第226話 黒に交わる朱の香り
「俺を騙したのか?」
西校舎裏で、対峙する中西と高坂。
鋭い目付きで睨み続ける中西は、ただ悠然と立つ高坂に苛立ちを覚えていた。
「真弓が来るからと言われ、ここに来たが…いたのは、お前だけだ。学園の救世主である…この俺を騙すとは、いい度胸ではないか」
軽音部の部室を出た中西の前に、一枚の紙切れが落ちてきた。
その紙には、西校舎裏で待っている…九鬼真弓と書かれてあった。
紙を落としたのは、リンネ尾行前の服部であった。
紙を拾った中西は、ここに来たのだ。
「何の目的だ?」
中西は、高坂の目を見据えた。
その前から、高坂は中西の目だけを観察していた。
「理由を言え!」
少し強い口調になる中西を見て、高坂はフッと笑った。
「何がおかしい?」
中西は眉を寄せた。
高坂は、さらに口元に笑みを作ると、 目を細めた。
「おかしい理由は、簡単だ。俺の目の前に、嘘つきがいるからさ」
「嘘つき?」
「そうだ。お前のことだ。生徒達を騙しているのは、お前だろ」
高坂は、中西を指差した。
「お前は、乙女ブラックではない!」
「何!?」
「乙女ブラックは、生徒に拳を向けない。それに…フン」
高坂は、 嘲るように鼻を鳴らした。
「お前は、乙女ブラックに相応しくない。彼女には、どこか気品があった。例え…血にまみれていてもな!」
「ふざけるな!」
中西は制服の内ポケットから、乙女ケースを取りだし、高坂に向けた。
「これでも、そう思うか!」
「ああ…。俺の考えは、揺るがない」
高坂は乙女ケースを見ることなく、中西の目から視線を外さない。
「くそ!だったら、その身で味わえ!真実をな」
中西は乙女ケースを突きだした。
「装着!」
乙女ケースが開き、黒い光が放たれると、中西の全身を包んだ。
その姿を見ても、高坂は微動だにしない。
ただ中西を見つめ続けた。
「それに、俺は…嘘をついていない」
「黙れ!」
乙女ブラックになった中西が、高坂に向けてジャンプした。
「高坂先輩!」
その時、西校舎裏に九鬼が飛び込んできた。
「彼女は必ず来ると」
高坂はフッと笑い、姿を見せた九鬼を確認しない。
「そして…」
「装着!」
状況を判断した九鬼は走りながら、乙女ケースを突き出した。
九鬼の体に、黒い光が絡み付く。
「彼女こそ…乙女ブラックに相応しい」
高坂は、目の前に中西の拳が迫っても、目を瞑らない。
「させるか!」
九鬼の飛び膝蹴りが、横合いから中西の肩口に叩き込まれた。
あと数ミリで、高坂の額に拳はヒットしていた。
「ま、真弓!」
空中と避けることが出来なかった中西は、バランスを崩し、真横に転がった。
「先輩!」
着地と同時に、九鬼は高坂を見た。
「心配するな」
拳は当たらなかったが、風圧で額が切れ…血が流れていた。
それでも、平気な顔をした高坂は真っ直ぐに立ちながら、
「それよりも、気をつけろ!」
九鬼に叫んだ。
「真弓!」
高坂の方を見た一瞬の隙に、立ち上がった中西の蹴りが、九鬼に向って放たれた。
「く!」
九鬼は腕を十字に組み、蹴りを受け止めた。
しかし、インパクトの瞬間、九鬼の体は後ろにふっ飛んだ。
倒れることはなかったが、両足が地面を抉り、5メートルは移動していた。
「これが…」
痺れて、すぐには十字に組んだ腕をもとに戻せない九鬼は、絶句した。
「真の乙女ブラックの力」
「そうだ!この力が、真のヒーローの力だ!」
「!」
いつのまにか、真横に中西がいた。
裏拳が、九鬼の頬を殴った。
今度は防御ができずに、九鬼は地面に倒れた。
