第204話 二人の闇
「ここか…」
刹那は、北館一階中央にある生徒会室の前に立っていた。
自分で言い出したことだが、素直に来てしまったことに、少しだけ後悔していた。
しかし、嫌ではなかった。
九鬼の顔を思い出すと、今は…なぜか心が温かくなったからだ。
(どうしてだ?彼女も闇のはず)
生徒会室のドアノブさえ、輝いているように思えた。
刹那は、ノブを握るのを躊躇った。
なぜなら…握った瞬間、自分の手が焼けるような気がしたからだ。
(私は…闇)
逃げようとする自分自身に、渇を入れるように、目を見開くと、ノブを掴み…回した。
(!?)
意外と簡単に開いたドアの向こうに、九鬼がいた。
「待ってわ。閨さん」
緊張していたのか…ドアを開けただけでよろめいた刹那に、九鬼は微笑んだ。
机と椅子…本棚しかないシンプルで、質素な生徒会室は、昔と変わらない。なのにいるだけで、特別な空間に感じられた。
(この女がいるだけで…)
「大丈夫?」
よろけた自分に、いつのまにか駆け寄っていた九鬼を、刹那は思わず見つめてしまった。
「だ、大丈夫!」
そのことに慌てた刹那は、すぐに体勢を立て直し、九鬼から離れた。
真っ赤になっている刹那を見て、九鬼は微笑んだ。
「閨さんって…面白い方だったんですね」
「え?」
刹那には、意味がわからなかったが、楽しそうに笑う九鬼を見ていると、いつのまにか自分も笑顔になっていた。
「!」
そんな自分に気づいた刹那は、すぐに表情を引き締めた。
刹那の変化に気付いた九鬼も、笑うことを止めった。
ほんの数秒だけ…見つめ合う2人。
「フッ…」
微かに、刹那は唇を歪めた。
「?」
九鬼はその動きに気付いたが、表情には出さなかった。
刹那は九鬼から視線を外すと、生徒会室を見回し、おもむろに話し出した。
「今回…ここを訪ねたのには、訳があるの」
「訳?」
「そうよ」
刹那は再び九鬼を見つめ、
「あなたに、頼みがあるの」
今度ははっきりと、微笑みを向けた。
(うん?)
なぜだろうか…。
九鬼は一瞬、刹那の感じが変わったように思えた。
まったくの別人になったように。
しかし、優しく微笑む刹那に、表面上はおかしなところはない。
それに、日頃の刹那を知らないから、その変化を詳しく見抜く程の情報が乏しかった。
だが、この世界…何があるかわからない。
制服で隠した肢体に、緊張を走らせた。
何があっても対応できるように。
表情は決して、変えない。
そんな自分自身の性格に、九鬼は心の中で、苦笑していた。
(いつも、心の中では…最悪を想定しているな)
「どうかした?」
どうやら、ほんの数秒動きが止まったようだ。
刹那の声に、九鬼ははっとした。
(こんなことで、どうする!)
自分に毒づくと、九鬼は表情を和らげ、
「すいません…。ちょっと、ぼおっと……!?」
謝ろうとして、刹那を見た九鬼は絶句した。
「綾子さん!?」
目の前に、赤星綾子が立っていたのだ。
九鬼に向かって、綾子はゆっくりと微笑んだ。
「綾子さん?」
九鬼の言葉に、刹那は首を捻った。
「!?」
綾子の顔から微笑みが消えると、刹那の顔になった。
(どういうことだ?)
