第272話 狼煙
「先輩!」
ジャスティンは迫ってくる魔物の多さに、ティアナを守って戦うことは不可能であると判断し、逃げることにした。 ティアナを背負うと、後ろに走り出した。
別に逃げることが、駄目だとは思わない。時に、戦うことこそが、無謀な時がある。
命がかかっているならば、逃げるべきなのだ。
特に、守らなければならない人がそばにいるならば、逃げなければいけない。
それが、命を守るということになるのだ。
他人を守る為ならば、プライドを捨てることができる。
そんな人間だからこそ、ジャスティンは生き抜くことができたのだ。
全力で走るジャスティンの背中で、ティアナが何とか言葉を絞り出した。
「ごめんなさい…」
「何言ってるんですか!」
ジャスティンは、前を見た。半壊した十字軍本部を見つめ、
「本部内で、籠城します。何とか少しぐらいは、時を稼げるでしょうから」
真っ直ぐにそこに向かうジャスティンに、ティアナが言った。
「あそこは駄目…。まだ逃げれなくて、パニックになっている人達がいるわ」
ティアナの目には、先程の数百人の兵士による剣を持った無謀な特攻も、パニックによるものに見えた。 魔法を使えなくなった人間が、すぐに現状を冷静に受け止めることなど、不可能だ。
「ジャスティン…」
「先輩」
ジャスティンは、唇を噛み締めた。
もし自分達が、十字軍本部を避けて逃げたところで…必ず魔物に蹂躙されるだろう。
ジャスティンは覚悟を決めた。
振り返り、後ろから進軍して来る騎士団との距離を計ると、ティアナを地面に下ろした。
「やってみます」
一番いいのは、魔物をすべて倒すことだ。
しかし、ポセイドンは倒せたものの…騎士団の中には、魔神もいる。
それに、数が半端ではない。
(人々を守る為!そして、何よりも、先輩を守る為だ!)
ジャスティンの体に、力がみなぎってきた。
「行きます!」
ジャスティンは、魔物の群に向かって走り出した。
「ジャスティン!」
ティアナは、そんなジャスティンの遠ざかっていく背中に、手を伸ばした。
「ク、クソ!」
ティアナは、ブラックカードを取り出した。 しかし、魔力は残っていない。
「せめて…体力が、回復できたら」
虚しくカードを見つめていると突然、横合いから指先で摘まれた。
「え?」
抵抗する力もなく、簡単に盗られたカード。
「お待たせしました」
ティアナが盗った相手を見上げる間もなく、新しいカードが手に差し込まれた。
「新型です。旧タイプのように、一度蓄えた魔力をチャージするのに、わざわざ研究所に戻る必要もありません。なくなれば、その場で補充できます」
「ランマク!」
カードを自分に渡した人物が、誰なのかわかると、ティアナの顔に笑顔が戻った。
「そう呼ぶのは、あなただけですよ」
女のように端正な顔をしたラン・マックフィールドは、ため息をつき、
「今は、そのことで…注意している暇もありません。いきますよ」
前を睨んだ 。
「彼1人に、戦わす訳にはいきませんから…って、あら?」
そんな話をしている間に、クラークが風を纏いながら、ランの横を通り過ぎた。
「2人になりましたか」
ランは、頭をかき、
「じゃあ〜行きますか?」
にやりと笑った。
「これでも、学業だけでなく…実技も、トップクラスだったんですよ」
ティアナを見下ろし、
「あなたが、来なくなってからはね」
口元を緩めた。
「ランマク…」
ティアナは、力強く感じられるようになったランの背中を見つめた。
「やれやれ…」
ランの腕に巻き付いていた鞭が、一振りで音速を越えた。
一番近くにいた魔物にヒットして、顔面を切り裂いた。
「あとで、じっくり話し合いましょう」
そのまま横に腕を振ると、一直線に並んで進軍していた魔物達の首を切り裂いていく。
「!?」
ジャスティンは、目の前の魔物達から血が噴き出したことに驚いた。
思わず、足を止めた。
「何!?」
一瞬だけだが、日光に反射した鞭を見ることができた。
自分を避けて、その前にいる魔物に攻撃を当てることは、神業だった。
ちらっと後ろを見ると、ティアナのそばに立つ白衣の男が、鞭を振るっているのが見えた。
「誰だ?」
距離もあるのに、その正確な攻撃に、只者ではないオーラを感じていた。
「舐めるな!」
隊列の後ろにいた…明らかに他の魔物とは違う魔神が、前に飛び出してきた。
持っていたサーベルを突きだすと、ランの振るう鞭を絡めとった。
「いつまでも、こんな攻撃が通用すると思うな」
鮫に似たざらついた肌を持つ魔神が、せせら笑った。
「同感だよ」
鮫肌の魔神の耳元で、声がした。
「クラーク!」
ジャスティンは思わず、叫んだ。
風の魔力で、走るスピードを一気に上げたクラークが、魔神の横を通り過ぎた。
その手には、仕込みドスが握られていた。
仕込みドスは、魔神を斬ってはいなかった。そのそばにある影を切ったのだ。
「な!」
驚く暇もなく、魔神の体は真っ二つになった。
「おのれ!」
