第169話 飽くなき憂い
カップの中から、湯気が立ち上っていた。
武骨な…ただ大きいだけのカップを傾け、中身を飲む白衣の男を、結城哲也はただ腕を組み、見つめていた。
白衣の男がカップをテーブルに置き、軽くため息をついたのを確認すると、哲也は口を開いた。
「十夜小百合…。サイボーグとしての初陣は、彼女に負けたようですな」
哲也は、校長室の隣にある応接室に、男と2人でいた。
「それも…あなたの知り合いである…女に」
哲也は男の目をじっと凝視していたが、男はただ湯気を見つめていた。
「彼女は何者です?デスぺラードの復活にも、関与していると言われてますが」
哲也の言葉に、一度は指を絡めた取っ手から指を離すと、男はフッと笑った。
そして、徐に口を開いた。
「デスぺラード…ならず者という意味ですね。私達の世界で、イーグルスというバンドの曲にもありましたよ。デスぺラード…それが、闇の女神の真の名前ですかね」
男は口元に笑みを浮かべながら、取っ手を使わずに、カップを握りしめた。
「何が…言いたいのですかな?兜博士」
そのまま...まだ熱いコーヒーをごくごくと飲み干す男の名は、兜又三郎。
九鬼と同じく異世界から来た…男である。
「いやあ〜」
兜はカップを置くと、頭をかいた。
別名マッドキャベツとも言われる兜のボサボサの髪が、さらに乱れた。
「この世界は、我々の世界と似ているが…まったく違う。その一番の違いは、魔物…そして、動力としての魔力!」
兜は頭をかくのを止め、
「それは…私の世界が使う燃料より、燃費がよく…無駄がない。さらに、有害物も、環境破壊も起こさない。素晴らしい力だ」
「…」
哲也は、論点がずろていると思っていたが、敢えて口を挟まなかった。
「しかし…この世界は、本当に異世界なのだろうか…」
兜は腕を組んだ。
「確かに…今の流れは違う。しかし、似てるものが多すぎる」
兜は、天井を見上げた。
壁や内装に違いは、ほとんどない。
空気さえも…。
「人という種は、どこでも同じような進化を遂げるのか?それとも、この世界の過去は…我々と繋がっているのか」
兜の言葉に、哲也は眉を寄せた。
「その謎は…これにある」
兜は白衣の中から、あるものを取り出した。
「こ、これは…」
テーブルの上に置かれたものは、ボロボロに風化した…眼鏡ケースだった。
「これは…この学校の地層…数百メートルの地下から出てきた」
「お、乙女ケースか」
哲也が手を伸ばした瞬間、乙女ケースは崩れた。
「!?」
驚き、宙で手が止まった哲也に向って、兜が言った。
「これは…量産タイプです。乙女ケースのレプリカ」
「乙女ケースのレプリカ!?」
目を見開く哲也より、兜は崩れた乙女ケースを見つめながら、
「これが…この学校にあった。この大月学園に!」
少し声をあらげ、
「そして、私は!私の世界の大月学園にいた。だが、今は!」
兜は手を伸ばし、ただの砂と化した乙女ケースを握りしめ、
「この世界の大月学園にいる!なぜだ!どうしてだ!と自問自答しても、答えはでない。それに、答えが出たところで、私の力では!元の世界に戻れない!」
手を開くと、砂となった乙女ケースが流れ落ちた。
「恐らく!九鬼真弓か、相原理香子のどちらかが…この異変の鍵を握っている。あなたが言うように、魔王が不在になり、起こったというならば…月影とは、この世界と、我の世界を繋ぐ鍵!!」
そこまで、興奮して言った後、兜は笑った。
「だとしても…今は、関係ない」
兜が座るソファの横には、気を失っている十夜が横たわっていた。
「今は、この世界で生き残ることが、肝心」
ちらりと、十夜を見ると、
「私の世界では…できなかったあらゆることを、この世界でなし」
兜は哲也を見、
「あなた方の力になろう」
頭を下げた。
「無論…」
哲也は、ソファに座り直すと、
「そうでないと、困る」
深々ともたれた。
兜もにやりと笑うと、テーブルの上の砂の塊を払い除け、紙を広げた。
それは、何かの設計図だった。
「この世界に来て、素晴らしいと感嘆したのは、ドラゴン…竜族の存在。あれほど巨大なものが、宙を舞うとは!」
設計図を覗いた哲也は、目を細めた。
「成る程…ドラゴンの骨組みを使うのか」
兜は頷き、
「彼らの骨や筋肉を利用して、この兵器を造ります」
「人型の巨大兵器か…」
哲也の呟きを、兜は否定した。
「いえ…完全な人型ではありませんよ。足がないですから」
「うん?確かに」
設計図に書かれた姿に、足はなかった。その代わり、下半身は巨大な円盤状になっていた。
そして、体よりも長い…両腕と背中に二本の砲台を持つ…巨大ロボ。
「あなたが言うところの…女神の一撃。その威力を再現する為には、これだけの巨体が必要になりましたよ」
女神の一撃。
地球上に起きる災害と同じ威力と言われる…女神の必殺技。
天空の女神アルテミアは、竜巻と雷鳴…台風並みの一撃を放つことができた。
水の女神マリーは、津波。
炎の女神ネーナは、噴火と地震。
それ故、女神は天災とも言われていた。
今は、2人の女神は死に…アルテミアも行方不明だ。
「まあ…同じとまではいかなくとも、核以上の兵器という…リクエストには、おこたえできると」
兜は、目を輝かせている哲也を見つめた。
「素晴らしい!こいつが、量産化された暁には、前の防衛軍を超えることになるわ!」
喜んでいる哲也に、兜は顔を近づけた。
「しかし…こいつには、あるものが必要となります。それが、用意できますかな?」
「なんだ?」