九鬼は、周囲の気を探った。
魔の反応はない。
「綾子さんって…」
刹那は生徒会を見渡したが、二人以外誰もいない。
「すいません!」
九鬼は少し声を荒げ、刹那に頭を下げた。
「ちょっと混乱してしまいましたわ」
頭を上げると、笑顔を向ける九鬼を少し訝しげに見つめた後、刹那も笑顔でこたえた。
「そ、そうだったの!大丈夫?」
笑い合う二人。
「ところで…」
九鬼は笑顔を止めると、真剣な表情で刹那を見た。
「あたしに頼みとは、何ですか?」
恥ずかしさからのストレートな言葉に、刹那は少し驚いたように目を見開き、九鬼の顔をまじまじと見つめてしまった。
やがて、口元に笑みをたたえたまま…刹那は話し出した。
「厳密に言うと、あなたにではないのよ」
刹那は歩き出した。
「あたしではない?」
九鬼は目で、その動きを追った。
刹那はコクリと頷き、
「でも…あなたと深い関わりを持つと、みんなが思っている人物…」
九鬼の真後ろで、止まった。
「?」
九鬼が振り向くと、両手を組んだ刹那がじっと…九鬼を見ていた。
「乙女ソルジャーの1人…」
九鬼は体を、刹那に向けた。
「乙女ブラック」
「!?」
九鬼は、自分の瞳の中を探るような刹那の視線に、息を飲んだ。
(この人は…)
九鬼は、刹那の視線で確信した。
(あたしが、乙女ブラックだと思っている)
視線を返す九鬼に気付き、刹那は再び歩き出した。
「この前の巨大な機械人形の襲撃の時、学園にいる者達は、魔法をかけられていた為に…何があったのか詳しくは覚えていない。だけど…」
刹那は九鬼の横に立ち、耳に向けて言った。
「目覚める寸前…空から無数の流星が落ちてくるのを、確かに見たという生徒もいるわ」
「それが、乙女ブラックだとおっしゃるのですね」
九鬼は、軽くため息をついた。
「だけど…あたしは」
そして、否定しょうとすると、手で刹那が制した。
「その流星は、乙女ブラックではないわ。もっと、凄い…別の力」
刹那の言葉に、九鬼は完全に確信した。
(この人は、知っている!!)
九鬼の心の中を知ってか知らずか…刹那は、言葉を続けた。
「今回、ここに来たのは…別に、乙女ソルジャーだけの為に来た訳じゃないの」
ここで、また笑顔を浮かべると、
「生徒会にも協力して貰いたいの!この学園を、魔物達の脅威から守る為に、協力してほしいの!」
興奮気味に九鬼に近付くと、腕を取ってぎゅっと握り締めた。
「特に、機械人形に破壊された学園や周囲の民家を、手際よく修繕させた!あなたの統率力を!私は、高くかっています!」
痛い程に握られた手に驚きながら、九鬼はこたえた。
「あ、あれは…あたし1人の手柄ではなく…みんなで力を合わせたから」
「ううん」
刹那は首を横に振ると、
「あなたがいなければ、こんなに早く復興することはなかったわ!」
もう一度、強く握った後、刹那は手を離した。
「でも、今回はその話をする為だけじゃないの。あなたや、この学園にいると思われる…乙女ソルジャーを探しだし、学園を守る為に一肌脱いで貰いたいの!」
刹那のあまりに、真剣な物言いに、九鬼は変な疑いを今は考えないようにした。
「あなたなら、知ってると思うけど…」
刹那は一度、言葉を切ると…瞼を落とした。
「最近…この学校で、失踪事件が起こっているわ。突然、廊下を歩いていたはずの生徒が、目を離した瞬間に消えている…」
刹那の話を聞いた瞬間、九鬼は廊下で感じた血の匂いを思い出していた。
「それは、魔物の仕業に違いないわ!それは、魔神クラスの!」
「魔神…?」
九鬼は顎に手を当て、考え込んだ。
魔神と言って思い出すのは、まったくかなわなかった赤毛で、二本ある内の片方の角が折れている…女の魔神の勇姿であった。
あの当時最強だった必殺技を放ったが、小指で受け止められた。
(あんなに強い相手は…)
次に、脳裏に浮かんだのは…アルテミアである。
(彼女も、次元が違った)
九鬼にとって魔神とは、かなわぬものの象徴であった。
(しかし!)
九鬼は知らぬ間に、拳を握り締めていた。
(負ける訳にはいかない!)
