第278話 追憶の足音
壊滅した十字軍より、南東部にある都市――サングラ。
そこは港町であった。ヨーロッパ地区の一番端にあり、東南アジア地区へ入り口でもあった。
その為、旅立ちの街とも言われていた。
しかし、アガルタの民はこう言った。
自由の雫の町と。
昼間とはいえ、活気に満ちている町中を、轟は歩いていた。
半壊した十字軍本部も、勇者ティアナ・アートウッドによって魔物を殲滅した為に、危険な地区にはならなかった。
逆に、再建の為に人手がいるだろうと…仕事を求める人間達が、このサングラの町に押し寄せていたのだ。
魔力が使えなくなったとはいえ、飯を食わないと人は生きてゆけない。
移動手段は、馬車が主流になり、護衛の為に剣士が雇われていた。
建築業者と、魔法がいらない剣士の需要は増えていた。しかし、魔力を使わずに、本部を再建することは、今まで以上の労力を使う為に、なかなか作業は進まないだろうというのが…人々の見解だった。
だが、それは…雇用期間の延長を意味する為、人々は甘い汁を得ようと、蟻の如く町に群がっていたのだ。
「フン」
轟は鼻を鳴らすと、大通りから離れ…町の外れにある食堂に入った。
夜は居酒屋と化す食堂内は、昼間なのに…酒の匂いで溢れていた。
いや、店内だけではない。町中に、酒の匂いが漂っていた。
昼間から、酒を飲む人々に溢れている町は異常である。
轟は、そこに怠惰を見た。
人々は、仕事の期待に溢れて笑い合っているが…十字軍本部からの再建に関する情報はどこからも伝えもれていなかった。
なぜならば、十字軍本部は再建される予定はなかったからだ。
のちに、防衛軍の本部となる場所は…まったく違うところであった。
本部の移転の情報が、人々に伝わるのは…1ヶ月後となる。
だが、その情報を…今、ここにいる人々は知ることはなかった。
なぜならば、3日後の早朝…サングラの町は、魔物の襲撃を受け、人々は皆殺しになるからである。
轟が訪れたのは…サングラの最後の輝きの時かもしれなかった。
「いらっしゃい」
酔っぱらいの座るテーブルの間をすり抜けて、轟は奥のカウンターへと向かった。
普段、昼間は使わないカウンターに人がいた。
ビールを飲む男達の隙間に入った轟に、カウンター内にいる黒人の女の店員が声をかけた。
「轟君。ごめんなさい。今日は、ランチやってないのよ。材料がみんな…酒の肴で使ってしまって」
「いいですよ。今日は、お別れを言いに来ただけですから」
カウンター手を置いたを置いた轟に、店員は目を丸くした。
「ええ!」
轟は苦笑し、
「そんなに驚くことではありませんよ。十字軍本部の壊滅で、士官学校も機能しなくなりましたから…日本に戻るだけです…」
「そうなんだ…。寂しくなるわね」
店員は肩を落とした。
そんな店員に、轟はコーヒーを注文した。
運ばれてくるまで、轟はカウンター内をぼおっと見つめた。
大した思い出はないが、来れなくなると思うと寂しいものがある。
感慨深げにカウンター内を見る轟の前に、コーヒーを置きながら、店員はため息をついた。
「町中は、活気づいているけど…寂しくなるわね。あの子に続いて、あなたもいなくなるなんて」
店員の言葉に、轟ははっとした。
「そう言えば…。彼女いないですね。ここ数日見てないような」
眉を寄せた轟に、店員は深くため息をついた後、肩をすくめた。
「呆れたわ。君が、女の子に興味がないのは知ってるけど…まさか、ここまでとは…」
「そう言えば…最後に、自由についてきかれたような…。日本人であることをどう思うかとも…」
轟が悩んでいる間に、両脇にいた客達は、テーブルが空いた為に移動した。
周囲に誰もいなくなったのを確認すると、店員は少し小声で、轟に向かって口を開いた。
「あの子…リタは、アガルタの民だからね」
ぼそっと呟くように言った店員の顔を、轟は見た。
「神の一族と自らを呼んでいる…アガルタの民は、この辺りでは嫌われているからね」
少し顔を伏せた店員の顔を見るのをやめて、轟はコーヒーカップに手を伸ばし、一口啜った。
