赤の王編第3部 心無き心編 第210話 神話
「赤星…浩也…くん」
「はい!」
握手を交わす手からも、大した力を感じない。
しかし、先程の疑似太陽を発生させたのは、間違いなく…彼である。
(赤星…)
九鬼の頭に、綾子の姿が浮かんだ。
そして、まだ見たことはないが…綾子の兄である。
(赤星浩一)
この世界で、彼の噂を知らない人間はいない。
異世界から来た勇者として、戦い続けた男。
(だけど…彼の名は、赤星浩也)
九鬼から、握手を離した。
まじまじと、目の前で笑顔を浮かべている浩也を見つめてしまった。
言葉が続かない。
沈黙が、2人の間に流れた。
(どうする?)
九鬼が悩んでいると、正門に誰かが飛び込んできた。
「あたしを置いていくな!」
風のような速さで、2人のそばまで来た少女を見て、九鬼は目を丸くした。
「それに!勝手に、発光するな!今は、夜だぞ」
少女は、浩也に詰め寄った。
「ご、ごめんなさい…。おばさん…。邪悪な気を感じたから」
怒られて、項垂れる浩也の襟元を、少女が掴んだ。
「おばさんと言うな!せめて、お姉さんと言え!」
「ご、ごめんなさい…おばさん」
「だからな!」
永遠に終わりそうにない2人のやり取りに、九鬼はため息をつくと、声を発した。
「久しぶりね。カレン」
九鬼の声に、浩也の襟元を絞め上げていた少女がはっとして、顔を向けた。
「真弓?」
おばさんと言われた少女は、カレン・アートウッドだった。
驚くカレンに、九鬼は頷いてみせた。
「この時間まで、学校に?」
「ええ」
カレンは、九鬼の手に乙女ケースが握られていることに気付いた。服も破けていた。
「相変わらずのようね」
カレンの言葉に、九鬼はまた頷いた。
その様子を、体育館の屋根から見下ろしているアルテミア。
気も魔力も抑えていた。
「これで…役者が揃った」
その呟くと、屋根から消えた。
次の日…というか、朝日が昇り、1日が始まった。
大月学園に、転校して来た赤星浩也。
さらに、復学した山本可憐を加えて、授業は平常通りに行われた。
刹那の件は、転校したとすまされた。
アマテラスの消滅とともに、亜空間に放置されていた生徒達の死体が廊下に現れたが、生徒達が登校する前に、九鬼達によって他に移された。
「今回の事件も内密に、処理したわ」
大月学園の地下一階にある理事長室に、九鬼はいた。
「ありがとうございます」
目の前にある質素な机の向こうで椅子に座りながら、頭を下げる九鬼に頷いたのは…この学校の理事長である。
「お礼ならいいのよ。あなたには、この学園を助けて貰った恩があるのだから」
理事長は九鬼に向かって、微笑んだ。
新たなる防衛軍を編成する為に、闇に魅せられた結城哲也の暴走は、学園の生徒達を巻き込み、周りの人々も生け贄にしょうとした。
それは、闇の女神と月の女神と、人の欲望が入り乱れた結果だった。
「いえ…あたしは、何もしていません」
九鬼は、首を横に振った。
人々を生け贄にして、時空間に壁を空ける為につくられた巨大ロボを、九鬼は破壊することができなかった。
九鬼の脳裏に、ガンスロンを一撃で倒し…闇の女神を吸収したアルテミアの姿が、よみがえる。
肩を落とす九鬼に、理事長は言った。
「そんなことはありません。あなたがいなければ、もっと被害は大きかったはずです。周囲の復興も、こんなに早くはなかったでしょう」
理事長の言葉も、九鬼には慰めにしか聞こえなかった。
理事長はため息をつくと、椅子から立ち上がった。
「それに…彼らに幽閉されていた私が、再び理事長に返り咲けたのも…あなたのおかげです」
理事長は机を回ると、九鬼の横に来て、肩に手を乗せた。
「黒谷理事長…」
肩から感じる温かさに、九鬼ははっとして、理事長の顔を見た。
理事長は優しく頷くと、肩から手を離した。
「私は感謝しております」
理事長は、部屋の中を歩き出した。
九鬼は振り返り、理事長の背中を見つめた。
「孫の蘭華のことも知ることができましたし」
理事長は足を止め、部屋の扉の上に飾られた歴代の理事長の写真を見上げた。
「蘭華…」
