第269話 夢物
「王はなぜ、あのような者をそばにおいているのだ?」
玉座の間を出たギラは、隣を歩くサラに訊いた。
「…」
サラはこたえない。しかし、少し不機嫌になったことに、ギラは気付いた。
「…」
ギラも口を閉じると、これ以上話すのをやめた。
「…」
ライは誰もいなくなった玉座の間で、1人黙り込んでいた。
いや、1人ではない。アスカがいた。
静まり返った部屋に、城の外から鳥の囀ずりが聞こえてきた。
「あ」
アスカは小さく声を出すと、鳥の囀ずりが聞こえてくる方に顔を向けた。
ライは横目で、そんなアスカの様子を見ていた。
「…」
無言ではあるが、その頭の中には、大きな疑問が浮かんでいた。
何故…まだ生かしているのか。
(この者は、神などではなかった)
単なる偶像だ。
人の信仰を集める為に、祭り上げられた…脆い人間。
何でもいいのだ。
人が崇めるものなど…。
そこに、対象としてあればいい。
(俺は…憐れんでいるの?)
神として崇められているのに、自由のない女を。
(いや…人間を)
ライは、アスカの様子を見つめながら、人間というものを感じていた。
無知で愚かな生き物。
(だが…しかし)
ライは、目を瞑った。
(俺は…人間から生まれた)
その苦悩が、ライを苦しめていた。
忌み嫌ってもいた。 だから、滅ぼそうと思っている。
しかし、どこかで…憐れみを覚えていた。
(このように…)
ライの瞼の裏に、追放したレイの姿は甦る。
レイは、こう言った。
(人間は、我らの食料。その為だけに存在する。しかし、すべてが美味という訳ではない。我の喉を満たすのは、ほんの少しだ。だから、いらぬものは…家臣にくれてやる)
レイはライに目をやり、
(勿論…お前にもな)
にやりと笑った。
「このもの達が、新しい騎士団長か?」
久々に城に戻ったのは、黒よりも黒い闇でできた魔神ラル。
ライの分身であり、側近であった。
「有無。そうじゃ、こやつらが新しい騎士団長だ」
もう1人の側近であるカエル男が胸を張り、ラルに紹介していた。
「――と言っても、妹の方は、騎士団長を名乗れる程の力はないがな」
玉座の間の真下にある部屋で、ラルとカエル男…そして、不動にリンネとフレアがいた。
「フン」
冷たい石の壁にもたれていたリンネは、カエル男の言葉に鼻を鳴らすと、腕を組んで歩き出した。
もたれていた壁が、赤く燃えていた。
ゆっくりと、身長が150センチもないカエル男に近づき、リンネは頭の天辺に手を置いた。
「妹を愚弄するのは、やめて貰おうかしら?」
手を置いた部分から、煙が立ち上った。
「ア、アチ!」
慌ててリンネの腕を払い除けたカエル男の頭に、手の形をした焼き印が押されていた。
「き、貴様!?」
リンネを指差し、カエル男は文句を言おうとした。しかし、逆にリンネに睨まれて、何も言えなくなった。
「リンネか…」
ラルは、姉妹を見つめると、目を細めた。
「何か〜ご質問でも?」
リンネはラルの呟きに気付き、顔を向けた。
「フッ…」
ラルは笑い、
「ないよ」
リンネから視線を逸らし、先程からまったく話していないフレアを見た。
「お前にはな」
放心状態のフレアに気付き、ラルは眉を寄せた。
「うん?」
熱さがおさまったカエル男は、ラルの視線に気付き、
「ああ〜」
ぽんと手を叩くと、
「妹には、心がないのだよ」
ラルに説明した。
「そんなことはないわ!」
リンネは、カエル男の言葉にキレた。
「この子には、ちゃんと心がある!」
「な、何を言うか!」
カエル男はさっきの仕打ちもあり、リンネに食ってかかった。
「一度!返事したくらいではないか!」
言い争うカエル男とリンネから、ラルは視線を移動させると、部屋の角で欠伸をしていた不動にきいた。
「王は?」
「!」