王宮にいた人神の出生が、アガルタの民の中からだった。彼らは、元老院に国を追われたが、その代わり…特区と言われる優遇された地域に住み、税金等を免除されていた。
そのことが、税金を納めている周囲の人々の反感を買うことになる。
日本の江戸時代が、やったようなことを…元老院はアガルタの民を使って行ったのだ。
つまり、民衆の間に身分の差や不公平をつくることで、その身分をつくり与えたはずの支配階級に目がいくことを避けたのだ。
民衆は、民衆内で争う。
アガルタの民には、特区という土地と税金を免除した。
その代わり…彼らは自分の国を持たないし、ほとんど特区から動けない。
他の民衆は、どこでも行けたが、税金をとられていた。住むところも、自分で探さなければならない。
彼らは互いを不平等といい…罵りあった。
そんな状況を作ったのは、誰かと論じることなく。
しかし、近年…特区から出る若者が、多かった。外にある自由に憧れて。
元老院も、特区からの若者の流失に対しては何も言わなかった。
それは、互いのいがみ合いが安定して来ていることもあり、若者が外に出るくらいは大丈夫と判断したからであろう。
しかし、そのある意味…元老院の黙認は、新たなる悲劇を生むことになった。
外に出た…アガルタの若者の自殺である。
「…」
轟はカップをカウンターに置いた後、無言で中の黒い液体を見つめた。
そんな轟を見つめながら、店員は手を休めることなく、洗い物を始めた。
「あの子に限って…早まることはないと思うけど」
「自由か…」
轟の口から出た言葉に、店員は答えた。
「自由だから…すぐに、幸せになるわけでもないわ。守ってくれる者がいなくなれば、すべてのものが自分に直接降りかかる。あなただって、そうでしょ?」
店員の言葉に、轟は再びカップを手に取った。
一口飲んだ後、
「俺は…自然の一部です。他の者がどうとらえようが…関係ありません。この世に、同じ風が吹かないように、人も同じ者などいない」
轟はカップを置くと、
「それなのに…人種で区別をつける。そんなに、区別をつけたいならば、もっと細かく区別すればいい。個にまで区別したならば…人は誰とも違うと気付きますよ。ならば、差別など無意味と知るでしょう」
店員は洗う手を止めると、
「人間は弱いの。だから、仲間を作りたがる。差別したがる。人間はみんな違う。だから、尊重し合うなんて…よっぽど、強くないと言えないわ」
「そうですかね」
轟は自分の手を見つめ、
「俺は…強くないですよ」
自嘲気味に笑った。
そんな轟を見つめた後、
「あたしは…」
一度言葉を切り、
「自分の弱さを認めて、とことん落ちたわ。そしたら…人間って、強くなるしかしないでしょ」
轟に笑いかけた。
彼女は、アメリカ地区よりこの町に逃げてきた。音楽をやりにだ。
アメリカは、彼女達の音楽を評価しなかった。この地区は、彼女達黒人の音楽を芸術と認めた。
しかし、彼女は歌手にはなれなかった。
アメリカよりは、黒人である彼女の歌を認めてくれた。
だが、彼女自身は歌で食えることはなかった。
一枚のシングルだけをリリースして。
食堂の昼下がり。
魔力を使えなくなった為、手動のゼンマイで動くレコードプレーヤーに一枚のシングルが回る。
流れる音楽に、しばし耳を傾けた後、轟はお金をカウンターに置いた。
「ご馳走様でした」
そして、最後に笑いながら、
「いい歌ですね」
「ありがとう」
店員も笑顔で返した。
そんな会話で十分だった。
彼女がここまで来た…意味があった。
「また、ここの地域に来たら、寄りなよ」
「はい」
轟はそう言うと、町を出た。
一度だけ足を止め、空を見上げた。
この空も、どこにもない。
「もっと…優しく話すべきだったかな」
最後に、会えなかったリタのことを思い出した。
しかし、過去を悔やんでも仕方がない。
「そういえば…龍の逆鱗が見たいと言ってたな。まだは無理だな…」
頭をかくと、元気にやっていることを願いながら、轟は故郷へと旅立った。