デスぺラードの化身であるタキシードの男の罠にはまり、偽りの乙女ソルジャーの力を失い…森をさ迷っていた時、九鬼は蘭華に会っていた。
乙女イエローの神流と、戦っていた…乙女ブラックであった彼女と。
しかし、蘭華は九鬼の目の前で、神流に負けた。
変身が解け、生き絶える前に、蘭華は乙女ケースを森に投げた。
そして、偶然にも…乙女ケースは、九鬼の前に転がったのだ。
「すいませんでした…」
蘭華を助けることができなかった九鬼は、理事長の背中に頭を下げた。
「あなたが、謝ることはありません!」
理事長は、頭を下げた九鬼に注意した。
「元々…私達黒谷家は、乙女ブラック…いや、月の女神の配偶者である乙女シルバーに仕える為に、つくられた一族です」
理事長の肩が、小刻みに震えていた。
「それなのに…あの子は、闇に魅せられ…乙女ソルジャーの力を使ってしまった。月の従者である身なのに!」
今度は、理事長が振り向くと…頭を下げた。
「申し訳ありません」
「!」
理事長の行動に、九鬼は狼狽えた。
「頭を上げて下さい!理事長が、頭を下げることはありません」
それでも、しばらく理事長は頭を上げなかった。
数秒後、ゆっくりと頭を上げた理事長は、真っ直ぐに九鬼を見つめ、
「我が大月学園は、乙女シルバーであるあなた様に、忠誠を使います」
今度は、ゆっくりと跪いた。 顔だけは、九鬼を見つめたまま。
「力無き…いずれ滅びる定めにある人という種を…」
そして、深々と頭を下げ、
「導いて下さいませ」
自分に向かって、臣下の礼をしめす理事長に、九鬼は首を横に振った。
腰を下ろし、片膝を床につけると、九鬼は理事長と目線を合わした。
「あたしは…人々を導けるような人間ではありません。多くの人も殺めました。それに…」
九鬼は乙女ケースを取りだし、黒い表面を見つめ、
「乙女シルバーに、完全になることはできていません」
ケースを握り締めた。
その様子を見た理事長は、立ち上がった。
そして、再び歩き出した。
九鬼の横を通り、机の向こうに戻ると、何もない壁を見つめた。
「…それは、仕方がないのかもしれません」
理事長は振り返り、
「あなたの肉体は、闇の女神デスペラードの器になるべきはずだったもの…。しかし!」
九鬼の目を睨み、
「その身に宿る魂は、初代乙女シルバーそのもの!」
「!」
理事長の言葉に、九鬼は目を見開いた。
「初代乙女シルバーは、闇の女神との戦いで命を落としましたが…乙女ケースに、デスぺラードの魂を封印した。さらに、彼は....いずれ封印が解け、復活することを見越して…デスぺラードの肉体となる者に、転生することを望んだのです」
理事長はそこで目を伏せ、少し躊躇った後、睨むように九鬼を見た。
「虚無の女神の力で…」
「虚無の女神?」
聞いたことのない…新たな女神の名に、九鬼は眉を寄せた。
「申し訳ありません!」
突然、理事長は机に両手を突き、深々と頭を下げた。
「そのことを、初代乙女シルバーに進言したのは、私達黒谷家の先祖!私達の先祖は、虚無の女神と通じ…あなた様の魂に呪いをかけました。闇の女神の器が、生まれ…封印が解けるその日まで、生まれ変わることがない呪いを!」
興奮気味に話す理事長を見て、九鬼は冷静であろうと、逆に心を落ち着けた。
ゆっくりと呼吸をした後、九鬼は口を開いた。
「あたしのことは、今は置いておきます。黒谷理事長」
九鬼は少し机に近付き、
「虚無の女神とは、何ですか?」
理事長に訊いた。
「!!」
理事長は驚いたように目を見開き、頭を下げた体勢のまま、顔だけを上げた。
「そ、それは…」
理事長の目が泳ぎ、辺りを伺った後、机の側面に手を伸ばした。
すると、理事長室の壁が輝いた。
「この光は!?」
蛍光灯のような人口的な光ではなく、淡い輝きに、九鬼ははっとした。
「ムーンエナジー!」
「これで…」
理事長は上半身を上げると、姿勢を正した。
「やつには、聞こえないでしょう」
安堵のため息をつく理事長に、九鬼は顔を向けた。
「虚無の女神には」
「!」
九鬼は、唇を噛み締めた。
月の結界に守られた部屋。
そこまでしなければならない相手とは…一体。
九鬼の戸惑いを感じ、理事長は言葉を続けた。
