第270話 海神
「魔力が使えないだと!?」
十字軍本部中央司令室は、騒然となっていた。
あらゆる魔力が、使えなくなったのだ。
それにより、中央システムは完全に動きを止め、バックアップさえ取れなかった。
この世界の魔力は、実世界における…電力や風力などのすべての動力の役目を担っていた。
「契約していた精霊の反応が、消えました!」
「妖精達も消滅!」
たった数秒で、防衛軍――いや、人類全体の動きは止まった。
各種通信システムも使えなくなった為に、連絡は足で伝えるしかない。
各ブロックを結ぶ通路を、人々はぶつかりながらも、走り回った。
「伝令!」
司令室に、息を切らした兵士が飛び込んできた。開かなくなった扉を、手で無理矢理開けると、兵士は司令室内にいる人々に向かって、叫んだ。
「本部を囲う結界が消滅!」
「それくらいわかっておるわ!」
司令室の中央で立ち尽くしていた男が、飛び込んできた兵士に向かって怒鳴った。
兵士はそれでも、報告を続けた。
「と、同時に!海岸線より、多数の魔物が上陸!こちらに向かって進軍中!」
「何!?」
海から地上に上がった魔物の数は五百。そして、陸に上がると同時に、掲げられた旗。
「その旗の紋章から…水の騎士団と思われます!」
兵士の告げた言葉に、騒然としていた司令室が一瞬で、静まり返った。
「な、な、何だと!?」
絶句する人々。
「如何致しましょうか?」
敬礼して、兵士は訊いた。
中央に立つ男は苦々しく唇を噛み締めた後、叫んだ。
「き、決まっておるわ!」
そして、周囲を見回し、
「全員退避しろ!」
司令室にいるオペレーター達に告げた。
「兵士達は外に出て、時間を稼げ!」
伝令を告げた兵士を指差し、男は命じた。
「しかし、戦う武器がありません!」
「剣があるだろうが!」
即答した兵士を、男は怒鳴り付けた。
すべての魔力が使えなくなった為に、建物内に状況を伝えることもできなくなった。
アナウンスも流せない。 だから、本部内を兵士達が走り回り、水の騎士団の襲来を叫びながら伝えるしか方法はなかった。
「どうやら…魔神が攻めてきたようね」
本部の片隅にある研究室のドアが開き、1人の茶髪の女が白衣を翻しながら、中に入ってきた。
本部中がパニックになっており、走り回って状況を伝えている兵士の言葉もはっきりとは聞こえない。
だが、白衣を着た女には関係なかった。
ジェーン・アステカ。 今は偽名を使っているが、彼女こそが伝説のアステカ王国の女王だった。
超能力者である彼女は、人々の混乱する思念を読んだのだ。
「そっか〜」
ジェーンの言葉に、部屋の奥にいるラン・マックフィールドが返事した。
なぜか…彼の前にあるパソコンだけが、動いていた。
「敵さんは早いね」
呑気にキーボードを叩いているランの背中を見つめ、ジェーンは言った。
「あたしは、逃げるわね。どうやら…魔神の中に、神がいるみたいだから」
「それは…カイオウかい?それとも」
ランは、画面から目を離さない。
「ポセイドンよ」
ジェーンは肩をすくめた。
「だったら…全滅だな」
ランは、最後にキーボードをパンと叩いた。
「あいつは…手加減をしらない」
そして、にやりと笑うと、椅子を回し、ジェーンの顔を見た。
「流石の君も、分が悪いね」
その悪戯っぽい視線に、ジェーンはそっぽを向いた。
「まあ〜いいさ」
ランはまた椅子を回転させると、パソコンと向き合った。その瞬間、パソコンのシステムが終了し、画面が真っ暗になった。
「僕には…どうでもいいことだ。君もそうだろ?」
ランは、パソコンのキーボードの横に差し込んでいたカードを抜き取った。 そして、振り返ると、指に挟んだカードをジェーンに見せた。
「それに…これは、まだ君らが欲しがる程の性能はないし」
ランの口元から、笑みが消えない。
「何のことかしら?」
惚けて見せるジェーンを、ランは顎を引き、上目遣いで見つめた。
「それとも…核がほしいのかな?」
口調は優しいかったが、ジェーンを見つめる目は鋭かった。
「…」
ジェーンもしばし、ランを見つめてしまった。心を読もうとしたが、まったく読むことができなかった。
(チッ)
心の中で舌打ちすると、両手を広げた。
「何言ってるの?あんな巨大で、危険なもの…いらないわ」
そして、また肩をすくめると、後ろ手でドアノブを掴み、回した。
「邪魔したわね。あなたも早く逃げた方がいいわよ」
「わざわざ…ありがとう」
ランは頭を下げた。
廊下に出ると、ジェーンはフゥと息を吐いた。
(仕方ないわね)
