第174話 奏でる心
脳を直接揺らすような音に導かれ、九鬼は廊下を走っていた。
一瞬、はっとして…足を止めかけた。
廊下を走っては、いけない。
特に、生徒会長たるものは。
クスッ。
自分で、少し吹き出した。
音に、心を完全に奪われているかと…心の中で思っていたが、そうではないらしい。
九鬼は顔を引き締めると、走りから早歩きに切りかえた。
もう完全に夜だ。
こんな時間に、一体。
音は、旧校舎から聞こえてきた。
旧校舎といっても、他の校舎と建てられた時期は同じである。
ただ少子化の煽りをくらって、使われることがなくなっただけだ。
(少子化)
九鬼は心の中で、苦笑した。
実世界の日本ならともかく、ブルーワールドの日本までが、少子化とは。
それは、防衛軍や赤の王の活躍により、人の生活が安全になったからだと言われていた。
人は安心すると、あまり人口が増えない。
身に危険が迫っている方が、子供をつくる。
種の保存本能が、働くからだろうか。
しかし、今は...防衛軍も赤の王もいない。
これからは、また人口が増えると、安易な学者は言った。
だが、それを人々はせせら笑った。
なぜなら、どんなに産んでも、多分…人は増えない。
殺される人数の方が多くなると。
救いはない。
九鬼は廊下の窓からこもれる月の明かりに、目を細めた。
(この世界は、変わる)
その節目に、自分がいることに、必ず意味があるはずだ。
そう意味が…。
九鬼は足を速め、音を放つ教室の前に来た。
どの教室も作りは、同じだ。
よくもまあ…こんな無個性に作ったものだと、感心する。
その中で、番号を振り分けられる者達に、個性を求めることは無茶がある。
だけど、人は上が決めた決まり事に、異論を挟まない。
なぜならば…。
九鬼は、教室側の窓から、中を凝視した。
なぜなら…人は、自分で選ばない方が楽だからだ。
おかしいと、声に出せるものは、他におかしいと排除されるからだ。
そんな者が入れる場所は、こんな所かもしれない。
九鬼は、使われていない教室で、使われていない机の上に座る…1人の女子生徒を発見した。
制服を着ていない為、最初部外者が紛れ込んだかと思ったが、九鬼はその顔に見覚えがあった。
だから、
「すいません」
九鬼は、注意することにした。
「音楽室や、部室等の指定された場所以外での演奏は、校則で禁止されています」
九鬼のよく通る声が、ギターをかき鳴らしていた生徒の目にも飛び込んできた。
生徒は少し驚いた顔をすると、弾いていた手を止め、弦を手で押さえた。
あれほど響いた音が、一瞬で無音になる。
「それに、下校時間はとっくに過ぎています。早く…」
九鬼の話の途中、生徒は鼻で笑った。
「そうか…」
妙に納得している生徒の様子に、九鬼は訝しげに、眉を寄せた。
生徒は、そんな九鬼を一度ちらっと見ると、また笑った。
そして、ギターを隣の机の上に置くと、今度は九鬼を見据えた。
「あんたが、生徒会長…九鬼真弓か」
生徒は机から降りると、黒のデニムのポケットに手を入れた。
バックプリントが骸骨の緑のTシャツを着た生徒は、ただ九鬼を観察していた。
「あなたは…」
九鬼はどこか挑戦的な生徒に、目を凝らした。
「あたしも、一応はここの生徒だ」
「高木…優」
九鬼は思い出した。
優はまた笑うと、九鬼を指先し、
「そう…正解」
ピストルに見立てて、
「だけど…あんたより年上だ。さんはほしいな」
撃つ真似をした。
「バアン」
九鬼は、顔には出さないが…おどけた感じの優に驚いていた。
なぜならば、優に持っていたイメージは、無口でクールだからだ。
学校に滅多に来ないが、有名人である為、誰もが知っていた。
天才的歌手であると。