「虚無の女神とは…月の女神イオナと、闇の女神デスぺラードの姉…ムジカ。三姉妹の長女です」
「三人姉妹!?」
九鬼は思わず、声を荒げた。
「そうです」
理事長は頷いた。
「その女神は、どこに!?」
九鬼の言葉に、理事長は指で下を示した。
「この学園の地下です」
「え!」
九鬼は、下を見た。
「いえ…正確には、先日までです。今は、地下にはいません」
理事長は首を横に振り、
「虚無の女神は、デスぺラードのように封印された訳ではありません。自ら、眠りについたのです。」
理事長は、九鬼を見据え、
「あなたが、乙女シルバーの力を取り戻す日まで」
「ば、馬鹿な!あり得ない!それに、あたしは乙女シルバーの力を完全に使えない!」
九鬼は乙女ケースを、ぎゅっと握り締めた。
「そうです…」
理事長はため息をつき、九鬼の手にある乙女ケースを見つめ、
「なぜならば…それが、最後の呪いだからです」
理事長は顔を上げ、九鬼を見た。その目には、涙が溢れていた。
「故に、あなたは…あなたこそが、唯一の乙女シルバーなのです!」
「最後の呪い?」
九鬼は眉を寄せた。
「はい」
理事長は頷いた後、九鬼に背を向け、深いため息をついた。
そして、また話し出した。
「虚無の女神ムジカは、始まりの女神にして…終わりの女神。父親である神は、最初に彼女を創りました。最高の美貌と最強の力を与えて…」
自らの片腕として、女神を創った神であった魔王は…ムジカを見て愕然とした。
彼女には、心がなかったのだ。
何も感じない彼女には、どんな力もどんな美貌も…意味がなかった。
無欲であることが、神であるというが…ギリシャ神話などがしめすように、無欲な神はいない。
悟りを開いた菩薩とは、違うのだ。
魔物や人を統治するには、無欲ではできない。
何事にも興味をしめなさいムジカを、神は見捨てた。
そして、その代わりに、新たな2人の女神を創造したのだ。
それが、デスぺラードとイオナである。
デスぺラードは、魔物を率い…人間をいたぶり、おもちゃのように殺しまくった。
イオナは、デスペラードの行為を不快に思い、虫けらのように殺されていく人間を憐れに思っていた。
姉妹の溝は、1人の人間の登場によって決定的になる。
それは、のちに乙女シルバーとなる人間の男であった。
彼に惹かれたイオナは、人間側に立ち、自らの力を与えた。それが、乙女ソルジャーである。
黄金の戦闘服を纏ったイオナの隣に立ち、つねに前線で戦う銀色の戦闘服を纏い戦う戦士。
その精悍さと勇気に、惹かれたのは…イオナだけではなかった。
心がなく、ただ世界をさ迷うだけの存在となっていたムジカ。
なぜ…ムジカが、乙女シルバーに興味をしめしたのかはわからない。
彼女は、乙女シルバーと出会うことで初めて…自我を持ったのだ。
その自我は、強烈な恋心と…嫉妬心とともに目覚めた。
心無き女神は初めて、心を持った。
しかし、その心は…真の意味で虚しさを知ることになった。
愛しても、結ばれない…虚しさを。
「彼女は、乙女シルバーに横恋慕した。その思いは、月の女神と人間の為に、戦いを終わらせたかったシルバーの心を惑わす結界になった」
理事長の話を、九鬼はじっと聞いていたが、なぜか心がざわめいた。
無意識に、ぎゅっと胸を握り締めた。
「ムジカは、乙女シルバーに話を持ちかけたのです。闇の女神を封印する為に、力を貸そうと」
その提案に、シルバーは頷いた。
彼は…ムジカの力を借りて、相討ちになりながらも、デスペラードの魂を乙女ケースに封印したのだ。
深傷を負ったシルバーは、死ぬ間際をイオナのそばで迎えようと、戦いの場から歩き出そうとした。
その時、その前にムジカが立ちふさがった。
ムジカは、シルバーに告げた。
いずれ…デスペラードは復活することを。
それを阻止する為には、デスペラードの残された肉体に呪いをかけなければならない。
デスぺラードの肉体が生まれ変わっても、それを阻止する呪い。
(それは…あなたの魂を、デスペラードの肉体とともに、転生させること)
シルバーは、唖然となった。
ムジカは、命が尽きようとしているシルバーに、こう言った。
(デスペラードは、復活したら…必ずイオナを狙う)
