第165話 崩れ落ちた日常
うるさく鳴り響くチャイムの中.....背筋を伸ばし、廊下を歩く女に、慌てて自分の教室に入ろうとした生徒達の動きが、止まった。
凛とした表情で、前しか見ていない女の動きに乱れはない。
ただ背中まである黒髪だけが、揺らめいていた。
「生徒会長よ…」
「行方不明って聞いてたけど…」
「戻って来られたのね」
男子生徒よりも、女子生徒の眼差しが熱い。
「九鬼様…」
大月学園生徒会長…九鬼真弓。
1ヶ月ぶりに、学園に姿を見せていた。
音をたてずに、教室のドアを開けた九鬼は、軽く会釈すると中に入った。
(偽りの学校か…)
どうやって編入できたのかは、わからない。
この世界に来た時には、九鬼はここの生徒となっていた。
才能のあるものを集めて、魔道士や戦士に育てる。
表立っては公表していないが、一般の生徒に紛れて、そういう生徒が何人か紛れていた。
ただ一般生徒にも、きちんと魔法の使い方は教えていた。
九鬼はここの学校に来ると、すぐに生徒会長に任命された。
魔法を使えないのに…。
いや、使う気がないのにだ。
魔法が使える世界とはいえ、すべての戦士が魔法を使っている訳ではない。
剣だけで、勇者になった者もいる。
人は、そのような者達に…特に羨望の眼差しを送った。
人本来の力のみで、魔物や魔神と戦える者こそが、真の勇者に相応しいと。
そういう意味では、己の肉体のみで戦い、他の生徒を寄せ付けない圧倒的な力を持つ九鬼は、羨望の的だった。
彼女は、武器すら…手にすることはなかったのだから。
(魔力か…)
九鬼は廊下を歩きながら、生徒の気を探っていたのだ。
この世界に、魔獣因子を持つ人間はいない。
だが…人は変わらない。
羨望の眼差しを送る者がいれば、確実に嫉妬もある。
(人の本質は、世界が違っても変わらない)
教室に入ると、戸惑うことなく、滑らかな動きで自らの席についた。
教室にいた生徒達も、九鬼の登場に息を飲んだ。
行方不明になっていた時も、噂は広がっていた。
彼女が出演していた…乙女戦隊月影の乙女ブラック。
そのヒーローが、魔物と戦い…人々を守っていた。
学校中で、その実在する乙女ブラックは、九鬼真弓本人だと噂になった。
しかし…乙女ブラックの活躍が伝えられなくなると、それとは逆に、殺人事件の噂が浮上してきた。
魔物に殺されたのではない。
犯人は…月影の登場人物であると。
証拠は残っていなかったが…。
月影…乙女ソルジャーが、人を殺している。
何かと憶測を呼んでいる中、九鬼が学校に戻ってきたのだ。
しかし、誰も表立っては、月影の話題を口にはしなかった。
もう1つの噂が、流れていたからだ。
月影の話題を、あまり口にしてはいけない。
いや、話すくらいはいいのだろうが…勘繰ってはいけない。
疑ってはいけない。
なぜなら、殺されるからだ。
それは、誰に。
それは、月影に…。
乙女ブラックの活躍を聞かなくなった時、生徒達は、こう思った。
他の月影に、殺されたのではないかと。
そんな新しい噂が広がろうとした時、九鬼本人が戻ってきたのだ。
妙な緊張が走る中、当の本人である九鬼はいたって、普通だった。
次の授業の準備をすますと、背筋を伸ばし、担任を待っていた。
しばらくして、徐に教室のドアが開くと、厚化粧の女教師が入ってきた。
その後ろに、1人の生徒を引き連れて。
見たことのない生徒の登場に、九鬼が入ってから静まり返っていた教室が、少しざわめいた。
「静かに!」
甲高い、少しヒステリックな声を発すると、女教師は教室内を見回した後、教壇の横でかしこまって立つ生徒を紹介し出した。
「転校生を紹介する。東地区より、こちらの学校に転校することになった…」
転校生は、一歩前に出た。
「山本可憐さんだ」
転校生は頭を下げると、
「山本可憐です。よろしくお願いします」
屈託のない笑顔をみんなに向けた。
彫りが深く、目鼻立ちがはっきりとした顔は、日本地区では珍しかった。
それなのに、穏やかな雰囲気を醸し出す物腰は、教室内の生徒達に好印象を与えていた。
特に、男子生徒達には、強烈な印象を与えていた。
(フン)
満面の笑みを浮かべながら、心の中では冷静に周りを観察していた。
山本可憐とは、育ての親に貰った名前である。
本当の名前は、カレン・アートウッド。
伝説の勇者ティアナ・アートウッドの血筋である。
剣だけで、魔王と戦い…カードシステムを開発した戦士。
しかし、その功績よりも、魔王と結ばれ…その間に、女神を産んだことの方が有名であった。
天空の女神、アルテミア。
ティアナ・アートウッドはその為、栄光の勇者から人類の裏切り者へと一気に、評価は地に落ちた。
それにより、アートウッド家の名声も一気に下落した。
ティアナの妹であったカレンの産みの親は、人々の蔑みの中、心労により亡くなった。
カレンはアートウッド家の名誉を取り戻す為、叔母であるティアナを超えなければならなかった。
一族の汚点であるアルテミアを討ち、魔王を倒すことができたら、アートウッド家の名誉は回復するはずだった。
