第285話 弱さ
(愛する気持ち…か…)
底が見える程、透き通った水面に映る自分を見つめながら、ティアナは悲しく笑った。
自分も十代の女の子である…そういう気持ちに興味がないわけではない。
(だけど…)
そんなことに費やす時間が、なかった。
ライトニングソードという特別な武器を得て、モード・チェンジという技を身につけた時から、ティアナは覚悟を決めていた。
いつ…死ぬかわからないと。
それは、魔物との戦いの日々に身をおいているからだけではなく、モード・チェンジによる体の負担が大きかった。
戦いに勝利したとしても…体は壊れていっていると自覚していた。
ティアナは、水面に映る自分を睨みつけ、
(弱気になってはいけない!あなたは、まだ死んではいけない!)
自分に言い聞かせていた。
少なくとも、カードシステムが完成するまでは死んではならないと。
それだけは、自分しか完成できないと知っていたからだ。
(戦いに関しては…)
ティアナは、洞窟の天井を見上げ、
(あの子達が大きくなったら…きっと、あたしをこえてくれる)
近くにいるはずのジャスティンとクラークを、思い浮かべていた。
しかし、そんなティアナの願いは、今にも消えようとしていた。
砦へと向かおうとするジャスティンに、クラークが合流したのとほぼ同時期…。
彼らの目の前に、ギラが降り立った。
「あの女は、どこだ?」
ギラの顔を見た瞬間、クラークは戦慄した。
黒焦げになった顔は、明らかに自分達がつけたダメージではないからだ。
(誰に!?)
砦にいる仲間に、制裁を受けたと思った。
(だとしたら…)
クラークははっとした。
騎士団長に、制裁を与えることのできる人物は知れていた。
魔王ではないとすると、同じ騎士団長レベルだろう。
ということは…。
(騎士団長がまだ、他にいる!)
冷静に考えると、同じ空の騎士団長であるサラしか考えられなかった。
(2人もいるのか!)
そのことが、クラークを震えさせたのだ。
そんなクラークとは対象的に、ジャスティンはギラの本質を見抜いていた。
「あんた…」
ジャスティンは、ギラの顔を見つめ、
「自分でやったのか?」
目の前に現れた時から、反射的に構えていた右足を少しだけ前に移動させた。
「…」
ギラは、ジャスティンを無言でしばし見つめた後、
「そうだが?」
逆に聞き返した。
ジャスティンは腰を少し屈めながら、
「その気持ち…わかるよ」
フッと笑った。
「わかるだと!?」
ギラの片眉が跳ね上がり、
「小わっぱが!わかったような口を聞くな!」
そう叫んだだけで、口から出た気合いが、ジャスティン達の後ろにある大木をくの字に曲げた。
「クッ!」
クラークの体も、数センチ後ろに下がった。
しかし、ジャスティンだけはびくともしなかった。
「!?」
驚くギラに、少し表情を緩めたジャスティンは言った。
「俺も…同じ気持ちだからだ」
ジャスティンの脳裏に、ティアナの前で無様に倒れる自分の姿がよみがえった。
思わず唇を噛み締め、
(俺は誓ったはずだ!先輩とともに、戦うと!)
前に立つギラを睨んだ。
その眼光に、ギラは驚きの顔を浮かべた。
(俺は…弱い!)
ジャスティンは、ギラを睨んだ訳ではなかった。不甲斐ない己を睨んだのだ。自分の弱さを恥じた。
(だからこそ、強くなる)
ジャスティンは、左足を踏み出し、大地を蹴った。
「は!」
気合いとともに全身を捻り、右足を鞭のようにしならせた。
「学習能力のないやつだ。これだから、人間は…」
ギラは左腕を軽く添えるように、顔の横に持ってきた。
先程のように、余裕でジャスティンの蹴りをガードするはずだった。
――パチン。
空気が弾けるような音がした後、ギラの左腕が跳ね上がった。
「な!」
驚くギラの目に、さらに回転するジャスティンの背中が映った。
「は!」
ギラの左腕を跳ね上げた右足が地面につくと、今度はそれを軸足にして、更なる捻りを加えた左足が、高速でギラの顎先にヒットした。
「数時間前の俺と同じと思うな」
ギラに背中を向ける体勢で立つジャスティン。
「こ、小わっぱが!」
無防備に背中を向けるジャスティンに、ギラは拳を振り上げた。
そのまま、ジャスティンの背中を突き破るはずが…ギラは目眩を覚えて、前のめりに倒れた。
「な」
「つ、強い…」
一連の動きを見て、クラークは目を見開いた。
ずっと一緒にいたクラークの目から見ても、ジャスティンは先程と別人の強さを身につけていた。
(あいつは…戦いの中で、成長する!それも、数段上のレベルに!)
