第223話 求める者に光を与えたまえ
激しい音を心のままに、周囲に叩きつけていた中西は、妙な視線を感じて、演奏を止めた。
ギターの弦に手を当てると、爆音は無音に変わった。
「何の用だ?」
狭い軽音部の部室の端で、壁にもたれている少女を軽く睨んだ。
「べ、別に…」
突然演奏が止まったことに、戸惑ってしまった少女は首を横に振るくらいしかできなかった。
「そうか…」
中西は少女に背を向けると、アンプからコードを引っこ抜き、ギターをケースにしまった。
「な、中西!」
少女は、慌てて声をかけた。
中西は足を止めたが、少女の方を向かない。
「お、お前…音、変わったな!」
「…」
「前は、もっと…繊細だったのに…」
「…」
「今は…まったく逆……!?」
そこまで言って、少女は話せなくなった。
横目で自分を見る…あまりにも冷たい目に、凍り付いたのだ。
言葉を発することのできない少女を、しばし横目で見つめた後、中西は前を向いた。
「言いたいことが、それだけなら…行くぞ」
「あっ…そのお」
まだ何か言いたそうな少女を残し、中西は部室の扉を開き、外に出た。
「ああ…」
少女は手を伸ばしたが、扉が閉まる音が虚しく響いた。
項垂れた少女の目に、ケース内に残されたギターが映る。
「そう言えば…あいつ…置きぱなしだな…。昔は、ちゃんと持って帰ってたのに」
教室内にぽつんといる自分と、そのギターはどこか似てるなと…少女は思った。
「ああ…」
ぽつんと出たため息の後、少女のそばの扉が突然開いた。
「すいません。ここに中西さんがいらっしゃるときいたのですが?」
立てつけが悪い為か…扉はゆっくり開けても音を出した。
だから、少女は顔を向けた。
九鬼が言葉を発する前に。
少女と九鬼の目が合う。
九鬼は自然と微笑み、
「中西剛史さんはいらっしゃらないですか?」
少女に訊いた。
「生徒会長…」
少女は目を見開いて驚いた後、キッと九鬼を睨んだ。
「?」
首を傾げた九鬼に、少女は睨み付けたまま近付くと、言い放った。
「いません!」
そばまで接近してくる少女に、九鬼はたじろぎ、扉から離れると、
「お引き取りを!」
少女は思い切り力を込めて、扉を閉めた。
「え?」
戸惑ってしまった九鬼の前で、閉まった扉がとても強固に見えた。
「何か…気に触ることをしたかな?」
首を捻った九鬼は諦めて、歩き出した。
さっき扉を開けた時に、一応中は確認した。
(どこにいる?)
九鬼は、前方の空間を睨んだ。
乙女グレーや魔物の襲撃は、何かの予兆に思えた。
(いつでも、戦える準備をしなければならない。例え…神が相手だとしても)
九鬼は拳を握り締めると、中西を探す為に校舎を歩き回ることにした。
閉めた後も扉にもたれて、開かないようにしていた少女は、ずっと目をつぶっていた。
別に、九鬼に罪がある訳ではない。
だけど…冷たくしてしまう。
なぜならば…。
(マイスウィートエンジェル!)
中西の顔が浮かぶ。
確かに、あいつは…どこか変わっていた。
だけど、放送室を乗っ取ったりするような人間ではなかった。
恋が、人間を変えたのだろうか。
(それに…)
変身した中西の姿を、混乱する廊下で…少女は見ていた。
(知らなかった)
中西が、乙女ブラックであったことを。
幼なじみであり、大抵のことはわかっているつもりだったのに…。
落ち込んで、泣きそうになっていると、部室の扉が揺れた。
「開かないな。どうなってるんだ」
開けるようとしたが、少女が扉を押さえている為に開かない。
「おい!誰かいるんだろ!」
今度は、扉を叩き始めた。
部室の電気がついており、廊下からもその様子が見えた。
「す、すいません!」
少女は慌てて、扉を開けた。
叩いている人物の声で、誰か分かったからだ。
「何かあったのか?」
扉が開くと、目の前に…軽音部部長、浅倉美沙がいた。
「ち、ちょっと…不審者が…」
少女は、浅倉から目を外し、呟くように言った。
「不審者?」
浅倉は眉を寄せると、部室の中に入った。
「確かに、魔物などが現れているが…」
浅倉は、部室の奥に置かれたギターケースに目を向け、
「不審者といえば、あいつしか思いつかんわ!」
顔をしかめた。
「な、中西は!」
突然、少女が声を荒げ、
「不審者ではありません!少し変わっているけど…」
顔を伏せた。
「と思ってるのは、愛川…お前だけだよ」
浅倉は、学生鞄を部室に置かれた年代物の木の机に、投げ置いた。
「それに、百…いや、千歩譲って…少しではない!大いに変わっているからな!」
「…」
浅倉の言葉に言い返さないが、少しふくれている愛川を見て、浅倉は肩をすくめた。
「やれやれ…」
「…そんなに、変では…でも、少しは…」
まだブツブツと言っている愛川から離れて、浅倉は楽器置き場へと歩いていった。
楽器置き場といっても、部室の隅…アンプの後ろのスペースである。
立て掛けてあるギターケースの中から、赤いケースを手に取ると、中からベースギターを取り出した。
「確かに…ここしばらくは…変が加速してるな」
浅倉はベースをアンプに繋ぐと、弦をつまみ、音を合わせていく。
「それに…あいつが、乙女ブラックっていうのも、イメージが会わない」
「そうですよね!」
突然声を荒げ、愛川は浅倉に近づいた。
「乙女ブラックと言うよりも、主役の乙女レッドの方が似合いますよね!」
目をキラキラされて同意を求める愛川に、浅倉はため息をつき、
「恋は盲目とは、よく言ったものだ」
呆れた。
「誰が!恋ですか!」
今度は怒り出し、
「あたしは…あんなやつのこと!」
顔を真っ赤にしている愛川に、浅倉はまたため息をつくと、
「そんな話はもういい!合わせるぞ」
顎で、一番奥の壁側…真ん中に置かれたドラムセットを示した。
「は、はい!」
愛川はドラムセットに目をやると、何かに気づいたように慌てて、中に入った。
この世界では、音楽は娯楽というよりも…魔物の戦いで、人々を鼓舞する為に発展していった戦場の儀式のようなものだった。
人々の心に、弱気と暗い影を生ませないように。
その為に、一番大切なのは…ドラム等のリズム楽器だった。
真後ろから、前線にいる者の背中を押し、鼓舞し、勇気づけるのが目的だった。
しかし、近代になるとその役目はなくなり、直接的に戦いに関係する訳ではなく、民衆の心の平常…日常を心落ち着けて生きていけるようにする為の役割を担うものになっていた。
「1、2、3!」
愛川がカウントを刻むと、浅倉がベースを刻み始めた。
それは、曲とは言えないが…力強くしっかりとした骨組みを持っていた。
愛川は音を正確に刻むことで、少し心が落ち着いていくのが…自分でもわかった。
(今は…音に沈もう)
愛川はゆっくりと目を閉じた。