第308話 黒と白
「高木麻耶の妹…高木真由か」
彼女を訪ねる為に、輝は一年のクラスが並ぶ…中央校舎二階に来ていた。
自分のクラスもそこにあるとはいえ、別のクラスの女の子を見に行くっていうのは、緊張する。
「ここか」
真由がいると思われる教室の扉に背中をつけ、横目で覗こうとしている輝の姿は…。
「まるで、不審者だな」
突然声がして、輝は慌てて振り向いた。
そこに立つのは、ショーカットの女だった。妙に短いスカートからすらっと伸びた足が、健康的である。
「ゲッ!梨々香」
思わず顔をしかめた輝の反応が、気に入らない梨々香は細長い足で、輝の股間を蹴り上げた。
「キャイン!」
子犬のような声を上げて、輝は一瞬飛び上がっ後、その場で踞った。
「な、何を…するんだよ…」
踞りながらも、輝は梨々香を見上げた。
「フン!」
梨々香は鼻を鳴らすと、腕を組み、
「あんた!ばあ〜かじゃない」
数秒だけ見下ろすと、輝の耳を掴み、強引に引っ張り上げた。
「い、痛い!」
「こっちに来な!」
そして、廊下を歩き、渡り廊下から西校舎へと入った。
視聴覚室や理科室がある西校舎には、あまり人がいない。
さらに、西校舎内を上に上がった。四階から上は現在、実質使われていなかった。
四階の廊下に入ると、梨々香は、防衛軍が仕掛けている監視カメラが残っているかをチェックした。
哲也の死により、大月学園の防衛軍は解体し、目立つカメラはすべて、生徒達に撤去された。
しかし先日、舞が使ったように、隠されたカメラは未だに撤去されていなかった。
その理由は、生徒達の安全を確保する為と、防犯の為だった。まあ…一部、設置場所に疑問が残るところもあるけど。
監視カメラがないことを確認すると、梨々香は輝の耳から手を離し、大きく深呼吸した直ぐ様、
「てめえは、馬鹿か!」
回し蹴りを輝の尻に叩き込んだ。
「ヒイイ!」
今度は、馬の鳴き声のような声を出し、飛び上がる輝。
「何堂々と、他のクラスを覗いているんだ?お前んとこの部は、まともな捜査ができないのか!」
痛がる輝を睨み付ける梨々香。
「そ、捜査って…。自殺したのは、彼女の姉で…妹は、事件に関係ないだろ…」
お尻を擦りながら、何とか梨々香と向き合う輝に、
「甘い!」
今度は、梨々香の平手打ちが炸裂した。
「どうして…殴られる」
輝は、理不尽な暴力によって、その場で崩れ落ちた。
「高木姉妹ってのは、あの高木優の親戚なのよ」
腕を組み、再び輝を見下ろしながら、梨々香は言葉を続けた。
「それだけではないわ。今回の自殺が、学園内の怨恨だとしたら…双子の妹にも危害が浮かぶかもしれないの!なぜなら、彼女達は常に一緒にいた!それなのに…自殺当日は、妹の真由は先に帰っていなかった」
「ところで…高木優って、誰?」
話のこしを折るような輝の疑問に、梨々香の飛び膝蹴りが炸裂した。
顎から突き上げられて、輝の体が弓なりに反れる。
「どうして…こんな扱い」
体が柔らかいのか…ブリッジと体勢になり、頭を廊下の床につけた輝は、そのまま背中から倒れた。
「あんたは…犬神のご加護を受ける犬上一族の末裔だけど…」
梨々香は、倒れている輝を指差し、
「犬は犬でも!負け犬の匂いしかしない!」
びしっと言い放った。
「ま、負け犬って…。ご先祖様が聞いたら…」
目頭を押さえた後、輝は立ち上がり、
「幼なじみだからと言って!言っていいことと悪…」
梨々香を睨み付けたが、再びビンタを叩き込まれて、また廊下に倒れた。
「折角のレア能力が、負け犬のあんたのせいで、かわいそうよ」
梨々香はため息をつくと、三たび輝を見下ろし、
