第164話 惑わす月
「乙女ソルジャー?」
事務所に帰ってきた後藤の言葉に、後ろの席の男が眉をひそめた。
「ああ…。木村きいたことないか?」
背広の胸ポケットから、煙草を取り出した後藤は、マッチをすって火をつけた。
魔力を使うライターもあるが、たかが煙草に火をつけるのに、そんな力を使うことは、後藤には勿体なかった。
唇の端に煙草をねじ込む後藤を、木村は振り返り…意外そうに見つめた。
「ま、まさか…そんな趣味があったとは」
木村はデスクの引き出しを開けると、何かを探した。
そして、一冊の雑誌を取り出した。
「これに、載ってますよ」
木村から後藤に渡されたのは、テレビの番組表だった。
後藤は片目をつぶりながら、ページをめくり出した。
「二週間前のやつですけど…」
後藤は巻頭カラーのページで、手を止めた。
「これは!」
「乙女戦隊…月影。そこに出てくる主人公達のことを、乙女ソルジャーというんですよ」
「月影…」
後藤は、紙面に目を走らせた。
「美少女で、全員メガネっこということで、マニアから人気があるんですよ。いや〜あ!後藤さんが、そっち関係が好きとはねえ〜」
にやける木村を無視して、後藤は文を暗記すべく、読んでいた。
「でもね!」
ここで、木村の口調が代わり、
「最近…人気キャラで、話を作っていた乙女ブラックの役の子が、行方不明になったんですよ!」
なぜか…少し興奮している。
「だから…番組は、方向転換!ギャク色と、下ネタが増え…別物に!一番人気のある九鬼が、蒸発した為に、代役を立てたんですが…」
木村は顔を横に振り、
「ぜ・ん・ぜ・ん〜駄目!」
その後、嘆いてみせた。
「だから…しばらく休むって…番組」
肩を落とす木村。
「…」
後藤は、雑誌を閉じた。
乙女ソルジャーとは何か…わかったが、話にならなかった。
テレビのヒーローである。
架空の話に、興味はなかった。
後藤は煙草を吸った。
今回の事件は、架空の話ではない。
実際に、人が死んでいるのだ。
「ありがとな」
後藤は、雑誌を木村に返した。
そして、煙草を吸殻で山盛りの灰皿に押し込んだ。
(テレビの人気キャラを真似ただけの愉快犯か…)
後藤は立ち上がった。
(しかし…あの会話)
男の発した言葉は、まさしく…
(太陽の勇者の話)
何か…意味があるはずだった。
小さな出版社に、ところ狭しとディスクが並んでいる為、歩きづらい。
少し苛つきを覚えた頃、木村の声が、後藤を止めた。
「そう言えば…。あくまでも噂なんですけど」
後藤は振り向いた。
木村は言葉を選びながら、
「最近…乙女ソルジャーに、助けられたって…多いんですよ。テレビと同じ月影が、魔物から守ってくれていると…」
「何?」
後藤は、自分のデスクまで戻った。
木村は驚きながら、後藤に向かって話を続けた。
「それが、乙女ブラック…九鬼真弓!番組でも本名で出て活躍している人で…月影の原作者でもある人なんです」
「そ、そいつは!光輝いているのか?」
顔を近づけてくる後藤から、木村は身を反らしたながら、口を尖らせた。
「乙女ブラックは、光ってませんよ」
「!?」
後藤ははっとすると、先程返した雑誌に手を伸ばし、ページを捲った。
確かに、乙女ブラックは光っていない。
(だとすれば…他の色か)
後藤は、雑誌を閉じると、また木村に背を向けた。
(しかし!まずは…やつだ)
デスクの間を歩きながら、後藤は九鬼から身元を探ることに決めた。
「後藤さん!」
また木村は呼び止めた。
「だったら、いいのがありますよ」
訝しげに振り返る後藤に、木村は歯を見せた。
後藤は顔をしかめた。
「数分前、事務所にメールが来たんですよ」
木村はいやらしく…さらに笑った。
「乙女ソルジャーに、興味ある出版社の方に、個別に話をすると」