しかし、魔王ライもアルテミアも…数ヶ月前から、消息不明となっていた。
それに、自分を鍛えていた師匠になる…ジャスティン・ゲイもまた、同時期に行方不明となっていた。
(あの化け物が、死ぬとは思えないが…)
修行中、黙って姿を消したジャスティンをしばらく探してみたが、見つけることはできなかった。
そんな捜索を続ける中、カレンはある噂を耳にした。
月影の噂である。
久しぶりに帰ってきた日本地区での噂は、興味深かった。
カレンが引き取られてから育った地域は、炎の女神の攻撃で消滅していた。
育ての親も、その際に殺された。
行く宛てもなくなっていたカレンは、月影の噂を調べた。
そこに、今までにない新たな脅威を感じ取ったからだ。
それに、1ヶ月前…カレンはある現象を目にしていた。
それを見る事ができたのは、ごく一部の人間だけだった。
月から、闇が染み出てくるのを。
そして、染み出た闇は、この地上に落ちたことを。
それから、しばらくして月影の噂である。
もともとテレビなんかあまり見ないカレンは、月影というのが…テレビのヒーローものとは知らなかった。
調べてみると、そのテレビの主人公を演じているは、現役の高校生であった。
その中でも、乙女ブラックを演じている女の子には、さらに噂があった。
実際に、普段も魔物と戦っているというのだ。
カレンは、興味を持った。
その女子高生に。
だからこそ、その学校に編入して来たのだ。
ジャスティンに、もしもの為にと渡されていた…かつての安定者の証であるブラックカード。
今は使うことはできないが、無尽蔵にポイントを使用することができた特殊カードは、まだ効力を発揮した。
九鬼が通う学校は、もともとは防衛軍の直轄であった。
ジャスティンの名も、絶大だった。
それにカレンは、入学テストも一発でクリアした。
特に、実技では…審査員達を圧倒した。
実際に、活躍している勇者達をも、凌ぐ強さだったのだ。
そして、カレンは入学初日から、仮面を被ることにした。
前の学校では、人前では大人しく…あまり目立たないようにした。
今回は逆である。
明るく、人懐こい性格を演じることにした。
その方が、初めての所で仲良くするには、いいのだ。
今回は、噂を探らなければならなかったから。
そう思い…被った仮面を、カレンはすぐに外すことになる。
まずは、目的の九鬼と同じクラスになれたこと。
それよりも、カレンの考えを変えたのは、席から自分を見る九鬼の目である。
カレンは一発で、九鬼と気づいた。
その物腰…静かな雰囲気。
ある程度、戦いを教えている学校だから、一般の高校生よりは、皆…落ち着いていた。
しかし、そんな訓練され、統率された落ち着きではない。
これは、ある意味…野生動物が相手を見定める為に向ける視線に、酷似していた。
仮面を被っても、見破られる。
咄嗟に判断したカレンは作り笑いをやめた。
一応、柔らかな微笑みだけをたたえながら、教師が示した空いてる席へと移動した。
その時、九鬼の横を通ることになったが、カレンは何の気配も向けずに、前だけを意識した。
もしかしたら、心さえ読まれるのではないか…と、そんな気がしたのだ。
九鬼から離れた後ろの席であったことに、少し安堵した。
(九鬼真弓か…)
レベルはまったく違うが、どこかジャスティンに似ていた。
それは、鍛え方しだいでは、更なるレベルになる素質があることを示していた。
(まともに、やり合えば…今は私の勝ちだ。しかし…)
数ヶ月後にはわからない。
そんな恐ろしさを、カレンは見抜いていた。
授業が終わり…休憩時間になっても、九鬼はほとんど席から動かなかった。
次の授業の予習でもしているのだろう。
相変わらず隙はないが、かといって気を配っているでもない。
ごく自然に振る舞う九鬼に、カレンは少し拍子抜けを感じ始めていた頃。
「!」
あからさまな殺気を感じた。
自分に向けられていないが、殺気を放つ人物は近い。
カレンは背伸びをして、ストレッチでもするかのように体を動かし、視線を廊下の方にやった。
かなり早足で廊下を駆け抜けていく人物。
それは、生徒ではなかった。
「教師か…」
黄緑のスーツを着た女教師は、横目で教室内を見つめていた。
カレンは一瞬で、その教師の視線の先を理解した。
(今のは…)
カレンはその女教師から、圧倒的な自信と自惚れを感じ取っていた。
人の歩く姿だけで、大体の性格や心情を見抜くことはできた。
今のようなタイプの女は、自分のスタイルに自信があれば…胸を張り、風を切るように歩く。
しかし、それだけではなかった。
自分の力を大きく見せつけたいチンピラが、絡む相手を探してような威圧感があった。
女で、そんな雰囲気を醸し出すことは珍しい。
つまり...今の女は、肉体的にも、他の圧倒する力を有していることを自ら示していたのだ。
(だとすれば…)
カレンは心の中で、にやりと笑った。
(今の女は…)
カレンはストレッチをやめた。
(月影!)
