第206話 衝撃
「フン!」
無意味に鼻を鳴らすと、加奈子は空を見上げた。
誰もいない屋上。
下校時間を過ぎた学校で、月を見つめていた。
「この世界にも、月があるのか…」
実世界と変わらない月を見つめながら、加奈子は呟いた。
「そして…」
加奈子は視線を、人のテリトリーである市街地の遥か向こうを睨んだ。
「魔物がいる世界…」
遠くに翼を広げて、飛び去っていく小型の竜の群れが見えた。
「ここが…ブルーワールド」
加奈子の全身に震えが、走った。
「ここならば…おれは、普通に住めるのか?」
加奈子は、ゆっくりと歩き出した。
そして、屋上を囲むフェンスに手をかけると、一気に飛び降りた。
「え!」
校舎と校舎の間にある庭園に、着地した加奈子。
その様子を目撃した生徒がいた。
「あ、あなたは?」
横合いから声をかけられて、加奈子は目撃した生徒を横目で睨んだ。
「お前か」
加奈子は、にやりと笑った。
庭園に植えられた花々を踏みつけながら、加奈子は生徒に近付いていく。
「チッ」
目撃した生徒は、舌打ちした。
そこには、怯えがなく…ただ邪魔くさそうに、加奈子を見つめ、
「今は間に合っているんだが…」
攻撃体勢に入ろうとした瞬間、
「何!」
生徒の右腕が、飛んだ。
「見せてみろ。貴様の本性を!」
加奈子は、にやりと笑った。
「お、お前は何者だ!」
腕をもがれても、生徒から血は流れなかった。
転がった腕は、黒く変色していく。
「成る程な」
鞭のように長くなった腕が、残りの腕も切り裂いた。
やはり、血は流れなかった。
それを確認すると、加奈子の腕はもとに戻った。
その様子を見て、生徒は目を見開いた。
「お前…人間ではないのか!?」
「どうだろうな…」
加奈子はフッと笑うと、スカートの中から乙女ケースを取り出した。
「装着!」
紫の光が、加奈子を包んだ。
「乙女ソルジャー!?」
女生徒は、絶句した。
乙女パープルとなった加奈子は、女生徒を指差し、
「世の中には、二種類しかいない。狩る者と、狩られる者だ」
そう言うと、女生徒に向かって走り出した。
「乙女ソルジャーが、生徒を襲うだと!?」
両腕をなくした女生徒は、加奈子に背を向けると、すぐそばの校舎に向かって走ろうとした。
次の瞬間、女生徒がいる側の校舎にはめられた…すべての窓ガラスが割れた。
「な!」
無数の包丁が、一斉に窓ガラスを突き破ったのだ。
驚く女生徒の後ろで、加奈子は肩を揺らして笑った。
「詳しくはわからなかったが、貴様の能力はガラスや鏡などに関係しているはず。先程見ていてわかったよ」
「く!」
女生徒は振り向くと、鬼の形相で加奈子を睨んだ。
「念のためだ。両手がなければ、鏡を持つこともできないだろ」
「てめえ!」
女生徒は、刹那だった。
刹那は身を屈めると、加奈子に飛びかかろうとした。
「無駄だ」
今度は、加奈子の後ろの校舎の窓ガラスも割れた。
「お前は、追い詰められた獲物だ」
「お、おのれえ!」
刹那は、横に走り出した。
裏側の校舎に向かおうとしたのだ。
「無駄」
進路に、無数の包丁が突き刺さり、行く手を阻む。
加奈子は、両手を広げながら、刹那に近付いていく。
「これから…継ぎ接ぎだらけの肉体を分解してやるよ」
加奈子の周りに、無数のナイフや包丁が浮かんでいた。
「乱れ包丁!五月雨!」
ジクザクの軌道をつくりながら、包丁類が…刹那に襲いかかるのとほぼ同時に、割れた窓ガラスから、黒い影が飛び出してきた。
そして、加奈子の首筋にスネを叩き込んだ。
「何!」
首に決まったレッグラリアットにより、加奈子の体が揺らいだ。
刹那の全身に突き刺さるはずだった包丁類は、間一髪のところで、コントロールを失い、地面に落ちた。
「真弓!」
加奈子にレッグラリアットを決めたのは、九鬼だった。
「生身の蹴りが、効くと思ったか!」
加奈子は九鬼の足を取ると、校舎の壁に向けて投げた。
壁に激突する寸前、九鬼は叫んだ。
「装着!」
黒い光が九鬼を包んだ。
装着の瞬間、装着者を守る為に、黒い光は結界の役目を担う。
校舎の壁を少し抉る光が、クッションの代わりになり、九鬼は壁に激突しなかった。
それどころか....乙女ブラックになった九鬼は、投げられた反動を利用して壁を蹴ると回転し、加奈子に向って足を突き出した。
「ルナテックキック零式!」
真っ直ぐに突き出された足が、加奈子の胸元にヒットした。
その間、ほんの数秒。
「ぐわあ!」
ふっ飛んだ加奈子とほぼ同時に、地面に着地した九鬼は、刹那がいた方を見た。
「いない?」
九鬼は、襲われていた生徒が刹那だと知らない。
ただ校舎のガラスが大量に割れる音を聞き、慌ててここに来たのだ。
それに、刹那は窓のそば...ほぼ真下にいた為、廊下を走って来た九鬼からは死角になっていた。
見えたのは、誰かに襲いかかっている加奈子の姿だけだった。
窓から飛び込み、加奈子に蹴りをいれる寸前.....横目で、踞っている生徒の姿を捉えていたが、後ろ姿であり、制服ということで誰か特定はできなかった。
(一瞬で、消えただと!?)
