第274話 対峙
ちっぽけな世界。
だけど、そこがあたしのすべてだった。
特区でいわれる特別な地域で育ったリタ・マーラーは、守られた籠の中ですくすくと成長した。
人並みに、恋もした。
そんなリタが、人の悪意に出会ったのは、外の世界に出てからだった。
確かに、学校内でもいじめなどはあった。
それに家に帰った時、たまに祖父の口から…外の人間との衝突を聞いたこともあった。
だけど、すべてが…実感のない話だった。
「じゃがな!我々にも誇りがある!すべての人間が敬う存在であられる人神様は、我々の中から誕生なさったのじゃ!」
特区の中の誰もが、知らない。
人神は単なる…人形と変わらないことを…。
外の世界で、仕事をしている兄が、あたしにだけそう教えてくれた。
だけど、そんなすべてが…あたしには、関係ことだと思っていた。
なのに…。
この世で、一番悲しいことは…人間扱いされないことだ。
人間に、違いがあるなんて。
同じ特区の出身の女の人が、あたしに言った。
「女じゃなくて〜雌になればいいのよ」
煙草に似たものを吸いながら、あたしに言った。
「だったら〜差別はないわよ」
にやりと笑い、
「だって〜。やることなんて…同じだから」
楽しそうに言った。
だけど、それが嘘だとわかっていた。
誰が、そんな風に同じで扱われたいものか。
数ヶ月…。そう語った女の人は、町の隙間で死んでいた。
そんな末路を、籠の世界では教えてくれなかった。
「それでも、強く生きろ」
同じくあたしと違う種類の人間が、言った。
その人は、他よりも強くなることで、自分を示そうとしていた。
そんな強さは…あたしになかった。
だから…今度、生まれ変われたら…。
あたしは、強くなりたい。
強く。
それが、リタ・マーラーという人間の最後の思いとなった。
「こ、これは!?」
血が残る玉座の間から、いなくなったアスカを探す為に気を探ったライは、すぐに感じることができた。
だから、急いでにアスカのそばに向かったライは…絶句した。
そこにいたのは、アスカではなく…フレアだったからだ。
(姉は…輪廻に似て、妹は…)
ライは、突然現れた自分を見て、跪くフレアを見て…フッと笑った。
(それも…ありか)
アスカは、フレアの炎の中にいる。もう彼女の意識も、記憶も感情もない。
なのに、そこに幸せと自由を感じた。
「邪魔したな」
ライはそのまま…フレアの前から消えた。
「お呼びでございますか?」
玉座の間に戻ると、ライはラルを呼んだ。
玉座に座るライの前で控えるラルを見て、すべてを悟った。
この魔神は、自分のことを思ってやったのだ。
ライの心を、惑わすものを排除しただけなのだ。
そう…そのような行動を取るように、創ったのだ。
ライ自身が。
だから、責めることはしない。
「ラルよ」
「はい」
ライの言葉に、深々と頭を下げた。覚悟はできていた。
しかし、ライはラルにとって…意外な言葉を口にした。
「これからも…我の為に励め」
ラルは、目を見開き…驚いたが、
「は!」
すぐに返事した。
「それだけだ。下がってよい」
ライの言葉に、再び頭を下げると、ラルは玉座の間から消えた。
「…」
ライは、目を瞑った。
そして、思考を停止した。
何も感じないこと。
それこそが、王としての休息だった。
それくらいしか…安らぎを感じる時はなかった。
だが…今日は、少しの寂しさを感じていた。
隣にいない寂しさを。
「待て!」
飛び出したティアナとジャスティンを、ランが呼び止めた。
足を止めるティアナ。慌てて止まるジャスティン。
「正当法でいっても、奥にいけないだろ」
「何か…いい方法が?」
研究室のまで戻ったティアナは、魔物が空けた床の穴を見下ろしているランに気付いた。
「混乱している今ならいける。侵入者を探るレーダーも働いていないはずだ」
ランは顔を上げると、ティアナににやっと笑いかけた。
「!?」
ティアナは少し目を見開いた後、コクリと頷いた。
数秒後、研究室の前から消えたティアナとジャスティン。
ランは、扉の横で壁にもたれ…1人残っているクラークに、研究室の中から声をかけた。
「君は行かないのかい?」