「力も、スピードも!違い過ぎる!」
中西は、九鬼を見下ろし、 冷たい視線を向けた。
「そんな量産タイプを身に着けて!俺に勝てると思ったか」
「く!」
九鬼は顔をしかめながらも、ゆっくりと立ち上がろうとする。
しかし、ダメージが凄く、すぐに立ち上がれない。
そんな九鬼に、目を細め、
「お前は…俺のそばにいればいい。か弱い力も、俺が補ってやろう。さあ〜真弓!」
中西は、手を伸ばした。
「俺の女になれ!」
「断る!」
九鬼は即答した。ふらつきながらも立ち上がり、中西を睨む。
「助け合う手ならば、その手を握ろう!力なき者を救う為の手ならば、あたしはその手を借りよう!しかし、お前の手は違う!」
「何が違う?」
中西は鼻で笑った。
「今、力なきお前に、手を差し伸べているではないか」
「違う!力なきと、力弱きは違う。確かに、今のあたしはお前に敵わない!お前より、弱いかもしれない。だけどな!」
九鬼は、かけていた眼鏡を外した。
変身が解ける。
「あたしは、力なき者ではない!お前より力弱き者でも、あたしは戦える術を!この手に、この腕に宿している!」
九鬼は背筋を伸ばすと、中西に向かって構えた。
「正気か?」
中西は、生身の九鬼を見た。
「乙女ブラックでもない!あたしの名は、九鬼真弓!」
「馬鹿な…女だ」
中西はゆっくりと、両手を広げた。
「殺しはしない。ただ…現実を教えてやる」
「来い!」
「言われなくてもな!」
前方に構える九鬼の真後ろに、中西が現れた。
半転し、バック&ブローを九鬼の首筋に叩き込もうとした。
その瞬間、九鬼はしゃがんだ。
「何!?」
バック&ブローを交わすと同時に、地面に両手を付き、指先を支点にして回転した。
九鬼の足が、中西の足を払う。
「な!」
後ろにバランスを崩す中西。
九鬼は素早く立ち上がると、中西の肩を掴み…投げ技に入った。
「は!」
乙女ブラックの体が宙に浮き、頭から回転すると、背中から地面に叩きつけた。
「舐めるな!」
中西はすぐに、立ち上がった。
「足りない力は、大地から借りる!」
地面に踏ん張り、足首から回転を加え、拳の先に集約する。
「は!」
気合いを込め、拳を前に突きだした。
中西の鳩尾に、炸裂した。
乙女ブラックの体が、後ろに下がった。
「なるほどな…」
中西は、にやりと笑った。
「確かに…お前は」
そして、平然と前に出た。
「弱く…力なき者だ!ハハハハ!」
天を見上げ、大笑いした。
「は!」
九鬼は怯むことなく、前に出る。
回し蹴りが、中西の残像を蹴る。
「お前は!」
目の前に現れた中西の拳を、懐に飛び込んで避けた。
九鬼の顔と中西の顔が、接近する。
「俺には敵わない!」
残った左腕で、九鬼の腹を狙う。
それを読んだ九鬼は、後方にジャンプした。
「なぜ!認めない!」
中西も前方に飛びながら、速射砲のように無数の拳を突きだした。
「遊んでやがる」
校舎の屋上から、九鬼と中西の戦いを見ていた緑が呟いた。
「オラオラオラオラ!」
九鬼が交わせるスピードで、拳を繰り出す中西。
しかし、両側は逃げれないように完全にガードしており…九鬼が抜け出すことはできない。
中西の腕の中で、無数の拳を避ける九鬼。
まるで、拳の籠に囚われているように見えた。
「…」
その様子を、高坂は無言で見つめていた。
(このままでは…)
九鬼は拳を避けながら、せせら笑っている中西の顔を見つめた。
(やられる)
中西の顔から、眼鏡を外す隙を伺っていたが…その前に、自分の体力がもたない。
(仕方がない!)
