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第260話 無望

「…」


完全に見えなくなった瞳。


しかし、そんなに不便に感じなかったのは、アスカのこれまでの生活のせいであろう。


王が出掛け、不在となった玉座の間。


静かな空間で、アスカの鼓動と吐息だけが、そこにある生きる証明だった。


そんなことに気付いただけで、アスカは幸せだった。


まだ何かを感じられる。


目から流れる血が、固まりかけていた。


アスカは拭うことをせずに、ただ耳をすましていた。


自分の音以外に、何かが聞こえてきたからだ。


それは、小鳥の囀り。


城の外を自由に過ごす小鳥達の声。


アスカは、その囀りに初めて…楽しさを感じた。


今まで、アスカの周りに楽しさを与える存在はいなかった。


王宮の地下でも。


嘲り、偽り…愛想笑いと謀略。


アスカは道具であり、人として扱われてはいなかった。


そして、王宮を出た後は…人を超えて、神と呼ばれた。


(ああ…)


アスカは、囀りが聞こえてくる方に手を伸ばした。



その時、後ろから声がした。


「王がやったのか?」


その声に振り返っても、アスカには誰なのか確認する目がなかった。


「治癒は不得意だが…血くらいは、拭ってやろう」


「あ…」


後ろに立つ人物が、膝を折ったことは、空気の流れでアスカにはわかった。


地下室の暗闇にいた時から、耳と皮膚の感覚は研ぎ澄まされ、敏感になっていた。


「あなたは…」


アスカは、声で人物を確定した。


先程、この部屋に来た…赤毛の女の人。


顔を上げたアスカの両目に走る一筋の傷を見て、サラはため息をついた。


(ライ様は…何を苛立っていらっしゃるのか)


サラにはわからなかった。


しかし、普段はそういうことをしない人だともわかっていた。


(王になられてから…少し御変わりになられたかもしれない)


アスカの血を右手で一度拭うと、サラは手のひらで両目を覆った。


「温かい…」


思わずアスカの口から、声がこぼれた。


(しかし…それでも)


サラはゆっくりと立ち上がると、傷口が塞がったアスカの顔を見下ろした。


(王の御心とともに…)


サラは、目を瞑った。


「あ、ありがとうございます」


アスカは、礼を述べた。


視力は戻らないが、痛みはとれた。


「礼には及ばん。人神よ」


サラは、アスカに背を向けた。そして、ゆっくりと歩き出した。


「サ、サラ!?」


と同時に、ギラが玉座の間に入ってきた。ライがいないことを確かめてから、治療としているサラの姿を見て驚いていた。


どんなに戦いで傷付いても、己の未熟さ故として、決して傷を治さないサラが、初めて治療能力を使っていたのだ。


といっても、サラを傷付けるのは相当な戦力が必要だが。


十字軍約5万の兵隊と1人で戦っても、少し血を流した程度だった。


「フン」


サラは鼻を鳴らすと、驚いているギラの横を通り過ぎた。


「お、おい!サラ!勝手に、王の間に入って…人間の傷を治してよかったのか?」


慌ててサラの後を追うギラ。


「フン」


サラはまた鼻を鳴らすと、


「炎の魔神が、目覚めたことを報告に来ただけだ。傷を治したのは…いつまでも、血を流していれば、王のお心が乱れる」


「サラ!」


それでも、何か言おうとするギラに、サラは足を止めると、振り返り…右手を突きだした。


「うるさい」


突きだした右手が、スパークする。


「サ、サラ…」


自分を睨み付けるサラの苛立ちを感じて、ギラは後ずさった。


「フン!」


ギラが何も言わないのを確かめると、サラは右手を握り締めた。そして、前を向くと…つかつかと歩き出した。


「…」


しばらく無言で見送った後、ギラは頭をかいた。


「何を苛立っておるんだか…人間の女でもあるまいし…」


同じ時期に生まれたサラとギラは、ライが創った最初の魔神であった。 それぞれが、自分の片腕になるように。


その為、姉弟のような関係になっていた。


「……しばらく、距離を置くか」


またしつこく迫ったら、今度こそ撃たれる。


それがわかっていたギラは、サラが向かった方とは逆の方向へ歩き出した。


「うん?」


体の向きを変えたギラの目に、アスカの姿が映った。


アスカは、玉座の横で立ち上がると、穴が空いている壁の方に、ふらふらと歩いていった。


「あ、あ」


声を出し、アスカは小鳥の囀りが聞こえる方を目指していた。楽しげな鳥の声が、自分を呼んでいるかのように思えた。


吹き抜けから入ってくる風が、アスカの全身に当たった。その感覚も初めてであり、とても心地良かった。


だから、アスカにはその先が危険であるとは思わなかった。


あと数センチ進めば、足下から床はなくなり…そのまま地面に落ちることなど考えていなかった。


ただ…囀りの楽しさが、アスカの心をとらえていた。


(私も…あなた方のように…)


アスカは鳥を知らない。楽しげな声を出す存在としか認識できていないが、声の感じから悪意はないと思っていた。


確かに、悪意はないだろう。しかし、その他もない。少なくとも、その声は…アスカには向けられていない。


だけど、アスカが気付くはずもなかった。


「……あっ」


引力は突然、アスカの足を引っ張った。


そして、数秒後には、地面に叩き付けられることになる……はずだった。


「何をしている?」


ギラの丸太にような太い腕が、片手でアスカを掴んでいた。


「王の不在の時に、勝手に死なれては困る。それも、俺の目の前でだ」


まったく力を入れることなく、アスカを部屋の中に戻すと、ギラは床の上にアスカを置いた。


「どなたか存じませんが、ありがとうございました」


アスカは立ち上がると、深々と頭を下げた。


「礼はいらん。だがな…もう向こうには行くな」


ギラはそう言うと、アスカに背を向け、歩き出した。


「あ、あのお…」


だけど、アスカが呼び止めた。


「何だ?」


ギラは頭をかきながら、振り返った。


「ご迷惑をおかけしたついでと言っては何ですが…」


「だから、何だ?」


ギラはサラとの件もあったので、少し苛立ってしまった。


びっくと身を震わせながらも、アスカはきいた。


「今…聞こえている声は何ですか?」


「うん?」


ギラは眉を寄せると、耳を澄ませた。


小鳥の囀りが聞こえた。


「鳥の歌がどうした?」


ギラはその時…鳥の声ではなく、歌と伝えた。


そのことが、アスカの中に強くイメージとして残った。


「歌…」


その単語は知っていた。しかし、アスカに歌を聴かせる者はいなかった。


(歌)


アスカはぎゅっと、胸を握り締めた。


(あたしも…あんな楽しそうに歌いたい)


それが、アスカの初めての願いとなった。


嬉しそうな表情を浮かべるアスカを訝しげに見た後、ギラは歩き出した。


「死にかけたのに…普通笑うか」


首を傾げ、玉座の間を出て行くギラの雰囲気に気付き、アスカは慌てて頭を下げた。


「ありがとうございました」




鳥の歌声…。それは、アスカの希望となった。


ほんの少しの希望であるが、そんな感情を持ったことのないアスカにとって、とてもとても大切な思いとなった。


例え…叶わなくても。



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