月影は、女しかなれないらしい。
カレンは、女の後を追おうとしたが…教室に女子高生が1人、入ってきたことに気付き、席を立つのをやめた。
なぜなら、その女子高生もまた…先ほどの女教師と同じ雰囲気を醸し出していたからだ。
その女子高生は、九鬼の前で足を止めた。
九鬼は女子高生を見上げ、呟くように言った。
「里奈…」
どうやら、九鬼の知り合いのようだった。
自分を見つめる九鬼に、里奈と呼ばれた女はにこっと笑顔を見せた後、九鬼を睨んだ。
「誰と間違えてるのか、知らないけど...あたしは、梨絵よ!」
その女の剣幕より、九鬼は呟いた自分に笑った。
「フッ…そうね。人違いだわ。ごめんなさい」
素直に頭を下げた後、九鬼は席を立った。
「で、そう梨絵さんが、あたしに何の用かしら?」
突然、近づいた九鬼の視線に、梨絵は一瞬怯んだ。
が、すぐに拳を握り締めると、九鬼を睨んだ。
「昼休み…」
一度、言葉を切ると、額に皺をつくり、
「屋上で待ってる」
凄い形相で睨み付けた。
「わかったわ」
九鬼は逆に、穏やかな表情になり…頷いた。
そんな九鬼に舌打ちすると、梨絵は身を翻し、教室を後にした。
九鬼は、梨絵を見送ることなく、すぐに座った。
2人のやり取りを後ろから見ていたカレンは、九鬼の変化に気づいていた。
(なんだ?)
最初…梨絵という女を見た時、明らかに九鬼は間違っていた。
知り合いと。
つまり、梨絵とそっくりな女がいる…ということが問題ではなく、
(あれは、間違いではない)
九鬼は謝ったが、間違いを認めた感じではなかったということだ。
(知っている相手だが…向こうが覚えてない。それとも、同じ別人…)
自分が出した答えに、カレンは苦笑した。
(馬鹿な答え…)
しかし、その答えが当ていることを、カレンは後に知ることになる。
チャイムが鳴り響き、休憩時間の終わりと次の授業の始まりを告げた。
カレンも、九鬼も姿勢を正し、ただ前を見つめた。
彼らに、授業をさぼるという考えはなかった。
学ぶことに、意味がない訳がない。
知識を得ることができる。
それが、人が自由であるということだから。
何も知らされていない世界で生きることは、人が奴隷であるということなのだ。
それに気づいている人間は、少ない。
知識を得ない人間は、奴隷と変わらない。
そう…人は、自由自由と叫びながら、無知な奴隷なのだ。
学べる環境があることこそが、自由なのだ。
何事も知ろうとしなければ…支配者の思う壷だ。
人は自ら、社会の奴隷となる。
しかし、すべてを知れる訳がない。
この世の中の摂理や権力…そして、利権の中には知ることが、危険を伴う場合があった。
待ち合わせにしていたカフェに、後藤が着いた時、そこはただの血の海と化していた。
監視カメラも破壊されていた。
それだけではなかった。
ビルの一階にテナントとして入っていたカフェは、その上で働く…すべての人々が惨殺されていた。
それだけではない。
ビルが契約していた管理会社や、防犯会社までもが、皆殺しにされていたのだ。
後藤は、無数の刺し傷からの出血死した木村の遺体を見て、絶句した。
そして、その近くに転がっていた…頭が踏み潰された男の子の死体に気付き、嗚咽した。
犯人の残虐性が、わかった。
しかし、後藤はそんな惨劇を見ても、考えを変える気はなかった。
「アイ…」
遠くから、サイレンが聞こえた。
警察で時間を潰す訳には、いかなかった。
「いくぞ…」
相棒のアイを呼ぶと、後藤はテレポートをすることにした。
本当なら、ここで起こった過去を確認したかったが、先日能力を使ったばかりだったことと、警察の接近の為に断念した。
「うん?」
後藤はテレポートする寸前に、木村のそばで落ちている…彼のカードを見つけた。
素早く、それを手に取ると、後藤はテレポートした。
行き先は、決めていた。
月影を放映していたテレビ局。
日本地区の中心に建ているテレビ局の前に、テレポートした後藤は、会社の社員証を慌てて上着の内ポケットから取り出すと、テレビ局の受付に走った。
