第218話 幽玄の恋
「遅い!」
放送室をジャックした後、真っ直ぐに中庭にある噴水に向かった中西は、腕を組んで九鬼を待っていた。
放送を聴いた生徒達が、左右の校舎の窓から顔を出し、その様子を伺っていた。
野次馬根性であるが、彼らが期待するのは…中西がフラれる瞬間であった。
完全無欠の生徒会長にフラれるところを見て、笑いたいのだ。
巨人によって側面を破壊されたのは、中西の左側の校舎だった。
九鬼はため息をつくと、校舎を回り、公衆の目にさらされた舞台に飛び込んだ。
九鬼が姿を見せた瞬間、生徒達から歓声が上がったが、それはすぐにかき消された。
「黙れ!」
中西の怒声が、校舎の谷間に響いた。
「俺は、スターだから…見られるのは仕方がない!しかしな!」
中西は、左右の校舎を見上げ、睨み付けてから、
「ラブシーンは、静かに見るものだ!」
九鬼に目をやった。
「美しい…」
感嘆のため息をつく中西に、思わず九鬼は足を止め、顔をしかめた。
長い黒髪に、化粧気がないのに、目鼻立ちがくっきりしている為、華やかに見える顔。
確かに、九鬼は美人であった。
「う」
だけど、近寄り難い雰囲気を持つ九鬼は、面と向かって美しいと言われたことはない。
敵からは、悪魔と呼ばれたことはあるが…。
闇夜の刃…乙女ブラックに、美しいという言葉は無縁のものであった。
その為、中西に言われた美しいが…九鬼の調子を狂わせてしまった。
「本当に美しい!」
後ずさる九鬼と違い、前に出る中西。
その様子は、一刀両断にフラれると予想していた観衆の想像と違ったものだった。
「美しい!お前は〜美しい!」
どんな敵からも逃げずに戦うことが、信条である九鬼が後ずさっていたのだ。
「お前は、本当に美しい!」
中西の美しい攻撃に、九鬼は後ずさりながら、冷や汗も流していた。
いつのまにか、中庭を出て…グラウンドの近くまで、九鬼は後ずさっていた。
「その美しいさは!凡人には理解できない!」
中西はゆっくりと手を前に差し出し、
「さあ…来い!」
力強く言った後、中西も中庭から飛び出すことになった。
生徒達の視線を背中に浴び、前には狼狽える九鬼しかいなくなった時…中西は、にやりと笑った。
そして、小声でこう呟いた。
「デスぺラードよ」
「うっ!」
動揺している九鬼には、中西の最後の言葉が聞こえなかった。
後ずさる足が、グラウンドの土を踏んだ瞬間、九鬼は唇を噛み締めて、前を睨んだ。
一呼吸置くと、中西に向かって叫んだ。
「返して貰えますか!あたしの大切なものを!」
「大切なもの?」
中西は、首を傾げた。
「どぼけないで下さい!あたしの大切な…」
九鬼は口をつむんだ。
乙女ケースのことは、言えない。
生徒が見てるからだ。
(どうする?)
力ずくで奪うこともできたが、生徒の手前…手荒な真似はしたくない。
心の中で葛藤している九鬼の様子に気付き、中西はああ〜とわざとらしく頷くと、
「ああ〜あれかあ」
学生服の内ポケットに手を入れた。
「きゃあああ!」
その時、校舎から顔を出していた生徒達から悲鳴が上がった。
「何!?」
九鬼は慌てて、後ろを見た。
グラウンドの土が突然盛り上がると、その中から太さニメートルはある巨大な蛇が、飛び出してきたのだ。
「サンドスネーク!?」
校舎内から、声が上がった。
「砂漠地帯にしかない魔物が、どうしてここに!?」
魔物事典を慌てて、めくったガリ勉タイプの生徒が、絶句した。
「キィィー!」
サンドスネークは、甲高い…振動波のような音を発すると、一番近くいる九鬼の頭上目掛けて、口を開いた。
蛇というよりも、ウツボに近い口の中には、無数の牙が並んでいた。
「クッ!」
九鬼はサンドスネークの口から目を離すと、中西を見た。
内ポケットから、乙女ケースを取り出した中西は、九鬼を見て…微笑んでいた。
「それをあたしに!」
もう体裁など気にしては、いられない。
自分は避けれるが、次の瞬間…中西や、校舎にいる生徒が襲われる。
そう思った九鬼が、中西に手を伸ばした瞬間、 中西も手を伸ばした。
いや、伸ばしたのではない。
突きだしたのだ。
「装着!」
「何!?」
