第198話 逃亡者
「囲め!」
「逃がすな!」
森林を、地上と空中から飛び回る魔物の群れ。
その数は、数えることが不可能であった。
大きくなった浩也の戦闘能力を重く見たリンネが、捜索部隊を強化したのだ。
「―ったく、これ程の大部隊を、赤ん坊を捕まえる為だけに投入するとは…前代未聞だぞ」
森が見渡せる山の頂上で、腕を組んで、魔物達を見下ろしている魔神。
彼の名は、ムゲ。
百八の魔神の1人である。
天空の騎士団に属する彼は、漆黒の翼でまるでコートのように、身を包んでいた。
切れ長の目に、額から角らしきものが、飛び出ていた。
「まあ…そう言うな」
ムゲの後ろにも、魔神がもう1人いた。
赤い体毛に覆われ、昆虫のような複眼の目をした魔神。彼の名は、ファイ。
炎の騎士団に属していた。
「お前と私が組むなど、女神達がご健在の頃は考えられないこと。それ故…今回の件は、特殊かつ…重要ということであろう」
先日の浩也の戦いのことは、百八の魔神といえども、詳しくはふせられていた。
「フン」
ムゲは鼻を鳴らした。
そんなムゲに、ファイは目を細めると、
「それに、お前にとってはいいことだろ?」
にやりと笑い、
「肩身の狭かった天空の騎士団に属するお前が、手柄をたてれば…こんな辺境の…人間もほとんどいない土地から、解放されるかもしれないぞ!ははは!」
大笑いするファイを、ムゲは横目で睨んだ。
「貴様は、我が部隊を愚弄するつもりか!」
ムゲの鋭い眼光に、ファイは笑みを止め、
「すまん、すまん。別に、お前達を愚弄するつもりはない。ただ…我らが女神がいなくなり、裏切り者が残っていようが、我々炎の騎士団には、リンネ様がいらっしゃる!魔王ライに、もっともお目をかけて頂いていらっしゃるリンネ様がな!」
自慢気にいうファイを、ムゲはせせら笑った。
「何をいうか。その妹は、裏切り者として、逃げ回っておるではないか!」
ムゲは、森林に再び目をやった。
「坊や…しっかりと掴まっておくんですよ」
大きくなった浩也を抱えながら、フレアは魔物の周りを逃げ回る。
だが、ただ逃げている訳ではない。
炎の手裏剣を、木々に当たらないように周囲に投げていた。
「甘いわ!」
木々を盾にしながら、カラス天狗の群れが近づいてくる。
「このような攻撃!無意味なり!」
自分の背丈よりも大きな鎌を握りながら、カラス天狗達はじりじりと間合いを詰めてくる。
「は!」
フレアの手から、炎が噴射されたが、カラス天狗達の前に一匹の魔物が現れた。
「効かぬわ!」
炎でできた壁のような魔物が、盾となってフレアの攻撃を防いだのだ。
「貴様の炎は、我ら炎の騎士団の防壁!ムエン隊の前では、無力なり!」
ムエンが笑った。
「え!」
フレアの動きが止まった。
いつのまにか、四方を…炎の壁が塞いでいた。
「己の非力な火力を嘆くがいい!」
ムエン達は、じりじりと包囲を縮めてくる。
「ケケケ!」
その後ろで、カラス天狗達が鎌を構えていた。
「お母様!」
「大丈夫!」
フレアは浩也を抱き締めると、真上に飛び上がった。
「そうよな!逃げ道は、上しかない!しかし!」
カラス天狗のリーダーは、口許を緩めた。
森を突き抜け、太陽の下に身を晒したフレアの周りを、翼ある魔物達が囲んだ。
「やる!」
フレアは驚くことなく、群れに向かって体を捻りながら、飛び込んでいた。
炎と化した足の脛が、翼ある魔物の首筋にヒットすると、魔物の体液が沸騰し、燃え上がる。
「はあ!」
次々に回し蹴りを放つフレアを見て、周りを囲む魔物達は笑いながら左右に離れ、空中に道を作った。
「!?」
その行動に驚いたフレアは危険を感じ、すぐに回避しょうとしたが、 時はすでに遅かった。
開いた道の向こうから、音速を超えた何が飛んできて、フレアに直撃した。
すると、フレアの炎が消え…彼女は地上へと落ちていった。
「な!」
フレアと魔物達の戦いを見ていたファイは、目を丸くした。
「あ、あれは!」
フレア達の遥か向こうに、雲と見間違える程の巨大な物体が浮かんでいた。
いや、雲よりも…空の色に近い。
「ブ、ブルードラゴン!」
世界に、七匹いると言われる巨大な竜の王。
レインボードラゴンの一匹である。
「竜王の一匹を、配下にしたのか!」
ファイは、側にいるムゲに顔を向けた。
「やつは…水属性の最高位。やつの吐く水の息吹は、あらゆる炎を鎮火する。それが、マグマであろうとな」
ムゲはフッと笑うと、フレアが落ちた辺りに目をやった。
「炎が使えないあやつなど…ただの人間と同じ。もう戦うことも、逃げることもできぬわ!」
ムゲは空に浮かぶ魔物達に向けて、親指を上にして拳を突きだした。
そして、ゆっくりと親指を下に向けた。
すると、魔物の群れは一斉に、地上に向けて急降下していった。
「キエエエ!」
空に残ったブルードラゴンが、吠えた。
「坊や…逃げて…」
浩也をぎゅっと抱き締めると、自らの体をクッションにして、フレアは地面に激突した。
ほとんど直角に落ちた為、森林の間に小さな穴をつくった。
フレアは背中を強打し、動けなくなった。
「お母様!」
「浩也…」
動けなくなっても、フレアは浩也を抱き締めていた。
「終わりだ!終わり!」
カラス天狗の群れが、鎌を振り上げながら、近づいてくる。
「その子を渡せ!」
「その子こそが、魔王復活の鍵!」
「ほおほおほお!」
炎の壁であるムエン達が、体を揺らして楽しそうに笑った。
「早く!渡せ!」
じりじりと近づいてくるカラス天狗達は一応慎重になりながら、巨大な鎌の先をフレアに近付けた。
「その子供を離せ!」
「どうしても、離さないというならば!」
鎌の先が、浩也を抱き締めるフレアの二の腕に突き刺さった。
「その腕!切り落とすだけだ…」
「ああ…」
フレアの胸に顔を埋める格好になっていた浩也の目の前で、鎌が突き刺さった腕から血が流れるのが見えた。
「あああああ!」
その瞬間、浩也は絶叫した。
「お母さまあああ!」
瞳の色が、一瞬で赤になると、浩也の中で…何かが弾けた。