第221話 虚無
あらゆるものが一瞬で消滅した異空間で、棺とその上に座る少女だけは…無傷で、残っていた。
「やはり…な」
アルテミアはほくそ笑むと、少女に向かって歩き出した。
もう遮るものはない。
「始まりの女神…。この世界で、初めて…自分の父である魔王を殺した女」
アルテミアは、少女を見上げながら、丘を上がっていく。
「そして!魔王から、奪った女!本当ならば…歴代の王に受け継がれるはずだった力!」
アルテミアは丘の途中で、足を止めた。
「その力を貰うぞ!」
ギラリと睨んだアルテミアの瞳が、赤く輝き…さらに魔力が増した。
そんなアルテミアの様子にも、少女は怯むことなく…せせら笑った。
「愚かな小娘!間合いを開けたら、我が能力から逃れられると思ったか!」
今度は、少女の瞳が赤く染まった。
次の瞬間、衝撃波にも似た何かが少女から放射状に放たれた。
「な!」
それは、まったく痛みを感じさせずに、アルテミアの体を通り抜けると、異空間全体に広がった。
「はははは!」
少女の高笑いが、異空間に響いた。
「どんな凄い魔力を持とうが、我の前では無力と化す!なぜ、イオナが自ら我と戦わずに、人間をよこしたかわかるか?」
少女は棺から降りた。
「我の能力の前では、魔力は無となる!それは、魔王でさえもな!」
少女は両手を広げ、
「これが、虚無の女神と言われる我の由来よ」
変身が解けたアルテミアを見下ろし、
「翼を失った天空の女神に、何ができるか?」
さらに嘲ようとした時、突然…アルテミアが視界から消えた。
「何!?」
驚いた少女が天を見上げた時、空中を飛翔するアルテミアがいた。
その体には、翼がないのに…まるで、あるかのように見えた。
空中で回転し、落下してきたアルテミアのかかと落としが、少女の脳天に突き刺さった。
「馬鹿な!」
地面に着地したアルテミアは、即座に土を蹴り、今度は少女の鳩尾に拳を叩き込んだ。
「うげえ!」
体をくの字に曲げた少女の体に、再び拳を叩き込もうとしたアルテミアは、突然ふっ飛んだ。
「き、貴様!」
少女の両目が輝き、アルテミアを超能力でふっ飛ばすとすぐに、手から光線が放たれた。
「クッ」
アルテミアは顔をしかめながらも、横に飛んで避けた。
「魔力を使えない貴様などに!」
少女の叫びに反応して、光線が曲がった。
「やはりな!相手の魔力を封じる絶対結界!その中で、魔力を使えるのは己だけ!」
アルテミアは空雷牙を使った時、少女の周りだけ…雷鳴が届いていないことに気づいていた。
「この能力の前では、貴様も無力!」
光線は、アルテミアを直撃するはずだった。
「どうかな?」
アルテミアは着地と同時に、光線に向かって飛んだ。
「自ら死ぬ気か!」
「フン!」
アルテミアが右手を振ると、ドラゴンキラーが装着された。
「月の女神が、なぜ貴様を封印するために、人間を使ったのか!そこに理由がある!」
アルテミアは、光線をドラゴンキラーで斬り裂いた。
「な!」
目を見開く少女に、ドラゴンキラーを突きだしながら、アルテミアは突進する。
「魔力がなくても、人間は戦える!恐れぬ勇気さえあれば!」
「く!」
次々に光線を放つが、アルテミアはすべて斬り裂いた。
「ば、馬鹿な!」
アルテミアの姿を見て、少女の目に…過去の情景が浮かんだ。
絶対結界により、月の力も使えなくなったのに、生身で向かってくる人間達。
何百人と殺そうと、屍を越えて…ついには、少女は人間達に抑えつけられた。
身動きできない少女の目に、天から向かってくる人間の姿が映る。
(月影キック!)
