第254話 剣士
魔界西部…アルプス山脈の渓谷にある万年雪が、数百年ぶりに、水へ戻り…水蒸気に気化していた。
まるで、温泉のように立ち上る湯気よりも、高く激しく天に放射されたのは、雷鳴。
その中で、断末魔が渓谷を響かせていた。
「うぎゃあああ!」
万年雪の下に敷き詰められていた分厚い氷にヒビが入り、溶けると…やがて、渓谷に川ができた。
凄まじい地鳴りが、断末魔をかき消した。
下に向かって流れてく川。その流れに乗って、無数の巨大な氷の欠片が渓谷の岩肌を削りながら、落ちていく。
「自惚れるなよ!人間の女!」
一番巨大な欠片の上で、剣に串刺しにされている魔物が、吠えた。
「我等を圧倒する、その力は!貴様の力ではない!」
魔物は、胸を貫いている剣を握り締め、それを持つ女を睨み付けた。
「この剣の力だとな!」
「わかっている!」
雷鳴を放っているのは、女が持つ剣だった。
「自惚れているつもりはない」
女が力を込めると、さらに雷鳴が轟き、魔物を塵にした。
と同時に、女の足場だった氷の欠片も砕け散った。
このままでは、激しい濁流にその身がのまれてしまう。
しかし、女は冷静だった。
剣の柄を離すと、砕け落ちていく欠片を蹴り、空中へと飛びあがった。
すると、下から、回転する二つの物体が飛んで来て、女の足元で一つになった。
一つになっても回転し続ける物体の中心に爪先を立て立てて、女は着地すると、周りを確認した。
「まずいわ。水の勢いが強過ぎる。このままでは、十字軍の施設をのみ込んでしまう」
渓谷の先には、いわゆる世界に3つある魔界の出入り口がある。
旧人類がその存亡をかけて、魔界の周囲に張った巨大な結界の綻び。
朝鮮大陸の38度線、ヒマラヤ山脈、そして…ここアルプス山脈であった。
特に、アルプス山脈の綻びは、元老院の本部が一番近い為、その間に十字軍の本拠地が置かれていたのだ。
といっても、本拠地は綻びからは、数百キロ離れていた。すぐそばにあるのは、監視部隊の本陣である。
しかし…本陣の後ろには、町があった。
「渓谷を抜けたら、アウトだわ」
女は目を瞑ると、周囲の地形を頭に思い描き、対策を練る。
「渓谷を抜けて、左手!数キロ向こうに川がある」
かっと目を見開くと、
「時間がない!」
女はどこからか、黒いカードを取り出した。
「発動するか!」
女は、カードの表面に並ぶ文字キーに指を這わした。
すると、女の姿が消えた。
数百キロ先の何もない空中に、突然現れた。
「よしとするか!」
女は落下しながら、手を前に伸ばした。
「来い!」
すると、前方から、先ほどの回転する物体が高速で飛んできた。
女のそばで、また2つに分裂すると、女は両手でそれを掴んだ。 それらを胸元で、十字にクロスさせると…剣になった。
「うおおおっ!」
雄叫びを上げると、女は落下しながら、剣を振り上げた。
目の前では、濁流と化した水の流れが、巨大な壁のようになり、女に迫る。
万事休すかと思った次の瞬間、女は剣を渓谷の出口に向かって、振り切った。
三百メートルは高さがある岩肌が、雷鳴によって切り裂かれ、崩れ落ちた。
崩れた岩肌は、濁流を防ぐ壁となった。
水と岩がぶつかり、激しい水しぶきが山脈の麓に飛びまくる。
「まだ!」
女は振り切ると同時に、ブラックカードを使い、後方へとテレポートした。
「やはり、距離が出ないか」
崩れ落ちた岩肌のすぐ後ろに、着地した女は舌打ちした。
落ちた衝撃で砂ぼこりが辺り一面に立ち込め、さらに天から水しぶきが降ってきた。
「このままでは、もたない!」
渓谷から流れてくる水の量は、まだ止まることがない。