九鬼には、見失ったことが信じられなかったが.....捜索している余裕はなかった。
「真弓!」
声が聞こえた瞬間、九鬼は地を這うように低空でジャンプした。
その真上を、大鎌の刃が通り過ぎた。
あらゆる刃物を召還できる。
それが、オリジナル乙女ソルジャーである乙女パープルの能力だった。
「く!」
今度は、ナイフが九鬼の着地地点を予測して、地面に突き刺さる。
しかし、九鬼が着地したのは、予測地点より遥か向こうだった。
「やるな」
加奈子は笑った。
乙女ブラックの特質である速さで、九鬼はなんと、空中で加速したのだ。
「乙女ブラック....。異世界でも健在だな」
加奈子は大鎌を捨て、包丁を召還した。
そして、九鬼に向って突進して来た。
九鬼は逃げずに、その場で構えた。
加奈子は、そんな九鬼の姿ににやりと笑った。
乙女ブラックの特質であるスピードを、九鬼はあまり使わない。
スピードで翻弄する時は、相手が余程の飛び道具や光線を使う場合などが多かった。
素手や刀などの接近戦を挑む時は、九鬼は素手で迎えうった。
基本的に武器も使わない。
なぜならば、彼女は闇夜の刃。
鍛えた己の体が、武器だからだ。
「真弓!」
真っ直ぐに、喉元に狙いをつけた包丁の先を見るのではなく、九鬼は加奈子の肩の動きに、注目していた。
「は!」
気合いとともに肩を入れ、腕を伸ばしてくる加奈子の動きに呼応して、九鬼は少し首を横にスライドした。
耳元に、空気を切り裂く包丁の音がした。
九鬼は反転すると、加奈子に背中をつけ、突きだされた腕を掴み、一本背負いに持っていく。
「舐めるな!」
突然、加奈子は変身を解いた。
と同時に、加奈子の背中から黒い羽が生え、空中に浮かび上がった。
「何!?」
一本背負いの体勢のまま、九鬼は地面が足から離れていくのを見た。
「チッ」
舌打ちすると、九鬼は加奈子の腕を離し、地面へと着地すると、そのままジャンプした。
九鬼の着地した地点に、鋭い鞭のようなものが突き刺さった。
「こ、これは!?」
少し距離を取った九鬼が、空を見上げた。
「何を驚いている」
空中に浮かぶ加奈子の背中から、身長の五倍はある羽が生え、地面に突き刺さっているのは、尻尾だった。
「加奈子…。その姿は!?」
唖然とする九鬼を見下ろしながら、加奈子は笑った。
「今更驚くな!お前も、薄々…感づいていたはずだ」
加奈子の言葉に、九鬼は唇を噛み締めた。
「そうだ!その通りだ!」
九鬼の険しい表情を見て、加奈子は尻尾を地面から抜いた。
「魔獣因子…」
九鬼はその言葉を口にした後、思わず加奈子から目をそらした。
「その通りだ!」
加奈子は頷いた。
そして、尻尾を使い、九鬼の腹を強打した。
「うぐっ!」
目をそらしていた九鬼は、鞭のようにしなり音速をこえた尻尾を避けることができなかった。
直撃し、ふっ飛んだ九鬼の口から…血が流れた。
何とかすぐに身を起こしたが、立ち上がることはできなかった。
「そうだ!魔獣因子に、おれは目覚めた。月影として、お前達とともに戦う日々の中でな!」
加奈子は羽を畳むと、ゆっくりと降下していく。
「人間ではなくなったおれは、お前達を裏切り…お前達と戦った」
地面に足がつくと、九鬼に向かって歩き出した。
「そんな中で、おれは…彼女に会った」
「ク…」
何とか立ち上がった九鬼の目の前に、加奈子がいた。
加奈子は微笑むと、 九鬼の頬を尻尾で打った。
また地面に倒れる九鬼。
そんな九鬼を横目で見ながら、
「女神…テラである赤星綾子にな!」
睨み付けた。
すぐに起き上がろうとする九鬼に向かって、再び尻尾を振るった。
九鬼はその動きを見て、腕でガードしょうとした。
「馬鹿目!」
