第208話 お前を示せ
「何だ?この感じは!?」
校舎内に入ろうとした九鬼は、爪先から脳天までを直撃するような恐怖を覚えた。
全身の細胞が、怯えている。
「いる…」
九鬼は、そんな自分の細胞に渇を入れるように、血が出る程に唇を噛み締めた。
「だが…行くのみだ」
九鬼は、全身を奮い起たせ、歩き出す。
もう怯えることはない。
覚悟を決めた。
どんな生物も、死がそばにあると感じれば逃げる。
生きるとは、いわば…逃げ続けてでも生きることを、意味するのかもしれない。
食物連鎖の上位にいるものでもなければ、それは当然のことであろう。
九鬼のいた実世界では、人間が頂点にいた。
だからこそ、逃げることは臆病と言われた。
しかし、この世界は…人間が頂点ではない。
敵わぬ相手に、挑むことは勇気ではない。
無謀である。
(しかし!)
九鬼は、逆に全身の力を抜くように、体に命じた。
(それでも、守るべき人がいるならば…)
九鬼は歩き出す。
(無謀と言われようが、あたしは行く)
それは、勇気ではない。
九鬼という存在の宿命である。
背負った業である。
(あたしは…その為に存在している)
ただ戦うのみ。
前に進む九鬼を後押しするように、空に輝く月の光が増す。
光を遮る雲もない。
変身していないのに、九鬼の全身が淡く輝いた。
まるで、九鬼を守るように、ムーンエナジーが包んでいた。
(例え…闇の存在であろうと!あたしが、光の為の道を開こう)
九鬼の手が、一層輝いた。
(それが、闇夜の刃である。あたしの存在意義!)
その瞬間、九鬼は廊下を走り出した。
「ば、馬鹿な!?」
加奈子は絶句すると、たじろいだ。
放ったすべての包丁が、消滅したのだ。
近付いてくる白い乙女ソルジャーは、何もしていないのにだ。
「な、舐めるな!」
今度は、巨大な鎌を召喚させると同時に、乙女ホワイトの首筋に向かって、体を捻りながら、横に振るった。
「え」
しかし、斬れたのは…鎌の方だった。
斬るはずの首に斬られたのだ。
「無駄よ」
乙女ホワイトが、指先を少し動かしただけで、足下から電流が走り、加奈子の全身を貫いた。
「きゃああ!」
女の子らしい悲鳴をあげる加奈子の顔から、眼鏡が外れた。
変身が解け、ダメージを受けた加奈子は、その場で崩れ落ちようとしたが…それは許されなかった。
「駄目だ。勝手に倒れてはな」
乙女ホワイトの手が、加奈子の首筋を掴んで、倒れることを防いだ。
「お前にききたいことがある」
乙女ホワイトは首筋を掴んだまま、片手で軽く加奈子を持ち上げた。
「お前から…懐かしい…!?」
乙女ホワイトが話している途中、突然死角から何が飛んで来て、加奈子との顔の間を通り過ぎた。
「へえへえ」
加奈子は、いやらしく笑った。
飛んできたのは、加奈子の尻尾だった。
変幻した加奈子は、尻尾で乙女ホワイトの眼鏡を叩き落としたのだ。
「どこの誰か…知らないけどさ!乙女ソルジャーのことは、あんたより詳しい!」
空中に舞った眼鏡は、白い乙女ケースに収納されると、廊下に転がった。
「成る程…そうか…」
変身が解けた女生徒は、口元を緩めた。
「な、何!?」
加奈子は驚愕した。
変身が解けたというのに、女生徒から感じる力は、さらに増していたからだ。
逆に天井につくほど、持ち上げられた。
「魔獣因子か!」
女生徒は目を見開くと、 加奈子から手を離した。
「な、なめやがって!」
加奈子は着地と同時に、後方にジャンプすると距離を取り、口を女生徒に向けて開いた。
女生徒は、そんな加奈子の動きをただ見つめていた。
「喰らえ!」
口から、毒を含んだ炎が放たれた。
廊下中の空気を焼き尽くす炎の塊が、女生徒を包む。
「無駄だ」
炎は、突きだした女生徒の手のひらに吸い込まれた。
「あたしを焼きたければ、少なくともマグマ以上の火力を放て!あたしを痺れさせたければ…やめておけ」
いつのまにか、目の前まで移動した女生徒が、加奈子を睨んだ。
「あたしに、人間を殺す程度の毒は効かない」
その鋭い視線に、加奈子は後退った。
「か、神!」
その言葉に、加奈子ははっとして、 思い出していた。
