天空のエトランゼ 外伝〜魔獣因子編〜落日 第235話 異物
あの日。
あたしは、後悔した。
その力を創ったこと…その力を与えたことを。
すべてが、あの人の為だったのに…。
親友の拳に貫かれた…愛しき人。
中島裕。
あの雨の日。
流れた涙が、あたしの心も流してしまった。
「はい…間違いありません」
今や珍しくなりつつある公衆電話の受話器に向かって、松野彩香は話していた。
「やつらです。あたしの兄を殺した…」
兄の名は、西園寺俊弘。
「天空の女神と…赤星浩一です」
淡々とした口調で話していたが、赤星浩一の部分だけは少し憎しみが、こもっていた。
「はい…。了解しました」
彩香は受話器を置くと、そそくさとその場から離れた。
「あっ!あった!」
あまり利用者がいないはずの公衆電話。今日は、利用客が多かった。
「携帯止まってるから〜!不便よね」
彩香が使っていた公衆電話に駆け寄り、ダイヤルをプッシュした。
――プルルルルル…。
呼び出しているようだが、相手が出ない。
かけているのは、携帯電話のようで…もしかしたら、画面に出ている公衆電話の表示に、怪しさを感じて出ないのかもしれない。
「まったく!早く出ろよな。わかるだろ!友達なら、あたしからだと」
毎月、月初めは携帯が止まっていることが多い。そのことは、友達の間では有名だった。
数秒後、電話は繋がった。
「ちょっと!九鬼!さっさと出なさいよ!」
電話の向こうの怒声に、九鬼は眼鏡を外しながら、ため息をついた。
「仕方ないだろう。今、終わったところだから…」
変身が解けた九鬼の後ろに、死体となった化け物が倒れていた。
「え!また出たの!?」
驚く声に、九鬼は歩きながらこたえた。
「そうだ。多すぎる」
路地裏を出ると、まばらだが人通りが多い。
九鬼は目を細め、
「何かの前触れかもしれない」
人通りの向こう…猛スピードで通り過ぎて行く車達を見た。
「何かって何よ!」
「それは…わからない」
九鬼は人の流れに逆らって、歩きだした。
「ところで、何の用?」
九鬼は電話をかけてきた相手に、訊いた。
「あ!あのさ!明後日提出のレポートについて…」
携帯から聞こえる声が、言い難そうに口ごもる。
九鬼はフッと笑うと、
「明日、学校で見せてあげるわ」
「ありがとう!さんきゅ〜う!」
電話の声のトーンが変わった。
先程までの死闘が嘘のような…日常の会話が、九鬼にはおかしかった。
だけど、気を緩める訳にはいかない。
九鬼は人並みから外れ、足を止めると、真剣な表情になった。
「結城」
「何よ」
「気をつけて」
「大丈夫よ!あたしは、あんたと違って、進んで戦いには行きませんから」
「だけど…」
「九鬼の心配症!大丈夫だからね!」
「わかったわ」
九鬼は、これ以上言うのを止めた。
「明日!よろしく!」
最後にそう言うと、電話は切れた。
九鬼はしばらく、切れた電話の音を聞いていた。
そして、ため息とともに、空を見上げた。
街灯の明るさで、星は見えないが…月は見えた。
群青の空が、今日は濃い。
九鬼は、立ち止まることのない人通りの中で、しばし月を見上げていた。
「まったく!心配症なんだから…」
受話器を置くと、結城里奈は頭をかいた。
「ぎりぎりだったじゃあない」
小銭がなくなりかけていた。
携帯代を払えない女子高生に、余裕がある訳がなかった。
「でも、これで…何とか助かる!」
気が楽になった里奈がスキップして、公衆電話から離れると、そばを歩いていた男にぶつかった。
「すいません…」
巨大な壁にでも激突したかのように、跳ね返り…アスファルトの地面に尻餅をついた。
「…」
大丈夫の一言もない相手を、軽く睨みつけたくなった里奈は、顔を上げて絶句した。
3メートルはある巨体が、自分を見下ろしていたからだ。
しかし、その目は里奈ではなく、そのそばに落ちた眼鏡ケースに向けられていた。
「あ!」
巨人の視線から、里奈はぶつかった衝撃で、ポケットから落ちた乙女ケースに気付いた。
慌てて拾った時には、巨人はもう歩き出していた。
「どうかしたのか?」
巨人の前を歩く…屈強な体躯をした女が振り返った。
「何でもない」
巨人はただ前を見て、歩き続けた。
女の横を通り過ぎる時、呟くように言った。
「少し珍しいものを見たが、支障はない」
「そうか…」
女もそれ以上きかなかった。
道を歩く二人の姿は、異様に目立ったが、目立ち過ぎた。
人々は一瞬だけ、目をやるが…すぐに視線を外した。
見てはいけないと、人の本能が告げていた。
その反応は正しかった。
彼等の名は、ギラとサラ。
その気になれば…指先で町を消滅できたのだから。
「いくぞ」
ギラの言葉に、サラは頷いた。
「雑魚に構っている暇は、我等にはない」
実世界の人混みを歩く魔神。
その違和感さえ、世界は認めつつあった。
変革の予兆に、空気が震えていたが、町のざわめきと光が、人の感覚を鈍らしていた。
そう…人は気付かない。
己の死が、目の前に来るまでは…決して。