第228話 迫る時
「…」
取り戻した乙女ケースを見つめた後、九鬼はスカートのポケットに入れると、ゆっくりと歩き出した。
目的地は、情報倶楽部だった。
中西との攻防で、高坂の身を挺した動きがなければ、乙女ケースを取り戻せなかったかもしれなかった。
そして、その時…高坂は中西に蹴られていたから、怪我をしたかもしれなかった。
お礼と見舞いを兼ねて、九鬼は高坂達に会いに行こうとしていた。
(それに…)
自分が、乙女ブラックであることもバレてしまった。
その件に関しても、説明しなければならなかった。
それともう1つ…理事長から受け取った乙女ケースの在処も気になっていた。
九鬼が、戦いの途中で変身を解いた為に、激闘の中で失われていた。
もしかしたら、高坂達が回収したかもしれない。
そうだとしたら、返して貰わないといけなかった。
理事長の形見であるし、一般生徒が持っていたら、何があるかわからなかった。
(月影の力を持つ者は…ひかれ合い、戦う運命にある)
リオ達が参加した月影バトルは、アルテミアに殆どの乙女ケースを奪われたことで終わった。
しかし、大量の乙女ソルジャーの襲撃を見て、九鬼はまだ終わっていないのではないかと思っていた。
例え…量産タイプの一般人向けの乙女ケースとはいえ…何が降り掛かるかわからない。
だからこそ、彼らをこれ以上巻き込むわけにはいかなかった。
もし、彼らが持っているならば回収し、生徒会室で保管…もしくは、九鬼の乙女ケースと融合させようと決めていた。
「ふう」
一呼吸すると、九鬼はグラウンドの手前で立ち止まった。
とは言え、情報倶楽部の部室の場所は、トップシークレットであった。
もしもの時を想定して、生徒会長には教える決まりがあったが、現職の会長で自ら訪れた者はいない。
それに、グラウンドを通れば目立つ。
「確か…体育館の裏のどこかに…隠し入口があったはずだ」
部員達は遠回りになるが、それを使って出入りしていた。
一番近いマンホールの入口は、殆ど使われることがなかった。
九鬼は、体育館の裏に向かうことにした。
人影のほとんどない体育館裏に足を踏み入れた瞬間、九鬼は横合いからいきなり、声をかけられた。
「九鬼さん」
少し低くくハスキーな声に、九鬼は振り向いた。
「お久しぶりね」
腰まである黒髪を束ね、九鬼に微笑んでいたのは、新聞部部長…如月さやかであった。
「如月先輩…」
影の番長とも噂される如月もまた、哲也により学園に半幽閉されていた。
その体力と優秀な頭脳により、ガンスロン二号機に搭載予定だったが、哲也達の死により助けられていた。
「でも、こう呼ぶべきかしら…乙女ブラックと」
「!?」
如月の探るようでいて、優しい瞳に、九鬼は息を飲んだ。
彼女も相当強い。
魔物を体技だけで、倒すことを目的とした竜殺拳を学んでいることは、有名である。
反射的に、体が臨戦体勢に入る九鬼に、如月は苦笑した。
「やめてくれる?この学園の救世主とやり合う気はないわ」
隙がない雰囲気に、温和な如月の笑顔に…九鬼は無意識とはいえ、構えたことを恥じた。
頭を下げると、
「先を急ぎますので…失礼します」
如月の横を通り過ぎた。
如月は、九鬼を動きを目で追いながら、
「香坂達なら、特別校舎に向ったわよ」
「!」
その言葉に、九鬼は足を止めた。
「一年の服部が、殺されたらしいの。まだ…確認はできていないけど」
「え!」
如月の方に振り返った九鬼の脳裏に、服部と最後に会った時の記憶がよみがえった。
(確か…あの女の後を追って…)
すれ違っただけで、九鬼に絶望を与えた女。
(危険だ!)
