第255話 空牙
「ここが…あなた様の部屋となります」
ついこの間まで、人神として弟が住んでいた部屋。
黄金でできた部屋もまた、外観同様に悪趣味である。
アスカは、部屋を見回した。
「どうですかな?」
後ろに立つゲイル・アートウッドの言葉に、アスカはええと頷き返すだけだった。
アスカには、ほとんど視力がなかった。
薄暗い部屋に、ずっと閉じ込められていた為に、目が退化していたのだ。
彼女はあくまでも、弟の補充要員であり、彼の跡継ぎが生まれ育つまでの保険であった。
人神で一番大切なのは、血の繋がりであった。
誰にでもなれない。
それが、人神を特別な存在にしていた。
だからこそ、彼女のような存在がいるのだ。
アスカは、うっすらとしか見えない目で、部屋中を見回した。
それは、内装や調度品を確かめる為ではなく、弟の残り香を探していた。
彼女は弟と、ほぼ面識がない。
ただいつも…自分の上にいる。それだけが、わかっている存在だった。
人神として、自分よりは幸せな暮らしをしていることだろう。
それを羨ましく思っていたのではなく、ただそのことで安心できたのだ。
自らの唯一の家族が、幸せにいること…それが、彼女の願いだった。
だから…できることならば、世継ぎをつくり、寿命がつけるまで、元気なままで亡くなってほしかった。
その結果、自分が処分されても…アスカは恨むことなどなかった。
それなのに…。
アスカは、睫毛を伏せた。
「いかがなされた?」
ゲイルの言葉に、アスカは首を横に振ると、笑顔を浮かべた。
――笑顔。
アスカになぜ…笑顔ができたのは、彼女にはわからなかった。
赤ん坊が、笑顔をつくるのは、自分を見て笑う母親の顔などを真似ていると言われている。
――母親。
その記憶も、アスカにはなかった。
ただ一つだけ、理解していることがあった。
母親もまた…地下にいたのだ。
「これから…あなた様が、民衆に姿を見せる為の部屋を案内致しましょう。まあ…年に二回程しか使いませんが…」
ゲイルに案内されて向かった部屋は、あまりにも仰々しかった。
式神を使い、映像に映るところまでを重点的につくられた…まるで、映画のセットのような部屋。
「さあ〜!あちらにお座り下さい」
ゲイルが、アスカを促した。
真ん中にある、純白の真珠のような玉座。
神は、あんなものに座るのだろうか。
部屋の床よりも、数段高く設置された…その玉座こそが、傲慢ではないのか。
そうアスカが、思った訳ではない。
ただ…彼女は、自分がさらに閉じ込められているように思っただけだ。
(あの子も…幸せではなかったのですね)
光と闇という違いはあった。だけど、光の下で照らされていながら、人々の目に晒されることの方が、苦痛であったのではないだろうか。
「どうなさいました?」
「え…」
玉座に座ったアスカの目から、一筋の涙が流れた。
「それほど、嬉しいですか」
涙を見て、満足げに頷くゲイル。
「そ、そうでは…」
アスカは無意識に流れた涙に驚きながらも指で拭い、初めて否定の言葉を口にしょうとした。
その時、彼は来た。
アスカの目の前に…。
「お前が…神か?」
完璧だと思われた元老院を覆う結界をいとも簡単に突破し、王宮の外からアスカのいる部屋まで一瞬で穴を開け…彼は、現れた。
「何者だ!」
ゲイルと2人の神官は振り返り、自ら空けた穴を歩いてくる男を睨んだ。
「ああ…」
アスカは、穴が空いたことよりも…そこから見える外の薄暗さに驚いていた。
(外も…明るくないのね)
逆光の形になった為、近付いてくる男の表情はわからなかった。
「何者だ!」
神官の1人が、杖を手にし、
「一般人に…ここまでの魔力を扱えるはずがない!何をした!」
近付いてくる男に向けた。
「禁呪でも使ったか!」
もう1人の神官は、白装束の中から、剣を取り出した。
「一般人か…」
部屋に足を踏み入れた男は、笑った。
そして、アスカを見て…こう言った。