そんな優が、おどけてみせている。
その真意がわからない九鬼は、ただ見つめてしまった。
優は九鬼の様子に気付き、肩をすくめて見せた。
「本当は、こんな場所に…通う意味はないんだけど…」
「!?」
九鬼は目を見開いた。
「ね」
いつのまにか、優が目の前にいたからだ。
数センチしか、九鬼の顔と離れていない。
「驚いた」
しかし、驚いたのは、 九鬼だけではなかった。
いつのまにか....九鬼の右拳が、優の鳩尾に添えられていたからだ。
無意識に、九鬼は優の動きをとらえていたのだ。
優はにやりとすると、九鬼から離れた。
そして、ある程度の距離をとると、九鬼の目を見つめ、
「さすがは、乙女ブラック」
感心したように頷いた。
「え」
唐突に言われて、少し驚いたが、九鬼がテレビで乙女ブラックをやっていたことを、知っている人は多い。
ただ…テレビ局の悲劇により、番組が完全に打ちきりになった為、気を使って、皆…月影の話を九鬼にしない。
だから、少しは驚いたけど、さほど気にしないと思いかけた瞬間、九鬼はさらに驚くことになった。
「あ、あなたは…」
なぜなら…優の手に、乙女ケースがあったからだ。
緑の乙女ケース。
優は九鬼に笑いかけ、
「こっちは、あなたが先輩かな?」
首を傾げた。
「ど、どこで…それを」
九鬼は思わず、緑の乙女ケースに手を伸ばしたが、優は肩を後ろに反らした。
そして、机に立て掛けてあったギターケースを手にとると、
「あなたと同じよ」
その中に、乙女ケースを入れた。
「あたしも、選ばれたの」
「!」
九鬼は絶句した。
「よろしくね。先輩」
優はさらにギターを掴むと、ギターケースにしまい、鍵をかけた。
「じゃあ…また」
優は微笑むと、片手でギターケースを持ちながら、九鬼の横をすり抜け、教室から出ていた。
「待って!」
九鬼は手を伸ばし、優の肩を掴もうとした時、
「チッ」
慌てて、腕を引っ込めた。
机の下から、光の輪が飛び出してきたからだ。
九鬼は黒の乙女ケースを取り出すと、 光の輪を叩き落とした。
光の輪は空中で割れ、光の欠片になり…消えた。
「乙女スフラッシュか」
九鬼は苦々しく、光の輪が消えた空間を睨んだ。
乙女スフラッシュ。
乙女グリーンの必殺技であり、ノコギリ状の回転する光の輪で、相手を切り裂く…恐ろしい技だ。
ホバーリング機能がついており、罠にも使えた。
「最初から、仕掛けていたのか?」
九鬼は、乙女ケースを握り締めた。
「うん?」
突然、後ろから殺気を感じ、九鬼は振り返った。
そこには、窓しかなく、その向こうにはグラウンド…そして、すべてを覆う闇が見えるだけだ。
そして、上空には…。
九鬼は胸騒ぎがして、窓へと走り寄った。
そして、窓を開けると顔をだし、上空を見上げた。
「なっ!」
九鬼は絶句した。
いつもの如く、月はあった。
しかし、その月は瞼を開け、巨大な目玉を下に向けていた。
明らかに、九鬼を見つめていた。
「目玉だと!」
九鬼は、そんな月を見たことがなかった。
「あり得ない!」
九鬼はサッシに手を置くと、窓から飛び降りた。
「装着!」
黒き光が九鬼を包み、乙女ブラックになると、地上へと降り立った。
そして、もう一度空を見上げたが、
「!?」
月は、元に戻っていた。
大きなクレーターは目視できるが、目玉はない。
「見間違いか?」
訝しげに、月をしばらく見つめていたが、もう変化はない。
変身を解こうと、眼鏡のフレームに手を伸ばした時、 九鬼は横合いから攻撃を受けた。
「な!」
ふっ飛んだ九鬼は、グラウンドの中央まで転がった。
「な、なんだ?」
九鬼は転がりながらも冷静になり、状況判断に、頭をフル回転させた。
攻撃されたのは、人の死角だった。