尻尾は突然軌道を変え、反対側から攻撃を仕掛けた。
その動きを人の目で追うことは、不可能。
再び九鬼はふっ飛ぶと確信した瞬間、加奈子は目を疑った。
尻尾が、九鬼の体を通り過ぎたのだ。
「残像!?」
と気付いた時には、加奈子の顎は下から蹴り上げられていた。
「ルナテックキック!二式」
倒立の格好で蹴ったと見えた次の瞬間、顎を突き上げられて空を見上げる形になった加奈子の目に....月下に舞う九鬼の姿が見えた。
「月影キック!」
足が光り、まるで流れ星のようになった九鬼の体が、加奈子目掛けて.....落下してきた。
「そうだ!それでいい」
加奈子は空を見上げながら、両手を開いた。
すると、加奈子は人間の姿に戻り、無防備に胸をさらした。
「!!」
蹴りで落下してくる九鬼は、学生服姿になった加奈子を見て、動揺した。
(加奈子!)
脳裏に、実世界での加奈子と過ごした日々がよみがえる。
さらに、こちらを見上げる加奈子の覚悟を決めたような優しい表情に、九鬼は目を瞑った。
それを見た加奈子は、優しい表情から一変し、いやらしく笑った。
「馬鹿目!」
加奈子の姿がまた、変わった。
今度は、ドラゴンそのものの姿となり、口から黒い炎を吐き出した。
「何!?」
九鬼は加奈子の声に気付き、目を開けた。
黒い炎が自分に向かってくるのが、見えた。
「クソ!」
九鬼の光る足は、黒い炎を切り裂いた。
そして、地上に突き刺さった。
「いない!」
蹴りの衝撃で、地面が抉れ…小さなクレーターができたが、肝心の加奈子には当たらなかった。
「加奈子!?」
クレーターから飛び出した九鬼の目の前に、魔物の姿になった加奈子がいた。
「その姿は…」
五メートル程の大きさがあるドラゴンが、九鬼を見下ろしていた。
「クソ!」
魔物と化した加奈子を見て、九鬼は構えようとしたが、その場で崩れ落ちた。
「え」
足に力が入らない。
いや、足だけではなかった。
全身に力が入らなかったのだ。
「ど、毒か…」
さっきの黒い炎は、毒を含んでいたのだ。
自ら作ったクレーターの中に、再び転がり落ちた九鬼。
「きええー!」
加奈子は咆哮を上げると、背中にある羽を広げ、空中に浮かび上がった。
そして、クレーターの底で動けない九鬼に向かって、口を開いた。
「ぎええ!」
奇声を上げて、口から再び黒い炎を吐き出す加奈子。
動けない九鬼の全身を包み、炎は九鬼を焼いていく。
乙女スーツを着ているとはいえ、ドラゴンの炎を浴び続けていれば、数分で灰になるはずだ。
加奈子は、吐き出す火力を増した。
「とりゃあ!」
突然、耳元に気合いの一声が後ろから、飛び込んで来たと思った瞬間、加奈子の首の付け根に、膝が突き刺さった。
「舐めるな!」
それは、燃やされているはずの乙女ブラック…九鬼の膝蹴りだった。
「ぎゃあ!」
そのまま、悲鳴を上げる加奈子の背中に飛び付くと、手刀をつくり、二枚の羽を切り裂こうとした。
「く!」
しかし、九鬼は苦悶の表情を浮かべ、振り上げた手刀を止めた。
「相変わらずだな」
ドラゴンの姿となっていた加奈子の体が、縮んでいく。
その為、背中に張り付いていた九鬼は足場を失い、ふらついてしまった。
そんな九鬼の首に尻尾が絡みつくと、絞めながら後方に投げた。
「クソ!」
九鬼は空中で回転すると、中庭を飛び出し、首を押さえながらグラウンドに着地した。
すぐに構えようとしたが、足がもつれた。
「ほお〜」
加奈子は完全に人間体に戻ると、地面に降り立ち…九鬼の方に体を向けた。
「やはり…毒はくらっていたのか」
そして、ゆっくりと歩き出した。
「それでも、ここまで動けるとは…大した免疫力だ」
「加奈子…」
