第217話 呼ぶ声
「く!」
補修魔法によって、急ピッチで修繕される校舎を見上げながら、九鬼は顔をしかめていた。
乙女ケースが、何者かに奪われたからだ。
いや、奪ったとしたら…あの男しかいない。
探しにいこうとする九鬼の横に、カレンが立った。
「気付いたか?」
一つ目の巨人が破壊した窓側の壁を見上げながら、カレンはきいた。
「?」
九鬼には、質問の意味がわからなかった。
カレンは、九鬼が答えるのを待たずに、
「さっきの巨人は、いきなり現れた。テレポートしてきたでもない。突然わいたんだ」
「!」
九鬼は驚き、カレンの横顔を見た。
「やつが、現れた時…やつの足下にだけ…亜空間が開いていた」
カレンは視線を、足下に移動させた。
先程の襲撃の時、カレンも教室にいた。
しかし、巨人の足下から漂う邪悪な気を感じて、動けなくなったのだ。
巨人よりも、恐ろしいものが出てくるような気配を感じて、どう動くべきか迷ってしまったのだ。
「亜空間?ま、まさか」
九鬼の頭に、先日の実世界へと繋げた…兜の計画がよみがえった。
人間の魂を捧げて、異空間と繋げるのだ。
「あれとは、違う」
カレンは否定した。 足下を蹴ると、
「世界そのものを繋げるのではなく、もっと小さな穴を開けたようなものに感じた」
地面を削った。
「どういう意味?」
九鬼が訊いた。
「つまり…」
カレンは削るのをやめると、
「この学園の地下には、何かあるということだ」
ブラックカードを取り出した。
「こ、これは?」
九鬼はまじまじと、カードを見た。
カードが使えなくなってからも、ブラックカードの存在だけが都市伝説のようになっていた。
今でも、無限に魔力を使えるカードと。
しかし、実際は無限ではない。
直接魔物と戦い、奪った魔力分しか使えないのだ。
カレンは、カードのボタンを押した。
「ジャスティンなら、何か知ってると思ったんだけど…ここ数日、繋がらないんだ」
やはり、応答がない。
「まあ…。そう簡単に死ぬやつでもないしな」
カレンはブラックカードをしまうと、改めて地面を見つめた。
「…」
九鬼も、無言で地面を見つめていた。
そんな2人の沈黙を、駆け寄ってきた浩也が破った。
「おばさあん!」
浩也の声に、カレンがすぐにキレた。
「誰が!おばさんだ!」
そばに来た浩也に、回し蹴りを喰らわす。
しかし、浩也は反射的に、片手で防いだ。
その滑らかな動きに、カレンと九鬼が驚いた。
(できる!)
2人が同時に、心の中で思ったが、当の本人はただ…にこにこするだけだった。
「チッ」
カレンは軽く舌打ちすると、足を下ろした。
浩也を睨みながら、
「同じ学年なんだから、せめてお姉さんと呼べ」
「うん!わかった」
浩也は頷き、
「カレンおばねえさん」
と言ったらもんだから、カレンはまたキレた。
「言葉がおかしいだろが!」
そんな2人のやり取りを聞きながらも、九鬼は浩也を見つめていた。
(この男が…信じられないレベルの強さを持っている)
今、目の前にいる浩也からは、まったくそんな力を感じない。
しかし、今朝も先程も…目の前で、凄さを見ていた。
(彼は…我々の味方なのか?)
真剣な表情で自分を見る九鬼に、浩也は微笑んだ。
(な!)
屈託のない笑顔が、九鬼の緊張を解いた。
つねに、戦いに身を置く九鬼には、縁遠い…笑顔。
九鬼は、自分の顔が赤くなっていることに気づかなかった。
そんな3人を、柱の影に隠れながら、見つめる人物がいた。
阿藤美亜である。
「フン!」
美亜は鼻を鳴らすと、柱から離れた。
そして、廊下を歩きながら、かけていた眼鏡を外した。
牛乳瓶のフタのような分厚いレンズがなくなった瞬間、 廊下に歓声がわいた。
「誰だ!?あの子は!」
「す、凄い美人だ」
男達だけじゃなく、女子生徒も見とれる中…美亜は、前だけを見て、歩き続けた。
「もう邪魔くさい!」
カレンは、浩也の左右の頬っぺたをつねると、
「おばさんも!お姉さんもいい!カレンと呼び捨てにしろ!もしくは、山本さんだ!」
「じゃあ、カレンで」
浩也は即答した。つねられていても、笑顔を崩すことはなかった。
「呼び捨てか!」
カレンは捻りを加えて、浩也の頬っぺたから手を離した。
「まったく!」
カレンは、頬っぺたが赤くなっている浩也を見つめ、
「こんなやつが…あんなに強いなんて、あり得ないだろう」
腕を組んだ。
浩也は苦笑し、
「僕は…そんなに強くないですよ。お母様の方が絶対、強いし…それに…」
浩也の脳裏に、ある女性が浮かんだ。
後ろ姿しか見えない。
綺麗なブロンドの髪に、槍を持った…女。
(誰!?)
