第238話 裏切
「大丈夫!」
魔物達を瞬殺した理香子は眼鏡を外すと、慌てて九鬼と夏希のもとへと駆け寄った。
「大丈夫」
九鬼達も眼鏡を外すと、学生服に戻った。
「よ、よかった…」
ほっと胸を撫で下ろす理香子を見て、九鬼は微笑んだ。
「だけど、凄いよね!乙女ガーディアンの力!月の女神直属の騎士として、月影最強の力を与えられているんだよね!」
少し興奮気味な夏希が、安堵感もプラスされて、はしゃいでいた。
「そうね…」
九鬼は、自分の乙女ケースを見つめた。
乙女ブラックのレプリカとでもいうべきもの。
「どうしてじゃ?ソナタには与えたはずじゃ…。最強の力を」
「え?」
突然、頭の中に声が響いた。
九鬼は周りを見回したが、理香子と夏希しかしない。
(誰?)
九鬼は心の中で、問いかけたが…もう声はしなかった。
「九鬼!行くわよ」
いつのまにか、夏希と理香子は空き地から出ていた。
「う、うん!」
九鬼は返事をすると、歩き出した。
(最強の力…)
まったく何も身に覚えがなければ…気にもしなかっただろう。
しかし、九鬼には身に覚えがあったのだ。
(あれのことか!)
九鬼は、乙女ケースをぎゅっと握り締めた。
(あのケース!)
しかし、その力は…九鬼の手元にはなかったのだ。
「いらっしゃいませ」
今は普通の人間が辿り着くことはできない…レンガ造りの外装をした小さな茶店。
木製の分厚い扉を開けると、目の前にカウンターがあり、その向こうで笑顔のマスターがお客を出迎える。
扉の横の窓際には、テーブル席が3つあった。
店内には、カウンター席に座るお客一人しかいない。
それでも、綾子達が入ると満席になる。
「テラよ。あなたに、我等の新たなる仲間を紹介しましょう」
店内に入ると、一番先頭を歩いていた男が、サングラスを外した。そして、綾子に向って、頭を下げた。
「待って」
綾子は手で、頭を下げた男を制すると、
「先に…皆、席につけ」
周りで控えている男女達に命じた。
その言葉に頭を下げると、男女達は窓際の席に座った。
「マスター」
それを確認すると、カウンターの向こうのマスターに声をかけたが、
「女神」
頭を下げていた男が顔を上げると、カウンターに振り向き綾子の言葉を続けた。
「マスター。皆にコーヒーを」
「かしこまりました」
マスタ−は頭を下げた。
「さあ!テラよ!こちらの方へ」
カウンターの前の椅子を引こうとした男に、綾子は言った。
「山根…。その前に、さっさとすませたい」
腕を組み、カウンターに座っている学生服の女の背中を睨んだ。
山根はカウンターから、離れた。
すると、座っていた女が椅子から降りた。
振り向くと、深々と頭を下げた。
「この子は?」
綾子は、目を細めた。目の前の女は知らないが、着ている制服は知っていた。
「は!」
山根は頭を下げ、
「平城山加奈子と申す…女子高生でございます。彼女は、完全に目覚めております。それも、強力な竜の因子に」
「竜の因子?」
綾子は、頭を下げたまま動かない加奈子を見下ろした。
「加奈子君。顔をあげたまえ!そして、君のもう一つの力をお見せするのだ!」
「はい」
顔を上げた加奈子の顔に、妖しい笑みが浮かんだ。
茶髪に、緑のカラーコンタクトをつけた加奈子を、訝しげに見る綾子に向かって、腕を突きだした。
「装着!」
「あれは…」
コーヒーを入れていたマスターには、突きだした加奈子の手にあるものに見覚えがあった。
紫の光が、加奈子を包み…彼女を乙女パープルへと変身させた。
「月の女神の使徒」
マスターの呟きを、綾子は聞き逃さなかった。
変身する時の眩しさにも、目を瞑ることがなかった綾子は、加奈子の姿を見つめながら、マスターに訊いた。
「月の女神…いや、月の使徒とは、何だ?」
綾子は、月の女神に関しては知っていた。
この世界を創造した神。だが、人間の男を愛した為に、神であることを捨てた女。
「恐れながら申し上げます」
マスターは話し出した。
その間、テーブル席に座っていた千秋がカウンターに入り、コーヒーをカップに注いだ。
「月の使徒とは、我らが妖怪と言われていた頃…月の女神が、人間の為に与えた神御衣の一種を身につけた戦士のことです。別名…月影」
「月影」
眉を寄せた綾子に頷き、
「ただし…すべての人間が、なれる訳ではございません。月に選ばれた者のみとなります」
「なるほど!面白い」
綾子はにやりと笑うと、
「その力を、敵であるはずの我々の同士が手にしたとはな!」
