第257話 傷口
「ど、どちらにいかれておりましたか?」
魔界の中央…実世界でいうところの北京辺りに、ライの居城はあった。
有史以前から、魔王の城であり…先代の王レイを追い出し、ライが自らの物にした。
ライは、ほとんど城にはいない。それに、愛着もないのか…レイとの戦いで、傷んだ城の修繕も行われていなかった。
「少し外の空気を吸いにいっただけだ」
殺風景な玉座の間には、装飾品類がまったくない。戦いで、風穴が空いた壁もそのままにしている為、外からの風が吹き抜けになっていた。
ブルーワールドにある大陸の5分の1を締める魔界。それを牛耳る王の城にしては、風格がないように思えるが、必ずしもそうではない。
ライが玉座に座った瞬間、城の雰囲気は一転した。
彼が纏うオーラが、城全体を包み、見るものに恐怖と絶望を与える。
魔王がいる城。
それはまさに…ライがいれば、どんな建物でも難攻不落の城に変わるということを意味していた。
肘掛けに頬杖をついたライの前に立っている蛙男は、唾を飲み込んだ。玉座から放射状に広がったライの気が、足下を通り過ぎたからだ。
蛙男は口をパクパクさせて、緊張を解くと、ライに向って口を開いた。
「と、隣にいる女は!な、なんですか!」
すぐには、緊張が解けなかったようだ。
ライは大きく欠伸をした。
「人間だが?」
玉座の横で床に腰を下ろし、キョロキョロと怯えながら辺りを見回すアスカを見て、蛙男は目を丸くし、
「に、人間ですと!」
思わず声を荒げた。
ライはまた、欠伸をした。
「人間を王の間に入れたのですか!?こ、この城ができてから、一度たりとも!人間が足を踏み入れていない聖域に!に、人間の…お、女をい、いれるなんて!こ、こ、こんなことがあ!」
蛙男は頭を抱え、
「ライ様の側近として…わ、わたくしは!歴代の王様方に会わす顔がございません!」
その場で崩れ落ちると、大声で泣き出した。
その泣き声に、アスカは驚き、ピクッと身体を震わせた。
「大袈裟な…」
ライは頭をかくと、玉座から立ち上がり、蛙男を見下ろした。
そして、フンと鼻を鳴らすと、
「過去の魔王など…もし、蘇ったとしても!畏れることはない」
拳を突き出した。
「皆殺しにしてくれるわ!」
その拳圧に押され、蛙男は尻餅をついた。
歴代の魔王から、代が変わるということは…力で捩じ伏せたことを意味した。
基本的に不死であるバンパイアが、死ぬことはない。力が衰えることも、ほぼない。
それなのに、新たな魔王が生まれる意味は……。
簡単である。さらに力あるものが、魔王を倒し、新しい王になったのだ。
そういう意味では、ライの実力は…歴代の魔王の中でも、最強を誇っていた。
魔王が変わる。
そのことは、人間にとっては、最悪を意味した。
尻餅をついたまま、呆気にとられている蛙男に、ライは言った。
「ゲルよ…。この女は、普通の人間ではない。人神と呼ばれ…人間どもに、敬われていた特別な存在だ」
「人…神?」
蛙男は、まだ怯えているアスカに顔を向けた。
「人が、神と崇める存在が、いかほどのものが観察してやろうと…思っただけだ」
ライは、玉座に座り直した。
「そ、そうでしたか〜」
蛙男は、立ち上がると、ほっとまた胸を撫で下ろし、
「わたくしは…もしかしましたら…ライ様が、先代のように、人間にお子様を産ませるおつもりかと…。そうなれば……!!」
そこまで言って、蛙男は慌てて口を塞いだ。
言葉を続けていれば、蛙男は消滅させられていただろう。
続けようとした言葉とは…。
そうなれば、魔王の血がさらに、薄まると…。
「フッ」
しかし、そんな蛙男を見つめながら、ライは笑った。
玉座から自分を見る目の優しさに、蛙男は戦慄を覚えた。
「し、失礼します!」
慌てて頭を下げると、玉座の間から退室した。
「あなたは…」
蛙男が去った後、沈黙が支配する玉座の間に、アスカの呟くようなかすれた声が響いた。
「本当に…魔王なのですね」
この声は、ライには向いていなかった。自らのいる場所を確認するように、己に向けた言葉でもあった。
「…」
ライはしばし、無言であった。
「…」
アスカも口をつむんだ。
そんな時間が、どれくらい過ぎただろうか。
ライはおもむろに、口を開いた。
「人神よ。お前の存在意義は何だ?」
「存在意義…?」
アスカは、ライの方に顔を向けた。
「そうだ」
ライは、誰もいない前方を睨み、
「大した力もないというのに、神を名乗る。それに、何の意味がある?」
「私は…」
アスカはライの問いかけに、素直に真っ直ぐに悩み…考えた。
そこから導いた言葉もまた、素直だった。
「わかりません」
「わからない?神と名乗っておきながらか?」
ライは、眉間に皺を寄せた。
「私は…」
アスカは、本当にわからなかった。何もかもが…。
だからこそ、彼女は訊いてしまった。
「神とは何ですか?」
「…」
ライは横目で、アスカを見た。
「私は、人々の象徴としか聞かされていません。あとは、血の繋がりが大切だと…」
「人間だな…」
ライは、鼻で笑った。
「下らん…」
そして、そばにいるアスカに、顔を向けた。
「下らない存在だ」
ライの目が、赤く光る。
城まで連れて来たが、もう用はなくなった。
(神とは…何だ?)