その女の姿が浮かんだ瞬間、浩也は激しい頭痛に襲われた。
「クッ!」
顔をしかめ、突然踞る浩也に、カレンと九鬼は驚いた。
「ど、どうした!大丈夫か」
カレンは腰を下ろし、踞った浩也の顔を覗き込んだ。
「医務室に運びましょうか?」
浩也の様子を見て、九鬼もしゃがみ、浩也の肩を担ごうとした。
その瞬間、校内にアナウンスが響き渡った。
「いぇ〜い!みんな元気かな!大月学園のスター中西剛史だぜ!」
「な、何だ?」
カレンは顔を上げた。
ボリュームを最大にしているのか…少し音が割れていた。
「今日は、みんなのスターから〜たった1人のマイ!スウィ〜トエンジェルへの伝言だ!すまないなあ〜!」
と言ったら、咳払いをし、
「マイスウィ〜トエンジェル!九鬼真弓!お前の大切なものを預かっている!だ・か・ら!俺の胸の中まで、取りにこい!学園の真ん中で、愛を叫んで、待ってるぜえっと!」
最後に叫んで、放送は終わった。
カレンは、九鬼をに顔を向けた。
「今の馬鹿は知り合いか?」
少し軽蔑したような目を向けられたが、少し青ざめている九鬼は、
「いえ…」
としかこたえなかった。
「うん?」
カレンは首を捻った。
「別に大したことじゃないから…。ごめん。赤星君をお願いします」
浩也の様子が少し落ち着いたのを確認すると頭を下げ、その場から去ろうとする九鬼。
「待てよ」
九鬼の様子にただならないものを感じたカレンは、腕を掴んだ。
「何があったんだ?」
「…」
無理矢理腕を振りほどくこともできたが、自分を見るカレンの真剣な表情に、仕方なく…理由を話した。
「何!?」
カレンは驚き、思わず腕から手を離した。
「あ、あり得ないだろ!お前から、あれを奪うなんて…どんな達人だよ!」
もしカレンが、九鬼から乙女ケースを奪おうとしても、容易ではないことを知っていた。
九鬼は俯き、
「どうやって、取られたか…わからない…。巨人の一太刀を受け止めた後だから…」
「戦闘中に取られたのか!」
2人の会話を横で聞きながら、落ち着きを取り戻した浩也は首を捻っていた。
やがて、ぽんと手を叩くと、九鬼とカレンに背を向けて歩き出した。
はっとしたカレンが振り向き、声をかけた。
「どこに行く気だ!」
浩也は足を止めずに、振り返ると、
「取られたものを返して貰います。他人のものを取ることは、駄目と…お母様が言ってましたし」
浩也は自分の言葉に頷くと、前を向いた。
「待て!お前が行ったら、おかしくなる!それに、体は大丈夫なのか!?」
「ご心配なく!もう大丈夫です」
カレンの制止もきかない浩也の前に突然、九鬼が現れた。
「カレンの言う通りです。あなたが行けば、話がこじれるだけです」
九鬼は、足を止めた浩也の前に立ち、
「これは、あたしの問題です」
浩也の目を見た。
透き通った綺麗な目を見ていると、ぼおっとしてしまいそうになる。
しかし、目を逸らすことはできない。
ほんの数秒見つめ合った後、浩也は九鬼に背を向けた。
「わかりました…。確かに、これはあなたの問題です」
浩也は、カレンの方へ戻っていく。
「それに…あなたでしたら、大丈夫でしょ」
浩也は笑った。
「え」
九鬼は、予想外の言葉に戸惑ってしまった。
「あなたは、強いから」
そう言って、自分から離れていく浩也の後ろ姿から、九鬼はしばし目を離せなくなった。
「どうした?」
大月学園から遠く離れた場所。
実世界でいう朝鮮半島の38度線付近にある魔界への入り口に、ギラが立っていた。
前方には、解体したはずの防衛軍の残党が、結界を守る為に陣を構えていた。
本気になれば、そんな結界…破壊することなど容易いだが、ギラにはそんな気はなかった。
命令なく、無闇に人を殺したり、破壊したりはしない。
それが、ギラの信条だった。
そんなことをすれば、人間と同じになる。
食べる為でなく、自らの欲望を満たす為に、動物を殺すことも簡単にする人間を、軽蔑していた。
しかし、人間がそんな者ばかりではないと、ギラは知っていた。
「遅かったな」
ギラは後ろを振り向くことなく、テレポートアウトした仲間に話かけた。
「仕方あるまいて…そんな簡単な相手ではないのでな」
ギラの隣で立ち止まったのは、サラだった。
「…で、どうだった?」
視線を結界に向けたままで訊いたギラに、サラはこたえた。