不動は、話しかけられると思っていなかったようで、少し驚いた後、指で真上を示した。
「わかった」
ラルは頷くと、部屋から出た。
無言で回廊を歩くラル。彼の王に対する忠誠心は、揺らぐことはない。 彼もまた、ライから生まれた1人だからだ。
それ故に、王に歯向かうもの…王の心を惑わすものには、容赦がない。
「…」
アスカの様子を見つめていたライは、玉座から立ち上がると、そのまま…部屋から消えた。
鳥の囀ずりに夢中であるアスカは、ライがいなくなったことにまったく気付かなかった。
ただ外の世界で、自由に歌うことのできる鳥の声に憧れていた。
そんな微かな鳥の囀ずりを気にするものが、もう1人いた。
アスカの真下に。
「何だ?あいつは」
ラルがいなくなったので、カエル男は慌てて部屋を出た。その後ろ姿を睨みつけるリンネに、不動は肩をすくめて見せた。
「あたしの妹に対しての言葉!絶対許さない!」
まだ怒りがおさまらないリンネは、隣にいるはずのフレアがいないことに気付いた。慌てて部屋を見回すと、奥にある窓のそばに立つフレアを確認した。
「どうしたの?」
リンネは無表情でありながら も、フレアの目の色がいつもと違うことに気付いた。体をわけた姉妹だから、わかる微かな変化だった。
フレアは、窓の外から聞こえる鳥の囀ずりに耳をすましていたのだ。
「?」
リンネは首を捻った。妹の変化はわかっても、彼女が何を感じているのかはわからなかった。
しかし、微かに微笑んだ妹の表情を、悪くないとリンネは思った。
「やれやれ…」
不動はまた肩をすくめると、部屋から出ていた。
騎士団長には、自由を認められていた。ライの命令があるまで、どこにいようと好きにしていいが、ティアナにつけた傷がまだ、完治していなかった。
自分を創ったライの魔力で満ち溢れている城にいるだけで、傷は癒えていく。
「しばらく…ゆっくりするか」
不動は、城をぶらつくことに決めた。
「チ、チ、チ…」
鳥の囀ずりに、何とか参加しょうとして、アスカは声を発していた。
どれくらい時がたっただろうか…。吹き抜けになっている壁から、一羽の小鳥が飛び込んで来た。
ぴょんぴょんと跳ねるように、アスカの前まで来た小鳥は、嘴に野花を一輪くわえていた。 それをアスカの前に置くと、また小さく囀ずった。
アスカの目には、花が映らない。だけど、耳だけで小鳥のいる方向を認識すると、両手を伸ばした。
小鳥を探す手が、床に置かれた野花に触れた。
色も形もわからなかったが、アスカは手にした時、鼻腔を刺激した香りに、ゆっくりと顔を近付けた。
「いい香り…」
アスカは自然と微笑み、前にいるだろう小鳥にお礼を述べた。
「素敵なプレゼント…ありがとう」
しかし、アスカがお礼を述べた時にはもう…小鳥はいなくなっていた。
なぜならば、アスカの後ろに、恐ろしい闇が立っていたからだ。
「なぜ…ここに、人間がいる?」
ラルの体は、震えていた。神聖なる王の部屋に、人間がいることなどあり得なかった。
「え?」
ラルの声に驚き、振り返ったアスカの顔を見た瞬間、ラルの全身に嫌悪感が走った。
目の部分の傷が、弱々しい体が…その他すべてに、虫酸が走った。
「その弱き姿!人間という種の弱さ!」
ラルは叫んだ。
「王を惑わす!」
「!」
アスカの全身に激痛が、走った。
その痛みは、目を潰された時の痛みを超えていた。
「あ…」
アスカの胸の辺りに、空洞ができていた。
「人間は、王に近づけてはならない!」
ラルの目が光った。
次の瞬間、アスカの右手がふっ飛んだ。
掴んでいた花が、その勢いで…吹き抜けの向こうに飛んでいった。
「リンネ様」
下の部屋にいたリンネの前に、炎の騎士団所属の魔神が現れ、部屋の前で跪いた。
「各部隊の隊長格、すべて揃いました」
