第21話 ぶっ殺す!
「きゃー!」
悲鳴を上げる明菜。
「どうした!」
胸騒ぎを感じながら、僕は部室へと走った。
「明菜!」
明菜は僕の声に気付き、こちらを見た。
すがるような涙目。
全力で走る僕の目の前で、扉の向こうから飛び出した無数の蛇が、明菜の全身を絡めとり、部室の中へ引きずり込んだ。
「明菜!」
僕は床を全力で蹴ると、扉の前に滑り込んだ。
「お初にお目にかかる」
声と共に扉の向こうから、僕の足元まで、大量の水が流れてきた。
少し驚いた僕に、水浸しの部室の中から、3人の女子が振り返った。
不気味ににやけながら、まったく同じリズム、同じ口調…同じ声で、僕に話しかけてきた。
「な…」
その異様な雰囲気に、僕は息を飲むと、自然に構えた。
異世界での経験が、ちょっとやそっとのことで、僕をパニックにはさせなくなっていた。
(だけど…ここは…)
「こうちゃん!」
明菜の声に、僕は3人の後ろを見た。
「明菜!」
天井から滴り落ちる水の蛇が、明菜と里緒菜、香里奈、美奈子に絡みつき、締めあげていた。
「クソ」
部室内に飛び込もうとした僕の前に、3人の女子生徒が立ちふさがった。
「無駄ですよ」
「あなたには…」
「助けられない」
3人が微笑みながら、呟くように言った。
「なぜなら」「なぜなら」「なぜなら」
3人は、僕の目を見た。
その瞬間、僕の体は凍りついたように動かなくなった。
「この世界では…」
「あなたは…」
「魔法を使えない」
3人は、動かなくなった僕にゆっくりと近づき、ブラウスの胸元をはだけさせると、蛇のように僕に絡みついてきた。
正面から、首に腕を回した一番胸の大きい泰子が、その武器を僕の顔に押し付けながら、耳元で囁いた。
「我は、水の女神マリー様の命により、時空間をこえて…この世界に来た」
「天空の女神の依り代である…」
ショートカットの井田が後ろから、僕を羽交い締めにする。
「お前を殺す為に…」
足元に、秋本がしがみ付く。
「時空間をこえただと…」
必死に抵抗するが、まったく動けない。
女の力ではない。
それに、水に濡れた靴が接着剤を踏んだみたいに、まったく動かない。
「無駄だ」
部室の一番前…本来なら教壇があるところから、ゼリー状の塊が滲み出てきた。そして、あっという間に人の形になった。
「先生?」
目を丸くする僕の前で、ゼリーが色を持ち、形を成していく。
「この水は、我の体の一部。触れた者の体に、染み込み、相手の意識を奪い…操ることができる」
ゼリーは、後ろで手を組んだ姿の…海童になった。
「それにしても…」
海童は後ろ手のまま、僕に近づき、
「さすがは、女神と融合しているだけあって…」
舐めまわすように、僕の状況を下から上まで確認すると、うんうんと頷いた。
「操ることはできないか」
足下に溜まった水も、僕の体には染み込まないようだ。
何とか自由になろうともがいていると、どこからか無数の足音が聞こえてきた。
海童は鼻で笑うと、僕に顔を近づけ、生臭い息を吹きかけた。
「聞こえてるか?天空の女神」
足音に混じって、怒声が聞こえてくる。
僕は、首を動かすこともできない。
見ることができないが、何かがこちらに近付いてくる気配を感じた。
海童は、僕の顔から数センチの距離で、笑った。
「お前の大好きな人間…。人間に!殺されろ」
そう言うと背中を反らし、楽しそうに大声で笑い転げた。
「我は、空間をこえて、ここに来た。来たら最後!我は、もとの世界には戻れない」
海童は僕から離れると、天に向かって両手を広げ、
「しかし!この世界は!」
ゆっくりと周りを見回し、歓喜の表情を浮かべた。
「食料には、困らない」
嬉しそうに顔を綻ばすと、海童の口許が左右に少しづつ裂けていった。