それに、人体の柔らかいところを、ピンポイントで突いていた。
乙女ソルジヤーになっていなければ、やられていた。
それに、九鬼は突かれたと同時に、衝撃が貫く方向に、ジャンプしていた。
転がっているのも計算だった。
衝撃を散らし、さらに回転で力を溜めていた。
何度目かの回転で起き上がると、九鬼は足で土を蹴り、まるで弓矢のように、襲撃された場所に向かって飛んだ。
ルナティックキックの体勢で、空中から攻撃した敵を探すが、見当たらない。
「何?」
そこまでの一連の動きは、ほんの数秒だ。
乙女ブラックのスピードが、ほぼカウンターのような動きにさせたはずだった。
しかし…。
自分が立っていた場所に、着地した九鬼は辺りを見回したが、誰も見つけることはできなかった。
「さすがね」
グラウンドと校舎を挟んで、反対側にある廊下を、佐々木神流が歩いていた。
口元を緩めると、神流は音を立てずに、廊下を滑るように疾走した。
そして、大月学園の一番奥にある部屋の前で止まった。
ここで、行き止まりである。
分厚い一枚板の扉を開けると、学校には不似合いな長テーブルが、部屋の奥まで伸びていた。
豪華なテーブルクロスに、豪勢な料理。
そのテーブルの奥には、結城哲也が座っていた。
「ようこそ!我が組織に」
哲也は立ち上がり、頭を下げた。
「元安定者である…あなた様を、心から歓迎致します」
大袈裟な哲也の態度に、神流は鼻を鳴らした。
「フン」
そして、じっと部屋の様子を観察すると、
「まあ〜いいわ」
哲也と向き合う形で、椅子に座った。
哲也は満足げに頷くと、座りなおした。
「単刀直入にきくわね」
神流は、白いテーブルクロスの上に、肘を置き、
「あたしを呼んだ意味は何?」
哲也に微笑んだ。
その優しげな笑みの裏側にある…冷たさに、哲也の背中に悪寒が走った。
しかし、哲也は努めて冷静に答えた。
「力がほしいからです」
「ほお〜」
神流は感心したように、少し後ろにのけぞった。
防衛軍の崩壊は、安定者の暴走が、原因だと言われていた。
防衛軍が崩壊する寸前に、安定者が変わった。そのリーダーであったクラークの死。
そこから、何ヵ月も経たない内に、防衛軍は崩壊した。
安定者の存在や、そのメンバーについて知っている者は、防衛軍でもかなり上の階級でないといない。
まして、安定者の暴走の内容について、知る者は少ない。
なぜならば、魔王の城に攻めた時、ほとんどの司令官が、戦死したからだ。
哲也は、極東の最終防衛ラインを任されていた為、魔王の城に攻め込むことはなかった。
「でも、あなたなら…知っているんじゃないの?あたし達の噂を」
神流は少し身を乗り出すと、頬杖をした。
神流の言葉に、哲也は笑った。
「…その噂が、本当だとしても、一体…何の問題がありますか?我々は、力がほしいのですよ」
「そお」
神流はクスッと笑うと、
「あなたは、人間らしいわ」
置いているグラスを手にした。
「頂いても、よろしいかしら?」
「どうぞ」
神流の後ろから、ワインボトルを持った男が現れ、神流のグラスにワインを注いだ。
哲也のグラスにも注がれると、2人は見つめあい、
「乾杯」
中身を飲み干した。
「チッ」
軽く舌打ちすると、九鬼は眼鏡を外し、変身を解いた。
先程のダメージはない。
周りを確認してから、今度はため息をついた。
一連の出来事に、対応できていない自分がわかったからだ。
(月影は引き合う)
九鬼は、真上の月を見上げた。
満ち欠けていようが、月は月だ。
九鬼の世界と変わらない。
(月は美しい)
じっと見ていると、心が奪われそうになる。
(フッ)
九鬼は、視線を月から外すと、歩き出そうとした。
(うん?)
