第220話 探求者
「あの男!」
廊下から飛び降りた中西を見て、カレンも後を追おうとしたが、廊下で呻く生徒達の声に足を止めた。
浩也が一瞬で、乙女グレーを排除したとはいえ、襲撃で傷付いた生徒達が多数した。
(向こうには、浩也がいる…)
カレンは回れ右をすると、ブラックカードを取りだし、生徒達に治癒魔法を使う為に走り出した。
(それに…まだ敵がくるかもしれない)
魔法の使い方や戦い方を指導する学校とはいえ、本格的な戦闘の経験のない者達ばかりである。
治療に走りながらも、次の敵に備えていた。
しかし、第一陣以外の乙女グレーは現れなかった。
その理由は、簡単である。
乙女グレー達は、生徒達のいる校舎にたどり着くことなく、途中の廊下で砂と化した肉体をさらしていたからだ。
「フン!」
気合いとともに、乙女グレーの頭を…眼鏡ごと蹴り砕く女。
黒革のボンテージ姿に、短い髪をひるがすことなく、次々に乙女グレーを砂へと戻していく女はついに、目的の場所の前に来た。
「雑魚に手間取ってしまったな」
砂の山だけが残る廊下を振り返って、ちらりと見た後、女は目の前にあるドアを蹴り開けた。
「ビンゴ!」
部屋いっぱいにいる乙女グレーを見て、女はジャンプした。
空中で身をよじり、しなりを加えた蹴りを、乙女グレー達に叩き込んだ。
眼鏡を破壊され、ミイラから砂となり崩れる乙女グレーの様子を確かめることなく、女は部屋の奥を見つめた。
「誰です!ここは、生徒の立ち入りを許可していません!」
木目調の美しい机の向こうで、悠然と椅子に座っているのは、黒谷理事長だった。
口調は厳しくも、虚ろな瞳は…肉体と精神が同調していないことを示していた。
「フン」
女は鼻で笑うと、理事長を指差し、
「そこをどけ」
静かな口調で命令した。
黒谷は女の言葉を無視して、
「出ていなかない場合は、速やかに排除すべし」
立ち上がると、乙女ケースを突き出した。
「無駄だ」
女が呟くと、理事長室からその姿が消えた。
「…」
そのことにも驚くことなく、虚ろな瞳のまま、
「装ちゃ…」
言葉の途中で、理事長は唇の端から涎を流しながら、その場で崩れ落ちた。
「無意味な殺生はしたくない」
黒いスーツ姿に変わった女の拳が、理事長の鳩尾にヒットしていた。
気を失った理事長を、女は机の上に寝かせた。
理事長の手から、乙女ケースが落ち、フローリングされている床に転がった。
「やはり…ここか」
女は、理事長室の後ろにある窓を見つめた。
手を伸ばすと、ガラスの表面に手のひらを当て、窓を開けることなく、空間を開けた。
ガラス越しに見える景色が消え、真っ黒な穴が現れた。
女は手のひらを握り締めると、拳を空間に叩き込んだ。
「ぐえっ!」
向こうから飛び出そうとした乙女グレーを、叩き落とした。
「フン!」
気合いとともに、女は窓の中に飛び込んだ。
ほんの数秒…いや、もっと時間がかかったのか…女にはわからなかった。
一応、上下の感覚はあった。
足元に力を込めると、地面を感じられた。
「この学園は、ガラスの中に異空間をつくっているのか?」
女が目を凝らす間もなく、空間にぼんやりと明かりが灯った。
「異空間というよりは、迷宮よ。ここを拠点にして、無数に伸びる回廊の一部が、大月学園の窓と繋がっているのよ」
突然、前から声がしたが、女は狼狽えることなく、前方を睨んだ。
「それを、あの女が利用しただけ」
誰が前にいた。
しかし、声は耳元で聞こえていたが、気配は遥か向こうから感じた。
それに、微かかだが…無数の息吹に似た空気のざわめきが、感じられた。
その感覚は、目の前に無数のゴキブリが蠢いているようなものだった。
「貴様か…」
女は恐れることなく、一歩前に出た。
「無謀よのう」
声が笑った。
「己の力を過信し過ぎだな。乳臭い…小娘が」
その瞬間、完全に明かりが灯った。
広い。
