第196話 終わりなき憂鬱
(確かに…血の匂いがした)
九鬼には、確信があった。
しかし、血があった痕跡がない。
気になって、再び廊下に戻ってきた九鬼はもう一度、調べてみることにした。
今度は、別の角度でだ。
「フン!」
周囲に誰もいないことを確認すると、九鬼は黒の眼鏡ケースを突きだした。
「装着!」
眼鏡ケースこと乙女ケースが開くと、黒い光が九鬼の全身を包み…黒い戦闘服を身に纏った姿に変えた。
乙女ブラックとなった九鬼は、眼鏡の付け根を触った。
レンズの表面が変わり、闇の痕跡を探す。
廊下中を隈無く探していると、レンズの表面に矢印が表示され、微量な血の痕跡を発見した。
「これは?」
痕跡に向けて手を伸ばした九鬼。
「窓ガラス?」
血の反応は、ガラスの表面から出ていた。
「血が飛んだのか?」
考えを巡らそうとした時、九鬼の耳が空気を切り裂く音をとらえた。
「チッ」
舌打ちすると、九鬼は首を右に傾けた。
九鬼の耳許を通りすぎたものは、痕跡の残っていたガラスに突き刺さり、割った。
「包丁!?」
九鬼ははっとした。
振り返ると、廊下の向こうに、人が立っていた。
「乙女…トドメ色!?いや、乙女…」
九鬼は唇を噛み締めた。
「パープル!」
廊下の端から、九鬼には向かって走ってくるのは、乙女ソルジャーだった。
紫に近い色をした乙女ソルジャー。
「馬鹿な!あり得ない!乙女パープルは、バグから生まれた偶然の戦士!この世界にいるはずがない!」
乙女パープルの両手には、二本の鎌が握られていた。
「九鬼真弓!」
乙女パープルは叫んだ。
「あたしは、お前という存在がいる限り!存在する!どの世界でもな!」
二本の鎌が、振り下ろされた。
「その声は!」
九鬼は鎌を避けた。
「まさか!?」
避けられた二本の鎌を合体させると、巨大なハサミに変わった。
下から突き上げるように、パープルは九鬼に向けて、ハサミを押し付けた。
「く!」
窓と窓の間の柱に、背中を付け顎を上げた九鬼の首を挟む形で、ハサミの両端が柱に突き刺さった。
パープルはにやりと笑った。
広げている腕をしめれば、両方の刃は…九鬼の首を真っ二つにできる。
「か、加奈子なのか…」
九鬼は、目の前にある顔を見つめ、眼鏡の向こうにある目を探った。
「死ね!」
しかし、パープルは質問に答えることなく、ハサミを閉じようとした。
「な、舐めるな!」
九鬼の膝が、パープルの鳩尾に突き刺さった。
「ウグッ!」
無防備だったパープルの体が、跳ね上がる。
その隙に、ハサミの柄を持つと、柱から引っこ抜き、さらに蹴りをパープルに叩き込んだ。
思わずハサミから手を離したパープル。
九鬼はハサミを、割れた窓ガラスの向こうに捨てると、足に力を込めた。
「ルナティックキック!」
まだふらついているパープル向かって、飛んだ。
「こっちこそ!」
パープルは鳩尾を押さえながら、空中に浮かぶ九鬼を睨んだ。
「舐めるな!」
パープルの前に、巨大なアイロンが突如現れた。
熱を帯びた部分が、九鬼に向けられる。
「三式!」
突きだした足の爪先を真っ直ぐにすると、ムーンエナジーを纏った九鬼の体が回転する。
アイロンの表面を突き破ると、パープルの体につま先が突き刺さった。
「な、何…」
ふっ飛んだパープルの腹の辺りの戦闘服に穴が開き、そこを中心にしてひびが走ると、パープルの戦闘服は砕け散った。
廊下には、乙女ブラックの姿をした九鬼と…変身が解けた女子生徒しかいなかった。
九鬼は眼鏡を外すと、変身を解いた。
「加奈子…」
ダメージから崩れ落ちて、廊下に片膝をつけた…平城山加奈子が、九鬼を見上げていた。
「この強さは、あたしが知っている九鬼ではないな…」
九鬼は加奈子を見つめ、
「あなたは…あたしの知ってる…加奈子のようね」
時空を越えて、巡り合った二人。
なぜここに…加奈子がいるのか。
九鬼は会えた嬉しさよりも、消えた血の匂いとの関係性を考えていた。
「フン!」
自分を見つめ考え込んでしまった九鬼の隙をついて、加奈子は廊下の窓ガラスに向かって、ジャンプした。
包丁で割れていた為に、簡単に外に着地できた。
「加奈子!」
はっとして、後を追おうとしたが、窓に手をかけた瞬間、空から無数の包丁が降ってきた。
「チッ」
反射的に身をよじった九鬼。
包丁が降り終わった頃には、加奈子の姿は消えていた。
「逃がしたか」
地面に突き刺さっている無数の包丁を飛び越えると、窓の外のコンクリートの上に着地した。
眼鏡を外すと、変身を解いた。
「あれが…乙女ソルジャー」
そんな九鬼の様子を、校舎の一番上…金網の上に立っている刹那が見下ろしていた。
「闇を…克服できる力…」
呟くように言った刹那の耳許に、もう1人の刹那の声がした。
「そうよ…。あなたには、手に入らない力よ」
「あたしには…」
そう呟いた時、刹那の瞳から涙が流れた。
「クス」
その涙に気付き、もう1人の刹那が笑った。
「弱い子…。その涙を流せる意味を考えたことがあるのかしら?」
嘲るような言い方に、刹那は顔を引き締めた。
「わかっているわ」
そう言うと、刹那の体は空間に溶けるように…消えた。
「うん?」
一瞬、殺気を感じたような気がして、九鬼は空を見上げた。
いつのまにか…空に月が出ていた。
「夜が…始まったか」
目を凝らすと、遠くの方で魔物らしきものが飛んでいるのが、確認できた。
結城哲也が組織していた防衛軍が崩壊した為に、この地域の安全はなくなりかけていた。
しかし、なぜか…この学園に近寄る魔物は少なかった。
まるで、何かに怯えているかのように。
「…」
九鬼は無言で歩き出した。
魔物のいるところまで。
防衛軍の代わりに、人々を守る為に。
そして、正門に向かって歩く九鬼を、遠くの方から校舎の影に隠れて見送っている者がいた。
阿藤美亜である。