絶句しているクラークよりも、その強さを身を持って味わったギラの方が、驚いていた。
「ば、馬鹿な…」
ジャスティンの顎先の蹴りで、ギラは脳を揺らされたのだ。
「あ、あり得ん…」
ギラは頭を振ると、指で地面を抉りながら、何とか半身を上げた。
「あんたには、感謝している」
ジャスティンは、体をギラに向け、半身だけを上げたギラを見下ろし、
「自分の弱さを実感できた。だからこそ、俺はさらに強くなれた」
「そ、そんな短期間で!強くなるものか!」
人間のガキに見下ろされている屈辱が、ギラを一気に立ち上がらせた。
「あんたは…人間をわかっていない」
ジャスティンは、ギラを見上げた。
「わかっておるわ!」
ギラは、拳を突きだし、
「我が拳で、簡単に砕ける程の弱き体と!我を見て、逃げることしか考えぬ!弱き心を持つ!虫けらよ!」
ジャスティンを睨みつけた。
「そうだな」
ジャスティンも拳を突きだした。そして、ギラに笑いかけると、
「人間は弱い…。だけどな。だからこそ、手に入れられる強さがある」
突きだした拳を握り締めた。
「ほざけ!小わっぱが!」
ギラは一歩前に出ると、ジャスティンに向けって、拳を振り上げた。
「フゥ〜」
ジャスティンは呼吸を、向かってくるギラと合わせた。
そして、
「フン!」
逃げることなく、ギラに向かって行った。
「ジャ、ジャスティン!」
その行動は、後ろにいたクラークにも、無謀に見えた。
「こ、小わっぱ…」
ギラとジャスティンの体が交差した。
「き、貴様の名は?」
ギラの拳は空を切り、その拳圧で、クラークの左後ろの木々が根元からふっ飛んでいた。
クラークはそのことに冷や汗を流すよりも、興奮で体を熱くしていた。
「ジャスティン!!」
ギラと交差したジャスティンの体だが、拳だけが…ギラの脇腹に突き刺さっていた。
クロスカウンターの形になったジャスティンの拳は、ギラの力もプラスして、破壊力を増していた。
先にクラークが自分の名前を呼んだことに苦笑した後、ジャスティンは自らの名前を告げた。
「ジャスティン・ゲイ」
「そ、そうか…」
ギラは笑うと、
「ジャスティン・ゲイ…覚えておくぞ」
その場で膝を折り、前のめりに倒れた。
「ジャスティン!やっとな!」
喜びの声を上げるクラークに、ジャスティンは首を横に振った。
「いや…まだだ」
そして、振り返り…クラークの真後ろを睨んだ。
「え」
余りの興奮で、クラークは気を探るのを忘れていた。
こんなにも強大な力を持つ者が、後ろにいたのにだ。
背中に戦慄が走り、クラークは慌てて振り返った。
「!!」
そして、息が止まるほど驚いた。
そこには、騎士団長サラが立っていたのだ。
「フッ」
サラは笑うと、金縛りにあったように動けなくなったクラークの横をすり抜けた。
「無様だな」
ジャスティンのそばまで来ると、倒れているギラを見下ろした。
「サ、サラか…」
ギラは土を掴むと、立ち上がろとしたが、なかなか立ち上がれなかった。
「クッ!」
ジャスティンは慌てて、サラに向けて構えた。
そんなジャスティンの動きに、サラは目だけを向けると、
「やめておけ…。今のお前に、我と戦う術はない。それにだ」
サラの目は動き、ジャスティンの右手を映した。
「この手では、戦えまいて」
「クソ!」
ギラに放ったクロスカウンターの負荷は、簡単にジャスティンの拳を砕いていた。
一瞬でそれを見抜かれたジャスティンは、蹴りの構えにシフトした。
「フン」
その様子にサラは鼻を鳴らすと、ギラに視線を移した。
