第302話 陰謀の銃声
「ディアンジェロ!」
少年の額に向けられた銃口。
どこの山奥か、わからない。
激しい濁流と、四方を山々に囲まれた川原に、少年はいた。
ディアンジェロと呼ばれた白髪の男は銃口を向け、無表情でありながら、口許だけを歪めた。
「お前は、弱い…」
ディアンジェロは、引き金を弾いた。
「だから……生きろ」
女の悲鳴のような銃声が、轟き…少年は、撃たれた勢いで、そのまま濁流の中に落ちた。
そこで、少年の記憶は、途切れることになる。彼は、今までの生きてきた記憶をなくす。
「ディアンジェロ…。誰が殺せと命じましたか?」
その様子を、川原の聳える崖の上に立って…4人の男女が見下ろしていた。
「手違いだ」
ディアンジェロは振り返ることなく、こたえた。
4人の男女は、全員十代の少年少女に見えた。
一番年上だと思われる鉄仮面を被った女が、十メートルはある崖から飛び降りると、ディアンジェロの後ろに着地した。
「彼は、我々…運命の欠片のワンピースだ」
鉄仮面を被っている為に表情はわからないが、口調から聡明な印象を受ける女は、腕を組み…ディアンジェロの背中を睨んだ。
「まあ〜いいじゃないかよ」
仮面の女の横に、崖にいた男が着地した。棘のように、ツンツンに立てた髪の毛は、着地の瞬間も乱れることはない。
「ワンピースなんだから、命はいらないだろ」
男は笑いながら、ディアンジェロの背中に近付くと、左足を上げた。
「回収の手間はかかるけどな…」
ディアンジェロの頭上に、男の左足がしなり、まるでナタのように振り落とされた。
「フッ…」
ディアンジェロは笑いながら、避けることをしなかった。
濁流の中、赤き血とともに流れていく老人に、かかと落としを食らわした男のそばに立つ鉄仮面の女は、一瞥だけをくれると、残りの三人に言った。
「探しましょう。やっと…最後のピースも、現れたのだから」
「うーん」
ティフィンは悩んでいた。
喉が渇いた為に、川辺に近づいたティフィンは、完全に悩んでいた。
「う〜ん」
理由は、簡単だった。
「日本って…どこだ?」
ジャステインと別れてから、浩也のいる日本地区まで向かっていたが…ずっとロストアイランドにいて、そこを出てからは、着の身着のままで旅してきたティフィンが、地理を理解している訳がなかった。
だから、魔界から出ることはできたが…そこから、ユーラシア大陸南部をずっとうろうろしていたのだ。
「世界は…広い…」
肩を落とし、水面に映る自分を見つめていると、突然…川が赤に染まった。
「血…?」
すぐに、それが何なのかわかったティフィンは、透明の羽を広げて飛び上がった。
警戒するように、少し上空まで飛んだティフィンは、眼下の川を見下ろし、気を探った。
近くに、強力な魔物はいない。
目を凝らし、血を流しているものの本体を探す。
「うん?」
ティフィンの小さい目に、岩と岩の間に挟まっている人間の少年の様子が映った。
「!」
慌てて、ティフィンは空から、少年に向かって急降下した。
ティフィンがさっきまでいたところから、百メートル程離れた川の中だ。
「!?」
落下の途中、ティフィンは突然羽を広げて、空中で急停止した。
「魔力!?それも、凄まじいくらいの」
微かだが…少年の方から、魔力を感じられたのだ。
(だけど…)
ティフィンは、少年から漂う魔力に…生気を感じられなかった。
(この感じは…)
一定の距離を取り、落ち着いて気を探ると、少年自身の気を別に感じることができた。
(本人の魔力じゃない)
意を決するとティフィンは、少年が挟まっている岩に着地した。
(神具や…武器から漂う魔力に近い)
ティフィンは、男の子を凝視した。
左手が無意識に、岩を掴んでおり…偶然挟まっただけではないことに気付いた。
(何か…持ってるのか?)
ティフィンは少し…悩んだが、男の子を助けることにした。
「うんしょ!」
岩を掴む左手を外すと、男の子の襟の後ろを掴み、全身に力を込めると、何とか岩場から脱出させた。
「人を運ぶのは…久しぶりだよ」
残りの力のすべてを使い、男の子を川から出す。
今の水の流れが、比較的緩やかであったことが幸いした。
だけど、水を含んだ服が重さを増していた。身長40センチ程のティフィンには、重労働だった。
「まったく…あたしは、いつから…お人好しの妖精になったのかな」
全身で激しく息をして、自問自答しながらも、ティフィンは川辺まで引きずった男の子を手当てすることにした。
長時間、水に浸かっていた為に…体が冷たい。ほっておいたら、死んでいただろう。
ティフィンは手を当てて、治癒魔法を使おうとして、唖然とした。
先程まで無我夢中だったから、気付かなかったが…男の子の右腕を見て、目を丸くした。
「に、人間の腕じゃない!」
かといって、魔物の腕でもなかった。
この世界にない…メタリックな腕の形をしたものを見つめていると、ティフィンの全身から冷や汗が流れた。
(さっきの魔力は…これからね……!?)
ティフィンは納得した瞬間、遠くの方から、新たな凄まじい魔力が近付いてくるのを感じた。
(同種の波動!?だけど…向こうの方が強い)
事情はわからないが、ティフィンは男の子の右腕を見つめると、
(何とかなるかも)
治癒魔法を施す前に、男の子の右腕に手をかざした。
すると、男の子の右腕を皮膚に似せた物質が絡み付き、メタリックな表面を隠していく。
(間に合え!)
ティフィンは唇を噛み締めた。
数分後、鉄仮面の女達が、ティフィンのいた川辺に到着した。
「血は流れている」
ツンツン頭の男が、先程挟まっていた岩場に降り立った。
「探しましょう。あの右腕は、大事な捧げもの。下等な魔物に、奪われるわけにはいかないわ」
鉄仮面の女が消えると、川辺のそばに転がっている巨大な岩の隙間に、隠れていたティフィンは胸を撫で下ろした。
魔力を完全に消し、さらに表面にガラスのコーティングをした結界を周囲に張ることで、完璧にカモフラージュしていた。
同じような岩が転がり、他に何もない川辺が、幸いした。
鏡に映った周りの景色を、見破ることができなかった。
(魔力を周りに、無意味に放出していることからわかったわ。あいつらは、魔力をコントロールできない)
ティフィンは確信していた。
魔神レベルの魔力を放出していれば、普通の魔物は寄り付かないだろう。
防犯にもなるが、向こうの位置を知ることもできた。
ティフィンは、鉄仮面の女達が去っても…しばらくは、結界を解かなかった。
(それにしても…)
自分の後ろに、横たわる少年を見つめた。
額の銃痕は骨を抉っていたが、銃弾は貫通していない。
表面を抉ったに過ぎない。
(狙ったとしたら…大した腕ね)
ティフィンは、感心しながら、視線を右腕に移動させた。
(これは…一体、何かしら?)
ティフィンには、まったく見覚えがなかったが…なぜか、知ってるような気がしていた。
(とにかく…ここは、危険だわ)
ティフィンは、少年を連れて移動することにした。
あまり面倒なことに関わりたくなかったが…ここに、少年を置いておけば、大変なことになる気がした。
(ああ…)
深くため息をついた後、ティフィンは無意識に呟いた。
(助けてよ…赤星)