九鬼は、足を止めた。
月から、視線を外す途中…何かが目線の端にいたのだ。
つねに、周囲を気にしていなければ、意識できない程の一瞬。
「何!」
九鬼は振り返った。
目の端にとらえた…白い人影。
確か、校舎の時計台の上にいたはずだ。
九鬼は一回転したが、そんな人影はない。
時計台の裏に、隠れたかもしれない。
そう思った九鬼は、乙女ケースを突きだした。
「装…」
再び変身しょうとした時、九鬼は突然目の前が、暗くなったことに気づいた。
はっとした九鬼は、頭上を見上げた。
「!?」
九鬼は目を見開いた。
遥か上空に浮かぶ影。
影は巨大な翼を広げ、月明かりが地上に落ちるのを、遮っていた。
影は翼を羽ばたかせると、さらに上空へと上がっていた。
月と同化したように、小さく見えなくなった瞬間、九鬼に向かって、一枚の羽が落ちてきた。
九鬼は、それを掴んだ。
白く…真珠のように輝く羽を見つめ、九鬼は呟いた。
「天使…?」
九鬼は今まで、悪魔のような魔物に会ったことはあった。
しかし、天使は始めてだ。
まあ…悪魔がいたら、天使もいるだろう。
しかし、九鬼は、気になったことがあった。
上空に消え去った天使の体を、乙女ソルジャーの戦闘服に似たものが包んでいたのだ。
「白い…乙女ソルジャー」
九鬼は、羽を握り締めた。
「あり得ない!」
「しかし…そのあり得ないことが、世界を変える場合がある」
今度は、後ろから声がした。
九鬼はもう驚かない。
ゆっくりと、振り向いた。
「あなたは?」
そこに立つ…1人の女に、九鬼はきいた。
「フッ」
女は口元を緩めると、手を突きだした。
「な!」
巨大な鈍器で殴られたような衝撃を受け、九鬼はふっ飛んだ。
「こ、これは!?」
九鬼が体勢を戻すより速く、突きだしたままの女の手にピンクの乙女ケースが、出現した。
そして、
「装着!」
女が叫ぶと、ピンクの光が女を包んだ。
光が止むと、乙女ピンクが出現した。
「乙女ピンク!?」
驚いた九鬼の体が、宙に浮かんだ。
乙女ケースが消えた女の手が、上に上がるにつれて、九鬼の体は上がっていく。
「サ、サイコキネッシスか…」
九鬼は、女の能力を理解した。
「フン!」
女の指が開くと、九鬼の両腕も開き、まるで十字架にかけられているような格好になった。
「お前の力…貰う!」
女の左手に、ライフル銃が握られた。
「ク!」
九鬼は、顔をしかめた。
動けない体勢で、ライフルを撃たれたら、即死は免れない。
何とか動こうとすると、指一本動かない。
「我が王国の再建の為に」
女はライフルの照準を、九鬼の額に合わせた。
「死ね!」
屋上近くまで、浮かんだ九鬼に向けて、女は引き金をひこうとした瞬間、
「チッ!」
女は舌打ちした。
銃口を、右横に変えた。
「遅い!」
いつのまにか、女の間合いに入った影が、左手でライフルの銃身を受け止めた。
そして、拳が女の脇腹にヒットした。
「!」
女は体を曲げながら、ふっ飛んだ。
「さすがだな」
拳を叩き込んだのは、カレンだった。
カレンは、目を細めた。
ふっ飛んだが、すぐに姿勢を正し、カレンを睨む乙女ピンクにダメージはなかった。
「あたしの拳で、砕けないなんて」
カレンは、その防御力に感心した。
「なかなかやるな」
カレンは手首の感触を確かめながら、乙女ピンクと向き合った。
「貴様は、カレン・アートウッド!」
乙女ピンクは、驚きの声を上げた。
「うん?」
カレンは眉を寄せた。
「チッ!」
突然、見えない拘束が解け、九鬼は屋上ぐらいの高さから落下した。
「装着!」
落ちながら叫ぶ九鬼の全身を、黒い光が包む。
「乙女ピンク!」