「ギラよ。我らは城に戻るぞ」
「な、何!?」
サラの言葉に驚いたギラは、思わず立ち上がった。そして、サラに向かって、
「我はまだ、あの女とも戦っていない!このジャスティンという男とも、決着はついていない!それだ!」
ギラは声を荒げ、
「ギナムに命じたのだ!こいつらは、我が倒す!だから、兵を出すなと!」
「その命令は、我が撤回した」
サラは、ギラから視線を外し、虚空を見つめながら冷たく言い放った。
「お、お前!そんなことは、我は認めんぞ!」
ギラがサラを睨んだ瞬間、体が跳ね上がった。
「うぐぅ」
口から血を吐き出すギラ。
「我らは、視察に来ただけだ。それに…同じ日に、二度負けた者に、何も言う権利はない」
「サ、サラ…」
「いや…違ったか」
ギラの腹に、サラの拳が突き刺さっていた。
「三度目だな」
サラはフッと笑った。 意識が飛んで崩れ落ちるギラを片手で掴むと、ジャスティンに背を向けて、歩き出した。
その目の前には、クラークが立ち尽くしていた。
「クラーク!」
ジャスティンは、戦う覚悟を決めた。 まだ無傷であるクラークと挟み撃ちで、襲いかかろうとした。
しかし、クラークは動かなかった。
その横を、サラが通り過ぎていく。
「クラーク!」
ジャスティンの叫びにも、クラークは反応しない。
「賢明だな」
サラはすれ違う時、クラークの耳元で囁くように言った。
「勝てぬと、判断すれば…やめた方がいい」
「…」
クラークは下を向いた。
「我は、ギラとは違う」
サラは前を睨むと、クラークの後ろで翼を広げた。そして、ギラを小脇に抱えたまま、空中に飛び立った。
「クラーク!」
ジャスティンは痛む手を我慢しながら、クラークに近寄ると、左手で胸ぐらを掴んだ。
「どうして、攻撃しなかった」
食って掛かるジャスティンから、クラークは視線を外し、
「サラに、攻撃の意思はなかった…」
呟くように言った。
「き、貴様!」
ジャスティンは、胸ぐらを持ち上げた。
「チャンスだっただろうが!」
その言葉に、クラークはジャスティンの左腕を掴むと、振りほどいた。
「お前は!勝ったつもりでいるのか!ギラは、能力を使ってなかった!お前に、合わせて戦っただけだ!」
そして、ジャスティンを睨みつけ、
「油断もしていた!だがな!次は違う!ギラもサラも、本気で来る!」
「わかっている!」
ジャスティンも睨み返した。
「嘘つけ!」
クラークは、ジャスティンの右腕を掴んだ。
「ク」
それだけで、顔をしかめるジャスティン。
「捨て身の攻撃で、拳を壊したお前が!戦えるか!」
「それでも、戦うのが人間だ!命がけでな!やつらを倒せたら、多くの人々の希望になる!」
「勝てなかったよ!それに、命をかけるのは、今ではない!今回の我らの目的は!女神を倒すことだ!」
「う!」
クラークの言葉に、ジャスティンは何も言えなくなった。
「チッ」
舌打ちすると、クラークが掴んでいる手を振り払った。
「わかったよ!女神を倒せばいいんだろうが!」
クラークの言うことも理解していた。だけど、許せない部分があったのだ。
砦に向けて歩き出そうとしたジャスティンに、クラークは声をかけた。
「待てよ」
クラークは、右手を差し出した。
「拳…治してやるよ」
左手には、カードを持っていた。
「…ああ」
ジャスティンは数歩、歩くと足を止めた。頭をかくと、ふてくされながらも、右手を差し出した。
「…」
無言で、クラークは治癒魔法を発動させた。
「…」
拳が回復しても、しばらく2人に会話はなかった。