九鬼は振り向くと、走り出した。
「ありがとうございます」
如月にもう一度頭を下げると、一気に体育館裏から飛び出した。
その様子を見送りながら、如月は呟いた。
「頼んだわよ」
九鬼の姿が見えなくなると同時に、反対側の角から誰かが姿を見せた。
「貴様か?我等を呼び出したのは」
「貴様?先輩の対しての言葉使いではないわね」
振り返った如月の前に立つのは、ユウリとアイリ。
「なんの用だ?」
アイリの言葉に、如月は呼吸を整えながら訊いた。
「単刀直入に訊くわ。あなた達、人間ではないわね」
「何?」
如月の言葉に、キレそうになるアイリを手を横に伸ばして、ユウリが制した。
そして、ユウリは如月にきき返した。
「だとしたら、何?」
「簡単なことよ」
如月は両手の指を広げると、中腰の体勢になった。
ユウリを睨み付け、
「この学園に潜入した目的を話し貰おうかしら?」
「面白い!」
ユウリは一歩前に出た。
「やはり、この世界の人間は、面白い!」
嬉しそうに笑うと、ユウリの体が変わる。
「ち、ちょっと待て!ことを荒立てるなと、リンネ様に言われているだろが!」
慌てて止めようとアイリ。
「心配するな。ここは、人目につかない。それに…一瞬で終わる」
炎そのものと化したユウリは、如月に向かって叫んだ。
「さあ!やろうか!愚かなる人間よ」
「は!」
如月は、気合いを入れた。
「うん?」
ユウリとアイリは、眉を寄せた。
いつのまにか、如月の体がはるか後ろに下がっていたからだ。
そして、その手には写真があった。
「スクープ頂き!転校生は、炎の魔神!」
と叫ぶと、回れ右をして…全力で走り出した。
「?」
唖然とするユウリとアイリ。
しばらくして、ユウリの体が燃え上がった。
「あの女!なめやがって!」
大月学園に、火柱が上がった。
「殺す」
一瞬の爆発で、冷静を取り戻したユウリは、冷たい目で前を睨んだ後、ゆっくりと走り出した。
「ユ、ユウリ…」
舐められたことは許せないが、このまま暴れていいのか…わからなくなったアイリが狼狽えていると、
「行くぞ!」
ユウリがギロリと、アイリを睨んだ。
髪型以外、同じ顔なのに…アイリは怯えてしまった。
「は、はい!」
2人の魔神も、体育館裏を後にした。
変動を迎えつつある学園内で、浩也は西館の裏に再び来ていた。
そこで、拾ったものをどうするのか…悩んでいたのであった。
浩也の手にあるのは、黒谷理事長から九鬼に託された乙女ケースであった。
そのケースを握り締め、じっと見つめていると、後ろから声がした。
「ここにいたのか。探したぞ」
西館内から飛び出してきたのは、カレンだった。
その声に振り返り、浩也はカレンを見た。
「…カレン」
いつもと違う浩也の雰囲気を訝しげに思い、カレンはゆっくりと近付いていった。
「どうした…うん?」
カレンの目は、浩也の手の中にある乙女ケースに気付いた。
「お前。それをどうした?」
「ここで、拾った」
浩也は足元に、目を落とした。
正門に繋がっている東館の裏と違い、西館の裏はほとんど人が来ない為に、雑草が覆い茂っていた。
浩也は地面を見つめたまま、
「このケースには、純粋な力を包みような…邪悪な力を感じます」
ケースをぎゅっと握りしめた浩也に、カレンがきいた。
「邪悪な力?」
「はい……いえ」
一度頷いた後、浩也は首を横に振り、
「ちょっと違うかもしれません」
乙女ケースに目をやった。
「どういう意味だ?」
カレンは眉を寄せた。
浩也は苦笑し、
「邪悪という言葉は…相応しくないかもしれません。人が強くなろうとする欲や、願望…力がほしいという思いが、このケースには詰まっています」
「…」
「だけど…」
浩也は、前を見つめ、
「それが普通なんですよね。この世界を生きる人間には、お金よりも力が必要なんですよね」
