第266話 愚者
「――で、先輩はどうされるんですか?」
不動達が去った…王宮の跡地で、少し膝をつけて休んでいたティアナに、ジャスティンが訊いた。
「十字軍の本部に戻られるんですか?」
「いや…」
ティアナは、何もない砂漠を見つめながら、ゆっくりと立ち上がった。
「そんな暇はない」
何もない砂だけの世界は、この世の終わりを表しているように見えた。
(世界が終わり…砂だけになったとしても…)
ティアナは青空を見上げ、
(空があれば…綺麗だと思う)
真上にある太陽の眩しさに、目を細めた。
(つまり…生命とは、この星にいらないものなのかもしれない。特に、人間なんてものは…)
ふうと深く息を吐くと、ティアナは歩き出した。
(だからこそ、その生命に感謝しょう)
貴重なる命。
生命が生まれる星は、少ない。
偶然なる生命に、感謝しょう。
(そんな命を…簡単に奪う存在)
ティアナは虚空を睨んだ。
(王という名の神!)
ティアナは振り返った。
海を越え、十字軍本部をも越え…魔界の入り口から、さらに奥地に入ると、あると言われている魔王の居城。
そこまで、たどり着いた人間はいない。
ティアナは拳を握り締めた。
今のレベルで、魔王を倒せるとは思えない。
(しかし…いずれは)
ティアナが強くなる決意をした…その瞬間。
皮肉にも…人間は、破滅への第一歩を進んでしまった。
「え」
ティアナは目を疑った。
魔界にある魔王の居城の方を睨んでいたティアナの目に、もうスピードで空へとかけあがる…細長い物体が映った。
それは、多くの命を奪う存在。
人が作った…一番愚かな兵器。
数分後、その兵器は上昇を止め、落下した。目的地とは別の場所に。
この世界に、迎撃用のミサイルなどあるはずがなかった。
何の抵抗も受けずに、地上に落ちた。
次の瞬間、大地が揺れ…巨大なきのこ雲が、この星が生まれて初めて姿を見せた。
「核…ミサイル」
ティアナの驚く顔を見て、振り返ると同時に、ジャスティンとクラークの目に巨大なきのこ雲が映った。
その姿を見て、クラークは思わず呟いた。
震源地は、ティアナ達がいる場所から、海を越えた…実世界でいうフランスの南部だった。
「核ミサイル!?」
クラークの言葉に、ティアナは唖然とした。
「ば、馬鹿な!そんなものを開発していたのか!あれは、禁呪よりも危険なもの!」
ティアナはそこまで言って、はっとした。
「そんなものを作る知識も、イメージもなかったはずだ!」
ティアナが知る限り…十字軍の科学者でも、核兵器の開発する能力はないはずだった。
「核って何です!」
きのこ雲の禍々しい姿に、異様な悪意を感じたジャスティンが、ティアナに訊いた。
「そ、それは…」
答えようとして、ティアナはクラークの呟きを思い出した。
同じ十字軍士官学校の生徒であるジャスティンが知らずに、クラークは知っていた。
「あなた…。何か知ってるの?」
ティアナは、クラークに一歩近づいた。
思わず顔を剃らしてしまったクラークははっとして、急いで顔をティアナに向けた。
「知りません…」
と、完全に否定しょうとしたが、ティアナの目を見て、言葉を続けてしまった。
「詳しくは…」
口にしてから、クラークは後悔した。しかし、爆弾の落ちる場所が目的地と違っていた。
普通に魔界に向け撃っても、魔界を囲む結界に阻まれるだけだ。 だからこそ、魔界の入り口を通って、爆発する予定になっていた。
それなのに、明らかに軌道が違っていた。
(ミスか?)