九鬼は何とか倒れないように、膝を折りながらも、立ち続けていた。
近づいてくる加奈子を睨みながら、 訊いた。
「今の姿が…」
「そうだ!」
加奈子は少し距離を開けて立ち止まると、
「おれの目覚めた力だ!」
胸を張った。
「魔獣因子を持つ者の中でも、特に強力な力を発揮できると言われている!竜の因子だ!」
「竜の因子…」
九鬼は、加奈子の全身をまじまじと見つめた。
今は、普通の人間と変わらない。
「九鬼真弓!」
加奈子はギロリと、九鬼を睨み付けた後、
「フッ…お前は、弱すぎる」
鼻で笑った。
「何!?」
九鬼は倒れまいと、何とか踏ん張りながら、加奈子を見つめていた。
「闇夜の刃と言われ…1人で戦っていた頃のお前は…確かに、非情で冷酷だった。少なくとも、闇に染まった者には、容赦をしなかった。しかし!」
加奈子は、九鬼を指差し、
「月影という仲間ができてから、お前は変わった!闇に対しては、確かに今も!非情であろう…。しかし!」
「…」
九鬼は何も言えずに、ただ加奈子の言葉を待った。
「今は敵であるおれに、止めをさせない!かつて、仲間だったというだけで!」
「う!」
九鬼は唸った。
そんな九鬼を見て、加奈子は笑い、
「お前は…この世界に、テラを殺した女神と戦いに来たらしいが!今のお前に、女神は倒せん!それどころか!」
加奈子はため息をつき、
「お前は、弱くなっている!」
肩をすくめて見せた。
「言いたいことは、それだけか!」
怒気のこもった九鬼の声に、加奈子ははっとした。
いつのまにか、毒が抜けたのか…背筋を伸ばし、きちんと構えている九鬼が目の前にいた。
全身が、月の光を得て…淡く光っていた。
「なるほど…」
加奈子はスゥと目を細めた。
「弱くなったか!確かめてみろ!」
飛びかかろうとする九鬼に、加奈子は最後の言葉を口にした。
「お前は、安心しているのだろ?」
「何をだ!」
九鬼はジャンプすると、着地と同時に回し蹴りを放とうとした。
「テラが、殺されたことにな!ハハハ!」
加奈子は爆笑した。
「なぜならば!テラと戦わなくてすんだからだ!ハハハハハハ!」
加奈子の笑いは止まらない。
逆に、九鬼の蹴りは途中で止まった。
「お前の力で、勝てるとは思わないが!お前は安心しているのだ!テラと戦わなくてよかったことをな!」
目を見開いたまま、止まった九鬼の足が…地面に落ちた。
「この世界に、敵を討ちに来たと言っているが、違う!逃げて来たのだよ。テラと向き合わなかった自分からな!」
加奈子は、九鬼に体を近付けると、口を耳に近付け、囁くように言った。
「偽善者が」
「!」
目を見開いたまま動けない九鬼の横を通りすぎると、
「ハハハハハハ!」
笑いながら、加奈子は正門の方へ歩き出した。
遠ざかっていく笑い声を聞きながら、ゆっくりと九鬼は崩れ落ちた。
変身が解け、地面に倒れたまま…しばらく、動けなくなった。
(そうなのか?)
自分でも気づいていなかったが…これ程のショックを受けるとは、加奈子の言葉を認めているようなものだ。
確かに、綾子の仇を討つと言いながら、アルテミアを探しにも行っていない。
一度対峙した時、まったく敵わなかったとはいえ…しつこく戦うのが、九鬼真弓だったはずだ。
(あたしは…逃げているのか?)
変身が解かれ、手の中にある…黒い乙女ケース。
(こんなあたしだから…闇を拭えないのか?)
乙女ケースを握りしめようとしたが、力が入らなかった。
(畜生…)
倒れたまま、動けない九鬼を見ている者がいた。
月の下、地面の遥か上で…九鬼と加奈子の戦いを無表情で見ていたのは、アルテミアだった。
アルテミアはただ無言で、腕を組んだまま…九鬼を見つめ続けた。