨々香の顔が、明るくなった。
「やれやれ」
男は頭をかくと、そのまま円形のテーブルの梨々香の横に座った。
「あんたが、おちょくるからよ」
男の後ろから、もう一人の妖精が出てきて、パフェの前に立つ妖精に注意した。
「だって!こいつが、無能だからよ!」
腕を組み、ぷいっと横を向いた妖精の名は、ステラ。ブレイクショットのリーダー格だったダラスとかつて、契約していた妖精だった。
そして、男と一緒にやってきた猫目の妖精の名は、アイ。
「おじさん。もう体は、大丈夫何ですか?」
梨々香は、煙草をくわえた男に訊いた。
「ああ…何とかな。やっと復帰できるよ」
男は煙草に、マッチで火をつけてから、梨々香に微笑んだ。
男の名は、後藤。マイナー雑誌の記者をしていた。
彼は、ある事件を追っている時に、瀕死の重傷を負ったが、奇跡的に助かったのだ。
記者になる前は、旧防衛軍に所属していて、優秀な剣士であった。その時に、鍛えた体と精神力が、彼に奇跡を呼び寄せたのであろう。
「ふぅ〜」
後藤は、煙草の煙を吐くと、梨々香の方を見ずに訊いた。
「尾行か?」
「一応ね」
頷いた梨々香に、後藤は軽く苦笑し、
「まあ〜尾行にはなっていないようだが…。それでも、気づかれないのは凄いな。危なそうなやつだから、あまり関わらないでおこうという…人間の防衛本能ってやつを刺激しているのか」
「失礼ね!」
梨々香は軽くキレた。
「ふぅ〜」
後藤はまた煙草の煙を吹かすと、目を細めた。
視線の先にいる2人の女子高生を、数秒だけ見つめると、視線を梨々香に移した。
「今回…ここまで来たのには、理由がある。お前んとこの学校に、佐々木神流という新任の教師は赴任していないか?」
「佐々木神流?」
梨々香は首を捻り、
「新任の教師は来たけど…そいつの名は、佐々木じゃないし」
「その女の名は!」
煙草を、テーブルに備え付けてある灰皿にねじ込むと、後藤は身を乗りだした。
「た、確か…上野輪廻」
梨々香はたじろぎながらも、教師の名を思いだし口にした。
「上野輪廻…リンネ」
後藤の頭の中で、その名前から連想されたのは…たった一人だった。しかし、後藤はその考えを否定した。
(それは…あり得ない。もし…あの輪廻だとしたら…この辺りは、焼け野原になっているだろう)
後藤は落ち着く為に、新しい煙草を取り出した。
火をつける後藤の様子を見つめながら、梨々香は体勢をもとに戻すと、スプーンですくったパフェを一口食べた。
「…でも、もし、その佐々木神流って人が、学校に来てたとしても…どうなったかわからないかも」
梨々香は、テーブルに頬杖をついた。
「どういう意味だ?」
後藤は、火のついた煙草を灰皿に置くと、眉を寄せた。
「おじさんが追ってたのって…」
一応ここで気を使ったのか…梨々香はひそひそ声になり、囁くように言った。
「月影でしょ?」
「ああ…そうだ」
後藤は、月影関係の謎を追っていた。その過程で、彼の後輩は命を落とし、後藤本人も死にかけた。
「だけど…その首謀者と言われていた…うちの校長は、死んだわ。校長の2人娘もね」
「な」
後藤は絶句した。
「これは、内緒だけど…うちの部の見解では、月影に関して嗅ぎ回っていた相手を殺してたのは、彼女達かもしれないって。だけど…彼女達は死んだ。月影の力を巡る争いでね」
梨々香の言葉に、後藤は考え込んだ。
大月学園の校長であった結城哲也。彼は、日本地区の司令官の一人でもあった。その名は、防衛軍では知らぬものはいない程の軍人だった。
「彼女達の死によって、月影の事件は終結したと、あたし達の部は思っているけど」
「だったら…」
後藤は腕を組み、
「その月影の力は、どうなったんだ?」
考え込む。
そんな後藤に、梨々香は衝撃的な事実を口にした。
「天空の女神が、すべてを手に入れた…」
「天空のめ、めがみい!」
後藤の声が上ずった。
「声が大きい!」
珍しく、梨々香が注意すると、
「それも、あたしは見たことがないけど…何度か、校内で目撃されているみたい」
「天空の女神…」
あまりにも、現実離れした人物の名に、後藤は信じられなかった。しかし、先程の輪廻という名の教師の可能性も浮上してきた。
(あの学校で、何が起こっているんだ)
脂汗を流し、さらに考え込む後藤に、梨々香は言った。
「そんなに…月影が気になるなら…。月影に関わった生徒の中で、一人だけ生き残っている生徒がいるわ」
梨々香は、スプーンをテーブルに置くと、後藤の目をじっと見つめ、
「うちの生徒会長、九鬼真弓よ」
「九鬼真弓」
その名に、聞き覚えがあった。
「乙女ブラックの役者か」
後藤は、後輩から貰った資料で目にしていた。
大きく息を吐くと、後藤は頷き、
「そうか…。ありがとうな」
お礼を述べると、慌てて席を立った。
そんな後藤に、梨々香は手を差し出した。
「おじさん!まさか…タダって訳じゃないでしようね?それに…」
梨々香は目で、パフェの周りに立つ2人の妖精に目をやった。
「ほとんど…食べられたんだけど」
2人の妖精は、一心不乱にパフェで素手でパクついていた。
「く!」
後輩は仕方なく、カードを出すと梨々香の手のひらに乗せた。
そのカードに、梨々香は自らのカードをかざすと、紙幣の代わりになっているポイントが、転送された。
「毎度あり!」
梨々香は笑った。
後藤はため息をつき、
「そういう図太さは…記者に必要か」
「卒業したら、おじさんの雑誌によろしくね」
笑顔を向ける梨々香に、後藤は頭をかき、
「うちより、大手の会社はいっぱいあるぞ」
「あくまで滑り止めよ」
「ケッ!ちゃっかりしてやがる」
顔をしかめ、テーブルから離れようとする後藤に、梨々香は最後の質問をした。
「そう言えば…おじさん。どうして、ここにいるの?学校から離れてるのに」
「ここは…中継地だからな」
後藤は、まだパフェを食べているアイを、太るぞと言いながらつまみ上げ、
「俺の師匠の十三回忌だからな」
フッと悲しげに笑った。
「そうか!おじいちゃんの仲間の」
梨々香は思い出した。
大月学園と五つ程駅が離れた場所に、ブレイクショットに所属していた後藤の師匠の奥さんがやっている店があるのだ。
ほとんど山の中になるが…。
「お前を見ると、師匠のお子さんを思い出すよ。確か…同い年のはずだ」
「行方不明だったっけ?」
梨々香は、首を捻った。
「そうだ…。もう何年もなる」
後藤は、遠くを見つめた。
彼の師匠の名は、阿倍剣司。
ある出来事を追っていて、命を落とした。
「邪魔したな」
後藤は手を上げると、梨々香の座るテーブルから離れた。