「貴様の世界の方が、あたしには毒だったがな」
女生徒は笑った。
「そ、そうか!」
なぜ…すぐわからなかったのか。
加奈子は自分の愚かさを、嘆いた。
実世界で、圧倒的な力を持ち…その力を目にした為に、九鬼達を裏切る結果になった…恐ろしい人物。
それが、女神テラである赤星綾子。
その綾子を、簡単に殺した者がいた。
敵討ちの為に、九鬼を異世界に旅立たせた人物…いや、人物と言っていいのか。
その者は、人間ではなく…女神であり、この世のものとは思えない程の美貌と力を持っていた。
ブロンドの髪と、風と雷鳴を従えし…女神。
その名は…。
「アルテミア!」
加奈子は震え出した。
「て、天空の女神…アルテミア!!」
そこまで言った瞬間、加奈子の体がくの字に曲がった。
「その名を、気安く呼ぶな」
と同時に、加奈子の背中からアルテミアの拳が突き抜けた。
「て、天空の女神が…なぜ…うぐう!」
加奈子は口から、今度は血を吐き出した。
「お前には、関係ない」
と言った時には、アルテミアは加奈子の後ろを歩き出していた。
「ど、どうして…」
加奈子が廊下に崩れ落ちるのと同時に、九鬼が飛び込んできた。
「加奈子!!」
「このあたしが…」
胸と背中から、血を噴き出す加奈子に、九鬼はかけ寄った。
「装着!」
崩れ落ちる加奈子を抱き止めると、九鬼は乙女ケースを取りだした。
「しっかりして!」
乙女ブラックになると、急いで眼鏡を外し、加奈子にかけた。
すると、加奈子が乙女ブラックになった。
全身を包む乙女スーツが、血止めの役割を果たした。
「クッ!」
九鬼は、去っていくアルテミアの背中を睨んだ。
「アルテミア!」
加奈子を抱きしめながら、アルテミアの背中を睨み付ける九鬼。
「フッ」
しかし、アルテミアは足を止めることはなかった。
拾い上げた白い乙女ケースを握りしめると、廊下の角を曲がった。
「逃げるか!」
加奈子を廊下の壁にもたれさせると、九鬼は生身のままで追いかけようとした。
「やめておけ」
それを、加奈子が腕を掴んで止めた。
「加奈子!」
一瞬動きが止まった九鬼の目に、角を曲がっていくアルテミアの手だけが残っていることに気づいた。
人差し指が、窓の外を指差すと、アルテミアの手も消えた。
「な!?」
驚き、横目で窓の外のグランドを見た九鬼は、絶句した。
電流の鎖に絡まった刹那が、グランドの真ん中でもがき苦しんでいたからだ。
「閨さん!?」
驚く九鬼に、加奈子は激しく息をしながら答えた。
「やつは、魔に取り憑かれている」
「え」
「何人かの生徒を殺している。あいつは、危険だ」
加奈子は、右手で九鬼の腕を掴みながら、左手で眼鏡を外すと、廊下の壁にもたれながら、立ち上がった。
「これは、返すぞ。俺は、竜の魔獣因子を持つ戦士!胸に穴が空いたくらいで、死なない!それに!」
そして、九鬼に眼鏡を差し出し、
「乙女パープルでもあるんだ!」
絶叫しながら....何とか立ち上がったが、すぐによろけて、廊下の窓ガラスにぶつかった。
「加奈子!」
思わず支えようとする九鬼の手を、加奈子は払った。
「お前に助けて貰う気はない!」
ふらつきながらも、加奈子は九鬼を睨み、
「お前は…いつも先をいく。そして、遅れて来るおれに、手を差し伸べて、同じ位置まで連れて来ようとする!おれが、魔獣因子に目覚めた時!やっとお前を超えることができた…いや、並べたと思ったのに!」
加奈子の瞳から、涙が流れた。
「お前は、おれと真剣に戦おうとしなかった!お前は、いつもいつも!あたしの気持ちを踏みにじる!」
「か、加奈子…」
九鬼は何も言えなくなった。
初めて、気持ちをぶつけられているような気がした。
いや、違う。
さっき戦った時も、加奈子は九鬼を全力で倒しに来た。
(だけど…あたしは…)
九鬼の全身が、震え出した。
「そんなお前を!おれは憎んでいる!」
(ああ…)
加奈子の言葉に、一瞬…崩れ落ちそうになったが、九鬼は何とかこらえた。
「だけど…」
それは、加奈子の口調が変わったからだ。
「おれは…」
ここで、加奈子は口を閉じると、スカートのポケットに手を突っ込み…あるものを取りだすと、九鬼に差し出した。