そして、顎まで裂けた巨大な口がさらに開くと、天井からぶら下がる里緒菜達に迫っていった。
最初のターゲットは、一番扉近くにいた香里奈だ。
「やめてえ!」
つい先程捕まったばかりの明菜以外は、意識を失っていた。
「や」
「やめろ!」
僕が叫ぶより前に、誰かが足音のする方から、飛び出してきた。
物凄い速さで目の前に現れると、僕の様子と部室の中を素早く確認し、迷うことなく、香里奈に迫る海童に体当たりした。
「何!?」
思いもよらぬ攻撃に、海童は床に転んだ。
「飯田先輩!」
明菜が涙を溜めながらも、喜びの声を上げた。
激しく肩で息をする直樹を、立ち上がりながら驚いた顔で、海童は見た。
「馬鹿な…。何故だ。我が水に浸かりながら…何故…意識を保てる?」
そんな海童を睨みながら、
「自分に誓ったんだ!今度は、香里奈を守ると!」
直樹は、拳を握り締めた。
「誓っただとお!人間如きが!そんなことでえ!」
海童の背中が裂け、巨大な背鰭が現れた。
「お前は馬鹿か?」
3人の女子に押さえられ、さらに海童の水縛で、動けない僕を…嘲笑うように耳についたピアスから、声が聞こえてきた。
「人は、自分自身をしっかりと持っていれば簡単に、他人に操られたり、縛られることはない」
「アルテミア!?」
突然のアルテミアの声にも、驚いている場合ではなかった。もう僕のすぐそばに、武器を持った生徒達が、迫って来ていたからだ。
「その前に、こいつらをなんとかしろ!」
アルテミアの声がイラついていた。
「なんとかしろと言われても…」
目の前では、完全に化け物となった海童と、近くにあったホウキを掴んだ直樹が、対峙していた。
普通なら、いきなり現れた化け物に、戸惑うはずだが…今の直樹には、化け物から香里奈を守るという思いしかない。
「あの男も死ぬぞ」
アルテミアの言葉に、僕は震えた。
異世界で、僕の目の前で殺された…奈津子の映像が、プレイバックした。
「相手は水だ!お前なら、やれるだろ」
「だけど…ここは…」
身動きが取れないはずなのに、震えは止まらない。
「お前は、相変わらず!鈍いな!何故、あいつが魔力を使える?」
「それは…あいつが…魔物だから…」
直樹のホウキが、海童の舌の先から放たれた強力な酸に、溶かされた。
「違う!あいつは結界を張って、この学校内を!あたし達の世界と同じにしているんだ」
直樹はホウキを捨て、素手で構えた。
「…」
僕は、言葉が出ない。
「使えんだよ!てめえも魔力が!さっさとやっちまえ!」
アルテミアの叫びに、僕は大きく深呼吸し、目をつぶり、全身に力を込めた。
(僕は…もう…誰も殺させない!)
強い誓いとともに僕が目を見開いた瞬間、熱いものが僕の体を包み、井田達を吹き飛ばした。足下から水蒸気が、煙のように立ち上る。
そして、空間をぶち破り、部室の黒板を突き破って、回転する2つの物体が現れた。その物体は、死角から海童を強打すると部室を飛び出し、迫ってくる生徒達をなぎ倒した。
「馬鹿な」
再び机を破壊しながら、床に転がった海童は…飛来した物体に、目を見張った。
「時空間をこえれるのか?」
2つの物体は、赤く燃え上がる僕の両手におさまった。
「チェンジ・ザ・ハート!」
海童は牙を食いしばり、忌々しく、トンファータイプになったチェンジ・ザ・ハートを睨んだ。
「みんな…もう大丈夫」
僕は、吹き飛ばした3人の女子お腹の辺りに、順番に手を添え、魔法の火を灯した。
井田達に染み込んだ海童の水が、蒸発していく。
「他の人達は…少し待ってて」
チェンジ・ザ・ハートによって、気絶させられた生徒達に頭を下げると、僕は…部室の中へと歩きだした。
僕が歩くたびに、水が蒸発して、蒸気が上がる。
「君は…」
直樹の戸惑い、驚いている表情に、僕は優しく微笑んだ。