しかし、そんなことを考えている場合ではなかった。
核ミサイルは、落ちたのだ。
人間がいる地域に。
「どうして…あんな恐ろしい兵器を!十字軍には、作る技術はなかったはずよ」
ティアナの言葉に、クラークは頷き、
「そうです。科学は一般的には、信じられていません。しかし、研究がされていない訳ではありませんでした。戦う為の力を得る為に、ずっと研究されていたのです」
クラークは、ティアナの目を見つめ、
「しかし…核兵器まで辿り着く理論も技術も、ありませんでした。最近までは」
「最近?」
ティアナは眉を寄せた。
「はい」
クラークは頷き、
「異世界から、その技術を持った女が現れたのです」
「異世界!女!?」
2人の会話を聞いていたジャスティンが、 声を荒げた。
しかし、ティアナは手でジャスティンを制すると、クラークの言葉を待った。
クラークは息を吐くと、
「その女については知りません。しかし、その女が核を伝えたことは、間違いありません」
そこまで言い、口を閉じた。
「おい!クラーク!」
ジャスティンはクラークに近づくと、肩を掴んだ。
「どうして…お前がそんなことを知っているだ」
問いただそうとするジャスティンの肩を、ティアナが掴んだ。
そして、クラークに顔を向け、
「ありがとう。教えてくれて」
礼を言った。 それ以上は、詮索しない意味を込めて。
「クッ!」
ジャスティンは、自分の肩を掴むティアナの強さに、その意味を悟り、クラークの肩から手を離した。
「今は、そんな場合じゃないわ」
ティアナは、拡散して消えていくきのこ雲に目をやり、
「人々を助けないと」
「無理です」
クラークは顔を下に向け、
「震源地には、放射能という毒素で溢れています。運良く爆発で死ななくても、放射能にやられています。もう助かりません」
「でも、生きてるならば!助けにいかないと!」
それでも向かおうとするティアナに向かって、クラークは叫んだ。
「放射能は、広範囲に広がっているはずです!あなた1人の力では、除去もできない!行ったところで、被爆するだけです」
「…」
ティアナも、放射能の恐ろしさを知っていた。
ブラックカードを取り出しても、魔力が足りない。
「く!」
絶望が、ティアナを支配した。
悔しそうに震えるティアナを見て、ジャスティンはどうしょうもできない自分を呪っていた。
ティアナはブラックカードを握り締め、
「それでも!1人でも救えるならば!」
ティアナは震源地近くに、テレポートしょうとした。
「先輩!」
ジャスティンは止めようとした。
怒られるのを覚悟で、握り締めているブラックカードを払い落とそうとした。
その時、空に無数の黒い影が現れた。
魔界の方から。
「な!」
ティアナは絶句した。
それは、空を覆う無数の魔物の大軍だった。
「翼ある魔物達…」
クラークも目を見開いた。
遠く離れたティアナ達の場所からも、その様子は確認できた。
震源地近くに向かって、飛んでいく姿が。
「風を操れないものどもは、下がれ!」
魔物達の先頭を飛ぶギラとサラ。
「人間は、死んでも構わないが!この星を汚すことは、許さん!」
ギラが手を前に突きだすと、大気が固まり…壁をつくり出す。
「我に続け!」
「は!」
ギラの言葉に、魔神達も手を突きだす。
「上昇気流で、熱と放射能を天に逃がすぞ」
サラは上空を見た。震源地の空にできた黒い雲に気付き、
「あの雲から、雨を降らせる訳にはいかない!」
右手を突きだすと、大気の流れを変え、風の膜で雲を包んだ。
「すべて捨てるぞ!宇宙にな!」
空気の壁が震源地を囲むと、巨大な竜巻が発生し、宇宙へと昇っていった。
「どうして…人間の尻拭いをしなければならないのだ!」
ギラは毒づいた。
「駄目よ!」
その様子を見ていたティアナが叫んだ。
「あの中には、助かった人達がいる!」
「それは、絶望的です。あの筒の中の範囲なら、ほぼ即死のはずです。」
冷静に、クラークが状況判断をした。
「可能性は零ではないわ」
ティアナは、クラークを睨んだ。
クラークは目を瞑り、
「生きていても…苦しむだけです」
「お前な!」
ジャスティンは、クラークの胸ぐらを掴んだ。
「核兵器の恐ろしさは、爆発後も続く!風に乗って放射能が周りに広がることが、一番恐ろしい!魔物達が、迅速に処理してくれたんだ!その被害が抑えられただけでも、有難い!」
震えながら言うクラークの様子に、ジャスティンは手を離した。
「人間は…クソ!」
クラークの言う事は、もっともだった。
ジャスティンもそれ以上、クラークを責めても仕方ないとわかっていた。
「…」
ティアナは、空に消えて行く竜巻を見上げながら、静かに涙を流していた。
目を瞑り、一度頭を下げると、ティアナは歩き出した。
「先輩!」
「多分…核は一発だけではないはず」
もう後悔も、悔やんでいる暇もない。
「十字軍本部に向う!残りに核を使用する前に、破棄させるわ」
「お、俺も行きます!」
ティアナの後を、ジャスティンが追った。
クラークは、2人の背中を横目で見つめ後、ゆっくりと歩き出した。
「…」
無言のままで。
「人類は、素晴らしい力を手に入れた!もう魔王も恐れることはない!」
大佐と呼ばれていた男は、十字軍の兵士達に両脇を抱えられながら、司令室から連行された。
ゲイルは、モニター近くにある…彼が押した赤いボタンを見つめながら、フッと笑った。
実世界では、このボタンを押す勇気のあるものはいない。
