第259話 魔神
「目覚めたか?」
上から聞こえる声に、目を開けた女は初めて見る世界に戸惑っているのか…すぅと目を細めた。
その時の動きが、女の表情を決めた。
切れ長の瞳を持つ…女。
「我等が王から、お前にプレゼントがある」
石の祭壇に横たわっている女を、見下ろしていたのは、サラだった。
城の地下室のひんやりした空気が、女の瞼が開いたと同時に、一瞬でサウナに変わった。
石の祭壇が、真っ赤に燃え上がる。
「それは、お前の名だ」
サラは、目を開けてもまだ虚ろな女の瞳を無視して、言葉を続けた。
「お前の名は、リンネ。炎の魔神を従えるべく創られた」
「…」
女は、名を貰っても反応がない。
サラは、数秒だけ女を見つめると、祭壇に背を向けた。
「王の為に、働け」
それだけ言うと、歩き出した。
「フン」
サラは小さく鼻を鳴らし、地下室から出た。すると、扉の横にスーツ姿の男がいた。
「どうでした?我が同胞は、お目覚めになられましたかな?」
壁にもたれて、ポケットに両手を突っ込んでいる男の胸ポケットには、赤い薔薇が刺してあった。
「悪趣味だな」
顔をしかめたサラの言葉に、男は肩をすくめ、
「これは、人間の正装だが?」
「だから、悪趣味だ」
サラは男から、顔を逸らした。
「武骨な君には、わからんのだよ。この絶妙なバランスがね」
男が首を横に振った瞬間、身に纏っていたスーツが黒焦げになった。
「やれやれ…」
全裸になった男の体は、炎でできていた。
「折角の服が…」
燃え尽きても、別に残念そうでもなかった。
ただ…。
「この服を得るには、結構遠くまで行かなければならないんだよ。私に歯向かってくる兵士達は、着ていないからねえ」
面倒くさそうにだけ、こたえた。
「服などどうでもよい」
吐き捨てるように言ったサラに、男はまた肩をすくめて見せた。
「君には、情緒というものがないのかね?この服というものを脱がしたときの人間の恥じらい。さらに言うとだ。服などを着なければ、生活できない人間の弱さを」
「生憎…我等魔神に、恥じらいなどないわ」
ギロリと横目で、男を睨むサラ。
「まったく…君ってやつは…。あるなしではないのだよ」
男はため息をつき、
「弱き人間を、殺すのも飽きてきたからさ。ほんの少しでも、趣向を凝らさないといけないのさ」
「…」
さらは無言で、男を睨み続ける。
「君達…雷風の魔神とは違い。私のような炎の魔神は、触れるだけで、人間は消滅するからねえ〜。つまらないのだよ」
「フン」
サラは男に向かって、再び鼻を鳴らした後、にやりと笑った。
「やはり…貴様は、下衆だな」
その言葉に、男の雰囲気が変わった。
「今の言葉…。私を愚弄したでよろいしいかな?」
「好きに取れ」
サラの雰囲気も変わった。
一瞬で、臨戦態勢に入った2人。
「やめておけ」
地下室から延びる階段の中段に立ち、2人を見下ろす初老の男が一喝した。
「カイオウ…」
サラは階段を見上げ、水の騎士団長の1人…カイオウに目を細めた。
「騎士団同士の戦いは、ご法度のはず!それに、ここは魔王の城ぞ!争いは、控えよ!」
階段をゆっくりと下りてくるカイオウを見て、男は肩をすくめた。
「別に〜私から仕掛けた訳ではないけどさ」
「不動!」
カイオウは階段を下りきると、サラの前に立つ男を睨み付けた。
「ケッ!」
男の正体は、炎の騎士団長不動。 彼の感情を表すように全身を形成する炎が揺らめいた。
「別に、こんなつまらん女と話してる暇はないんだよ。失礼する」
不動は、地下室の扉を開けると、中に消えた。
彼の苛立ちを表すかのように、扉の取っ手が赤く熱を保っていた。
「フン!」
サラはまた鼻を鳴らすと、カイオウの横を通り過ぎた。
「サラよ」
階段を上がるサラに、カイオウは声をかけた。しかし、足を止めることはなかった。
「まったく…」
カイオウは軽くため息をつくと、扉の中に入ろうと、まだ熱い取っ手を握り締めた。
肉が焼ける音がしたが、すぐに取っ手はもとの温度に戻った。
しかし――。
「フゥ〜」
カイオウは息を吐くと、取っ手から手を離し…開けることを止めた。
気分が乗らなくなったのだ。
(同じ騎士団長だ…。いずれ会う)
カイオウは扉に背を向けると、階段に向かって歩き出した。
一方…階段を上りきったサラが再び、複雑な回廊を歩きだした。すると、前から3メートル巨体を揺らしながら近付いてくる魔神に気付いた。
「おっ!ここにいたのか」
サラを見つけると、ぱっと顔が明るくなった魔神の名は、ギラ。サラと同じ空の騎士団長である。
「フン」
サラは顔を下に向けると、
「お前も…炎の女を見に行くのか?」
「炎の女?」
サラに言われて、ギラは首を捻った。
少し考えてから、ああと頷いた。
「あの女神の出来損ないか」
「出来損ない?」
サラは顔をあげると、ギラを睨んだ。
「ち、違うのか」
思わず怯むギラに、サラはまた顔を逸らすと、
「仮にも騎士団長だ。その強さは、我等と同等!それに、同士を出来損ないとは呼びたくないものだな」
ギラの横を通り過ぎた。
「す、すまない…。言い方が、まずかった。訂正する」
ギラは振り向くと、そのまま…サラの後ろをついて歩く。
「だったら…女神の力はどうした?2つに別けたのだろ?もう1人…騎士団長ができてもおかしくないだろ」
サラの背中に向けてのギラの言葉に、
「無駄だ」
サラは、一言だけ告げた。
「ど、どういう意味だ?」
ギラは声を荒げた。
サラは唇を噛み締めると、前方の闇を凝視し、
「心がなかったのだ」
少しだけ歩く速度を緩めた。
ぶつかりそうになったギラは、サラを避けると前に出た。
「心?」
ギラは振り返り、サラの顔を見た。
「そうだ。だから、妹の方には期待するな」
サラはギラと目を合わせずに、再び歩く速度を上げると追い越した。
「サラ…」
ギラは仕方なく…距離を開けて後ろを歩くことにした。
「新しい魔神か…」
階段を上がりきったカイオウは、離れて行く2人の背中を見送っていた。
結果…新しい女神は生まれなかった。
「仕方あるまい」
そう呟いた時、真横から凄まじい魔力を感じ、カイオウは反射的に跪いた。
「あたしの新しい家来は、この下か?」
唐突に廊下に現れたのは、炎の女神ネーナだった。
「は!」
カイオウが頭を下げると、ネーナは階段を飛び降りた。
と同時に、地下室の扉がふっ飛ぶと、ネーナは中に入っていった。
「無粋な子」
「!?」
今度はまったく気配を感じさせずに、水の女神マリーが目の前に現れた。
驚くカイオウに微笑むと、ゆっくり階段を下りて行った。
その様子を見つめながら、カイオウは全身に冷や汗が流れるのを感じていた。
2人の女神…。
彼女達がいれば、もう何もいらないのではないのか。
カイオウは、感じた戦慄に…唾とともにを飲み込んだ。