人波に沿って歩きながら、ジェーンは考えていた。
(どうせ潮時だったわ。この体を捨てて、別の肉体に転生しなくちゃ)
程なくして、人波から離れたジェーンは…目のつかない所でテレポートして、本部内から消えた。
「やれやれ…」
ランはジェーンが出ていくと、同時にパソコンを置いているディスクの引き出しを開けた。
中には、鞭が入っていた。
「ここは…破棄するか。バックアップは取れたしな」
ランは鞭を一振りして、パソコンを破壊すると、部屋から出た。
「この日を想定していてよかったよ」
青ざめた顔で走る人々と違い、ランは白衣に両手を突っ込みながら、悠然と歩いていた。
「さてと〜。救世主様に、届けましょうかね」
白衣のポケットに入れてあるものを確認しながら。
「馬鹿どもが…」
全員に下された…本部からの脱出命令をきき、ゲイルは顔をしかめた。
目の前には、核ミサイルがずらりと並んでいた。
魔力を使わずに、科学のみで作られたミサイルデッキは、専用の発電機を設置している為に、消えることなく活動を続けていた。
各種武器は使えないが、核ミサイルだけが発射可能であった。
「これを置いていくつもりか?」
ゲイルは、核ミサイルを見上げた。
水の騎士団向けて、発射できたが…爆心地が近すぎた。それに、発射プログラムも書き換えないといけなかった。
ゲイルは舌打ちした。
「それにしても…ポセイドンめが!王の計画を、無視するつもりか…」
「生ぬるい…」
海面から姿を見せた…赤い甲冑に身を包んだ3メートルの魔神。彼の名は、ポセイドン。元々…すべての海の神であった。そして、先代の魔王レイとは…ほぼ同等の力を持ち、対等に近い権力を誇っていた。
ライが即位してからは、その地位は下落したが、力は衰えてはいなかった。
「あのような人間の武器に、頼るとはな!」
ポセイドンが片手を横凪ぎに後方に振るうと、巨大な鎌が突然手に握られた。
すると、風が発生し、後ろの海面を駆け抜けると、巨大な津波が発生し、元老院があった大陸まで押し寄せた。
「フン!」
ポセイドンが上陸すると、海岸沿いに地震が起こった。
「ポセイドンだと!?」
クラークは、震える大地の上で何とかバランスを取りながら、絶句した。
「何て日だ…」
クラークは、巨大な津波がポセイドンの後ろに発生した様子を見つめ、
「騎士団長に、次々に会うとは」
今日という日を呪った。
「地震!?」
ティアナとジャスティンも、地震とともに上陸した水の騎士団を確認していた。
「また…神レベルか」
ティアナが顔をしかめた瞬間、十字軍本部から数百人の兵士が飛び出してきた。
その手には、剣以外に、弓矢が握られていた。
ポセイドンは、本部から飛び出してきた兵士達に気付いた。
「お前達は、手を出すな!」
周りにいる魔物達に命じると、ポセイドンは一歩前に出た。
それだけで、また地震が起きた。
兵士達の動きが止まり、バランスを崩す。
「弱いものいじめは、好かんからな」
ポセイドンは、手に持った鎌を振り上げた。
「うおおおっ!」
地震が止まると、兵士達は走り出した。
「待て!」
ティアナが兵士達の前に飛び出し、両手を広げた。
しかし、兵士達は止まらない。何かに取り憑かれたように、血走った目をして、 ティアナの横を通り過ぎていく。
「相手は、神だ!無闇に立ち向かっても!」
ティアナは振り返り、離れていく兵士達の背中に叫んだ。
「先輩!」
ジャスティンが、ティアナに向かって叫んだ。
「!?」
ティアナの目に、鎌を振り上げたポセイドンの姿が映った。
「伏せて!」
ティアナの絶叫も、兵士達には届かなかった。
伏せたのは、ティアナとジャスティン、クラークだけだった。
「フン!」
ポセイドンが前に向かって、鎌を上から下へと振り下ろした。
次の瞬間、数百人の兵士の胸から上に一筋の赤い線が走った。
「え」
驚く兵士達は、自分の上半身がスライドして、地面に落ちていく感覚を味わった。
「ぎゃああ!」
痛みとともに、残った下半身から血が噴き上がった。
あっちこっちに出現した血の噴水は、数秒で消えた。
ポセイドンが放った衝撃波は、兵士達を真っ二つにしただけではなく、その後方にある十字軍本部の建物をも切り裂いた。
数キロはある本部の建物が、スライドして…横に滑り落ちたのだ。
落ちた衝撃で発生した砂埃が一瞬、建物を隠した。
幸いにも、地下にある核ミサイルは真っ二つにはならなかった。
しかし、閉じていた発射口がスライドした為に、砂埃が治まった後…核ミサイルは太陽の下にさらされることになった。