第232話 虚無と月
「この瞬間を待っていた!」
中西の頭を串刺しにしたピュア・ハートを握り締めながら、カレンは勝利を確信した。
浩也と別れてから遠目で、特別校舎に向かう中西の姿を確認し、悟られないように気を消して、後をつけていたのだ。
高坂達がやられている時も、ぐっと我慢して…時を待っていたのだ。
突き刺した刀身から、相手の肉や情報…能力を喰らう。それが、ピュア・ハートの特質だった。
女神を喰らうということは、その能力を手に入れたということになる。
(これで…神レベルとも戦える!)
心の中で、歓喜の声を上げたカレンに対して、串刺しになっている中西が笑った。
「喜ぶのは、早いのではないか?」
「何!?」
カレンは、片眉を上げた。
その時、空気が裂ける音がした。
「!?」
反射的に地面を蹴って、カレンは後方にジャンプした。
ピュア・ハートを、抜く暇もなかった。
いや、抜いていたら…死んでいた。
カレンの胸元に真っ直ぐ傷が走り、鮮血が噴き出した。
「え?」
カレンは混乱する頭を無視して、状況判断の為に前を見た。
振り向きざまの中西の手刀が、カレンを斬ったのだ。
「ク!」
歯を食いしばると、全身に力を込めた。
ほんの一瞬の気の緩みで、人は死ぬのだ。
この状態で、臨戦体勢を取ったカレンを見て、中西は鼻を鳴らした。
「イオナの力も借りずに、生身で…このレベル!大したものだが」
そして、後頭部に手を回すと、ピュア・ハートを抜き取った。
「俺には、通用しない!」
「な、なぜだ?」
カレンはブラックカードを取り出し、指で挟むと、魔法を発動させた。
「風よ!切り裂け!」
中西の周りの空気がざわめき、風が渦を巻くと、下から一気に筒のように全身を包む。
「無駄だ」
筒の中で、中西が両手を広げると、風は消えた。
「どうして!」
目の前で起こった事が理解できないカレンは、必死で考えた。今、何をされたのかを。
「カレン!」
戦う為に考えてしまったことが、仇となった。
九鬼の叫びで我に返ったカレンの目の前に、ピュア・ハートを持って突進してきた中西がいた。
「遅い!」
突き出されたピュア・ハートが、カレンの心臓を狙った。
「!」
一瞬の出来事で、回避行動もできない。
「カレン!」
九鬼の姿が消えた。
音速を超えて、中西の邪魔をしょうとしたが、突きの速さが上回った。
それでも、横から中西に蹴りを叩き込み、ふっ飛ばした。
しかし、中西は肩で蹴りをガードしていた。
「フッ。やりおるわ」
その手には、ピュア・ハートはなかった。
「カレン!」
慌ててカレンの方を見た九鬼は、驚愕した。
ピュア・ハートは突き刺さってはいたが…心臓には届いていなかった。
無意識に重ねた手と手で、突きを受け止め…両手は串刺しにはなっていたが、胸に刺さった部分は浅く、心臓には届いていなかった。
それに、九鬼の蹴りが、ピュア・ハートをさらに押し込む行為を邪魔したことで、命拾いしたのだ。
「カレン…」
九鬼は、突き刺さっているピュア・ハートを一気に、カレンから抜き取った。
「九鬼…お、お前」
カレンは九鬼の姿を見て、目を見開いた。
「わかっているわ」
九鬼はピュア・ハートの先を、カレンがつけているペンダントの碑石に当てた。
すると、ピュア・ハートは碑石の中に消えた。
命拾いしたが、戦うことができなくなったカレンは、中西の方に顔を向けた。
「厄介な相手だぞ」
「わかっている」
九鬼は頷くと、カレンから離れ、中西に向かって構えた。
「やるというのか?その姿で」
中西は笑った。
「ええ」
九鬼はゆっくりと、拳を突きだし、指を開くと手招きした。
「その癖は、生まれ変わっても変わらんな」
中西は目を細め、
「それだけではない。その無謀さもだ!」
手刀をつくると、一気に襲いかかってきた。
「ま、まゆみ!」
カレンは、動かない両手をぶらんとさせながら、九鬼の背中に叫んだ。
