第303話 そこにあるもの
「もう大丈夫だと思うよ」
浩也は九鬼に微笑むと、ベットから離れた。
保健の先生はもう帰宅したのか…待っても来なかった。
だから、仕方なく手を当てて、無意識の治癒魔法を施したのだが…それが、どんな治療よりも強力であると、浩也は知らない。
「あ、あのお〜」
保健室を出ていこうとする浩也の背中に、九鬼は声をかけた。
「うん?」
振り返った浩也に向かって、九鬼は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえいえ〜どういたしまして」
浩也は、笑顔を向けた。
その屈託のない笑顔に、思わず見とれてしまった九鬼。
「え…あ」
言葉がでない。
そんな九鬼に、浩也は最後に…こう告げた。
「多分…こういうことが、僕の仕事なんだ」
「え」
「お大事に」
浩也は前を向くと、保健室から出た。
「ふう〜」
少し深呼吸をした後、浩也は廊下を歩き出した。
「何だって?」
特別校舎まで来た高坂は、苛つきが止まらない緑と、顔を腫らした輝から事情を聞いて、ため息をついた。
「ムカつく!」
それしか言わない興奮状態の緑はほっておいて、半泣きの輝に訊いた。
「では…生徒会長は、無事なんだな?」
緑の小競り合いの話より、一番大事なことを確認した。
「は、はい…。多分、今は、保健室に…。さっき、部長とすれ違いましたよ」
輝の言葉に、高坂ははっとした。
(そう言えば…さっき、場所をきかれたな)
あまりにも夢中で、訪ねてきた相手を見ていなかった。
「了解した。俺は、保健室に向かう。お前達はもう帰れ」
そう2人に告げると、背中を向けた高坂を、輝が慌てて止めた。
「そ、そう言えば、部長!何かあったんじゃあ」
高坂は足を止め、
「それは…保健室に行ってから」
と言ってから、少し考え込んだ。
「部長?」
輝は首を傾げた。
「ムカつく!ムカつく!」
興奮状態の緑は、使いものにならない。
高坂は横目で、輝を見つめると、
「お前は、来い!緑は、帰れ!」
すぐに前を向き、走り出した。
「ぶ、部長!」
輝はちらりと緑を見た後、急いで走り出した。ここにいてはまた、とばっちりをくうと判断したからだ。
「今日は、忙しないなあ〜」
高坂の後を追いながら、輝はため息をついた。
同時刻。
飛び降り自殺があった西校舎のグラウンド寄りの側面に、カレンはいた。
遺体は運ばれており、警察の現場検証が行われていた。
(この学校で…自殺)
疎らになってきた人混みの向こうから、様子を見ていたカレンは、唇を噛み締めた。
(あり得んだろ!)
生徒が飛び降りた現場である屋上を見に行きたかったが、早くも警察が屋上への階段を封鎖していた。
(無理を言えば…通してくれるか?)
元防衛軍の安定者であるジャスティンの威光を使えば、何とかなるかもしれない。
しかし、魔物関係ではなく、人間同士の争いは…基本、警察機関に任されていた。
(防衛軍の方が、遥かに権限があったとはいえ…今は、実質的には存在しないからなあ)
カレンは頭をかくと、諦めた。
(単なる自殺じゃないとしても…何の目的だ?)
基本的に、魔物の場合…ただ殺すことはない。 第一目的は、食べることだからだ。
その理論に外れるのは、上級魔物である。時に彼らは…人間の戦士を、戦う価値のある存在としてとらえてくれる。
と言っても、屋上から突き落とすような幼稚なことはしない。何かの駆け引きで使うことは、あるが…。
(戦う価値のない人間…戦士でない一般人を食わずに…殺すことはしない)
カレンは、屋上を見上げた。
(だとしたら…この自殺は、他殺だとしても…相手は、人間…か?)
カレンの中で、何かが引っ掛かったが…それが、何かわからなかった。
そんな考え事をしていると、いつのまにか…隣に、浩也が立っていた。
「カレン…」
カレンが驚く暇もなく、浩也が訊いた。
「これは、自殺じゃないよ」
「え?」
驚くカレンに、浩也は言葉を続け、
「それに、人間がやったんでもないよ」
自分の言ったことに頷いた。
「な、何を根拠に?魔物は、人間をこんな殺し方をしない。確かに、いたぶることはするが…。突き落とすなど…まるで、恨みでもあるような…」
「僕は、知ってる」
浩也は、屋上を囲む金網を睨み、
「人間から発生する…魔物を」
「!?」
カレンは、目を見開いた。
「魔獣因子…」
なぜ…その単語が出たのか、わからない。 なぜ…知っているのかも、わからない。
「そ、それは…確か…」
カレンは、考え込んだ。
「もしくは…人間から創ったのかもしれない」
浩也はそう言うと、カレンから離れた。
「人間から、創っただと!?」
カレンは絶句した。
「魔物は、人間から見たら…純粋な悪だ。だけど…人間にとっての人間は…」
浩也は、カレンに背中を向けると、虚空を睨み、
「不純な悪だ」
呟くように言って、歩き出した。
「人間から創られた魔物?」
自分で口にして、カレンはぞっとした。
昔…通っていた学園での同級生の視線を思い出した。
自らを偽って生きていた頃のいじめ。
まあ…簡単に殺せると思っていたから、恐ろしくはなかったし、魔神や女神と対峙した時の絶望感とは比べるまでもなかった。
(だけど…)
カレンは、知っていた。
力だけが、恐怖ではないと。
(人間の冷たさは、異質だ)
自らも人間ではあるが、カレンはその異質さを理解していた。
(つまり…そんな人間の負の部分を持った…魔物が犯人ということか…)
カレンは、深く息を吐くと、
(…と言うことは、飛び降りた生徒と関わりのある相手?魔物が、この学園に忍び込んでいる?)
カレンの頭に、数人の候補が浮かんだ。
しかし、その中に…人に恨みなんてものを、抱くようなものはいないように思えた。