空中で、乙女ブラックに変身した九鬼は、着地と同時に地面を蹴った。
膝蹴りが、乙女ピンクの後頭部を狙う。
しかし、膝蹴りはまた、壁のようなものに弾かれた。
「乙女ブラック!」
カレンは、乙女ピンクの肩越しに、ふっ飛んだ九鬼に叫んだ。
「フン」
乙女ピンクは、後ろを見ずに、鼻で笑った。
「な!」
次の瞬間、カレンは目を見開いた。
背面飛びのように空中を舞う九鬼が回転し、再び乙女ピンクに向かって、足を突きだしたのだ。
「月影二段キック!」
「え?」
カレンの反応におかしく思った乙女ピンクが振り返るのと、九鬼の蹴りが突きだすのは、ほぼ同時だった。
「あ…」
九鬼の蹴りが、乙女ピンクの眼鏡をかすった。
それにより、眼鏡がズレ、乙女ピンクの変身が解けた。
「やはり」
カレンは目を細めて、乙女ピンクを見、
「貴様か」
睨んだ。
カレンの横に九鬼は着地し、反転すると、乙女ピンクに向かって構えた。
「アステカの女」
カレンは九鬼を手で制すと、一歩前に出た。
「貴様が、月影の1人だとはな」
「フン」
カルマは、ズレた眼鏡を人差し指で戻すと、乙女ピンクに戻った。
そして、カルマはカレンを睨むと、
「カレン・アートウッド…。部外者は、黙っておけ」
視線を九鬼に移した。
「私が用があるのは、その隣の女だけだ」
カレンの手に、ライフルが握られると、銃口を九鬼の額に向けた。
「なるほど」
九鬼は少し楽しげに笑みを浮かべると、右腕を突きだした。
指を曲げると、カルマを挑発した。
「来い」
「九鬼!」
いつになく、挑戦的な九鬼の態度に、カルマは驚いた。
「山本さん…」
九鬼はカルマを睨みながら、カレンには優しく言った。
「さっきはありがとう。助かったわ。不意をつかれたから…。でも、もう大丈夫」
九鬼は、カレンの腕をどかすと、前に出た。
「これは、あたしの宿命。この争いを止めることが、できないならば…」
九鬼は、腰を屈め、
「すべて…あたしが、倒す」
戦闘体勢に入った。
「な、舐めるな!」
カルマが腕を突きだし、念動力を発動しょうとした時には、九鬼はいなかった。
「チッ」
カルマは素早く、後ろを向いたが、そこにも九鬼はいない。
「フン!」
いきなり、カルマの視線の下に現れたと思ったら、九鬼は下から上へ、脇の下めがけて、曲げた肘を突き上げた。
「な!」
痛みで顔をしかめたカルマの動きを見て、九鬼は肘打ちから体を捻り、回し蹴りを逆の脇腹に叩き込んだ。
「き、貴様!」
カルマが反撃しょうとするが、九鬼の動きをとらえられない。
「念動力は、万能ではない。対象の位置を確認して初めて、動かしたり、攻撃できる」
カレンは、カルマが意識を向けようとしている方向を読み、その逆をつく九鬼の動きに感心していた。
「天賦の才か」
カレンは、自分やジャスティン以外で初めて、その言葉を使った。
「うりゃあ!」
九鬼は、カルマの顎先を蹴り上げた。
念動力の使いすぎで、カルマは足下がふらついていた。
「馬鹿な」
カルマは崩れ落ちるように、膝を地面に落とした。
「貰うぞ!乙女ピンクの力を!」
九鬼は、右足を少し前に出すと、軸足に力を込めた。
「だ、だったら!」
カルマは顔を上げると、九鬼を睨み、
「これなら、どうだ!」
右手を突きだした。
「!?」
必殺技の体勢に入っていた九鬼に、向けられたのは、銃口だった。
それも、ライフルの長身ではなく、マシンガンの銃口だった。
「これは、よけれるか!」
カルマは九鬼に向かって、銃弾の雨を降らした。
数えきれない程の銃弾は、乙女ブラックのスピードを持ってしてもよけれないと、カルマとカレンは思った。