「は!」
九鬼は気合いを込めると、前に出た。
九鬼達の様子を見ていたさやかと高坂は、目を見張っていた。
「変身が解けた?」
乙女ブラックではなく、学生服姿で立ち向かう九鬼。
「何が起こったの?」
さやかは呼吸を整えながら、再び戦える状態に体を回復させようとしていた。
「虚無の…女神」
九鬼が中西に言った言葉を思いだし、高坂はふらつきながらも歩き出した。
「恐らく…名が体を表しているとしたら…」
高坂は、カレンのもとに向かう。
「すべての魔力を、無にできるということだろう」
高坂は、無意識に突きを受け止めた為に、カレンが落としてしまった…ブラックカードを拾った。
「こんなものを、こんな形で見るとはな」
高坂はブラックカードを見つめた後、カレンに顔を向けた。
「これのパスワードを教えてくれ。君の傷を治そう」
「あんたは…確か」
カレンは、高坂を見た。
高坂は微笑むと、 すぐに足を進めた。
「その話は後だ。出来れば、俺の仲間達も回復させたいのだが」
「構わないが…そんなにポイントが残っているか…」
「無限に使えるのではないのか?」
眉を寄せた高坂に、カレンは笑うと、 カードに目をやった。
「そのカードとは違う。こいつは、自分が戦って得た魔力しか使えない」
「なるほど」
状況が状況の為、詳しくきくのを止めた高坂に、カレンはパスワードを教えた。
カレンの指示通りに、治癒魔法を発動させた。
「ありがとう」
動くようになった手で、カードを返して貰うと、カレンは高坂から体力を回復させた。
「役に立つとは、思えないけど」
立ち上がり、体の調子を確かめながら、さやかが苦笑した。
「でも…野放しにはできません」
緑は、欠けた空切り丸を一振りした。
「…」
カレンは無言で、九鬼のもとに向った。
「魔力が通用しない相手…」
高坂はフッと笑い、
「上等だ!その方が、人間らしく戦える」
丸腰で歩き出した。
「は!」
変身が解けた九鬼の攻撃を、ことごとくかわす中西。
「真弓…」
悲しげな顔を九鬼に向け、
「できれば…お前を傷つけたくない」
「は!」
しかし、九鬼は話を聞かない。
凄まじき猛攻をかけるだけだ。
「真弓…」
だが、所詮人間の動きである。音速を超える乙女ブラックの攻撃に比べると、止まっているも同じだった。
「無駄なことを」
思わず掴んだ九鬼の腕に、少し力を入れるだけで、九鬼の顔に苦悶の表情が浮かんだ。
それを見て、中西は腕を離した。
「脆い体だ。もし…殺してしまったら、また出会うのに、どれだけの時間がかかることか」
「貴様!」
「だが…」
腕を離した瞬間、睨んだ九鬼の腹にカカトを叩き込んだ。
「うぐ!」
くの字に曲がる九鬼の体。
「何もしなければ…言うことをきく相手でもない」
中西の平手打ちが、苦悶の表情を浮かべる九鬼の頬を殴った。
地面を転がる九鬼。
「だから…魂を閉じ込め、記憶を消して書きかえようとしたのだがな」
ゆっくりと、九鬼に近づく中西の死角から、カレンの飛び蹴りが襲いかかってきた。
「どうしたものか?」
首を傾げ悩む中西は、カレンの方をまったく見ないで、腕で蹴りをガードした。
「まったく…いい加減にしろ。今、立て込んでいるんだから」
中西はため息をついた。
九鬼の前に、さやかと緑が立ちふさがった。
「何度…やっても、無駄なことを」
「そうか?」
中西の後ろから、声がした。
「うん?」
振り返ると、後ろに高坂がいた。
「まだ無駄と…決まった訳ではないよ」
その手には、マシンガンが握られていた。
「魔力を使わない武器ならば、どうかな?」
高坂は口許を緩めた。
特別校舎は、哲也達…防衛軍の秘密基地でもあった。
その中に、対魔物用の武器が多数隠されていた。
普段ならば、魔物の属性に合わせて式神でできた弾丸を使うのだが…下等な魔物に使うのは、もったいないとして、単なる鉛の玉を使うこともあった。