「お前も、そう見えるか?」
「え?」
アスカは、男を見下ろした。
黒い衣服を着た男は腕を組むと、アスカを見上げた。
2人の目があった。
「き、貴様!」
杖や剣を向け、威嚇している神官達を無視するように立つ男に、プライドを傷付けられたと思った2人は、躊躇うことなく攻撃に転じた。
「ま、待て!」
男が入って来てから、まったく言葉を発していなかったゲイルは、慌てて2人を止めようとした。
次の瞬間、2人の神官は互いの攻撃で死んでいた。
黄金の床に、赤い血が流れた。
「ば、馬鹿な…」
ゲイルは震撼した。
男は、何もしていない。
ただ真っ直ぐに、アスカを見上げていた。
「さあ!答えよ!人神よ!」
男の射抜くような視線も、本当ならば…息が詰まるプレッシャーも、アスカにも効かなかった。
というよりも、アスカは男の質問に答える為に、真剣に考えていたのだ。
その集中力が、男のプレッシャーを感じなくさせていた。
「あ、あたしは…一般人とか…人の種類は、わかりません。男と…女…くらいしか…。あまり、人にあったことがありませんので…」
アスカの答えに、男は眉を寄せた。
「それはつまり…人に違いはなく、平等だというのか?」
「平等?それは…何ですか?」
「何?」
アスカとのやり取りで、男は悟った。
「貴様…。こいつは、本当に人神なのか?」
神官達の死体を見下ろし、わなわなと震えていたゲイルに、男は訊いた。
だが、答えないゲイルに、男は顔を向けた。
「質問に答えろ!」
男の目が赤く輝き、ゲイルを睨んだ。
その瞬間、ゲイルの体が少しだけ…はね上がった。そして、本人の意思とは関係ないし、唇が動き…言葉を発した。
「はい」
「フン!」
男は鼻を鳴らすと、アスカに目をやった。
「傀儡か…」
そして、アスカに向けて…手を差し出した。
それを見て、ゲイルは我に返り、
「や、やめろ!彼女を殺したら、血筋が途絶える!」
大声で叫んだ。
アスカに手を向けながら、男はじっと…彼女の目を見つめていた。
「や、やめろ!」
ゲイルは、神官が持っていた杖を拾い上げると、男に向けた。
杖の先が輝き、雷撃が放たれた。
「きゃ」
ここで初めて、アスカは悲鳴を上げた。
杖から放たれた電気の放電が、まるで意思を持っているかのように、空間に蠢いたからだ。
「フッ」
男は、口元を緩めた。
放たれた雷撃はすべて、男に当たった。
しかし、男は微動だにせず、杖を向けたまま…愕然とするゲイルをちらりとだけ見た。
「一番無意味な…攻撃を」
そう呟くと、男は足元を見た。
「成る程…妖精達をこの下に、閉じ込めているのか。だから、魔力を使えるのか」
「き、貴様は…な、何者だ!」
ゲイルは、まったくダメージを受けていない男を見て、恐怖から杖を落とした。
「ヒイィ!」
ゲイルは悲鳴を上げ、尻餅をついた。
「長老!何事ですか!」
その時、穴の向こうから、声がした。
王宮に穴が空いたことに気づいた元老院の守備隊が、魔力で空を飛び、その穴から次々に突入してきた。
各々の手には、銃が装備されていた。
「人神よ」
男は、守備隊を無視して、再びアスカに目をやった。
「感情薄き…人形よ。お前に問う」
男の後ろでは、部屋に入ってきた守備隊の銃口が、一斉に向けられていた。
「何を知ってる?」
「え…」
「撃って!」
部屋にまで入ってきた守備隊の数は、12人。
「人神には、当てるな!」
司令官と思わしい隊員に保護されたゲイルが、叫んだ。
12人の引き金が、同時に弾かれた。
「痛みか?」
銃弾は、すべて男の背中に命中した。
「苦しみか?」
それでも、男の表情は変わらない。
「それとも…」
「わかりません」
アスカは、口を開いた。
「あたしは…知りません」
ただ…知ってるのは、暗闇の寂しさだけ。
でも、それにも慣れた。
「何を知っている?」
男はさらに訊いた。
「あたしは…」
何も知らないといいかけて、アスカははっとした。