ランの質問に、クラークは少し考えた後、
「いきますよ」
と一言だけ返した。
「そうか…」
ランは、頷いた。
「…」
クラークは腕を組んだまま、壁から離れると、通路を歩き出した。
兵士達の行き来もない…静かな空間に戻った通路に、クラークの足音がしばらくこだまし…やがて、聞こえなくなった。
「時間が来た…。審判の時が来たのだ!」
ゲイルの声に、前に並ぶ兵士達が呼応する。
「おおおっ!」
満足げに頷いたゲイルは、格納庫に隣接する管制室に叫んだ。
「発射準備を!」
「させない!」
突然、空から声がした。
ポセイドンの攻撃により開いた天井より、ティアナとジャスティンが落下してきたのだ。
「な!」
絶句するグレン。
核ミサイルの間を、ティアナとジャスティンは落ちていく。
「発動!」
2人はブラックカードを使い、風を纏うと、パラシュートをつけているように、グレン達の後ろに着地した。
「い、今のは…ま、魔法か?」
ティアナ達の着地を見て、グレンのそばにいた司令官が目を丸くした。
「そうです」
百七発の核ミサイルが並ぶ…広い格納庫に、ティアナの足音がこだました。
「ど、どうやって!?」
「これです」
近づきながら、ティアナはブラックカードを見せた。
「このカードがあれば、人間は魔力を使えるのです」
「ば、馬鹿な…」
「ですから…こんな力を使わなくても、人間は戦えます」
「夜迷い事だ!」
ティアナの出現とカードの存在に、唖然としている兵士達の目を覚ます為に、グレンが叫んだ。
「あんなもので、魔力が使えるはずがない!人類はこれから、核の力で!世界を統治するのだ!」
「お祖父様…」
「発射しろ!ミサイルを!」
ゲイルは絶叫した。
「無駄です」
ティアナは、ゲイルのそばまで来ると、悲しげに彼の瞳を見つめた。
「ミサイルは…発射しません」
「な、何だと!?」
ゲイルの驚きの声が、格納庫にこだました。
「か、管制室!」
ゲイルは管制室の方に、顔を向けた。
格納庫を覗ける強化ガラスを張った窓から、首を横に振る科学者の青ざめた顔が見えた。
科学者は確実に…ボタンを押していた。
しかし、発射されなかったのだ。
「よかったな…」
その時、管制室に入ってきたクラークが、発射ボタンの前にいる2人の科学者に笑いかけた。
「あんたらは…後悔しなくてすんだ」
「ど、どういうことだ!」
グレンは、ティアナを睨んだ。
ティアナは悲しく微笑みながら、再びカードを示した。
「これにある…全魔力を使って、格納庫にあるミサイルを凍らせました」
「先輩!」
ジャスティンが、ティアナに駆け寄ってきた。その手には、魔力を使い果たした三枚のカードがあった。
「ギリギリでしたが…何とか動力部分をすべて、凍らせました」
ジャスティンとラン、そしてクラークのカード。さらに、落下時に…ティアナもミサイルを凍らしていたのだ。
今、ティアナの手にあるカードは、魔力が空っぽだった。
「ば、馬鹿な!?魔力は、使えないはず!」
グレンの言葉に、ティアナは首を横に振った。
「お祖父様…。あたしは、こんな日の為に、備えていたのです。人々の為に」
「な、何が!人々の為か!」
ゲイルは、ティアナを睨んだ。
「核を撃ち、滅ぶことこそが人類の為なのだ!」
「ゲイル君?」
そばにいた司令官が、後ろからゲイルの肩を叩いた。
「そ、それはどういう意味……うっ!」
言葉の途中で、司令官は口から血を吐いた。
さらに、司令官の後ろに近づいた兵士が背中から、針のように鋭くなった腕を突き刺していた。
「茶番は終わりだ」
グレンは血を流しながら、倒れていく司令官には目もくれずに、ティアナを睨み付け、
「ここまで来たら…氷を融かせばいい!最悪、ここで爆破してやる!」
「お祖父様!」
ティアナの叫びも虚しく、格納庫にいた兵士の半数が体を震わすと、正体を表した。
魔物が化けていたのだ。
一連の出来事に動揺していた兵士達は一瞬で、首などをはねられて、絶命した。
「チッ!」
ティアナは舌打ちすると、魔物の群れを駆逐する為に走ろうとした。
しかし、その前を、ゲイルがふさいだ。
「行きたければ、私を殺せ!」