「これならば!どうだ!」
高坂は引き金を弾いた。
数え切れない程の弾丸が、中西に向かって放たれた。
「なめてるのか?」
中西が睨んだだけで、弾丸は消滅した。
「舐めていない」
高坂は、マシンガンを弾が尽きるまで撃ち続けた。
「ただ…試しているだけだ。お前を倒せる方法をな!」
「は!」
高坂の方を向いた為、中西は九鬼達に背を向けることになった。
その隙に、緑は上段の構えを取ると、中西の脳天目掛けて、空切り丸を振り落とした。
「やめて下さい!」
中庭の奥から、声がした。
それは、ちょうど…マシンガンの弾が尽きたのと同時だった為、そこにいたすべての人間の耳に飛び込んできた。
「たった1人に、みんなで襲いかかって!そんな武器まで使って!」
中庭から、かけて寄って来たのは、愛川だった。
「脅しとはいえ…マシンガンを向けるなんて!それに!」
愛川は緑の前に立つと、手を取り、
「危ないじゃないですか!怪我したら、どうすんのよ!」
睨み付けた。
どうやら、愛川には…みんなで中西をいじめているように見えたらしい。
マシンガンも、本当に弾が出ているように思えなかったらしい。
確かに、弾はすべて途中で消滅していたから、どこにも当たってはいなかった。
「中西は、乙女ブラックとして、みんなの為に戦ってきたのに!こんな仕打ち!」
きりっと今度は、九鬼を睨みつけた。
「みんなが、あなたを乙女ブラックと誤解していましたけど…だからと言ってひどいです!」
「あなたは…」
九鬼は眉を寄せた。
「中西!もう大丈夫だから…安心して」
愛川は中西に振り返り、笑顔を向けようとした。
「言ったはずだが…」
中西の冷たい目が、愛川を射抜いた。
「逃げろ!」
はっとした高坂が、愛川を突き飛ばそうとしたが…届かなかった。
「え…」
愛川には、自分の身に起こったことが信じられなかった。
「殺すとな」
「え」
愛川の胸に、巨大な穴ができていた。
もう話すこともできなかった。
ただ…一筋の涙だけが、瞳から流れた。
幼なじみだった。
ずっと好きだった。
だけど、愛川は知らない。
封印が解け、虚無の女神として目覚めた時から、中西は中西ではなくなっていたことを。
その場で背中から倒れた愛川を、中西は見下ろし、
「しつこい女は、嫌いだ」
頭を踏み潰そうとした。
「貴様!」
九鬼の蹴りが、中西の首筋に決まった。
「なぜ…お前が泣く?こいつは、俺達の恋路の邪魔をしたのだぞ」
まったくダメージを受けない中西はただ…不思議そうに九鬼を見た。
九鬼の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
中西を睨みつけ、
「それがわからぬ貴様が!愛を語るな!」
今度は拳を叩き込んだ。
「やれやれ…」
中西はため息をつくと、九鬼の腕を掴み、
「優しさだけでは、駄目なようだな」
妖しく微笑んだ。
「お前を手に入れるには」
中西の姿が変わる。
「な」
九鬼は、絶句した。
目の前に立つ…フランス人形のような美しき女に。
たが、そこに美しさよりも目立つものがあった。
それは、空虚な瞳だ。
闇よりも、黒い瞳。
九鬼は初めて、黒を見たような気がした。
今までの黒や闇は、黒ではなかったのだ。
「どうした…?真弓」
中西は顔を近づけた。
いや、もう中西ではない。
虚無の女神…ムジカ。
「死相が出ているぞ」
ムジカは、にこっと微笑んだ。 表情なき人形が、からくりによって笑っているように。
「心配するな」
ムジカは無理やり、九鬼の腕を引き寄せると、耳元で囁いた。
「それでも、お前は美しい」
と言った後、大笑いし出した。
「馬鹿な…」
カレンは絶句していた。
ムジカを見るだけで、希望がなくなり、命が吸いとられているような感じがした。
それは、明らかに…あの光と真逆だった。
「浩也…」
カレンは無意識に、彼の名を呼んでいた。