第264話 秘事
「これで、人は知るだろう。必要なのは神ではない。力だとな」
十字軍本部を歩くゲイル・アートウッド。いや、もうゲイル・アートウッドとは呼べないかもしれない。だが、それに気付く人はいない。
「力ですか?」
その隣を歩く軍服姿の男は、ゲイルに訊いた。
「有無」
ゲイルは頷くと、
「人がなぜ、宗教を信じると思う?」
逆に訊き返した。
「それは、神のご加護を受けたいからではないですかな?」
その答えに、ゲイルは鼻を鳴らすと、ギロっと男を睨んだ。
「そもそも、それが間違っている!この世界の神は、人間の上に、魔物…いや、魔神を創られた。その時点でご加護など、あるはずがないのだよ」
「…といいますと?」
「食物連鎖の下にいる人間が、彼らに殺されるのは、自然の通り…。つまり、神の決めた規律に背いているのが、今の人間だよ」
「だとそれば…今の我々の行動は、神が決めたルールに背いていると?」
男は眉を寄せた。
「しかし…それもまた、神のせいでもある。愚かにも、神は人間に知恵を与えてしまった。自ら定めた規律を破る知恵をな。我々はただ…殺されはしない」
「そうですな」
ゲイルの言葉に、深く頷いた男。
「神に教えなければならない…。我々にも、頂点に立つ資格と力があると」
ゲイルと男は、白い扉の前で立ち止まった。
ゆっくりと扉が開くと…そこは巨大な格納庫だった。
「そうです!我々には、魔王も…いや、この星そのものを破壊する力を得たのです!禁断の力!科学という力を!」
男は、格納庫に聳え立つ無数の鉄の柱に向かって手を広げた。
それは、ただの鉄の柱ではない。
核ミサイルだ。
「この力を使って、魔界を一気に壊滅しましょうぞ!」
男は、興奮していた。
格納庫に並ぶ核ミサイルの数は、108発。
それは奇しくも、人の煩悩と同じ数だった。
「はははは!」
なぜだろうか。
人は圧倒的な力を得ると、笑いが止まらなくなる。
男の後ろに立ちながら、ゲイルは軽蔑の眼差しを送っていた。
(このような愚かな動物に…王は手緩過ぎる!魔法を使えなくするなど、まどろっこしいことはせずに、自らの手で自滅させればいいのだ)
ゲイルは、核ミサイルを見上げ、
(この世界の人間で、核の恐ろしさを知る者は少ない。ただ破壊の力のみにとらわれている)
フッと笑った。
「ゲイル殿!今すぐ発射しましょう!」
男の興奮は、狂喜へと変貌していた。
「そうしたいのは、山々ですが…。一応、評議会に許可を貰わなければ…」
「何を仰る!人神がいなくなった今、評議会など何の意味もない!元老院もまた!権威を失った!」
声を荒げる男に、ゲイルは目を細めた。
「は!」
男はゲイルの表情を見て、少し我に返った。 慌てて、頭を下げ、
「ゲイル殿の力が衰えた訳では、ございません。逆に、あなたがいるからこそ、我ら十字軍が権力を掌握することができるのです」
「大佐」
ゲイルは、ゆっくりと首を横に振り、
「私1人の力では、無理ですよ。あなた方がバックにいるからこそです」
男を見つめると、微笑んだ。
「滅相もない!」
男は、両手を振った。
ゲイルは男から視線を外すと、改めて核ミサイルを見上げた。
「ゲイル殿…」
「このミサイルで、世界を我々人間のものした後…元老院を解体し、新たな組織を立ち上げます。表立っては、人前に出ない…秘密の組織を」
「そ、それは…一体」
「まだ詳しくは決まっていませんが…組織に参加する者達の名前は、決めています」
ゲイルは、にやりと笑った。
「そ、その名は?」
「…」
ゲイルはじっと、核ミサイルを凝視した後、おもむろに口を開いた。
「安定者」
「あ、安定者!?」
「ええ」
ゲイルは頷き、
「魔物がいなくなった後、この世界に安定をもたらす機関。人間の平和の為に、永久の安定をもたらす者のことですよ」
「安定者…」
男は、その言葉を繰り返した。
その言葉には、権力者らしからぬ響きがあった。
さらに、戦いを生業にした軍隊にあっては、いささか軟弱な響きがあった。
しかし、それこそがいい。
と、ゲイルは思っていた。
人が安心し、健やかに暮らす為には、安定が必要だ。
(しかし…その先には、怠惰と堕落がある。さらに、安定が続けば、それ以上の欲を持ち…少しでもその安定が崩れそうになれば、何としてもしがみつく)
ゲイルは、人の習性を知っていた。
(恐るべきは…そんな人間の中に、安定を求めない者がいる。向上心…)
ゲイルは、鼻を鳴らした。
(それは、なかなか素晴らしいが…恐るべきものではない)
「早く!発射したいものですな!」
核ミサイルの恐ろしさも知らずに、ミサイルの前を歩き回る男。
こんな近くに来れることが、この世界の原子力に対する認識の甘さを露出していた。
(人は…無知)
ゲイルはフッと笑った後、顔を引き締めた。
(だが…人の中には、他人の為その身を犠牲にできるものがいる!そのような者こそが、恐ろしい。魔物もまた、個の為に生きるもの。他の為に、犠牲になるものはいない。なぜならば!それは生きるという権利を放棄しているからだ)
ゲイルは、静かに核に背を向けた。
(増えすぎた数を減らす為に、集団で死ぬ動物はいる!しかし、それは…プログラムされた本能だ)
ゲイルは男を残し、格納庫から出た。
(本能が壊れている人間に、そのような現象は起こらない!だからこそ、本能をこえて、他者の為に生きる人間こそが…真の我らの敵!滅ぼさなければならない存在!)
ゲイルは、冷たい廊下を歩き出した。
(核は、大勢を殺してくれるだろう。その中にいる…恐るべき人間をも!そして、生き残った者も知るだろう。人の力の小ささを!)
ゲイルは笑った。
(人を真の意味で殺すことは…絶望を与えること。希望をすべてなくした時…人はただ飲み食いする肉の塊と化す)
「それこそが、我らの餌にふさわしい」
思わず…言葉が口に出た。
「絶望が始まる」