「予想通りだ」
サラも、結界を見つめた。
「そうか…」
しばし、無言で過ごした後、徐にギラが口を開いた。
「俺も行けばよかったか?」
「お前。殺すぞ」
サラの抑えた怒声に、ギラはフッと笑った。
「悪かったな」
ギラの隣に立つサラの残っていた角も、折れていた。
珍しく傷だらけのサラを、ギラは綺麗だと思うだろう。
だから、見ることはしなかった。
そう思うことも、侮辱にあたるからだ。
2人はただ…立ち続けていた。
「派手にやったな」
薙ぎ倒された木々が、丸太の絨毯のようになった空間に、ティフィンはいた。
ほとんどの丸太が、炭になっており…少しの風で、崩れてしまう。
そんな炭の隙間から、ティフィンは一枚の割れたカードを見つけた。
炭で黒くなったのかと思ったが、違った。
もともとカードは、黒かったのだ。
しかし、焼け焦げてはいなかったが、真っ二つに割れていた。
「こりゃあ〜使えないな」
ティフィンは、自分の顔よりも大きなカードを持ち上げようとしたが、止めた。
「…で、どうするんだ!」
ティフィンは振り返り、炭の山に横たわる男にきいた。
「別にいりませんよ。若き日の思い出の品ですが…もう必要なりなくましたから」
顔を真っ黒にしながら、仰向けになり、空を見上げている男は…ジャスティン・ゲイだった。
「大丈夫か?生きてるよな」
心配そうに、上からジャスティンの顔を覗き込むティフィンに、ジャスティンは苦笑した。
「勿論」
「でも、騎士団長とやりあったんだろ?それで、五体満足のはずが…」
「大丈夫ですよ。クリーンヒットは、一発しか貰っていないですから」
「一発って!騎士団長だぞ!人なら、粉々になるはずだ!」
声をあらげるティフィンに、ジャスティンはさらに笑った。
「だから…カードは、割れましたよ」
サラとの戦いで、すぐにブラックカードを使い、黒い結界を身に纏い…digシステムを発動させた。
しかし、サラの雷撃で…結界が破壊されたのだ。
たった一発の攻撃で。
digシステムとは、素手を基本としたジャスティンの戦い方に、防御の必要性をなくした…画期的なものであった。
結界が、攻撃を防いでくれるからだ。
しかし、ジャスティンは防御の必要性を痛感した。
digシステムを破壊され、生身になった方が戦えたのだ。
先祖達が作り上げた格闘術には、防御もまた…型の中に組み込まれていたのだ。
素手で、騎士団長と戦うなど無謀だと言われようが…最初の一撃以外、死に至る程の攻撃を受けることはなかった。
(俺も…まだまだだ)
ジャスティンは、右手を天に向けた。
血だらけの右手は、折れてはいなかったが、肉がもげていた。
なぜならば、この手の手刀で…サラの角を叩き折ったのだ。
しばし、血だらけの手を見つめていると…ティフィンが飛んできて、手を当てた。
妖精であるティフィンは、戦闘力は低かったが、治癒能力に長けていた。
治っていく手を見ながら、ジャスティンはティフィンに言った。
「日本にいけ」
「え?」
治癒の手を止めずに、ティフィンがきいた。
「日本には、赤星君がいる」
「あ、赤星が!」
ティフィンは思わず、治癒の手を止めた。
「君の知る赤星君とは…少し違うかもしれないが、紛れもなく彼だ」
「少し違う?」
ティフィンは首を傾げた。
「会えばわかる!しかし、君は…赤星君に会いたいだろ?」
「そ、そんなことは!」
焦って、顔を逸らすティフィン。
「彼は…多分…いろんなパーツが欠けている。君と会えば、また一つ欠けている部分が消えるかもしれない」
「だけど!赤星は、魔王と戦って…」
「君の仲間であったフレアも、彼の欠けた部分を補ってくれた」
「フ、フレアって!噂は、本当だったのか!魔王復活の鍵を握った赤ん坊を抱いて、逃げているって!」
思わず興奮するティフィンに、ジャスティンは微笑んだ。
「その赤ん坊が、赤星君だ」
「ええ!」
「詳しいことはわからない...。だから、会ってみてくれ。赤星君がいる学校には、俺の弟子もいるから」
ジャスティンは、治りかけている手で、ティフィンの頭を撫でた。
「頼んだぞ」
「ジャスティン…お前は、どうするんだ?」
「俺は…」
ジャスティンは空を見つめ、
「修行をやり直す」
頷いた。
「さらに、強くなる為に」