赤の王編第4部 勿忘草編 第295話 夢の途中
「わかっている!今、彼女を助けるに向かっている!」
緑からの通信をカードで傍受しながら、高坂は屋上に向けて、階段を駆け上がっていた。
後ろには、河野輝がいた。
「とにかくだ!彼女を死なす訳にはいかない!人類にとって、彼女はかけがえのない存在だ!」
高坂はそう叫ぶと、階段を上りきり、鉄の扉を開いた。
九鬼真弓が磔になっている時計台は、すぐ目の前だった。
しかし、高坂と輝は…沈んでいく夕陽が、真っ赤に輝いている屋上内に飛び出して、動けなくなっていた。
「い、いない!?」
輝は、足を止めた高坂より前に出て、時計台の方へ走った。 そして、鼻をくんくんさせて、九鬼の残り香を探した。
「匂いは、残っています!」
振り返り、高坂に向かって叫ぶ輝。
「どういうことだ!」
高坂は、手にしていたカードから緑に訊いた。
「どうなっている?誰が、運んだんだ?」
時計台の真下に、野次馬のようにいる生徒達もパニックになっていた。
その中にいる緑も、時計台を見上げながら、
「わかりません。一瞬ですけど…夕陽が一番眩しくなった時に…消えたと思われます。誰がやったのか」
緑は目を細めていた。
「馬鹿な!有り得ん!磔になっていた十字架も、消えているんだぞ!一瞬で、そんなことができるなんて…神でもないと有り得ないぞ……!?」
そこまで言って、高坂ははっとした。
「ま、まさか…」
下唇を噛み締め、
「神か…」
呟くように言った。
「く、くそ!」
その後、言葉を吐き捨てると、高坂は時計台のそばまで走った。
下からもわかる大きさで、九鬼の体に書かれた血文字。
女神ソラ。
あまりにも稚拙なメッセージに、高坂は呆れていた。
九鬼をやった相手は、凄腕ではあるが…知能は低いと。
しかし、一瞬で消したのが…同じ相手だとしたら…。
(遊んでやがる)
高坂は、言い様もない怒りをおぼえていた。
「神…か」
笑いながら、阿藤美亜は廊下を歩いていた。
「但し…各々のレベルに差がある」
ここは、特別校舎。かつては、防衛軍の本拠地だったが、哲也の死によって校舎内は閉鎖されていた。
さらに、虚無の女神の騒ぎもあり…あまり、人が寄り付かない場所になっていた。(但し…虚無の女神の件は、公にはなっていない)
五階建ての特別校舎。その最上階の廊下を、美亜は歩いていた。
防衛軍に所属していた生徒が訓練室として使っていた…突き当たりの右手の教室。その前で、美亜が立ち止まると、自動で扉が開いた。
勿論、自動ドアではない。
板の間に畳を引いた教室は、柔道などの訓練に使われていた。
まだ少し汗臭い…教室の真ん中に、彼女は横たわっていた。
彼女の名は、九鬼真弓。
土足のままで畳に上がると、ぐったりと意識を失っている九鬼のそばまで歩いていった。
「…出来損ないの女神の力しか持たない…今のお前には用はない。しかし、お前の戦い方は、嫌いではない」
美亜は蹴り技を得意し、武器をほとんど使わない九鬼の戦闘スタイルを気にいっていた。
「奪う価値のない力だが…否定はしない。だから」
美亜は分厚いレンズの眼鏡を外した。赤く光る瞳が、露になった。
「助けた。お前を…あたしの眷族にする為に」
倒れている九鬼を見下ろしながら、美亜は口許を緩めた。すると、唇の端から、鋭い牙が覗かれた。
「光栄に思うんだな。今まで下僕はいたが、あたしの眷族はいなかった。初めての洗礼を、有り難く受け入れるがいい」
美亜はゆっくりと、身を屈めた。そして、手を伸ばし、九鬼の黒髪を避けると、首筋をさらした。
あとは、そこに…牙を突き立てればいい。
その瞬間、九鬼は…美亜の奴隷を化す。
「心配するな。あたしの眷族になっても、やることは一緒だ。人間を守ることはな。さらに…バンパイアの力も得ることになる。お前は、今よりも強くなるんだ。悪い話ではないだろ」