普段なら、出入りの厳しい玄関に誰もいない。
いや、誰もいないじゃない。
誰も生きていなかったのだ。
ガラス張りのドアが開いて、中に入った後藤の鼻腔に血の臭いがこびりついた。
広い大理石のフロアに、血が川のように流れていた。
「アイ…」
後藤は、テレビ局に入った瞬間、背筋に悪寒が走るのを感じた。
これは、血の為ではない。
今は行くことがなくなった…戦場で、何度も味わった感覚。
「アイ…」
後藤は、右手を伸ばした。
視線は、フロアに向けられている。
「…う、うん」
アイも感じているようだ。
全身が震えている。
「武器を…召喚しろ」
「え?」
アイは驚いた。思わず、後藤の顔を見た。
「早くしろ…来るぞ!」
後藤の鋭い声が、いつもと違うことを告げていた。
「わ、わかった」
アイは頷くと、両手を突きだした。
すると、空間が裂け…剣が飛び出してきた。
後藤は剣の方を見ることなく、右手で掴むと一振りして、刃を前に向けた。
日本刀に似た剣を持ち、突きの構えで、後藤は動きを止めた。
目だけが、空間の変化を探す。
フロアの奥にある三台あるエレベーターの一台に、動きがあった。
一番上である12階が点滅すると、光が降りてくる。
後藤は切っ先を、降りてくるエレベーターの扉に向けた。
後藤は唾を飲み込むと、奥歯を噛み締めた。
今…逃げれば、助かるかもしれない。
しかし、後藤の心が、それを止めた。
なぜなら、真実を知る為には、逃げてはいけないからだ。
後藤は出来る限り…心を無にした。
ただ剣先にだけ、すべてを集中した。
ただ突く。
それ以外の感情も行動もいらない。
光は止まることなく…スムーズに一階まで降りてきた。
その数秒が…後藤には長く感じられた。
チン。
無機質な音を立てて、開いたドアの向こうの人物を確認すると同時に犯人ならば、突進しょうとしていた後藤は....一歩も動けなかった。
「あら?」
エレベーターから出てきた女は、入口のそばにいる後藤に気付き、微笑んだ。
「ここに用かしら?」
「…」
無言の後藤に、苦笑すると、
「ごめんなさい…。ここは、つぶれたのよ」
「!?」
「今さっきね」
女の言葉より、後藤はその顔を見つめ…凍りついた。
「だから…あなたも」
女の爪が、鋭さを増す。
全身から、血の匂いが漂ってくる。
「後藤!」
アイは後藤の後ろに回りながら、叫んだ。
「ごめんなさいね」
一瞬で、間合いを詰めた女の爪が、後藤の首に突き刺さる寸前、
「佐々木…様…」
後藤は呟いた。
その呟きに、佐々木は手を止めた。
そして、後藤が持つ剣を見た。
柄に刻まれた紋章を見て、佐々木は手を下ろすと、そのまま…後藤の横をすり抜けた。
「ば、馬鹿な!!」
後藤は呪縛が解けたかのように、絶叫した。
「安定者だった!あなたが、どうして!」
後藤の手から…剣が落ちた。
神流はゆっくりと歩きながら、言葉を発した。
「あたしが…安定者だと知ってるのは、防衛軍の中でも、ごく一部だけ…」
「…」
後藤は振り向いた。
「あんたの顔に、見覚えはないけど…あたしの近くにいたと言うことね」
「佐々木様…」
後藤は、神流の遠ざかる背中を見つめた。
「かつての部下特典として…今回は、見逃してあげる。まだ…深くは知らないようだし」
神流の言葉に、後藤ははっとした。
慌てて、上着のポケットをまさぐると、一枚のカードを取り出した。
それは、先程…手に入れた木村のもの。
後藤は、発信履歴を検索した。
最後は自分だが…その前に登録されていない番号を、何度かかけていることを発見した。
後藤は震えながらも、リダイアルをかけた。
神流の方から、着信音が聞こえてきた。
神流はカードを出すと、電話に出た。
後藤は震える手で、カードを耳元に当てた。
「…で」
神流の声が、鼓膜を震わした。
「どうしたいの?」
後藤の手から、カードが滑り落ち.....床に激突する前に、粉々に砕けた。