第261話 変化
「これは?」
十字軍本部を出たティアナは一路…元老院跡地を目指していた。
途中の駐屯地で、新型のホバーバイクを借りると、それで地中海を渡ることにした。
海上を南下しながら、ティアナは目の前に見える風景に絶句した。
何も見えないのである。
普段ならば、地中海を半分渡る頃には、壮麗な元老院の建物が見えるはずだった。
「それに!」
ティアナは、アクセルを吹かした。
バイクの下に、黒い影を見たからだ。
スピードを上げたバイクが、前へ弾けるように飛んだ。
と、ほぼ同時に、今までいた付近の海面が盛り上がり、巨大な銛の形をした触角が飛び出して来た。
「この海路には、魔物はいなかったはず!」
元老院と十字軍本部を結ぶ航路である。普段は、魔物などいるはずがなかった。
いや、魔界に近いからいてもおかしくはないのだが…いつもは、兵士が巡回しており、さらに巨大な結界が海底まで張られているはずだった。
(元老院がなくなったことで、対岸からの結界が消えたのか?)
あり得る話だった。
「チッ!」
ティアナは舌打ちすると、バイクのハンドルから手を離した。このホバーバイクには、武器の装備がなかったのだ。
海中にいる魔物を仕留めるには、バイクから離れるしかない。
ティアナが両手を上に向けると、回転する二つの物体が飛んできた。
二つとも掴んで、クロスに重ねると、ライトニングソードになった。
「そこ!」
ティアナは視界の端に、海面の真下を動く黒い影をとらえると同時に、ジャンプした。
海面に突き刺した部分から波紋が広がり、さらに突き刺すと、雷鳴が暴れ回った。
放電した電気は、辺りに拡散し、ライトニングソードを持つティアナの体をも感電させた。
「や、やはり…」
思わず手を離しそうになったが、何とか耐えた。
しかし、そのまま…海の中に落ちてしまった。
落ちる寸前に、息を吸い込んだティアナは、ライトニングソードの放電をやめた。
(水中戦は、不利だ)
太陽の光で何とか周りは、明るかったが…海底までは見えなかった。
魔物の姿が見えない。
さらに、海の中では水が邪魔して、魔物の気を探ることができなかった。
(向こうは、見えているはずだ)
ティアナは海の中で、何とかバランスを保とうとしていた。
身に着けた白い鎧は軽量だが、海の中では邪魔なだけだった。
しかし、脱いでる暇はない。
そんなことを考えていると、海底から触角が伸びて来て、後ろからティアナを串刺しにしょうとした。
海中とは思えない俊敏な動きは、普通の人間ならばその一撃で死んでいたことだろう。
ティアナは背中に当たる微かな海水の流れを感じ、横に動いた。こういうときは、直感である。悩んではいけない。
反応は早かったが、鎧の肩当てに当たり、粉々になった。
(少し有難いけど)
ティアナが攻撃に入ろうとした時に、また見えなくなった。
(遊んでやがる)
ティアナは、ライトニングソードを握り締めた。
(どうする?)
ティアナは悩んでいた。
(水中用のモード・チェンジをするか)
と思ったが、ティアナは自らの考えを否定した。
(無理だ)
水中で戦えるモード・チェンジをすることは、人間ではあり得えなかった。
(呼吸器官そのものが変わる)
つまり、人間ではなくなるのだ。
地上で使うモード・チェンジは、スピードであったり、パワーを上げたり、炎を身に纏ったりするが…あくまでも、使うのは筋肉がメインだった。
しかし、水中は違う。 泳ぐスピードは上げれるが、呼吸をする為に、海上にでなければならなかった。常に、水中にはいれない。
(内蔵は、鍛えられない)
ティアナは、自ら考案したモード・チェンジという能力を使いこなすことはできないと悟っていた。
(しかし…)
ティアナは、ライトニングソードをぎゅっと握り直した。
(だからこそ…この剣が必要だった)
暫くの静寂を打ち破るように、今度はティアナの真下から、触角が伸びて来た。
(モード・チェンジ!)