女神ネーナが、リンネを紹介する為に、城の向こうに炎の魔神達を集結させていたのだ。
「今、行くわ」
リンネは返事をすると、窓から身を乗り出して離れないフレアに目をやった。
手を伸ばし、何かを掴もうとしているフレアの背中に微笑んだ。
無反応だったフレアの変化は、何でも嬉しかった。
しかし、魔神の集まりに連れていく気にはなれなかった。
「大人しく待っていてね」
リンネが部屋から消えたと同時に、伸ばしたフレアの手のひらに一輪の花が落ちてきた。
しかし、花は…フレアに触れると燃え尽きた。
その結果に、目を見開いて驚くフレアの目の前を、人が通り過ぎた。
つまり落ちていったのだ。
「ああ…」
全身血塗れになって、吹き抜けから落ちていくアスカの目に、空が映った。
痛みから見開いた瞳に、映るはずがないのに…アスカは空を見れた。
そして、その空を飛ぶ鳥の姿も。
(空を飛びたい…)
地面に叩きつけられるまでの数秒。アスカは、夢を描いた。
(そしたら…自由に、どこでもいけるのに)
初めて見る空の眩しさも、潰れているアスカの瞳には関係なかった。
(綺麗…)
地面に激突した瞬間、アスカは世界が綺麗と感じていた。
(チ、チ、チ…)
声も出なくなったアスカは、心の中で囀ずりを真似した。
完全に見えなくなる寸前、アスカの目に…空から降りてくる影が見えた。逆光の為、何なのかはっきりとは確認できなかった。
だけど、アスカには…それが、鳥に見えた。
(あたしも…あなたのように…なりたい)
アスカは、そばに降り立った影に、手を伸ばした。
そして、その手が握られた瞬間、アスカは息を引き取った。
「…」
アスカの手を掴んだのは、フレアだった。
なぜか…わからないが、アスカの手を握り締めた瞬間、フレアの目から涙が流れた。
初めての涙。
そして、炎の魔神であるフレアに手を握られた為に、アスカの体は燃え上がった。
その炎は、フレアから落ちた涙も蒸発させた。
一瞬で、燃え盛る炎は…フレア自身も包んだ。
炎は燃え広がり、やがて…その中から、一羽の鳥が空へと飛び立った。
「フェニックス!?」
その姿を、ラルは玉座の間から見ていた。
アスカが落ちた…次の瞬間、人の大きさをした火の鳥が、天に向かって舞い上がったのだ。
上空で数回、回転すると、火の鳥は…吹き抜けから飛び込み、玉座の間に降り立った。
「人間の…女?」
と、呟いてから、ラルは唇を噛み締めた。
「違う!お前は!?」
火の鳥は、人の姿へと変化していく。
「…炎の騎士団長の…妹」
炎は落ち着き、女の裸体を包む程度におさまった。
「…なのか?」
姿形は、フレアであった。
しかし、雰囲気が違う。
戸惑うラルに、フレアは微笑んだ。
「な、何が…起こった!?」
状況を理解できないラル。
その時、吹き抜けの向こうから、鳥の囀ずりが聞こえてきた。
フレアはぱっと笑顔になると、ラルに背中に向けた。
手を伸ばすと、腕に小鳥達が止まった。
先程の花が燃えたようには、ならなかった。
炎の質量が、抑えられていたのだ。
「何があったの!」
城から出た時に、ちょうど火の鳥の姿を目にしたリンネは、慌てて中に戻ってきたのだ。
姉妹の感覚で、その炎がフレアのものだとわかったリンネは、火の鳥が飛び込んだ玉座の間に急いだ。
そして、フレアを目にしたのだ。
「御姉様!」
満面の笑みを浮かべ、小鳥達と戯れるフレアを見た瞬間、リンネは綺麗だと思った。
初めて綺麗だと思ったものが、自らの妹だったとは…。
そのことに嫉妬は、覚えなかったが…リンネは不安な影を感じた。
なぜならば…彼女達は、魔神である。
戦う為に生まれたのだ。
綺麗であってはいけない。
それも、まるで…ガラス細工のように脆く壊れやすさを、フレアから感じていた。
「フレア…」
リンネはしばらく、フレアのそばに行けなかった。