力が入る九鬼を見つめながら、刹那は言葉を続けた。
「学園の生徒や周りの住民を守る為にも、生徒会長のあなたから!人々に見本を見せてあげてほしいの」
刹那は再び、九鬼の手を取り…握り締めた。
「お願い!」
懇願する刹那に、九鬼は頷いた。
「勿論!生徒会は、みんなを守る為にありますから」
「そうよね!」
九鬼の言葉に、嬉しそうに何度も頷き、
「それでこそ!生徒会長よ!」
涙すら流す刹那に、九鬼も力強く頷いた。
「はい!」
「茶番だな」
生徒会室から出て、廊下を歩く刹那と平行して歩く…ガラスの中の刹那が笑った。
「大体!生徒失踪の首謀者は、貴様自身だろが!」
ガラスの中の刹那の言葉に、刹那はフンと鼻を鳴らした。
「まあ〜いいわ」
ガラスの中の刹那は、肩をすくめ、
「茶番でも、あの体は魅力的だろ!あの体が、手に入れば!もう弱い人間の体なんか集めなくてもいい!闇と交わった体!素敵だわ〜」
ガラスの中で、うっとりとした表情を浮かべる刹那と違い、廊下を歩いていた刹那が突然足を止めて、踞りだした。
「どうしたの?」
ガラスの中の刹那が、驚いた。
「く!」
刹那は、スカートを少しめくり上げた。
「あらあ〜!今回は早いわね」
スカートの中から現れた膝が…腐っていた。
「もう〜取れるわねえ〜!でも!」
膝を確認していた刹那は、前を見た。
1人の女生徒が、前から歩いてくる。
「スペア発見!」
ガラスの中の刹那が、嬉しそうに叫んだ。
刹那もにやりと笑った。
「あいつの体を手に入れる前に〜!新品にかえますか!」
刹那は腐った膝を庇うことなく、女生徒に向かって走り出した。
「狩りの時間よ!」
「え?」
突然、向かってくる女の足が取れたのを見て、信じられたい事態に、女生徒は一瞬足を止めてしまった。
そして、こちらに向かって片足で襲いかかってくることに気付き、慌てて逃げようとした時には、すべてが遅かった。
「逃がさなあい」
後ろから、羽交い締めにされた。
女生徒はもがき、何とか逃れようと、後ろの人物を見た時、絶句した。
向かってくる女と、同じ顔をした女がいたからだ。
「頂きます」
後ろの女が微笑んだ瞬間、女生徒の足に激痛が走った。
しかし、悲鳴を上げることはできなかった。
「うん?」
妙な気配を感じ、九鬼は生徒会から飛び出した。
しかし、何も感じない。
「一瞬で、消えた!?」
九鬼は走り出した。
しかし、誰もいなかった。
だが…。
「また血の匂いだけ!」
九鬼は、乙女ケースを取り出すと握り締めた。
「く、くそ!」
アルテミアとの戦いの時、九鬼は乙女シルバーになれた。
しかし、それから変身しても、乙女シルバーにはなれなかった。
黒いままなのだ。
今の九鬼は、乙女ブラックというよりは…乙女ダークに近い。
(闇を拭えない!)
月の女神である理香子が、実世界に戻る前に、力をこの乙女ケースに注いだ。
だからこそ…乙女シルバーになれたのだろう。
(しかし!)
九鬼は、乙女ケースを突きだした。
「装着!」
「やめておけ!」
突きだした手に、ホークが刺さった。
「何!?」
突然の痛みで、九鬼は乙女ケースを床に落とした。
「今の貴様では、真実を掴めない」
いつのまにか…後ろに、乙女パープルが立っていた。
「加奈子!」
九鬼は、突き刺さったホークを抜くと、乙女パープルに向かって構えた。
しかし…。
「フン!」
乙女パープルは、この前と違い、襲いかかることなく…その場から消えた。
構えたまま、虚しく立ち尽くす九鬼。
「一体…」
落ち着きを取り戻した九鬼は、乙女ケースを拾い上げた。
「何が起こっているんだ」
黒い乙女ケースを見つめ、九鬼はため息とともに......しばし目を瞑った。