最初に見えた感想は、そうだが…どれだけ広いか、想像もつかなかった。
遥か向こうに、地平線が見えた。
しかし、だからと言って、目に見える情報だけを信じる訳にはいかなかった。
なぜならば、ここは異空間だからだ。
それでも、圧倒的に広いと思わせるのは、目の前にいる数え切れない程の乙女グレーの多さだった。
「貴様が、ライの娘…天空の女神アルテミアか」
乙女グレーの大群の中央に、棺があった。
そこに腰掛けている少女がいた。
棺の周りは小高い丘になっているのか…膝を抱えている少女からは、アルテミアを見下ろす格好になっていた。
「何の用だ?我は、貴様に害することはしない。ただ…この学園の生徒に用があるだけだ」
「フン!」
アルテミアは鼻で笑うと、さらに一歩前に出た。
あと…数メートルで、乙女グレーの最前列にぶつかる。
「どうして…我の邪魔をする?我に、戦う意思はない」
と言いながらも、乙女グレー達は左右に転回し、アルテミアを囲んだ。
「大人しくこの空間から去るならば、手出しはしない」
「へえ〜成る程ね」
周りを囲む乙女グレーを気にせずに、アルテミアは歩き出す。
それと同時に囲む乙女グレー達も、摺り足で移動する。
「だったら、どうして…生徒達を襲った?」
アルテミアは真っ直ぐに、少女だけを見つめていた。
「どうして?」
アルテミアの質問に、少女はクスッと笑い、
「だってえ〜!私の愛する人が、人間ばかりをかまうからよお〜!」
と言った後、口元に冷笑を浮かべ、
「単なる嫉妬よ」
「ケッ!」
その言葉を聞いた瞬間、アルテミアは顔をしかめ、
「どっちがガキだ!」
足を止めると、ゆっくりと構えた。
「やる気なの!?」
少女は大袈裟に、身を乗り出し驚いてみせた。
「当然だ」
アルテミアは、少女を見据えた。
「ばっかじゃない!見えないの!この軍勢が!」
アルテミアの周りにいる乙女グレー達も、構えた。
「一万人以上いる乙女ソルジャーの凄さを!」
一万人が一斉に構える姿は、圧巻である。
いつのまにか、アルテミアはその中心にいた。
「例え、ライの娘であろうと、この数に勝てるものか!愚かなり!天空の女神!」
少女の絶叫が、空間に木霊した。
それでも、アルテミアは動揺しない。
その様子が気に入らない少女が、右手を挙げると、乙女グレーの群れの向こうからさらに巨人と、怪鳥の大群が現れた。
「生意気な女神に、死というお灸を据えてあげる!」
少女は、棺の上に立った。
「太古の昔…我が妹イオナは、我を封印する為に!一万人以上の乙女ソルジャーを送り込んできた!」
少女は、アルテミアを見下ろし、
「こいつらは、その時の骸!異空間の中で、死に絶えた月の戦士達!貴様に、倒せるか?」
「容易いことだ」
アルテミアはニヤリと笑い、
「貴様程度に、手こずった一万人ならば、数秒で倒してやるよ」
余裕の表情を浮かべた。
「な、舐めるな!」
少女の怒声が合図となり、一万人以上の乙女グレーが一斉に襲いかかった。
「フン!」
アルテミアが全身に気合いをいれると、襲いかかろうとした乙女グレー達がふっ飛び、後方にいた乙女グレーにぶつかった。
まるで、ドミノ倒しのように、倒れていく乙女グレー達に目をやることもなく、アルテミアは叫んだ。
「モード・チェンジ!」
アルテミアの姿が、変わる。
六枚の翼に、黄金に輝く髪の毛。
さらに、美しく輝くブロンドを振り乱しながら、アルテミアは天を指差した。
「空!」
異空間に、雷雲が現れた。
「雷!」
指を一気に、振り下ろした。
「牙!」
凄まじい雷が、空間中を切り裂いた。 すべてが輝き、すべてを消し去る。
「な!」
少女が瞬きをしてる間に、一万人の乙女グレーや魔物達は、消滅していた。
「ば、馬鹿な…」
少女の足が棺の上で、ガクガクと震えているのを、不敵な笑みを浮かべながらアルテミアが見上げ....呟いた。
「やはりな」