兜の言い方に、哲也は眉を寄せた。
兜は真剣な表情をしていたが、堪えられず…にやけてしまった。
「それは…ですね…」
「人知れず泣き!人知れず死ぬ!そんな運命なら、壊したくなる!」
激しくかき鳴らすギターの音すら、かき消そうと激しくシャウトする。
それは、自分の奏でる音や、自分の発する言葉さえも消し去るように。
なぜなら、所詮…人間の言葉など他人事。
そして、言葉を発するのは、自己満足だ。
しかし、その自己満足と他人事を超えて、存在する言葉がある。
それは、誰もが発することはできない。
例え、売れ…金になったとしても、流行や懐かしさに変わる言葉に用はない。
心の琴線に触れ、永遠という時を得ることができる言葉達。
それを、自分が発した時、命よりも価値がある。
そう思っていた。
だからこそ、自分は誰も聴かない街角で、言葉を発する。
心の思いよりも、喉が血を滲まし、声が枯れた為.....彼女はギターをしまった。
自己満足の言葉であっても、言葉になってなかったら…意味がない。
さらしを回したギターケースに、使い込んだギターをほりこむと、女はその場から去ろうとした。
すると、前の闇から声がした。
「おい!あれを歌わないのかい?」
ビルとビルの間に、酔っ払いがいた。
ゴミ箱を椅子代わりにして、酔っ払いは真っ赤な顔を、女に向けていた。
女は無視して、歩き出した。
「あんた…高木優だろ?」
男は、女の背中に話しかけた。
だけど、女は足を止めない。
「何とかの月っていうヒット曲があっただろが!」
女は足を止めない。
「折角…その曲だけでも聴いてやろうと思っていたら…歌いやがらねえ!」
女は足を止めない。
「訳わかんねえ〜歌ばかり、歌いやがって!」
女は足を止めない。
「けっ!天才シンガーが知らねえけどな!結局、一曲だけじゃねえか!一発屋がよお!」
女は足を止めない。
「その曲しか、その曲しかねえだろうよお!」
酔っ払いの叫びに、女は足を止めた。
女は少し振り返ると、男を見ることなく、こう言った。
「だったら…その曲を、あんたにくれてやるよ」
それだけ言うと、女はもう振り返ることなく、歩き出した。
「チッ」
しばらく歩いてから、女は舌打ちした。
酔っ払い相手に、少しむきになった自分を悔いた。
まだ自分は、できていない。
こんなことでは…永遠の言葉など、自分の口から発することはできない。
「悲しいですねえ」
突然、横合いから男が飛び出して来て、女の進路を塞いだ。
紺のスーツを着た男は、女に頭を下げた。
「高校生でデビューし、いきなりデビュー曲が年間ベストセラー!これからと言う時に、あなたは芸能界をやめた」
男の言葉の途中、女は男の横を通り抜けた。
男は肩をすくめ、女の背中を目で追った。
遠ざかっていく女の背中に、男は叫んだ。
「歌は、聴かれなければ…ヒットしなければ意味がない!あんたは、まだ一曲しか出していない!」
女は足を止めない。
「だからこそ!飽きやすい民衆も、あんたの歌を期待している」
女は足を止めない。
「だから、まだ期待してる人もいる。あんたは、そいつらに見せつけないといけない!」
男はにやりと笑った。
「あんたに、本当に才能があったのか!なかったのか!見せないといけない!高木優!あんたには、その責任があるんだ!」
男の身勝手な言葉にも、女は足を止めなかった。
高木優…。
本名だったから、逃げることができない…足枷。
優はもう…言葉を返すこともしなかった。
あの頃は、有名になることが成功だと思っていた。
しかし、ある日...ふと外を歩いている時に、偶然に流れた自分の曲。
それを聴いた時、優はメジャーから消えた。
なぜなら、それは…特別で永遠の言葉ではなく、今だけの...この時だけを彩る…単なるヒット曲だったからだ。
魔物に襲われたり、いつ死ぬのかわからない…この世界では、刹那的に流行るヒット曲こそが、必要なのかもしれない。
今だけが盛り上がる曲。
だけど、優の求めるものは違う。
かつて、魔王との戦いで何とか生き残った人々が、焼け野原となった大地に立ち尽くし、絶望を感じていた。
明日から、どうすれば…。
誰もが、不安を感じている時…人々の不安を拭ったのは、小さな男の子が歌った…童謡だった。
ただの鼻歌のような歌を、人々は口ずさんだ。
その顔には、笑顔が戻っていた。
その人々の中に、人気作詞家がいた。
彼は、自分の曲の空っぽさを知った。
その後、彼は別の場所で命を落とすが、その前に書いた言葉こそが、高木優を音楽の道に引きずり込んだ。
(あたしに、そんなことができるのか?)
人々を救う言葉。
「きゃああああ!」
どこからか、悲鳴が聞こえた。
優は足を止め、悲鳴が聞こえた方を探した。
耳をすまし、震えているはずの鼓動をも聞き逃さないように、神経を集中した。
優は表情を引き締めると、走り出した。
そこに危険はある。
誰かが襲われているからだ。
だが、優は行く。
危険の向こうに、あるかもしれない。
永遠の言葉が…。
優は走りながら、ギターケースを開けた。
そこから取り出したのは、ギターではない。
緑色の乙女ケース。
「装着!」
緑色の光が、優の体を包んだ。
乙女グリーン。
それが、高木優が手に入れた力だった。
永遠の言葉を得る為、優は戦いへと参加した。
生と死と…。
恐怖と安心。
絶望と希望。
そこから、生まれるはずだ。
正義の為ではない。
己の生きる証の為。
高木優は、月影の1人になった。
その結果が、彼女をどこに導くのかは、彼女が知るはずがない。