数分後には岩を押し退けて、十字軍の本陣や町に襲いかかる。今度は、岩を引き連れて。
女は剣を握り返すと、一度深呼吸をした後、何も見えない前方を睨んだ。
そして――。
「モード・チェンジ!」
腹の底から、声を吐き出した。
女の姿が変わる。
筋肉が盛り上がり、剣を握る力が増す。
「唸れ!ライトニングソードよ!」
天に突き上げると、突然天に雷雲ができ…雷鳴が剣に落ちた。
「うおおおっ!」
そして、雷鳴を纏ったまま、女は走りだした右手に向かって。
剣先を下に向けて、走る女。
雷鳴は、地面を抉る。
「いけえ!」
そのまま、前に振り切ると、雷撃は地面を抉りながら川まで、飛んでいった。
「は!は!は!」
それを何度も繰り返すと、地面に水路ができた。
「は!は!は!」
水路の向こう側に飛ぶと、同じことをもう一度やって、水路の幅を広げた。
そして、最後に、渓谷の出口を塞いでいる岩や土石の水路側の横手を、雷撃で破壊した。
渓谷いっぱいに貯まっていた水が、行き場を貰い、一気に噴き出した。
最後に一振り、水路を抉ると、女は迫り来る水を見つめながら、再び叫んだ。
「モード・チェンジ!」
再び女の姿が変わった。
筋肉は縮んだが、瞬発力が増した。
女は濁流から逃れ、安全な場所まで移動した。
水の流れを見つめながら、剣を地面に突き刺して休む女は、一応ブラックカードを確認した。
「残高…ゼロか。魔力の補助の仕方を考えないといけないわね」
激しく肩で息をしていると、後ろから十字軍の兵士達が走ってきた。そばには、軍事訓練された妖精達が飛んでいた。
妖精達と契約することで、彼らは魔法を使うのだ。
岩場を崩し、土を抉っただけの水路を補強し、きちんとしたものに作り上げていく。
「あとは…専門家に任せましょう」
女が剣を抜くと、再び分裂し、回転しながら、どこかに消えていった。
振り向くと、明らかに一般の兵士とは階級が違う軍人が立っていた。
白い軍服の真ん中に赤の十字架が、異様に目立っていた。
軍人は女に敬礼し、
「ティアナ・アートウッド様とお見受け致しますが!」
「ええ…そうです」
ティアナも敬礼した。
「炎の騎士団の一軍が、こちらに向かっていると情報がございましたが…」
軍人の言葉に、ティアナは肩をすくめ、
「それなら…倒したわ。だけど、その後が大変だった」
後ろをちらっと見ると、
「あとは、宜しくね。軍人さん」
微笑みながら、軍人の横を通り過ぎた。
「は!ご苦労様で、ございました」
再び、最敬礼する軍人達。
ティアナは、戦いの間束ねていた髪をほどいた。
ブロンドの髪が、背中まで落ちる。
それだけで、屈強な戦士から…貴婦人へと雰囲気が変わる。
まだ…十代なのに、その物腰に隙はなかった。
「あれが…ブロンドの勇者様か」
十字軍本陣から、少し離れた場所で張られたテントの群れ。
それは、名を上げようとする傭兵達の巣であった。
その中の一つから出ていた褐色の肌をした男が、歩くティアナを目で追っていた。
「それにしても…人間の力で、とっさに川を作れるかね?」
男は、顎に手をやって擦りながら、
「化け物だな…あれは」
目を細めた。
「だけど…」
接近してくるティアナは、本陣に寄ることなく、テントとの間を通り、その先にある町を目指していた。
男の目は、ティアナをずっと追っていた。
その視線に気付き、ティアナは目だけで男を見たが、別に気にも止めなかった。
男の近くを通り過ぎたティアナの後ろ姿を、男は真後ろまで駆け寄って眺めた。
「美しい…」
感嘆のため息を共に今度は、ティアナの素晴らしいプロポーションに見とれてしまった。