美亜は微笑んだ。
九鬼を抱き上げ、ゆっくりとその首筋に、牙を突き刺そうとした時、美亜の前から声がした。
「人の自由を奪ってはいけないよ」
その声に…いや、その声の音色に、美亜は驚き、動きを止めた。
「!?」
目を見開き、美亜は顔を上げた。
目の前に立つ…男の姿に、美亜は絶句した。
「あ、赤星…」
その男は紛れもなく…赤星浩一だった。
赤星浩一は微笑みながら、首を横に振った。
「ば、馬鹿な!」
思わず立ち上がった美亜。その瞬間、後ろの扉が開いた。
「!?」
美亜は、振り返った。
「見つけた!」
扉を開けたのは、赤星浩也だった。
「赤星…」
美亜ははっとして、前を向いた。
もう…赤星浩一はいなかった。
「く!」
美亜は顔をしかめると、眼鏡をかけた。
「阿藤さんが、助けたんですか?」
中に入ってきた浩也に、美亜は深呼吸した後、微笑み…首を横に振った。
「あたしじゃないです。誰かが、助けて…ここに、連れてきたみたいですよ」
「そうですか」
浩也は靴を脱ぐと、畳の上に上がろうとした。
「あっ!」
美亜は…自分が土足であることに気付き、
「もう誰も使っていないですから…靴のままでも」
「いいんですよ」
浩也は微笑み、
「僕がいた世界では、靴を脱ぐのが当たり前でしたから…」
「僕が…いた世界?」
美亜は、浩也が口にした言葉に眉を寄せた。
「え?」
美亜に言われ、浩也は自分が口にした言葉を思い出し、
「どういう意味だろ?」
首を傾げた後、愛想笑いを浮かべた。
「アハハハ!」
一応、美亜も合わせて、無理矢理笑った。
2人は、しばらく笑い合った。
しかし、美亜の目はまったく、笑っていなかった。
(やはり…目覚めて来ているか…)
冷静に、浩也の様子を見つめていた。
「――ところで、赤星さんはどうして、ここに?」
美亜は笑みを止めると、浩也に訊いた。
「う〜ん」
美亜の質問に、浩也は悩み出した。
「…」
そんな浩也を、じっと見つめる美亜。
「に…匂いかな?」
自分で口にしておいて、首を傾げる浩也に、美亜は心の中でにやりと笑い、
(バンパイアの本能が…血を嗅ぎ付けたか)
頷いた。
「阿藤さんは、どうしてここに?」
浩也は無邪気に、美亜に同じ質問を投げ掛けた。
「うーん」
美亜も同じように、悩むふりをしてからこたえた。
「同じかな?」
満面の笑みを浮かべ、浩也を見つめた。
「そ、そうだよね!」
浩也はなぜか、顔を真っ赤にして逸らしてしまった。
どうしてだろうか…浩也の心臓の鼓動が、激しくなった。
そんな浩也を…ずっと見ていたくなったが、美亜は突然、笑顔を崩した。
遠くの方から、この階に向かって上がってくる足音を、耳がとらえたからだ。
(チッ)
美亜は心の中で、舌打ちした。
本来ならば、校舎に近付いただけでわかるはずだった。
しかし、浩一の姿を見て動揺してしまい、浩也の時と同様に、気づかなかったのだ。
「赤星さん」
美亜は、真剣な顔を浩也に向けると、
「あたし…どうしても、行かなくちゃいけない用事あるんです」
すがるように言い、
「一応、九鬼さんの容態を診ましたけど、怪我は大したことはありません。気を失っているだけですから」
困ったような顔を浮かべる美亜を見て、浩也は真っ赤になりながらも、
「わかりました。任せて下さい」
胸を叩いた。
「ごめんなさい」
美亜は頭を下げると、部屋から飛び出した。
扉を閉め、テレポートするのと、カレンティアナ・アートウッドが五階の廊下に姿を見せるのは、ほぼ同時だった。
「赤星!どこだ!」
カレンは叫びながら、廊下に並ぶ教室を順番に覗いていく。
「匂いがするって、どこにいきやがった!」
浩也がいる部屋は、一番端の為…カレンがたどり着くには時間がかかった。