「うわあああ!」
次の瞬間、少女は絶叫し…今までで一番威力のある光を放った。
その光は、アルテミアを直撃した…はずだった。
「うぐぅ」
勝利の確証の笑みを浮かべていた少女の口から、血が溢れた。
「貴様は…な、何者だ?」
後ろに回ったアルテミアが背中から、心臓を突き刺していた。
「ティアナ・アートウッドの娘…アルテミア・アートウッドだ!」
アルテミアは突き刺したドラゴンキラーに力を込めた。
「ア、アルテミア…アートウッド」
正確に心臓を貫いたドラゴンキラーの尖端が、胸から突き出ていく。
「ば、馬鹿な…ぐわあっ!」
噴水のような血を吐き出すと同時に、アルテミアはドラゴンキラーを一気に抜いた。
「魔力が使えぬとも、戦える。そんな強さもあることを…あたしは知っている」
そこまで言った後…アルテミアは顔をしかめた。
脳裏に浮かんだ圧倒的な力を持つ…存在。
(だが…そんな強さも通用しない相手がいる)
少女がその場で崩れ落ちるのを、目で追った後…アルテミアは、力を奪う為に少女に手を伸ばした。
「うん?」
しかし、途中で手を止めた。
「お婆様…」
少女の目から、涙が流れた。
「ま、まさか!」
慌てて少女の首を掴み、起き上がらそうとしたが…少女の体も突然水分を失い、ミイラのようになると、砕け始めた。
アルテミアの手の中で、砂と化した少女。
その砂の中に、生徒手帳があった。
アルテミアが手に取り、中を確認すると…名前が、書いてあった。
黒谷蘭花と。
「くっ!」
アルテミアは手帳を握り締めると、
「こいつは、虚無の女神ではない!」
唇を噛みしめた。
と同時に、アルテミアがいた空間が歪み始めた。
「チッ!」
舌打ちすると、アルテミアは周囲を見回した。
「ここに閉じ込める気か!」
今まで、広さがわからなかった空間がいきなり、学校くらいの大きさに縮む。
「舐めるな!」
アルテミアの姿が変わる。
六枚の翼を広げ、上に向けて飛び上がった。
「ここのはずだ!」
蹴り開けられている理事長室に飛び込んだユウリとアイリの目に、机の上で横になって気を失っている黒谷理事長の姿が目に入った。
しかし、二人は黒谷を気にすることなく、理事長室を見回した。
「どこかに…空間を繋ぐ入口が」
辺りを探すアイリと違い、ユウリは真っ直ぐに机の向こうに向う。
窓に手を当て、
「入口が…閉じられている」
「何だと!?」
アイリも窓に顔を向けると、そばに行こうとした。
その瞬間、足元の床が輝いた。
「な!」
アイリのつま先から数センチ向こうの床から飛び出した鋭い剣先が、床そのものではなく、床のある空間を斬り裂いていく。
まるで、チャックでもついていたのかと思うくらい…空間に穴が開くと、そこから黄金に輝く天使が飛び出して来た。
「アルテミア!」
アイリとユウリが、同時に叫んだ。
「…」
アルテミアは無言で変身を解くと、六枚の翼が消えた。
「やはり!ここにいたのか!」
目の前に立つアルテミアに、アイリが襲いかかる。
次の瞬間、赤いジャケットを羽織ったアルテミアの拳が、アイリの腹に叩き込まれた。
「アイリ!」
机を飛び越えて、ユウリがアルテミアの後ろから飛びかかる。
「フン!」
気合いとともに身をよじり、アルテミアは回し蹴りでユウリをふっ飛ばした。
ユウリの体は、窓のぶつかった。
ガラスにヒビが入り、異空間に入口だった窓は完全に砕けた。
「ば.馬鹿な…」
窓からずり落ちたユウリが呟いた。
「炎の魔神である私が…熱いなど」
蹴りがヒットした部分が、燃えていた。
「リ、リンネ様…。申し訳ございません」
アイリもその場で、崩れ落ちた。
「フン」
アルテミアは軽く鼻をならすと、ドアに向けて歩き出した。
ドアに近づく度に…アルテミアの姿が変わる。
赤いジャケットが消え、大月学園の制服に変わる。
そして、眼鏡をかけると…髪の色が変わった。
理事長室を出た時には、阿藤美亜に変わっていた。
美亜は分厚いレンズがついた眼鏡を、人差し指で上げると、廊下を歩き出した。
理事長室がある校舎から出て、渡り廊下に足を踏み出した瞬間、横合いから誰かが出て来て、進路を塞いだ。
「知らなかったわ。あなたに、そんな趣味があったなんて」
クスッと笑いながら、アルテミアに微笑んだのは…ここの教師と思われる女だった。
「!?」
思わず足を止めた美亜は絶句した。
「お久しぶりね」
「き、貴様!どうしてここに!」
声を荒げ、殺気立つアルテミアに、女は言った。
「折角化けているのに…そんな顔したら、バレるわよ」
確かに、渡り廊下の向こうには生徒の姿が見えた。
女は、美亜の耳元に口を近づけ、囁くように言った。
「天空の女神様」
「き、貴様!」
女は微笑みを崩さずに、美亜から離れると…そのまま側を通り過ぎた。
「待って!」
美亜は振り返り、女の背中に叫んだ。
「どうやって、潜り込んだ!」
その声に、女は横顔を見せて、
「いい女は、どんな事でも可能なの」
自分の言葉にクスッと笑うと、女は前を向き…美亜が出て来た校舎に入った。
そのまま廊下を歩き、理事長室に入ると…気を失い燃えているアイリとユウリに、手を向けた。
二人を燃やす炎は、女の手のひらに吸い込まれた。
すると、二人は意識を取り戻し、側に立つ女を見上げ、はっとした。
慌てて身を起こすと、跪いた。
深々と頭を下げ、女の名を口にした。
「ま、誠に...申し訳ございません。リンネ様」