先程…涙を知った。
「む、無傷です!」
銃弾を放った隊員達は、唖然とした。
「じ、実弾ではなく!魔法弾を装填しろ!」
戸惑う隊員達に、司令官が命じた。
「や、やつには、雷撃は効かん!他の属性にしろ!」
ゲイルの言葉に、司令官は頷き、
「炎の魔弾を装填!」
「は!」
隊員達は、実弾を抜き、炎の式神でできた弾を込めた。
そんな混乱の中でも、アスカには男しかいないように思えていた。
玉座から身を乗りだし、
「な、涙を…知っています」
「その意味は?」
間髪を入れずに訊いた男に、アスカは何も言えなかった。
「フッ…」
男は、笑った。
「う、撃って!」
炎の弾丸が発射され、全弾命中した。
「わかった」
男は頷くと、アスカから目を離した。
「俺が、教えてやろう」
再び赤く染まった男の目が、振り返り…隊員達に向けられた瞬間、彼らの頭が風船のように割れた。
血が飛び散り、首からは噴き出した。
黄金の部屋が、赤一色に変わった。
「これが死だ!これが、血だ!そして…」
男の目が、穴に逃げ込んだゲイルを映し出した。
「あれが、恐怖…絶望だ」
「か、かかれ!」
部屋に入れなかった隊員達が、今度は銃ではなく、真剣を抜いた。突きの形で、男に向かって突進した。
「ヒイィ!」
ゲイルはずっと悲鳴を上げながら、穴から飛び出すと、魔力を使い、地上に着地した。
恐怖から、ふわりと地面に足がついたのに…膝が折れ、王宮の入口の前で転けた。
「ヒイィ!ヒイィ!」
慌てて立ち上がり、王宮を囲む砂の上を渡る為に、橋を召喚しょうしとした。
しかし、橋はかからなかった。
その代わり…砂の中から、黒い闇が染みだしてきた。
「貴様の体…貰うぞ」
闇は、ゲイルの前に立つと…にやりと笑った。
数秒後、アスカの前に転がる死体の山。
「ど、どうして…こんなことを…」
玉座に座り、わなわなと震え出すアスカに、男は笑みを向けた。
「それが…恐怖。そして、疑問だ」
男はジャンプすると、アスカの前に着地し、顔を近付けた。
「お前に…いろいろ教えてやろう。神を名乗る愚かなお前に…」
にやりと男が笑った…次の瞬間、アスカは空中にいた。男に抱かれながら。
足下で、王宮が音を立てて…崩れ出した。
「外…」
アスカの呟きを聞いて、男は面白いと思った。
自分がいた…場所が崩れるシーンよりも、外に出れたことを驚いているアスカを、面白いと思った。
「人神」
男は訊いた。
「お前の名は?」
耳元でした男の声に、アスカははっとして、
「ア、アスカ…シャーウッドです」
「アスカよ」
男は左手でアスカを抱きながら、右手を前に突きだした。
「貴様に教えてやろう!今度は、滅びだ」
右手が電気を帯びて、スパークした。
「人に…安全な場所などない!」
右手がさらに輝いた次の瞬間、元老院の建物はすべて消滅した。
そこに、住むエリートと呼ばれる人々といっしょに。
「人がこの世界で生きたくば、もがけ!それだけが、貴様らに与えられた…生きていれる資格だ」
結界も消え、瓦礫すらも残らなかった。
ただ一面の砂に、返った。
自然に任せていれば…数百年はかかる変化を、瞬きの間で目にしたアスカは、自分を抱いている男に訊いた。
「あなたは…本当の神様なのですか?」
「フン」
男は、鼻を鳴らし、
「神ではない。我は、王だ」
「王?」
「人間は、こう呼ぶ。魔王とな」
「魔王…」
「魔王ライとな」
ライとともに、さらに空へと上がっていくアスカは、ライの顔を見た。
「それが、あなたの名前なのですか?」
その質問に、ライは驚いた。なぜならば、それ以上訊いてくる者はいなかったからだ。
ライは笑い、
「正確には…雷空牙だ」
「ライ…クウガ」
アスカとライ…。彼等の出会いが、新しい時代の幕開けを告げる導火線となった。
しかし、その導火線に火が点くことは…まだ少し先のことになる。
それは、運命の二人が出会う瞬間。
火花を散らす戦火の中で、運命が相まみえる…その日まで。