「こ、これは!?」
予想もしなかったものが、加奈子の手の中にあったからだ。
「乙女ケース!」
黒い乙女ケースを、加奈子が持っていたのだ。
九鬼は慌てて、自分が持っている乙女ケースを確認した。
ここにも、乙女ケースがあった。
「理香子からだ…。おれに託された。闇の力で、時空間をこえる前にな」
「!?」
九鬼は驚きで、何も言えない。
そんな九鬼に、加奈子はフッと笑いかけた。
「理香子が言っていた。ここは、魔物だけでなく…神々が存在する世界。普通の乙女ソルジャーでは、勝てないとな」
加奈子は、黒い乙女ケースを九鬼の体に押し付けた。
「早くしろ!時間がない!」
「え」
突然、加奈子の持たれていた窓ガラスが輝き…空間が左右に割れると、道が開いた。
「理香子は、おれがこの乙女ケースを身から離したのを合図にして、向こうの世界へ戻れるような仕掛けをしてくれた!」
「理香子が!」
感情が昂り、震える九鬼を加奈子は一喝した。
「早くしろ!」
加奈子の体が、空間の割れ目に埋もれていく。
九鬼は頷くと、左手で加奈子の手から乙女ケースを掴んだ。
すると、右手にあった乙女ケースと引き合い…2つの乙女ケースは重なり、融合した。
「お前の手にあったのは、昔…月の女神が、愛する者とともに、戦う為に与えた力」
九鬼の脳裏に、黄金の乙女スーツを身に付けた月の女神と、その隣にいる銀色の乙女ソルジャーが映る。
そして、銀色の乙女ソルジャーは…闇の女神の魂を封印して、生き絶えた。
「…」
九鬼は、一つになった乙女ケースを握り締めた。
「そして、おれが持ってきたのは!」
加奈子の体が、実世界につながる道に、吸い込まれていく。
「理香子が!親友として、共に戦う戦士として、お前の為につくったものだ!」
「加奈子!」
九鬼は手を伸ばそうとしたが、途中で止めた。
「あいつは、これを造る為に、殆どの力を使い…しばらくは、女神の力が使えない。だから、おれは早く…戻らなければならない!」
加奈子はフッと笑い、
「心配するな。おれは死なない!」
九鬼を指差した。
「おまえとの決着をつけるまではな!」
「加奈子!!」
九鬼は絶叫した。
空間が閉まり、涙を流す九鬼が見えなくなった時…加奈子は自然と微笑んだ。
(おれは…お前を憎んでいる)
だが、その続きを言えなかった。
いや、一生…言うつもりはない。
(おれは…)
加奈子は目を瞑った。
(お前に、憧れている)
いつも皆の盾になり、誰よりも前で戦う…九鬼に憧れていた。
いや、乙女ソルジャーになる前から…加奈子は憧れていていたのだ。
憎しみは、憧れの裏返し。
(真弓…)
目を開けた時には、加奈子は実世界に戻っていた。
(死ぬなよ)
安心したのか…意識を失った加奈子のそばに、理香子と…乙女ソルジャー達が駆け寄ってきた。
「加奈子…」
九鬼は乙女ケースを胸に押し付け、ぎゅっと抱き締めた。
「理香子…ありがとう」
そう呟いた後、九鬼は乙女ケースを前に突きだした。
「装着!」
黒い光が、九鬼を包むと同時にジャンプし、廊下からグラウンドに飛び降りた。
雲一つない空に、月が浮かぶ。
九鬼は月を見上げた後、電流で縛られた刹那を見た。
すると、刹那の自由を奪っていた電流が消えた。
「さあ…どこまでやれる?」
九鬼が飛び出した校舎の真上で、アルテミアが佇んでいた。
「…」
九鬼は、刹那に向かって歩き出す。
「お、乙女ブラック…」
自由になったとはいえ、刹那はまだ痺れて動けない。
顔を上げ、近づいてくる九鬼を睨んだ。
「いや…違う!?」
刹那は目を見開いた。
近付いてくる乙女ブラックの体が、月に照らされて…輝いていく。
「友の思いが…あたしに、力と輝きをくれた」
九鬼は、真っ直ぐに刹那を見つめ、
「月の輝きは、太陽の反射によるもの。月自体は、輝くことはできない。それは、あたしも同じ」
九鬼は拳を握り締めると、
「友の優しさが、あたしを輝かせる!」
腕を軽く振った。
すると、酸化していた銀が輝きを取り出したが如く…銀色に輝く乙女ソルジャーが現れた。
「人の優しさと希望で輝く光の戦士!乙女シルバー!推参!」