ティアナは使った。
水中戦用のモード・チェンジではなく、筋肉を増した変化だった。
海面向かって、真っ直ぐに上がていく。
モード・チェンジでスピードの増したティアナよりも、触角の方が速かった。
しかし、 それもまたティアナの計算の内だった。
(いける!)
ティアナが海面から飛び出した時、触角は足元に迫っていた。
「モード・チェンジ!」
ティアナは海面を睨みながら、叫んだ。
すると今度は、ティアナの体が変わるのではなく、ライトニングソードの刃の表面が変わった。
電気を帯びていた刀身が、今は冷気を纏っていた。
ティアナは空中で、エビ反りになると、触角の攻撃を避けた。
それから、刃を下に向けると、一気に落下して、海面に突き立てた。
一瞬で、周囲の海面が凍った。
「足場さえあれば」
ティアナは、凍った海面に着地した。
自分を追って、海中から飛び出した魔物の触角も凍りつき、動けなくなっていた。
「は!」
気合いを込めると、ティアナはライトニングソードを横凪に払った。
凍りついている部分の根元だけを残し、触角を切り裂いた。
足下から、魔物の絶叫が聞こえた。
「!」
だが、触角は一本だけではなかった。
ティアナの真後ろの氷を突き破って、二本目の触角が襲って来た。
しかし、ティアナは身をよじると、返す刀で迫ってくる触角を斬り落とした。
それから間を開けずに、足下にある触角の切り口に目をやると、回転させたライトニングソードを突き刺した。
触角の切り口は、丸太ほどの大きさがあり…ドリルと化したライトニングソードが通るのに、丁度よかった。
ティアナは、ライトニングソードを離すと、そのまま氷の上を疾走した。
そして、凍っていない海面に浮かんでいるホバーバイクに向かって飛んだ。
シートに腰かけると、ホバー機能を最大にした。
「放て!ライトニングソード!」
バイクが空中に浮かぶのと、辺り一面の海水が雷撃で輝くのは、ほぼ同時だった。
数秒後、体長20メートルはある巨大な鯰に似た魔物が、海面まで浮かんできた。
ショック死した訳ではなかった。
鯰の腹を突き破り、回転する二つの物体が姿を見せると、空の彼方に消えた。
「や、やはり…」
ティアナは、バイクを発車させた。
ハンドルを握る手が、重い。
モード・チェンジの連続使用は、ティアナの体力をほとんど奪っていた。
「モード・チェンジを使う為には…もっと鍛えなければならない」
ティアナはバイクを自動操縦に切り替えると、全身の力を抜いた。
自分でもわかっていた。
人の身では、過ぎた能力だと…。
(だけど…いずれ…この力を使いこなせる戦士が現れるかもしれない)
その時まで、自分は生きなければならない。
モード・チェンジの実験体として。
ティアナはそう…思っていた。
その時は、自らの娘のことなど想像もしていなかった。
ただ…人類の未来の為。
ティアナは、その為の布石になることを誓っていた。
七歳の頃からだ。
頭が良かったティアナは、自らの理想が実現不可能だと知っていた。
二つの要因で。
まずは、人間の種としての限界。
先程述べたように、人間の内蔵は鍛えられない。つまり、肉体の限界。
それと、もうひとつは…人は特別な人間を認めない。
今は、もてはやされるだろう。
しかし、人でありながら…魔神を倒す力を得た時、人は否定するだろう。その力を恐れ…いずれは、人間の輪から外される。
(人は…脆く…弱い)
八歳で大学レベルを軽く越えたティアナを、畏怖の目で見る人間を知っていた。
(だけど…)
ティアナはハンドルを握った。
(だからこそ…)
自動操縦を切り、アクセルを吹かす。
(守らなければならない)
幼き日…ティアナは選択した。
人を嫌うではなく、人を守ると。
その為に、あたしはいるんだと…。
そう決めた限りは…。
(行くぞ!)
ティアナを乗せたバイクは陸地に向けて、海面を真っ直ぐに疾走した。