群に飛び込んだ形になったクラークに、魔物達が一斉に襲いかかる。
仕込みドスを使って、影を切り裂いていったが、魔物達が接近し過ぎると、影と影が重なってしまった。
影切りの条件の一つに、重なった影は切れないがあった。
その為、段々と影切りが使えなくなってきた。
「クラーク!」
魔物の群を飛び越えて、ジャスティンがクラークの後ろに着地した。
「遅いぞ」
クラークは笑った。
「そう言うなよ」
ジャスティンも笑った。
2人は、互いに背中を任せながら、戦うことにした。
「は!」
風と火の魔法を使うクラークに、ジャスティンは蹴りを魔物に叩き込みながらきいた。
「魔法を使えるのか?」
「ああ」
クラークは頷いた。風の魔法で、前にいる魔物達をばらばらに押し避けると、影切りを発動させた。
「ティアナさんの知り合いに、カードをもらった」
「な、何!?」
必要以上に驚くジャスティンに、クラークは苦笑した。
「お前はいらないだろ?」
「戦いが終わった後の体力補充に、使う!」
ジャスティンは、魔物に回し蹴りを喰らわした。
「フッ。生きていたらな!」
クラークは、周りを見回した。
まだ十分の一も倒していない。
数が多すぎるのだ。
それでも怯むことなく、2人は戦いを続けた。
「騎士団の皆〜さん!」
戦い続ける2人の耳に、ランの声が聞こえてきた。
「戦いをやめてください」
その声は2人にではなく、周りにいる魔物に向けられていた。
「さもなくば…」
ランはうっすらと笑った。
「こいつを殺しますよ」
鞭で、ぐるぐる巻きにしたポセイドンを指差した。
「き、貴様!卑怯だぞ!」
魔物の一匹が叫んだが、ランはせせら笑った。
「お前達に言われたくない」
ランは、不快に感じたことを表情で伝えた。
「ジャスティン!クラーク!飛べ!」
その時突然、ジャスティン達の頭上から声がした。
「え?」
驚くクラークに、ジャスティンが叫んだ。
「ジヤンプしろ!」
慌てて2人が飛んだのと、その横を天から落下してきたティアナが、真下に向けた刃の先を、地面に突き刺したのは…ほぼ同時だった。
ライトニングソードから放たれた電流が、周りにいた魔物のすべてを感電させた。
「ぎゃあああ!」
断末魔の悲鳴を上げながら、次々に倒れる魔物達。
「おのれえ!人間が!」
意識を取り戻したポセイドンが、自分を拘束している鞭を筋肉の膨張で、引きちぎった。
「!!」
絶句するラン。
自由になったポセイドンが、動こうとした時、剣が首筋に差し込まれた。
「!?」
いつのまにか、ティアナがポセイドンの前に立っていたのだ。
すべてのダメージを回復しているティアナを見て、ポセイドンは目を見開き…やがて、フッと笑うと、目をつぶった。
数秒後、目を開けると、ティアナに訊いた。
「お主の名は?」
「ティアナ・アートウッド」
ティアナは、即答した。
「覚えておこう…」
ポセイドンは、首筋に差し込まれたライトニングソードを握り締めると、そのまま押し返した。
「この痛みとともに」
握りしめている拳の間から、地面に血が流れ落ちた。
ティアナは敢えて、押し返すことはしなかった。
ライトニングソードを離すと、ポセイドンは倒れている魔物達に向かって叫んだ。
「全軍撤退!」
そして、ゆっくりと歩き出した。
ティアナの横をすれ違う時、ポセイドンは最後の言葉を伝えた。
「また会おうぞ。ティアナ・アートウッド!強き武人よ」
「は、は!」
痺れている魔物達も何とか立ち上がると、もうジャスティンとクラークに見向きもしなくなった。
去っていく魔物達を、目で見送りながら、クラークは呟いた。
「勝ったのか?」
「いや…」
ジャスティンはそばで、首を横に振った。
「勝たしてくれたのさ」
「何とか…退けましたね」
「そうだな」
ランの言葉に、海の中に消えていくポセイドンの背中を見送りながら、ティアナはこたえた。
「しかし…これからが、大変ですよ」
ランは肩をすくめた後、
「人間にとっての最悪の状況が、変わった訳ではありませんから」
カードを見つめ、
「その状況を打開する光は、あまりにも小さい」
「そうだな」
ティアナは視線を、ポセイドンからジャスティン達に変えた。 何かを言い合っている2人を見ていると、自然と笑みがこぼれた。
「聞いてますか?アートウッド?」
ランは、カードを広める方法を模索しながら、話を続けていた。
「制作は任せるよ。ランマク」
ティアナは笑い、ジャスティン達の方に歩き出した。
「アートウッド!何度言ったらわかるんだ。ランマクと呼ぶな!」
「だったら、あたしもティアナでいいよ。ランマク」
何度もいうティアナに、さすがのランも頭をきた。
「どうやら…あなたとは、先にその件に関して、話して合うべきですね」
ぎろっと、ティアナの後ろ姿を睨んだが…戦い終わった戦場で、笑顔を向け合う3人を見ていると…ランは、深くため息をついた。
「やれやれ…。まあ、たまにはいいですか…。そう呼ばれるのも」