「ゲイル殿!」
兵士の1人が、ゲイルのそばで敬礼した。
「彼は…設定を間違えたようだ。まさか…魔界とはまったく違う場所に落ちるとは…」
ゲイルは胸で十字を切り、犠牲者の冥福を祈った。
「わかっております!今回は、事故であると」
兵士の言葉に、ゲイルは頷いた。
「その通り…事故ですよ。とても悲しい事故です」
大佐と呼ばれた男と入れ違いように、1人の男が入ってきた。 数多くの勲章をつけ、白い顎髭が凛々しい男は、ゲイルに微笑んだ。
その男を見て、兵士は最敬礼した。
男は手を上げると、兵士に出ていくように促した。
「失礼します」
兵士が出ていくと、司令室の中は男とゲイルだけになる。
「上手くいきましたな。核の実験データが取れましたよ。どれ程の破壊力があるのかと」
男はにやりと笑った。
「しかし、データを取る為とはいえ…多くの人間を殺してしまった。民衆から、批判が出ることになるでしょうな」
ゲイルは、赤いボタンから男に視線を変えた。
「それに関しては、問題はありませんよ。核使用後の最大の問題である放射能も、魔神達が迅速に処理した為に、周りに広がっておりません。爆心地は、例の移民の子孫達が住んでる地域ですから」
魔王に破壊された元老院本部の土地には、かつて原住民が住んでいた。 しかし、王宮を立てる為といって追い出したのだ。
彼らは数百年近く、追い出された土地から海を隔てた場所に、国に近いコミュニティーをつくっていた。
いつかは、生まれ故郷に戻る為に。
しかし、それにより新たな問題が発生した。
彼らが根を下ろした土地の周りに住んでいた…人々との小競り合いである。
「やつらが、一瞬でいなくなったのです。逆に、民衆の支持を得ることになりますよ。まあ〜水面下ですけどな」
男は、赤いボタンに目をやり、
「建て前では…批判は来るでしょうがね」
にやりと笑った。
「…」
ゲイルは、男の顔をじっと見つめていた。
「数百年のいざこざが…ボタンを押すだけで、解決したのですからな」
「フン…」
ゲイルは男に聞こえないように、鼻を鳴らした。
「そうだ。そうだ」
男はぱっと顔を明るくすると、ゲイルに顔を向けた。
「知っておりますか?その技術を教えた異世界の女が言ってましたよ。彼女の世界で、最初に核を落とした理由の一つに…人種差別があったそうですよ」
楽しそうな男の表情を、ゲイルは冷静に見つめていた。
「猿は、殺しても構わないとね。そして、核を落とされた猿達は、その後…自分達を殺した相手に憧れ、従うようになったらしい。それも、強制ではなく、自ら進んでね」
「…」
ゲイルは頭を下げると、司令室から出た。
「核は素晴らしい!そして、人間は…我らブルーアイズだけが、残ればいいのですよ!他の人間は、人間にあらず!ハハハハハハハハ!」
高笑いをする男を残し、ゲイルは廊下に出た。
「愚者どもが…」
ゲイルは、廊下を歩き出した。
核発射と爆発による世間の騒ぎを鎮圧する為に、廊下は騒然となっていた。対応に追われる兵士達が走る方向とは、逆を進んでいく。
「だが…」
無表情のままで、ゲイルは心の中で笑った。
(その方が、虫けらを殺すよりも…心が痛まんわ)
廊下の突き当たりまで歩くと、ゲイルはその横にある扉を開いた。
そこは、まだ来客にあたるゲイルに、割り当てられた部屋であった。
「遅かったな」
部屋の中には、甲冑を身に付けた魔神が待っていた。
真ん中で腕を組み、眉間に皺を寄せて立つ魔神の名は、カイオウ。水の騎士団長の1人である。
「ライ様は、ご立腹だよ。いかに、貴様であろうと、許されると思うなよ」
カイオウの言葉に、ゲイルは口許を緩め、
「王には感謝している。迅速な対応で、自然を破壊するのを最小限に抑えることができたことを」
深々と頭を下げた。
「き、貴様」
カイオウの眉が跳ね上がった。
「そう…怒るな」
ゲイルは口調を変えた。
「今日の出来事で、人は…さらに自滅の道を歩むことになる」
「どういう意味だ?」
「カイオウよ。私は、ライ様の側近として…誰よりも、王のお心を知っておる。だからこそ…だ。今回の核の使用により、人はその力を知った。しかし、やつらには扱えんよ。それに、王の力を持ってすれば…核を今すぐにでも、爆破できる」
ゲイルの唇が左右に裂ける。
「人間が存在する限り…王のお心は落ち着かない。だからこそ…人間には、早めに滅びて貰わないと困るのだ」
「そう簡単にモニター近くにある…いくかな?」
カイオウの体が、段々と薄くなっていった。
「それが、驚く程にな」
その後…ゲイルはカイオウに何かを告げた。
「ゲイル様」
楽しそうに満面の笑顔を浮かべたゲイルの真後ろにある扉を、誰かがノックした。
裂けていた唇が元に戻ると、ゲイルの顔から笑みが消えた。
と、同時に…カイオウの姿も、空間に溶けるように消えた。
「はい。どうぞ」
振り返らずに、答えたゲイルの声に反応して、扉が開いた。
「ホワイト中将がお呼びです」
「わかりました。今すぐ、行きます」
「了解致しました」
部屋に入ることなく、開けた扉の隙間の向こうで、頭を下げると、兵士は扉をゆっくりと閉めた。
完全に閉まったことを音で確認すると、ゲイルは振り返った。
無表情をつくると、閉まった扉を数秒見つめた後、おもむろに扉に近づいた。
ノブに手を伸ばし、扉を開けると、まだ慌ただしい廊下を…今度は、人波にそって歩き出した。
人を自滅の道に、導く為に。