そして、カレンに訊いた。
「何よりも、強くなれば…生きれない。だから、強さを欲する。だけど、そんなに強くなければいけないのですか?」
浩也の問いに、カレンは即答した。
「いけないな」
「どうしてです?」
「この世界には、人間を滅ぼせる存在がいる。それは、神ではなく…王だ。そいつは、明確な意志を持って、人間を滅ぼそうとしている」
カレンの言葉は続く。
「すべての人間が、力に拘る必要はないと思うが…やつらから、人々を守る存在は必要だ」
「どうして、すべての人間が拘る必要がないのですか?」
「うっ!」
ここで、カレンは言葉に詰まった。答えがない訳ではない。
だけど、あまり言いたくはなかった。
カレンは、浩也から目を逸らすと、
「人は、多くなる程…まとまらなくなる。社会的動物でありながら、個が強い。今の世界を見ろ…。人間という種が滅びそうなのに、人はまとまらない」
拳を握り締めた。
「だったら…人は滅ぶしかないのですね」
「え」
笑う浩也の横顔を、思わずカレンは見つめた。
全身に戦慄が走った。
もし、目の前にいる浩也は、人類の敵になったとしたら…絶望のスピードは加速する。
「浩也!」
「お母様と旅する日々で、僕は人間など見た事もなかった。ただ…お母様を傷つける魔物達が憎くて…倒したかった」
浩也は乙女ケースを握り締めた。
「それだけなのに!」
手が震えていた。
「ここに来てから…人に会ってから、心の底で何かが、叫ぶんだ。守る為に…戦えと!」
「浩也…」
「だけど!その王を倒したからといって、人間は救われるの?人間は、滅びないの?」
浩也の心からの叫びに、カレンは項垂れると、本音をぽつんともらした。
「人間同士が争い、滅びるなら…仕方ない」
カレンは浩也の言葉を聞きながら、己に問いかけていた。
自分はなぜ戦うのか…。
それは、地に落ちたアートウッドの名声を取り戻し…お母様の無念を晴らす為。
だけど、産みの母も育ての母も、カレンが戦うことを望んではいなかった。
我が子に戦うことを望む親はいない。
カレンはフッと笑うと、
「そうだな…。だけど、それでも」
真っ直ぐに、浩也を見て、
「あたしは、人の為に戦うよ」
「どうしてですか?」
「争う人…愚かな人…。そんな人にも、産んでくれた人。育ててくれた人がいる。愚かな人間の一人一人に、その人達がいるなら…あたしは戦うよ」
カレンは、浩也を見つめ、心の中で思った。
(例え…お前が敵になろうとも)
「カレン…」
「こういうことは、あたしに訊くもんじゃないな。命をかけるものだから、自分で決めな」
カレンは、浩也に背を向け、
「だけど、どんな答えが出ても…あたしが、最初に受け止めてやるよ」
歩き出した。
(お前と戦うことになってな)
去っていくカレンの後ろ姿を、浩也は黙って見送った。
その頃、中央館と東館をつなぐ渡り廊下を…中西が渡っていた。
「中西!待って!」
その後を追いかける愛川の呼び掛ける声にも、中西は足を止めない。
「中西!」
愛川は全力で走り、中西を何とか渡り廊下の真ん中で、追い越すことができた。
両手を広げ、
「話をきいて!」
通せんぼをする愛川に、速度をゆるめずにぶつかると、中西はそのまま歩き続ける。
「キャ!」
倒れた愛川にも、見向きもしない。
「中西!何があったの!好きな音楽も真剣にやらないで!乙女ブラックになったから?ねえ!教えてよ!」
愛川の叫びに、中央館に入った中西は足を止め、
「一つだけ教えてやる!」
「え?」
「貴様の事など!蚊ほども思っていない!俺に付きまとうな!」
そして、振り向くと、
「次は殺す!」
鬼の形相で、愛川を睨んだ。
その瞬間、愛川のすべてが止まった。
泣き崩れるのにも…時間がかかった。
「カスが!」
吐き捨てるように言うと、中西は歩き出した。
勿論、九鬼がいるところを目指して…。