九鬼は覚悟を決めた。
「は!」
気合いを入れると、両腕を曲げ、左右に突きだした。
拳の残像が消え、中西の突きだした両腕を押さえつける格好になった。
高速で繰り出される腕を止めた為に、九鬼の両腕の制服が破れ、肉の焼ける匂いがした。
「うりゃあ!」
腕を止めると、同時に九鬼は足を蹴り上げた。
勿論、目的は…中西にかかっている眼鏡である。
九鬼の爪先が、中西の眼鏡を蹴り上げたように見えた。
しかし、それは残像だった。
「危ないなあ」
中西は笑った。
「しかし…終わりだな」
九鬼の両腕から、血が流れていた。
今の攻撃の代償として、九鬼の腕は傷ついてしまった。
「抵抗はやめて…俺のものになれ!」
中西は再び、手を伸ばした。
その時、高坂が叫んだ。
「緑!」
「は、はい!」
下を覗いていた緑は、突然名前を呼ばれ、驚いた。
「お前の木刀を投げろ!」
「え!」
「早くしろ!」
高坂の指示に、緑は屋上を囲む金網の上から、木刀を投げた。
「何だ?」
高坂の声に、カレンが金網の方に近づく。
「!」
輝とじゃれていた浩也も、撫でる手を止めた。
屋上から落とされた木刀は、九鬼と高坂のちょうど真ん中の位置で、地面に突き刺さった。
「九鬼!」
高坂の叫びに、九鬼は木刀を見た。
と同時に横に飛んだ。
「悪あがきを!」
中西の姿が消えた。
九鬼が木刀を掴むよりも速く、木刀のそばに移動した。
「高坂アタック!」
その動きを詠んでいた高坂の体当たりが、中西のバランスを崩した。
「く!」
痛みを我慢して、木刀を掴んだ九鬼は、高坂の奇襲で注意が自分からそれた中西に向って、木刀を振るった。
目的は、一つ。
「しまった!」
中西の顔から、眼鏡が外れた。
「真弓!」
金網を掴んで、下を見たカレンは、乙女ブラックと戦う九鬼に驚いた。
眼鏡は宙を舞い、地面に落ちた。
「どけ!」
高坂に膝蹴りを叩き込むと、中西は眼鏡に向かって走る。
九鬼も木刀を捨てると、走り出した。
同時に、2人が手を伸ばす。
しかし、2人よりも速く…眼鏡を拾い上げた者がいた。
「お、お前は!?」
絶句する中西の前に、浩也が立っていた。眼鏡を持って。
浩也は中西を見ることなく、九鬼に近づき…眼鏡を差し出した。
「はい」
「あ、ありがとう」
九鬼は目を見開いたまま、素直に受け取った。
「いつのまに!」
カレンが屋上から飛び下りようとしている間に、浩也は下にいた。
その動きは、ここにいる者全員が見ることができなかった。
「貴様!また、俺と真弓の邪魔を!」
殴りかかろうとする中西の動きが、止まった。
九鬼に笑顔を見せていた浩也が、振り返ったからだ。
「君が、人間なら…手は出さない」
その言葉は、中西の脳にだけ響いた。
「!?」
高坂は、動きが止まった中西に眉を寄せた。
高坂の位置では…浩也の瞳が一瞬、赤く光ったのを見ることはできなかった。
しばし、見つめ合う浩也と中西。
「く!」
中西は顔をしかめると、背を向けた。
ゆっくりと歩き出した中西は、校舎の角を曲がる寸前に、横顔を向けた。
「真弓!お前は諦めない!」
と言うと、姿を消した。
「真弓!」
ブラックカードを使い、屋上から飛び下りたカレンは、九鬼に駆け寄った。
「今、治してやるぞ」
ブラックカードを九鬼の腕に当てるカレンと見て、高坂は目を見開いた。
「ブラックカード!?」
それは、防衛軍の支配者である安定者だけが持っていた伝説のカード。
安定者の存在も伝説として、一般には知らされていないのに…ブラックカードが目の前にあった。
カードシステムの崩壊後…ほとんだ機能しなくなった一般のカードと違い、未だに魔力を使えるブラックカードを見て、高坂は絶句していた。
「ブラックカードを持つ生徒…それに」
高坂は、浩也を見た。
「何者だ?」