第194話 写し身
「上手くやれたじゃないか」
屋上へつながる階段を降りて、廊下を歩いていた刹那に、誰かが横合いから声をかけた。
刹那は足を止めると、声がした方を見た。
廊下の窓に、自分が映っているだけだ。
いや、その映っている自分が話かけていたのだ。
「本当は殺してやりたい程…憎い相手なのにな!」
「…」
刹那は前を向くと、無表情になり歩き出した。
「おい!おい!無視かよ」
廊下のガラスに映る刹那は、歩く刹那を見つめながらついてくる。
「けけけ!」
突然、ガラスに映る刹那が笑い出した。
「そうだよな!お前はいつも逃げて来た!嫌なことからな!だから、お前は!あいつと違って、自分の闇を克服できなかったのさ!」
刹那は足を止め、ガラスに映る自分を睨んだ。
「!?」
ガラスに映る刹那も、刹那を睨んでおり…その醜い形相が重なる。
思わず、後ずさる刹那。
「どうして…驚く?」
ガラスに映る刹那が、にやりと笑った。
「これは、お前の顔だよ!醜い顔も!醜い心も!すべてお前だよ!」
「い、いや…」
思わず顔を背けた刹那に向かって、ガラスに映る刹那が叫んだ。
「どうして認めない!あんたがやったことだよ!生徒会長を辞めたことも!闇に負けたこともな!」
「いや!」
刹那は耳をふさいだ。
「どうして、嫌がる!その代わり…手に入れただろ?健康な足を!」
刹那は首を振る。
「健康な手を!健康な心臓を!健康な〜」
言葉を矢継ぎ早に吐き出すもう1人の自分に、刹那はパニックになる。
「望んだはずだ!生きたいと!他者を喰らっても生きたいと!」
ガラスの刹那が絶叫する。
「そうよ!本当は、何も抑えることはないのよ!何も責めることはないのよ!他者から搾取する!それこそが、人間なのだから!」
苦しんでいた刹那の震えが止まる。
いや、止まったのではない。
耳を押さえていた両腕が、廊下に落ちたのだ。
「ふわあ〜」
刹那の腕が落ちた時、廊下の向かうから1人の女子生徒が姿を見せた。
「ん?」
突然足を止めて、鼻をくんくんさせた。
「何か…臭くない?」
廊下に異臭が漂っていた。
「ほら、刹那」
女子生徒の横から、声がした。
「新鮮な腕があるよ」
女子生徒が振り向くと、廊下の窓に映る刹那が笑っていた。
「え?」
反対方向を見ても、ガラスに映る刹那はいない。
だけど、前の方から…何かが近づいてくる音がした。
少し薄暗くなっている廊下で目を凝らすと、ガラスに映っている女が近づいてくるのが見えた。
「え!」
女子生徒は両手で口を塞ぐと、恐怖で動けなくなった。
だけど、近づいてくる刹那の動きが遅いので、何とか逃げることに足が反応する時間を得ることができた。
「い、いや!」
振り向いて逃げようとする女子生徒の首筋に、か細いが力強い腕が絡まっていた。
「ごめんなさいね。申し訳ないけど、あなたの腕を頂くわ」
女子生徒を後ろから羽交い締めにしているのは、ガラスに映っていた刹那だった。
「ひいい」
絡みつく腕が、首を締める。
「心配しなくていいのよ」
ガラスに映っていた刹那は、女子生徒の耳元で囁いた。
「貰うのは、腕だけだから。少し痛むだけだから!」
「!」
もう声も出なくなった女子生徒の前に、両腕がなくなった刹那が迫る。
そして、大きく口を開けた。
断末魔が、廊下にこだました。
血溜まりに、両腕をなくした女子生徒が倒れた。
「あらあ」
ガラスに映る刹那が、女子生徒の顔を覗いた。
「我慢できなかったのね」
女子生徒は、腕をもぎ取られた痛みで絶命していた。
「ねえ〜刹那。他に、欲しい部分はないの?」
「大丈夫…」
刹那は血溜まりのそばに立ちながら、腕を回していた。
「すべて…間に合っているわ」
「そう…。それはよかったわ」
2人の刹那は微笑み合った。
「うん?」
鼻腔を刺激する血の臭いを敏感に感じ取った九鬼は、屋上から階段をかけ降りた。
しかし、九鬼が来た時には、廊下には血の臭いは消えていた。
勿論、女子生徒の死体もない。
「?」
首を捻った九鬼は注意深く、廊下を歩きながら、血痕を探した。
しかし、まったく血の痕がない。
「馬鹿な」
唖然とした九鬼の右斜め後ろの窓に、刹那が映っていた。
九鬼を見て、ガラスの中でふっと笑った刹那の足元には、血溜まりに倒れている女子生徒の死体があった。
窓に映る廊下と、九鬼がいる廊下は違っていた。
まるで、世界が、空間が…違うかのように。
刹那は、探索する九鬼の背中を一瞥すると、窓に映る廊下を逆の方向に歩き出した。
「!?」
九鬼は、振り向いた。
誰かがいたような気がしたからだ。
窓の向こうに見えるのは、花壇と…学校を囲む塀だけだ。
九鬼は外を凝視したが、何も見つめることはできなかった。
「会長!」
窓の外を見つめていると、廊下の奥から九鬼を呼ぶ声がした。
振り向くと、美和子が近づいてきた。
「いかがなさいましたか?」
訝しげに首を傾げる美和子に、九鬼はフッと笑うと、
「何でもないわ」
歩き出した。
「会長!今日は、各部に分配する予算編成について…」
美和子も慌てて、もと来た道を戻る。
生徒会室は、この奥にある。
(おかしい)
と思いながらも、九鬼は生徒会を目指した。
「…」
九鬼が去った後、どこからか…1人の少女が現れた。
少女は、惨劇があったはずの廊下を見つめた後、窓ガラスに触れた。
「成る程…」
にやりと笑うと、
「まだ…面白いことがありそうね」
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけた。
「ほよ!」
すると、背が縮んだ。
「こ、ここは…」
きょろきょろと周りを見回した後、
「学校?」
首をおもいっきり、横に傾げた。