「あなたを尊敬します」
「尊敬!?」
思いも寄らない言葉に、目を丸くする直樹に、僕は無言で頷いた。
「舐められたものだな!108の魔神の1人、ステイタスに、たかが!種火を使えるだけの人間があ!」
巨大な口を開き、飛びかかってくるスタイタスに、僕はヌンチャクタイプへと変えたチェンジ・ザ・ハートを、軽く叩き込んだ。
「ぐぇ」
顔面に、鉄棒を叩きつけられたステイタスは、蛙が潰れたような声を発し、また床に転がった。
「種火がなければ、火はつかない。先輩!指輪は!」
だけど、これくらいで魔神クラスを倒せる訳がない。
「あっ!ああ」
いきなり言われて、焦る直樹は、ポケットを漁った。
「早く!」
「貴様!絶対、殺す!」
部室にあった机や椅子を、力任せに吹き飛ばし、立ち上がったステイタスは一瞬、突然現れた光の眩しさに顔を逸らした。
光はすぐに止んだ。そして、ステイタスの目の前に、金髪の女が…後ろ姿で佇んでいた。
「勘違いするなよ。雑魚が」
ゆっくりと、金髪の女は振り返る。
「あたしが…てめえを」
さらさらと流れるブロンドに、大きな瞳。
拳を鳴らしながら、金髪の美女は言い放った。
「ぶっ殺す!」
天空の女神アルテミアが、僕の世界に現れたのだ。
「ヴィーナス、光臨」
アルテミアは、チェンジ・ザ・ハートを一回転させると、軽く構えた。
「ア、アルテミア…」
ステイタスは思わず、後ずさった。
「あんたは、下がってな」
アルテミアは、直樹をチラッと見ると、ゆっくりとステイタスに向かって歩きだした。
天井から、吊された香里奈は、少しだけ意識を取り戻していた。目の前を通り過ぎたアルテミアの横顔を見て、呟いた。
「ティア…」
「知っているぞ!貴様には、かつての魔力はないことを!貴様の力は、魔神クラスには通用しないことを!」
嘲るようにまくし立てるステイタスの顔面に、
「モード・チェンジ」
赤いジャケットを羽織った…ファイヤーモードになったアルテミアのパンチが、叩き込まれた。
「バーニングファイヤー!」
凄まじい爆発音が響き、ステイタスの顔の半分が、吹っ飛んだ。
「炎と、爆発を絡めてみた」
「何!?」
ステイタスは、信じられないような表情を浮かべ、両手でなくなった半分を確かめた。
「あたしの炎が足りないなら…いろいろ絡めるだけだ」
「おのれえ!」
床に溜まっていた水が、ステイタスに集まり、なくなった顔面を補強する。
「ほお…便利だな」
馬鹿にしたように言うアルテミアに怒り、全身を震わせたステイタスは、絶叫した。
「私を舐めるな!」
ステイタスの全身が再びゼリー状になった。そして、体の形が崩れると、中から…滝のように水が噴き出した。
あっという間に、アルテミアの胸元まで、水が溜まる。
「アルテミア!」
僕は叫んだ。
アルテミアは冷静に、少し口元を緩めながら呟いた。
「モード・チェンジ」
アルテミアの下半身が魚に変わり、まるで…人魚のようになった。
アルテミアの水中用戦闘モード……マーメイドモードであった。
瞬く間に、部室内は水でいっぱいになった。
机や椅子が、水中に浮かんだ。
直樹は水の中に潜ると、香里奈達を助けようとしていた。
だけど、限界がある。
「アルテミア!」
水中で、僕はピアスの中から叫んだ。
アルテミアは頷くと、水中で身を翻し、両手を部室の外側の窓へ向けた。
手のひらから、竜巻が発生した。竜巻は水の中をまるで、ドリルのように突き進むと、部室の窓ガラスをすべて破壊した。
濁流のように、水が窓の外へ流れていく。
「トルネード・サンダー」
竜巻に電気が混じり、水の中で拡散しながら、電気の花火が部室中に飛び散り、スパークした。ステイタスの悲鳴が、音に混じって聞こえた。