しかし、九鬼は避けることなく、両手を突きだすと、円を描くような仕草をした。
手が光輝き、その軌跡にも光の道を作った。
道は一瞬で、九鬼の前方を被う程大きくなった。
そして、銃弾を弾き返すと、九鬼はジャンプした。
「何!?」
驚いたカルマの目の前に、九鬼の体が舞った。
「ルナティックキック」
銃弾を弾き返した光は、九鬼の爪先に、集束された。
「零式!」
体を丸め、空中で足を突きだす。
「く、くそ!」
カルマは左手を、九鬼に向けた。
残りの体力のすべてを込めて、念動力を九鬼に放った。
流石の九鬼も、空中では避けることができない。
カルマは、九鬼の体を弾き飛ぶと確信をした。
にやりと笑いかけたカルマの口元が、凍り付いた。
カルマの目の前で、爪先を突きだしたままの九鬼が、空中で停止していたからだ。
「な!」
絶句するカルマは、次の瞬間、死を覚悟することになった。
空中で静止ししながら、九鬼の爪先から光が、九鬼を包むように放たれ、渦を巻くように回転しだしたのだ。
「ルナティックキック…」
そして、爪先を支点にして、九鬼も回転し出した。
「三式!」
まるでドリルのようになった九鬼の全身が、カルマが放っている念動力を掘り進み、貫いた。
「あああ」
迫り来るドリルのような爪先に、カルマが絶望を感じた瞬間、何かが横から飛び出して来て、カルマを突き飛ばした。
「きゃあ!」
地面に転がったカルマのいた場所に、屈強な体躯の男が立っていた。
「カルマ様は、やらせん」
笑った男の鉄板のような広い胸板を、九鬼の蹴りが貫いた。
「な!」
突然、カルマの身代わりとなった人間は、ただの人ではなかった。
九鬼の蹴りが貫いた部分から、突然ひび割れのようなようが、全身に広がると、まるで熱湯をかけたガラス細工のように、砕け散った。
男だった欠片を突き抜け、九鬼は地面に着地した。
「こ、これは…」
九鬼は振り返り、地面に散らばる破片が、月の光によって、蒸発していくのを確認した。
「どうなっている!」
カレンが、走り寄ろうとした時、空から多数の影が飛来してきた。
影達は、カレンと九鬼の周りに降り立った。
「なんだ?」
カレンはすぐに、攻撃体勢に入ったが、九鬼は立ち尽くしたまま、構えない。
ただ降り立った影達に、目を細めた。
影達は、すべて人間であったが、校舎や体育館の向こうから、それらを飛び越えて来た身体能力は、人間を超えていた。
影達の中で、一際大きく、細長い老人が一歩前に出た。
そして、九鬼を睨むと、
「月の力を借り…闇を狩る女よ。貴様は、そのすべてが正しいと思っておるのか?」
少し高圧的な態度を見せた。
「フン」
九鬼は軽く鼻を鳴らすと、眼鏡を取った。
変身を解いた九鬼は、老人に体を向けると、
「自分のすべてが、正しいとは思っていない。しかし、あたしは己の信念で動いている」
まっすぐに見据えた。
「ほお〜」
少し感心したように、九鬼を見、
「その信念とやらで、我々を殺すのか?」
九鬼に問うた。
「それは」
九鬼は一歩前に出て、老人に近づくと、
「あなた達次第だ」
ニメートル以上ある老人を見上げた。
老人は目を細めると、九鬼を見つめた。
しばらくの間の後、老人は言った。
「我らは、闇!闇に侵された者」
「…」
「貴様は、我らを救えない。しかし、この方なれば!」
老人は、カルマを見た。
倒れていたカルマは、2人の女に抱き起こされていた。
「この方ならば、我らを導いて下さる!闇の居場所に!」
「闇の居場所?」
九鬼は眉を潜めた。
「フン!」
老人は、九鬼を見下ろした。
その間に、カルマを抱えた女達はジャンプし、校舎を飛び越えた。