「仕方がございません。遺伝子レベルまで潜った我々が、人間から目覚めることは、本来ならば…あり得ないこと」
マスターは、乙女パープルとなった加奈子の背中を見つめた。
「しかし!今は、あり得ないことが平然と起こる時!」
綾子は、加奈子に背を向けると、
「その力を知りたい!あたしと真剣に戦え!」
茶店から出ていこうとした。
「め、女神!」
慌てて止めようとする山根を睨み付け、
「お前は、あたしが負けると思っているのか?」
「め、滅相もご、ございません」
怯える山根を見て、綾子は口許を緩めた。
「それにだ。ああいうタイプは、教えなければならない。力の差をな」
カウンターの前に立ち、無表情を装っている加奈子は、内心ではほくそ笑んでいた。
(やつを殺して、あたしが上に立つ)
そんな加奈子の心を見透かした綾子が扉を開け、外に出た瞬間…頭上から、包丁が雨のように降ってきた。
「乙女包丁…乱れ桜」
呟くように言った加奈子は、勝利を確信した。
目を見開き、歓喜の声を上げようとした加奈子の顔は…そのまま、凍りついた。
「どうした…始めないのか?」
加奈子の方に振り返った綾子は、フッと笑った。
降り注いだ包丁は、すべて一瞬で消滅したのだ。
「クッ!」
加奈子は歯を食いしばると、綾子に向かって襲いかかった。
「それでいい」
綾子の目が赤く輝いた。
「なめるな!」
加奈子のパンチを、綾子は左手の人差し指で受け止めた。
それから、右手で加奈子の腕を掴み、片手で投げると、 茶店の前の道に叩きつけた。
アスファルトが割れ、地面が裂けただけではなく、加奈子の体を包んでいた乙女スーツも粉々になった。
「ほお〜」
綾子は関心した。
「五体バラバラにするつもりだったが…大した服だな」
そう言うと、加奈子の腕を離した。
「うがああ」
声にならない声を上げ、ひとしきり身を捩った後、加奈子は立ち上がった。
もう変身は解けていたが、別の変身が始まった。
加奈子そのものの姿が、変わる。
黒い息を吐くと、巨大化し…ドラゴンの姿になる。
「それがどうした?」
綾子は、黒いドラゴンに近付いていく。
「あたしが知りたいのは、月の力だ。それじゃない!」
綾子の瞳が、さらに輝いた。
そして、数秒後…店の前に、地にひれ伏した加奈子の頭を踏みつける綾子がいた。
「月の力…こんなものか?」
がっかりとしたような綾子の言葉に、店から出てきたマスターが口を開いた。
「恐れながら申し上げます。真の月影の力は、こんなものではありません。それに、真の人間は戦う覚悟が違います。死してもなお、立ち向かう…」
「お前の好きな大和魂というやつか?」
綾子は、マスターを見た。
「今の人間にあるとは、思えないがな」
と言い笑った後、綾子の脳裏に、微笑む少女の顔がよみがえった。
「女神テラよ」
山根も外に出てきた。
「何だ?」
綾子は少し…苛立っていた。
「は!」
山根は、綾子のそばまで来ると跪き、
「月の女神につきまして、その者から、先程面白い事実を聞きました」
「何だ?」
綾子の片眉が上がった。
「月の女神が愛する者に関してです」
にんまりと笑った山根の口からでた話に、綾子はフンと鼻を鳴らした。
「故に…」
山根の笑みは止まらない。
「月の女神は、我々には逆らえません」
「下らん…」
綾子は、山根から視線を外すと、
「その件は、お前と…こいつに任せよう」
綾子は、加奈子の頭をさらに踏みつけると、
「ところで、お前に聞きたいことがある。お前の学校の生徒会長を知っているか」
「生徒…会長…」
その言葉を聞いた瞬間、加奈子の全身に力が入った。 踏みつけている足が、頭で押し戻された。
「真弓のことか!」
首を動かし、血走った目を見せた加奈子の反応に、綾子は少し驚き、
「知り合いか」
やがて笑うと、もう一度地面に顔を押し返した。
「それは、好都合だ」
「め、女神!」
地面にめり込んでいく加奈子の頭を見て、山根が慌てて立ち上がった。
「…」
綾子が足をよけると、加奈子はピクリとも動かなくなった。
「き、貴重な戦力が!」
加奈子に駆け寄る山根の横を通り過ぎ、綾子は店へと戻る。
「そんな雑魚どもは、どうでもいい!」
綾子は店内を睨み、
「我々を見捨てた癖に、おめおめと戻ってきた!赤星浩一を殺せ!」
絶叫した。
「は!」
そんな綾子に、跪く者達。
マスターも頭を下げながら、別のことを考えていた。
(人を愛した女神…。同級生に嫉妬する女…。自らの兄を殺そうとする女神)
マスターは顔をゆっくり上げながら、
(なんと…人間臭いことか)
心の中で、これから起こることを思い…憂いた。