「あんた!本当に、高木優を知らないの?高校シンガーとして一時期有名だったじゃない。だけど…彼女は、つい最近死んだわ。死因に関しては、結城校長の件と深い関わりがあると言われている」
「じゃあ…今回の事件も、月影関係?」
輝は痛みも忘れ、起き上がった。
「それは違うと…さやか御姉様が…もとい、如月部長が仰っていたわ」
「さやか御姉様?」
梨々香は言い直したが、輝は聞き逃さなかった。
「…」
しばし…フリーズしたように動かなくなった梨々香の手に、銃が召喚されると、輝の額に銃口を押し付けた。
「知られたからには、死ね」
妙に落ち着いた口調で言う梨々香に、今日一番の殺気を感じた輝は、両手を上げた。
「…い、今…召喚したのか?在学中は…精霊とのけ、契約は禁止されているは、はずじゃ」
勇者を育てる目的がある大月学園では、三年間は妖精や精霊と契約することを、禁じられていた。
それは、基礎である体を鍛える為であった。
武器は、剣や槍は認められていたが…基本、素手での格闘を重視していた。
「じゃかまい!あたしは、こいつだけあればいいんだよ。だから、契約した妖精は、この近くにはいない」
梨々香は、銃口を輝の額にぐっと押し付けた。
「そ、その妖精は…どこに?」
震えながら、輝はきいた。
「知るか!どこにいるだろうさ!あたしは、体に魔法陣を描いて、そこからこいつを召喚できたら、どうでもいい」
「ま、魔法陣って…どこに?」
輝は撃たれないように、何とか話題を変えようとしていた。
「胸だよ!もしも!身体測定があっても、何とか隠せる」
「へえ〜」
感心したように言うと、輝は目だけを動かし、視線を梨々香の胸元に移動させた。
「うん?」
輝の視線に気付いた梨々香は、顔を真っ赤にすると、引き金を引くのではなく、銃底で、輝をぶん殴った。
「どこ見てんだよ」
再び、ふっ飛んで床に倒れる輝に向かって、銃口を向けた。
「負け犬の癖に、変態で!さらに、部長のことをひ、密かに…さやか御姉様と呼んでいたことがばれたからには!死んで貰うしかない」
そして、引き金に指をかけた。
「…寒気がするわ」
その頃、部室にいたさやかは、紅茶を楽しんでいた。熱いものを飲んでいるのに、一瞬だけ体が震えてしまった。
「風邪ですか?部長」
「風邪というか…悪寒」
もう一度身を震わした後、ソファーに座り直すと、さやかは改めて、紅茶を一口すすった。
「ところで、部長」
そんなさやかを見て、そばにいた新聞部部員が訊いた。
「矢島は、どこに行ったんですか?」
その質問に、さやかはカップの中のレモンティーをもう一度すすった後、
「ああ…情報倶楽部の馬鹿のところよ」
興味なさそうに答えた。
「え!」
その答えに、部員はぎょっとなり、さやかに詰め寄った。
「部長!いいんですか!」
「別に…いいでしょ」
さやかは、ため息混じりに答え、
「馬鹿は、馬鹿同士の方が何とかなるものよ」
ソファーに深々ともたれ直した。
「はくしゅん!」
輝のこめかみに、銃口を当てていた矢島梨々香は突然、くしゃみをした。
その反動で、思わず引き金を弾いてしまった。
「ヒイイ!」
とっさに、首を捻った輝の後ろの壁に、穴が空いた。
「あははは…。ごめん、ごめん〜!風邪かな?」
笑って誤魔化そうとする梨々香に、輝はキレた。
「お、お前なあ!」
「何よ?」
再び銃口を向けられて、輝は仕方なく…両手を上げた。
「すいません…」
なぜか謝ってしまった。
「フン!」
梨々香は開き直り、銃口を向けたまま、後ろに下がった。
「とにかくだ!高木真由に関しては、あたしが探るから!あんたは、手を出すな!」
