第240話 壊思
「まったく!あたしは、た・だ・の!女子高生でいたいだけなのにい〜!」
学校からの帰宅途中、竜田桃子は、二車線はある橋の真ん中で立ち止まり、地団駄を踏んでいた。
「こんなものがあるからよ」
茶色の学生鞄から取り出したのは、ピンクの乙女ケース。
ぎゅっと握り締めると、橋の下を流れる川に投げ捨てようとした。
その時、突然…橋が揺れた。
「え!」
明菜はバランスを崩し、思わず橋の上で尻餅をついた。
その揺れは一瞬だったが、橋の上にいた桃子には、恐怖でしかない。
凄まじい衝撃は、橋の上を通る車にも影響を与え、何台か追突事故を起こしていた。
その惨劇を見て、桃子は考えを改めた。
「よ、世の中…物騒よね」
乙女ソルジャーの力を、防犯の為に残しておこうと…乙女ケースを鞄に戻した。
そんな橋の下では、1つの戦いが終わっていた。
アルテミアの女神の一撃を喰らう数分前…人ならざる者である木岐が、確信の気持ちを声に出していた。
「私は、確かめなければならなかった…。女神の真実を!そして、今…確信した!天空の女神は、この世界では…長時間動けない!」
歓喜の声を上げた木岐は、その数秒…この世から消えた。
その戦いの場に導いた今井友美は、おもむろに携帯をとり、電話をかけた。
「間違いありません…」
友美は、アルテミアと絶叫する声を聞きながら、頷いた。
「天空の女神は…この世界では、本来の力を発揮できません」
薄汚れた空気の中で、息をする人間達。
帰り道を急ぐ人波は、同じ方向へ進んでいくが…魚のように統一感はない。
ただ…無意識に委ねる程…人間は気楽ではないのだ。
どこかで…何かを気にしている。
そんな群れを壊すことは簡単だった。
ほんの少しの雨が振るだけで…人々は散り散りになった。
そう…ほんの少しの雨。
涙もそうだろ。
思い切り流した涙よりも、一筋の涙の方が重いときがある。
傘を差す程でもない。
そんな少しの雨が降る日。
僕は、あの娘にあった。
「赤星君?」
あの頃と変わらない笑顔だけをつくって…。
「うん?」
最初はわからなかった。
待ち合わせの場所に来た人物のことを。
ブルーワールドに行き、実世界に戻ってくるまでの五年間は、戦いの連続だった。
救う為の日々。
そんな僕が狂わずにいれたのは、共にいるアルテミアのお陰だった。
それは、血腥い日々でもあったけど…安らぎの日々でもあった。
だから、五年前の日常の感情なんて、忘れていた。
彼女が目の前に来て、僕の名前を呼ぶまでは…。
「久しぶりね」
笑顔を向ける彼女が、メールを送ってきた人物と思わなかった。
偶然、会ったと思った。
「あなたは…」
彼女の笑顔が、過去を呼び覚ました。
僕は目を細め、
「矢崎…絵里さん?」
フルネームを口にした。
「そう正解。わたしのこと…覚えてくれていたんだ」
ぱっと満面の笑顔になる絵里。
紛いなりにも、一度好きになった女の子を…忘れることはない。
ただ…思い出さなかっただけだ。
ほとんど、話したこともなかったし。
多分…突然異世界に精神を召喚されて気を失った僕が、保健室に連れて行かれた時に、一言話しただけだ。
彼女は、保険委員だったのだ。
それくらいしか接点がなかった。
「ほんと…久しぶりだよね。五年ぶりかな?」
記憶の中の届かない花ではなく、気さくに話しかけてくる絵里に、僕は少し戸惑ってしまった。
「そ、そうだね」
「ところでさ」
絵里はまじまじと、上から下まで僕を見て、
「赤星君って、まだ学生なの」
クスッと笑った。
「あっ!こ、これは…」
バンパイアとして目覚めてからの僕は、歳を取るのが物凄く遅くなった。
見た目が変わっていないからと言って…学生服は、おかしいか。
でも、ブルーワールドでは…この格好は、僕だけのオリジナルと認識されていた。
それに、実世界でも何かと便利だった。
学生服は、僕を学生と認識させるだけでなく、個性を埋没させた。
まあ…日本だけだけど、これを着てたら、いろいろやりやすかったのだ。
「ち、ちょっとね」
僕は頭をかいた。
全然誤魔化せていないが、絵里はなぜか…それ以上つっ込まなかった。
「今まで、何してたの?」
笑顔を浮かべながら、訊いてくる絵里。
この数分で、過去の会話した時間を大幅に越えていた。
だけど、喜んでいる場合ではない。
メールを送ってきた依頼者が、もうすぐやって来る。
それに…デレデレしていたら、アルテミアに何て言われるかわからない。
ピアスから声がしないのが、逆に恐ろしい。
僕は、無意識にピアスを指で触れた。
もしかしたら、この世界に来たダメージで、話せないのかもしれない。
そう考えると、心配になってきた。
暗い顔になって、ピアスを触る僕に、絵里は口を開いた。
「立ち話もなんだし…どこか、お店に入らない?」
「え」
昔ならば、今の言葉だけで、人生の一大事であるが…そんな場合ではない。
「ご、ごめん!矢崎さん!ちょっと人と待ち合わせしていて…」
「だから…」
慌て出した僕に、絵里は自分の携帯の画面を見せた。
「あなたに、メールを送ったのは、わたしです。赤星浩一君」
僕の目をじっと見つめてから、笑みを見せる絵里の表情に、僕は息を飲んだ。
「君が…」
信じられなかった。
まさか…知り合いから、メールが来るなんて。
あまりのショックで、一瞬何も言えなくなったが、僕ははっとして、気を引き締めた。
「やつらに狙われているんだね」
動揺している場合ではない。
魔物が、彼女をつけてきたかもしれない。
周囲に気を張り巡らそうとした瞬間、
そんな僕に…絵里が言った。
「化け物は…わたし」
「!?」
今…絵里の口から出た言葉が、信じられなかった。
「わたしが…わたしに襲われているの。人間ではなくなる…感覚に」
「や、矢崎さん?」
化け物と自分に対して言った時から、微量だが…人間から感じることはあり得ない力を感じた。
それは、魔力。
「だけど…あなたも」
絵里は、僕を見つめ、
「あなたも同じなんでしょ?」
その言葉に、僕は絶句した。