電撃は部室だけでなく、校舎内すべてに拡散し、コンクリートで造られた壁や天井、廊下を…まるで人体模型の血管のように、くまなく通った。
「アルテミア!」
水が足首ぐらいまで減っても、電撃を止めないアルテミアに僕は焦った。
部室に転がる香里奈達も、直樹でさえ、痺れてピクピクと全身を痙攣させていた。
「心配するな。あたしを、誰だと思っている!死なない程度に…やつの水だけを、いぶり出すようにしている」
アルテミアは香里奈達から、水がすべて流れ出たのを確認すると…にやりと口許を歪めた。
部室内はまるで…カーテンが引いたかのように、一滴も残らず、水がなくなっていた。その不自然さに、僕も気付いた。
「モード・チェンジ」
アルテミアの体が変わり、窓に向かってジャンプした。
「おのれ…」
窓の外、雨の中で、部室から出た水は、一カ所に集まると固まり、ゼリー状から半魚人のような体に変わった。
と言っても、魚というよりイグアナに近い。
ステイタスは、激しく肩で息をしながら、体勢を整えようとしていた。
水は、電流を拡散させるが…その水は、ステイタスの体である。
焼け爛れたような痕が、全身に走っていた。
「おのれ〜!天空の女神め!」
息を整えようとしていたステイタスに、無情の声が聞こえた。
「モード・チェンジ!」
部室の窓というか、壁を突き破って、炎の塊と化したアルテミアが、飛び出してくる。
「アルテミアキック!」
天から降り落ちる雨を切り裂き、蒸発させながら、アルテミアは真っ直ぐに、ステイタスに向かってきた。
「チッ」
蹴りが決まる寸前、水に戻ったステイタスは、空中に四散した。
ステイタスを突き抜け…地面に着地したアルテミアは、舌打ちした。
「面倒臭い能力だ」
すぐに真っ直ぐ立つと、空を見上げた。
雨が顔を濡らすが、アルテミアは気にせず、
「上か」
上空に向かって、飛んだ。
「我が女神…マリーよ。我に力を!アルテミアを倒す力を」
校舎の屋上に逃げたステイタスは、雨に打たれながら、天を仰いだ。
「無駄だ」
雨雲は…雷雲に変わり、稲光が天に走り、雷鳴が轟いた。
雷の光に照らされて、天使の翼を広げたアルテミアが…上空から、ステイタスを見下ろしていた。
「お前は捨て駒だ」
アルテミアの言葉に、ステイタスは異常な程キレた。
「ふざけるな!我は、すべての魔物上にいる108の魔神の1人だ」
アルテミアは、鼻で笑った。
「魔神といっても、最弱クラスだがな!」
「な…」
「時空間を行き来できるのは、神クラスだけだ」
アルテミアは、トンファータイプのチェンジ・ザ・ハートをくっつけ、槍タイプにした。
「マリーが本気なら…どうして、ポセイドンやカイオウ…騎士団長クラスを送り込まない」
アルテミアの魔力が、上がっていく。
雷鳴の鳴る回数が増えていき、細い雷が…チェンジ・ザ・ハートに集まっていく。
「舐められてるのは、あたしの方だ!」
アルテミアの怒声が突風を巻き起こし、屋上にいるスタイタスや校舎の手摺などを切り裂く。
かまいたちだ。
「くらえ!A Blow Of Goddess!」
「やめろ!アルテミア」
僕は絶叫した。
まるで…大きな夏祭りで、上がる巨大な花火のように、輝くチェンジ・ザ・ハート。
花火はすぐに消えるが、アルテミアの輝きは、消えるどころか増していく。
「馬鹿め!ここで、女神の一撃を放てば、校舎も…中にいる生徒達も、消滅するぞ」
ステイタスは、笑った。
「死ね!」
ステイタスの言葉も耳に入らないアルテミアは、槍を突き出す。
「やはり、お前は人間ではない」
ステイタスは、楽しそうに大笑いし、アルテミアに向けて両手を広げた。
「我ら魔族の頂点に立つ…魔王の牽族だあ」
「アルテミアアアアア!」
僕の絶叫も空しく…女神の一撃が、放たれる。