乙女ケースが開き、黒い光が…中西を包んだ。
次の瞬間、
「トォー!」
ジャンプした中西が、九鬼に襲いかかるサンドスネークの頭を蹴り上げた。
「乙女ブラック!」
校舎から、歓声が上がった。
「!」
驚く九鬼の後ろに着地した中西は、乙女スーツに身を包まれていた。
「いくぜ」
中西は人差し指で、黒い眼鏡を突き上げると、くの字に折れ曲がったサンドスネークに向かって、再びジャンプした。
「月影キック!」
回転し、かかと落としの体勢になった中西の足が輝き、サンドスネークの顎にヒットすると、まるで包丁で二枚おろしにするかの如く、サンドスネークの体を真っ二つに切り裂いた。
「フッ…」
中西がグラウンドに着地し、眼鏡を外したタイミングと同時に、二つに裂けたサンドスネークが、グラウンドに倒れた。
砂埃が舞う中、生徒の興奮した歓声がわき起こった。
学園を揺らす程の歓声の中、ゆっくりと九鬼に近付いた中西はすれ違いざま、こう言った。
「すまないなあ〜。もう返せないよ」
「何!」
「フッ」
中西は九鬼の前に立つと、こちらを見ている生徒に向かって、叫んだ。
「俺が、乙女ブラックだ!」
「きゃああ!」
「うおおっ!」
悲鳴と驚きと、歓声が混ざり合う。
「中西が、学園のヒーローだったのか!」
「本当にスターだったんだ」
生徒の声に、投げキッスで応える中西の後ろ姿を、九鬼はただ…見つめていた。
(あり得ない!どうしてだ)
乙女ソルジャーは、女にしかなれないはずだった。
男が変身する場合は、哲也のように女性の体になるしかない。
それなのに…中西は、普通に変身した。
(どうしてだ)
乙女ケースを奪われたことよりも、九鬼はそのことに驚いていた。
「何を馬鹿なことを!」
グラウンドのそばにかけつけたカレンは、目の前の茶番に顔をしかめた。
「どうして…何だろう。彼は違う。どうして、わからないんだろ?」
中庭にある噴水の向こうから、中西と九鬼の様子を見つめていた浩也は首を捻った。
戦い方…物腰が、一度見ただけであるが、明らかに九鬼の時と違っていた。
九鬼の乙女ブラックは流れるようなしなやかさがあったが、中西の場合は力で押し切った感じがした。
「それが、わかるのは…一握りの人間だけです」
浩也は突然、後ろから声をかけられて、少し驚きながら振り返った。
そこには、微笑む少女がいた。
「人の殆どが…今、あなたが思うように....思慮深く、強い訳ではありません」
少女は微笑みながら、浩也に近付いた。
「?」
浩也は少女を知らなかったが、なぜか…無視することができなかった。
自然と話を聞いてしまう。
「あなたは…そんな人を愚かと思いますか?」
探るような少女の瞳に、吸い込まれそうになりながらも、浩也はこたえた。
「僕も…昔は弱かったから…この世界に来た当時は……!?」
そこまで言って、浩也は絶句した。
(この世界に来た当時!?)
自分で口にして、意味がわからなかった。
自分に驚いている浩也の様子に、少女は嬉しそうに笑った。
「浩也!」
鳴り止まない生徒の歓声の中、中庭を横切ったカレンが2人に近づいてきた。
そのことに気付いた少女は、浩也から離れた。
「また会いましょう。赤星君。あたしの名は、美亜....阿藤美亜」
美亜は、カレンに背を向けると、中庭の置くに消えていった。
「うん?誰だ」
去っていく美亜の後ろ姿を見つめながら、カレンは首を傾げた。
「さあ…」
浩也も、美亜の後ろ姿を見つめていた。
「でも…」
「うん?」
カレンは、浩也の横顔を見た。
「綺麗な人だ」
「…」
その言葉に、カレンは何も言えなくなった。
普段なら、突っ込むところだが…浩也の切なげな目に、何も言えなくなった。
(一体…誰だ?)
人類の希望となる浩也に、こんな目をさせる女。
カレンは、妙な胸騒ぎがした。
この出会いが、すべてを変えるような…そんな予感。
そして、その予感に対しては…自分は何もできないと、心の底が告げていた。
「く!」
カレンは無理矢理顔をしかめると、いつまでも美亜が去った方を見つめている浩也の頬っぺたをつねった。
「教室に戻るぞ!」
そのまま、浩也を校舎の中まで引きずっていった。