逆ギレ気味に言い放つと、そのまま廊下から消えた。
「な、何なんだ…」
どっと疲れが出て、廊下の壁にもたれながら腰を下ろした輝。
しかし、そんな輝に安息の日々はない。
突然、カードが鳴った。
「…は、はい」
疲れからか…相手を確認せずに出た輝は、すぐに後悔することになる。
「どうなっている?」
かけてきたのも、鬼だった。
「…ゲッ」
小さく呟くように言ったつもりだったが…その声は相手に伝わった。
「何だ?」
電話向こうから、明らかに不機嫌な声が聞こえて来た。
「何か、言いたいことがあるのか?」
「べ、べ、別に、な、な、何も…ございません」
声が震える輝に、
「さっさとやれ!このうすら馬鹿だ!死ぬ!」
という暴言を吐くと、通信が切れた。
かけてきたのは、緑だった。
さらなる精神的ショックを受け、その場で崩れ落ちる輝。
「こ、これって…部活だよな」
人気のない廊下に両手をつけて落ち込み輝を、慰めるものは誰もいなかった。
「何だ?話って」
西館の裏に呼び出された前田は、邪魔くさそうに頭をかいた。
「先生…」
その前に立つのは、分厚いレンズの眼鏡をかけている阿藤美亜だった。
美亜は、背が高いくせにハイヒールをはいている前田を見上げ、
「今度…勇者になる為の修練の島というところで、合宿をなさるんですよね」
「ああ〜まあ〜そうだな」
「それに…あたしも参加し」
「駄目に決まってるだろが!」
美亜の言葉が言い終わる前に、前田の口調が変わった。
「合宿を舐めるな!今回は、選ばれた者だけでいく!島には、強力な魔物もいる!お前のような者が行っては、命にかかわるだけでなく!参加した生徒にも、危害が及ぶかもしれん!遊びじゃないんだ!」
叱るように言う前田の言葉が終わるのを、口をつむんだ美亜は無言で待っていた。
「フッ…」
ゆっくりと…口許を歪めた美亜。その瞬間、雰囲気が変わった。
「わかったか!お前のような…」
突然、前田は話すことができなくなった。
唇が小刻みに震えるだした。いや、唇だけではない。全身が震えていた。
「え…」
無意識に後ずさった前田は、足がもつれて…尻餅をついた。
「先生…」
美亜は眼鏡を外すと、微笑んだ。
「ヒイ」
前田は、生まれて初めての声を上げた。
恐怖…これほどの恐怖を、今まで感じたことがなかった。
男にも…そして、魔物にも感じたことのない恐怖。
気が強く、実力もあった為に、そんな感情とは無縁だった。
初めてのあり得ない恐怖。その前では、自我が崩壊する。
ただ怯え…泣きわめき…今まで築いてきた性格が、崩壊する寸前…。
美亜は、眼鏡をかけた。
「は、は、は、は、は」
呼吸が安定しない。心臓が破裂しそうだ。
はいていた短いスカートが捲れても、気にする心がない。
「先生…」
美亜は一歩前に出ると、前田を見下ろした。
「これは…遊びじゃないんですよね」
にやりと笑うと、
「どうします?」
前田に訊いた。
「あ、ああ」
前田は、声にならない声を発した。
それを見て、美亜は軽くため息をつくと、
「でしたら、質問を変えましょうか?」
鋭い目で、前田の目を射ぬき、
「あたしも参加してよろしいですか?」
最後の質問をした。
「…」
前田は無言で、頷いた。
「ありがとうございます」
美亜は頭を下げると、満面の笑顔を作った。
そして、前田を見下ろしながら…ゆっくりと背を向けて行く。
「では…失礼します」
そのまま美亜がいなくなっても、前田はしばらく立ち上がることができなかった。
「…」
声も出ない。
そんな前田の耳に、次の授業の始まりを告げるチャイムの音が空しく飛び込んできた。