その質問をしたかったのは、己自身だからだ。
恐らく…この世界最強の力を持つ自分が、もっとも神と呼べるべき存在であろう。
しかし、神とは…一体何なのであろうか。
力だけが、すべてなのだろうか。
もし…全力の力を発揮したならば、この星を破壊することも可能であろう。
しかし、その瞬間…ライは住む場所を失う。
だとすれば…すべての生物を生かす…この惑星こそが、神ではないのか。
そんなことを考えながら…ライは、アスカを殺すことを決めた。
王宮も破壊した。彼女に、戻るべき場所はない。
それにだ。
アスカの肉体は、貧弱過ぎた。
純白のドレスで着飾り、誤魔化しているが、野に出て生きていくのは、到底無理だった。
神として、祀るだけならいいだろうが…。
(できるだけ…痛みを感じさせずに…)
一瞬で、殺してやろう。
ライがそう決めた時、玉座の間に、誰かが入っていた。
「失礼します」
玉座の間に入るとすぐに、跪いたのは…魔神サラであった。 赤い髪に、二本の角を持つ魔神は、ゆっくりと顔を上げた。
「何だ?」
玉座に座り直したライの目が、もとに戻った。
「は!」
サラはもう一度、頭を下げた。視界の隅にアスカが映ったが、気にせずに…言葉を続けた。
「新たなる女神が、目覚めた模様です」
「そうか…」
ライは、頷いた。
「…」
サラを見て、目を丸くしているアスカを尻目に、ライはサラに命じた。
「連れてこい」
ライは、魔王の部隊を三つに大きく分けるつもりでいる。
空、海、陸地である。
海と陸地を担当する部隊である騎士団は、編成が終わりつつあった。
空だけが、未だになかった。
いや、あることはあった。
それは、魔王であるライの直属部隊を意味していた。
いつまでも、自分が率いている場合ではない。
ライは、空の女神を生み出そうとしていた。
「な」
しかし、目の前に姿を見せたのは…炎を身に纏った女神だった。
「な、なぜ…炎の属性の女神が生まれた!?」
「そ、それは…」
唖然とするライに、サラは顔を逸らした。 しかし、それを悟られないように、頭は床につくほどに、深々と下げていた。
サラには、わかっていたのだ。そういう反応になることが。
なぜならば、現れた女神は似ていたのだ。
ライの…空牙の母親に。
「クッ!」
ライは、唇を噛み締めた。新たな女神を創造する時に、どこかで母親をイメージしたのかもしれなかった。
死ぬことができない呪いをかけられ、自分を殺すことのできる存在を探す為に、異世界をさ迷っていた母親を。
結果…空牙が、母親を殺すことになった。
自分を産んだ後、自分を生かす為に…呪いをかけられた母親を、空牙は殺した。
それが、母親の願いだったからだ。
新しい女神を創る時…母親に生きる自由を与えたかったという…後悔の念を持っていたことは確かだった。
(似すぎだ)
ライは拳を握り締めた。
「クッ!」
顔をしかめると、虚ろな目をした女神に、手を突きだした。
すると、女神の全身が繭のようなものに包まれた。
「もう一度、創り直す!連れていけ」
「は!」
サラは立ち上がり、繭を掴むと、玉座の間をあとにした。
「クソ!」
右手で頭を押さえ、玉座に座ったライの左手に…アスカの手が重なった。
「何をしている?」
ライは右手を下ろすと、アスカを見た。
「わ、わかりません」
アスカは慌てて…手を離した。
自分の行動に、狼狽えながら、アスカは言った。
「ただ…あなたが、辛そうだったから…」
「何!?」
それは、アスカの優しさだった。
しかし、その時のライには、自分を見つめるアスカの目が、憐れんでいるように見えた。
「貴様!我を愚弄するか!」
母親のこと…それが、ライの心に大きな傷をつけていた。
その傷こそが…圧倒的な神と同等の力を持つ自分のトラウマになっていることに、ライは気付かないようにしていた。
それなのに、創った女神が余りにも似ていた為、ライは…嫌が追うにも、このことを見せつけられてしまった。
玉座の間に、鮮血が舞った。
横一文字に目を、指先で斬られたアスカは…完全に視力を失った。
目から血を流しながら、床に崩れ落ちるアスカよりも、ライは……先程の女神が立っていた空間を見ながら、歯を食いしばっていた。