「お祖父様!」
「先輩!」
ジャスティンが駆け寄ろうとするが、ティアナが遮った。
「魔物を、ミサイルに近づけないで!」
その言葉に、ゲイルに襲いかかろうとしたジャスティンは…振り上げた拳を下ろし、
「クッ」
歯を食い縛ると、
「わかりました」
グレンではなく、魔物の方に向かった。
しかし、魔物の数は、五十を越えていた。
ジャスティン1人では、対処できない。
「仕方ありませんね」
格納庫への正規の扉を開いて、ランが入ってきた。
その後ろには、倒れている兵士達の姿があった。
ランは頭をかき、
「どうせ〜引っ越しますから。後腐れはありませんし」
鞭を放った。
数体の魔物の背中が切れ、鮮血が飛び散った。
「折角苦労して、集めた魔力を一瞬で使いきるとは」
ランは肩をすくめた。
後ろから攻撃された魔物達が振り向き、ランに向かって吠えた。
「肉体労働は、好きではないのですが…使った分の魔力を少しでも、回収させて貰いますよ」
鞭で床を一度叩くと、ランはゆっくりと魔物との距離を計った。
――パリン。
強化ガラスが割れる音がした。
管制室に来る途中で、兵士から奪った長剣を媒介にして、影を切ったクラークが、窓から格納庫に降り立った。
「させるか…」
呟くように言うと、魔物に向かって走り出した。
「いくぞ!」
ジャスティンは、首を切られた兵士が腰につけていた剣を抜くと、そのまま近くにいた魔物の首筋に、射し込んだ。
素手に拘っている場合ではなかった。
魔物をすぐに殺さないと、いけなかった。近くにミサイルがあるからだ。
ジャスティン、クラーク、ランの働きで、なかなかミサイルに近づけない魔物達。
そんな状況に業を煮やした魔物の一匹が、口から炎を噴き出した。
「な!」
絶句するジャスティン。
炎が当たれば、アウトである。
「助太刀致す」
その時、疾風のようにミサイルの前に、誰かが飛び込んできた。
角刈りに鋭い目付きの男は、手にしていた槍を回転させて、炎を防いだ。
「あなたは!?」
魔物の急所に、刃を突き立てながら、ジャスティンはその男を見た。
「士官学校高等科三年!轟雷蔵!」
「轟雷蔵?高等科三年って…」
ジャスティンは、炎から核ミサイルを守った轟を見て、
「学生かよ…」
小声でぼそっと呟いた。
角刈りの轟はどう見ても、十代には見えない。
ティアナと変わらない年齢とは、信じられなかった。
「フン!」
轟は、息継ぎの為に炎を放つのを魔物がやめると同時に、槍を投げつけた。
蜥蜴に似た魔物の喉に突き刺さる。
「…死ね」
クラークが長剣で影を切ると、周囲にいた魔物が細切れになった。
「ふゅ〜」
それを見て、ランが口笛を吹き、
「すごいね」
感嘆した。
「…」
クラークは無視して、ただ黙々と魔物を駆逐していく。
ランは肩をすくめ、少し戯けて見せた。だけど、心の中では、冷静に分析していた。
(今の特殊能力…純粋な人間の能力に思えない)
観察対象にしたいが、そんな暇はなかった。襲い来る魔物の相手をしなければならない。
「他の隊員は、何してるんだ?」
鞭を振るいながら、騒動が起きている格納庫に誰も来ないことをおかしく感じていた。
その頃、本部内は…目に見えない敵に蹂躙されていた。
「や、闇に…吸い込まれる」
通路の出た…黒い闇の塊は渦を巻き、あらゆるものを吸い込んでいた。
その吸引力は、廊下を照らす蛍光灯の光すらも吸い込んでいった。
本部内は、光をつけても…明るくならない…闇と化していた。
「フフフ…」
ブラックホールのようになった闇の塊が、笑った。まるで、人間のように…。渦の底で、にやりと笑いながら。
「フフフ…」
同時期、その渦と同じ笑いをもらす者がいた。
ティアナの目の前に…。
「お祖父様!」
ティアナは、ジャスティン達が戦う中…ゲイルの前から動けなくなっていた。
その理由は、簡単である。
周りにいる誰よりも、凄まじい魔力を感じられたからだ。
ティアナがいなくなった瞬間、核ミサイルは破壊される。
ティアナの本能がそう…告げていた。
「ティアナよ…」
額から冷や汗を流しているティアナに、グレンは言った。
「祖父を殺すのか?」