第193話 刹那狩り
ただ赴くままに、息を吸う。
無意識の意識が、生きる為に続ける。
もし、意識できたら....狂うだろう。
こんなにも、息をしなければならないなんて....気が狂う。
狂って、のたうち回るのだろう。
だけど、人は気付かない。
心が落ち着いているときも、体は忙しなく動いている。
生きる為に。
そこに人の思いはない。
死にたいと、自殺する為に、行動をしているときも....体は生きる為に動いている。
だけど....体の生きる力が弱くなったとき、人は老いる。
今度は、人間が自分で意識して、止めようとしても止まることはない。
心と体....。
なんて、わがままなものだろうか。
そんなことを、考える...人間の無駄さ。
だけど、わたしは意識する。
感情も老いを思い知らせる...時間というものをカウントする。
カチカチと、今思う時間を。
今の感情は、どこから生まれる。
それは、時のない零の向こうから。
だとすれば、人は時を作れるのか。
わざわざ...老いる為の時間を。
それとも、時を刻んで、死ぬ時を迎えたいのか。
ならば、わたしは零になりたい。
マイナスは、死なのかもしれない。
時という記憶…プラスの積み重ねも、死を迎えるならば、わたしは重石を、心から解き放とう。
毎日、充実しなければ、生きていないのか。
毎日、退屈でなければ、生きているのか。
違う。
いや、それも、違う。
生きることに、同じはない。
肯定も否定もない。
ただ後悔するな。
ただ絶望するな。
過去に、悲しいことがあっても、もし未来が少ないとしても。
お前のやり方で、幸せになれ。
お前の心は変えられる。
どんな色にも。
そうさ。
だから、お前は自由なのだ。
今、この時は。
考えるだけで、今は過去になり、今は未来になる。
だから.....わたしはずっと今を生きる。
零ではなく、刹那の時を。
今息する刹那が.....目醒めの時。
世界の違う過去。
(くそ!)
折角の入学式。待ちに待った新たなる生活の始まりだというのに…平城山加奈子は、気分が優れなかった。
本当ならば、優越感に浸り、自分より劣る者達を見下ろしているはずだった。
なのに、壇上にいるのは.....。
今まで、学年一位しか経験したことがない加奈子が今、初めて一般の生徒の中にして、見上げる立場にいた。
新入生代表として、壇上に立つ生徒は、背中まである黒髪と、大きな瞳を長い睫毛で隠す…細身の女。
背筋を伸ばし、紙など見ずに、体育館にある生徒達に宣誓書を読み上げる女には、育ちから来るのか…気品が漂っていた。
(九鬼真弓!)
加奈子は心の中で、壇上に立つ九鬼を睨んでいた。
自分を一番から、引きずりおろした女。
加奈子は、その時から九鬼をライバル視することになった。
それは、逆恨みであろう。
しかし、人は聖者ではない。
そして、その悪意は時空をこえることになる。
ガンスロンの襲撃から、数日が過ぎた。
学園は表面上は、平和を取り戻していた。
いつものごとく、颯爽と廊下を歩く九鬼。
その姿は、いつでも生徒の目を引いた。
ただ廊下を歩く姿にも無駄がなく、ただ美しいかった。
感嘆して、九鬼を見送る生徒達は、その動きが気品からくるものと思っていたが、本当は違った。
殺気こそ放っていないが、九鬼の動きはすべて…襲われても、即座に対応できるように、気を張りつめていたのだ。
気品には程遠いが、もし獲物を襲う寸前のライオンの姿が、美しいというならば、九鬼から受ける印象は気高さだった。
休み時間、つねに廊下を歩いていたのは、みんなの目を引く為ではなく、詮索していたのだ。
敵を。
(闇の気配は…ない)
ここ数日....九鬼はおかしな気配を感じていた。
隈無く校内を探索していたが、闇の気配を感じたことはない。
(しかし…心がざわめく)
九鬼は、闇の女神と一体化したことで、昔よりも敏感になっていた。
(どこだ?)
屋上に上り、学園中を探る。
(間違いないはずだ)
真上に太陽があるのに、闇を感じる。
(どこにいる?)
九鬼は隣の校舎の屋上に、金網を越え飛び移った。
昼間の太陽が、九鬼の肌を刺激した。
(太陽が痛い!?)
明らかに、九鬼の体は変化していた。
(完全に同化はしなかったはずだが..)
九鬼は着地すると、目を細目ながら空を見上げた。
そこにいる太陽と、自分自身を確認する為に。
(太陽がいる限り…闇は、見えない)
九鬼はフッと笑うと、屋上を歩き出した。
拳を握り締めて。
今更...何を気にするか。
(あたしは...闇夜の刃だ)
「あなたが、九鬼真弓さん?」
屋上を歩いていると、後ろから声をかけられた。
少し低くてて落ち着いた声に、九鬼は好感を覚えながら、足を止めた。
「はい」
さっきまで、屋上に人はいなかったはずだ。
身を引き締めて振り返った九鬼の前に、満面の笑顔の女が立っていた。
「!」
九鬼は一瞬、息が止まった。
その屈託のない笑顔は、優しく明るく眩しすぎた。
今まで、闇の中で生きてきた九鬼には、それは太陽よりも輝いていることに気付いた。
だから、九鬼は一瞬で心を奪われた。
女は笑顔のまま、九鬼に話しかけた。
「はじめまして、私は去年までここの生徒会長をしていた…3年の閨刹那といいます」
「生徒会長....」
九鬼は、その言葉に息を飲んだ。
刹那は笑みを崩さずに、
「突然ですけど、放課後お時間ありますか?」
「え?」
「一度、あなたとお話したくって」
「そ、そうですか…」
緊張してしまって、変な答えをしてしまった。
「放課後…生徒室にお邪魔していいかしら?」
刹那は微笑みながら、確認した。
「は、はい」
九鬼は頷いた。
「よかった。久々に生徒会室にも行きたかったし」
刹那はずっと笑顔のまま、九鬼に背を向け、
「では、放課後....お会いしましょう」
ゆっくりと出入り口に向って、歩き出した。
その華奢な後ろ姿を見送りながら、九鬼は目を細めた。
(あたしは…ああいう人間を守る為に、存在するのかもしれない.....)
太陽よりも、眩しい笑顔ができる人間。
そんな存在がいることに、嬉しさとともに切なさも感じていた。
それは、心の底で…自分には望めない笑顔だとわかっていたからだろう。
(しかし!)
九鬼は気付いたいた。
刹那が、突然現れたのは...扉の反対側である。
(何者だ?)
九鬼は、去っていく刹那を扉の向こうに見えなくなるまで見送った。
その時、九鬼は刹那に気を取られて、気付いていなかった。
さっきまで、燦々と輝いていた太陽が雲に隠されたことを。
そして、刹那が屋上から消えた瞬間、再び太陽が姿を見せたことを。