その言葉が、シルバーに決意させた。
呪いを受けることを、承諾したシルバーに…ムジカは、最後の取引を申し出た。
それは…。
「生まれ変わった時、自分の恋人になること…」
理事長は、九鬼を見つめ、
「そうしなければ…呪いをかけないと」
「!」
九鬼の頭に、うっすらと笑う女の顔が浮かんだ。
理事長はため息をつくと、
「勿論…彼は、頷きました。そして、その場で生き絶えた彼の魂は、デスペラードの肉体と融合し…死へと旅立ったのです」
話は終わったようだ。
九鬼も深呼吸をすると、理事長に尋ねた。
「その話は、誰にきいたのですか?」
理事長は、入り口の扉の写真を見つめ、
「先代の理事長から」
「先代の?」
九鬼も写真を見た。
「いえ…我々の先祖と言った方がいいでしょう。闇の女神との戦いに疲れ果てていた…ご先祖は、ムジカの話に乗り、彼女に手を貸したのです」
理事長は、写真を見つめながら、一筋の涙を流した。
「故に…我々は、真相を知った月の女神に激怒された。だから、我々は月の使者でありながら、黒の名を背負うことになった」
「理事長…」
「そして…ムジカは、シルバーが転生するその日まで、自ら眠りについた。我々黒谷一族は、罰として…ムジカが眠る土地の見張りを命じられた。神話の時代から、我々はここにいる」
理事長は、九鬼に目をやり、
「ムジカの思惑を知った月の女神は、闇の女神が絶対に復活しないように、魂を封印した乙女ケースを月へと幽閉した」
その魂の封印は、九鬼が騙されて解いてしまった。
「しかし、闇の女神は現在に復活した。異世界を創った月の女神も、復活した。そして!不完全ではあるが、乙女シルバーも復活した」
九鬼は、自らの乙女ケースを握り締めた。
「だから、ムジカも復活した」
「だとしたら!ムジカは、あたしに会いにくるのか?」
「もしかしたら…もうそばにいるかもしれません」
「ク!」
九鬼が唇を噛み締めた瞬間、部屋を包んでいたムーンエナジーが見えた。
「話は、ここまでです」
理事長は机を回ると、椅子に深々と腰かけた。
「私達は、あなたを全面バックアップは致します」
「…ありがとうございます」
九鬼は頭を下げた。
ゆっくりと顔を上げると、理事長を見つめ、
「しかし!お気持ちは嬉しいのですが、あなた方のお力を借りるつもりは、ございません。丁重にお断り致します」
そう言うと、背中を向け、理事長室を去ろうとする九鬼に、
「そう言うと、思っていました」
理事長は何度目かのため息をつき、
「最後に…警告だけはしております」
扉のノブに手をかけた九鬼は、動きを止めた。
「この学園のすべてを、黒谷家が握っている訳ではありません。学園内に、不穏な動きも報告されています」
理事長は、机の腕で両肘をおき、
「もしかしたら…ムジカよりも、恐ろしい者が…」
「天空の女神…」
九鬼は呟くように言った。
その名に、理事長は無言で頷いた。
「わかっています」
ノブを握り締め、扉を開けた九鬼の背中に、理事長は言った。
「天空の女神は、半分は…人類の味方でしょう。しかし…もう半分は、魔王ライの血が流れているのです」
九鬼は振り返り、
「魔王ライとは、何ですか?」
「神です」
理事長は即答した。
「但し…人類の味方ではない神です」
「神…」
九鬼はその言葉を噛み締めた後、部屋から飛び出そうとして、半身を廊下に晒しながら、振り向いた。
「最後に、おききしたい」
「何ですか?」
「今日、転校してきた生徒は一体?」
九鬼の脳裏に、太陽のように輝く浩也の姿がよみがえる。
「転校生は、2人います」
理事長は首を捻り、
「確か…1人は、元安定者のジャスティン・ゲイからの紹介のはずです」
「ジャスティン・ゲイ…」
九鬼は思い出した。
カレンが、自分に向けて言った言葉を…。
(あたしに戦い方が、似ているといった男の名前…)
九鬼は理事長室を後にすると、廊下を早足で歩き出した。
(カレンにきいてみよう)
浩也は、カレンを叔母と言っていたし…。
廊下を急ぐ九鬼の後ろ姿を、理事長室のさらに奥の廊下の影から見送る生徒がいた。
「九鬼真弓…」
それは、阿藤美亜だった。