そして、彼女達を守るように、九鬼の周りにいた者達もジャンプした。
「なんだ?」
状況が飲み込めずに、攻撃を躊躇っていたカレンは、影達がいなくなるのを見送るしかできなかった。
「九鬼!」
カレンは、老人と対峙する九鬼に叫んだ。
「そこは、どこにある?」
九鬼は、老人を睨んだ。
「言わずとも、貴様ならば、わかるはずだ」
老人は口元を緩めた。すると、背中から烏を思わす黒い翼が、皮膚を突き破って飛び出した。
老人の数倍がある巨大な翼が羽ばたくと、突風が巻き起こったが、九鬼とカレンも、それくらいではびくともしない。
ただ髪が、風に靡くだけだ。
「また会おう。闇夜の刃よ」
老人は一瞬で、数十メートル上空に浮かぶと、月の明かりから消えた。
その様子を苦々しく見ていたカレンが、軽くキレた。
「おい!」
つかつかと九鬼に近づくと、老人の去った空を見上げている九鬼の前に立った。
「今のやつらは、何者だ!それに!」
カレンは、蒸発して消えた男の欠片があったところに、視線を落とした。
「今のは、なんだ?」
人にヒビが入り、砕けるなど聞いたことがなかった。
それに、翼が生えた老人も気配だけなら、普通の人間と変わらなかった。
(少し…何かが、混じっていたが)
数秒、考えてしまったカレンの思考を読んだかの如く、九鬼は口を開いた。
「今の人間達は、闇に侵されている」
カレンは我に返ると、九鬼の方に視線を向け、
「魔獣因子みたいなものか?」
「違う」
九鬼は首を横に振り、
「魔獣因子は、もともと魔物になっただろう人間が、目覚めたもの。それは、あたしの世界にしか存在しない。今のは…」
九鬼も地面に目をやると、
「後天的に、魔に侵された…取りつかれたではなく、病気に近い」
「病気?どういうことだ」
カレンは、九鬼に迫った。
「…」
九鬼は無言になった。
少し俯き、考え込む九鬼とカレンの間を風が吹き抜けた。
その風に、一瞬髪が靡き、頬を触れられた瞬間、九鬼は顔を上げた。
「どうして…気付かなかったんだ」
九鬼は後ろを向き、そのままゆっくりと一回転した。
「そうだ…臭いが違う」
九鬼は鼻腔に、まとわりつく臭いを確認した。
「チッ」
そのまま軽く舌打ちすると、拳を握り締め、走り出した。
「九鬼!」
カレンには、今の九鬼の行動が理解できなかった。
「待てよ!」
しかし、無視する訳にもいかない。
走り去る九鬼の後を追おうと、駆け出そうとしたカレンは、突然動けなくなった。
「な、何!?」
全身にかかる重力が数十倍になったかのような…プレッシャーが、カレンの肩にかかったのだ。
「こ、これは!」
カレンの脳裏に、恐怖とともに思い出される記憶。
凄まじい炎を従え、町を人を破壊しながら、ただ歩く女。
自分は何もできずに、その場から逃げ出し、その結果.....カレンは育ての親を喪った。
(この…信じられない魔力は…)
カレンは、動けない体でもがきながら、気を探った。
(女神!!)
「邪魔をするな」
グラウンドの奥にあるフェンスの裏にもたれながら、カレンに向けて気を放っていたのは、スラッとした長身に、カラスのような黒髪を腰まで足らした女だった。
「貴様が一緒に行けば…あの女の目覚めの邪魔になる。それに…」
指先に引っ掛けた眼鏡を回しながら、女はほくそ笑んだ。
「お前も、あたしも…月影にとっては、部外者。やつらの計画を、あまり邪魔する訳にはいかない」
女は月を見上げると、
「今は、ただ輝いているがいい」
眼鏡をかけた。
「いずれは…すべてが、あたしのものになるのだから」
眼鏡をかけると、女の背は縮み、
「あれ?」
美亜になった。