カップの中のコーヒーの中で、白いクリームが回っていた。
「クスッ」
目の前に、座る女はカップに向かって笑うと、ゆっくりと取っ手に指を絡めた。
「…人気番組といいましても…たかが子供相手…」
女はカップを口に運ぶと、一口飲んだ。
「誰も相手には、してませんから」
妖しく微笑む女に、テーブルを隔てて座る木村は息を飲んだ。
妙な悩ましさと、異様な雰囲気にのまれそうになっていた。
歴戦の勇者なら、その雰囲気を理解しただろう。
しかし、ただの編集者であり、魔物と戦ったことのない木村には、理解できなかった。
「す、すいません!遅いですねえ〜」
堪らずに席を立った木村は、カードを示し、
「連絡してきますので」
席を離れた。
この世界のカードは、クレジット機能だけでなく、携帯電話の機能もあるのだ。
「後藤さん…」
木村は、電話をかけた。
「まったく…自分が会いたいといいながら…遅刻なんて」
普段取材などしない木村には、何を話していいのかわからない。
「で、でないよお〜」
木村は、カードのボタンを押し、一度切ると、もう一度かけてみた。
1人残された女はカップを置くと、コーヒーの奥を見透すように、じっと見つめた。
表情は穏やかだけど、テーブルの下では拳をぎゅっと握りしめ、小刻みに震えていた。
店内は、平日であるが…親子連れやサラリーマンで溢れていた。
子供をあやす母親の笑顔。
子供の笑い声。
女はコーヒーから顔をあげると、目だけで店内を見回した。
「乙女レッドの恥じらいのキックが、悪い怪人に決まった!」
通路を挟んだ隣の席で、小さな男の子に、母親が絵本を読んであげていた。
女は目を見開きながら、真横の親子を見た。
次の瞬間。
「すいません…。ちょっと遅れるみたいで」
頭をかきながら、席に戻ってきた木村の動きが止まった。
「え?」
人は信じられないものを見ると、一瞬…動きが止まってしまう。
木村は、目の前で起こったことが信じられなかった。
いかに、魔物がいる世界とはいえ、ここは人間のテリトリーである。
それに、もし…魔物が近くにいるなら、カードが警戒音を発するはずである。
なのに、カードは反応していない。
いや、今…反応しだした。
店内にいる人々のカードが、一斉に鳴り始めた。
「え?」
驚いた人々が、カードを確認すると、魔物の反応はすぐそばにある。
一斉に人々が魔物を探し、店内を見回した。
驚いて一瞬、呼吸が止まっていた男の子が泣き出すことで、人々は側で起きた惨劇に気付いた。
「やっぱり…我慢できなあい」
女は笑った。
硬質化した腕が、男の子の母親の心臓を貫いていた。
「そ、そんな…」
あまりの出来事に、腰が抜けてその場で崩れた木村に、女は左手を向けた。
爪が伸び、木村の胸を貫いた。
「きゃああ!」
店内はパニックになり、逃げようとした人々が走りだそうとした。
すると、女は母親から右手を抜くと、爪を伸ばし、まるで鞭のように横凪に振るった。
爪は各テーブルの上辺りを通り、人々の足を切断した。
血飛沫が、店内の内装を一瞬で変えた。
「やはり…いい!」
女は木村から爪を抜くと、両手を広げ、歓喜の声を上げた。
「人の上に立つよりも…」
女は、死んだ母親にすがり泣き叫ぶ男の子を見下ろし、
「殺す方がいい!」
クスッと笑うと、男の子の襟元と掴み、強引に引き離した。
そして、通路に投げた。
女は、血まみれになった絵本を見ると、口元を緩め、
「いいことを教えてあげる。この世界にヒーローなんていないの。弱者を守る強者なんてね」
そして、眼鏡ケースを男の子に示した。
「強者は、弱者をいたぶるから…強者になるの」
驚く男に向かって、ケースを突き出しながら、女は呟いた。
「装着!」
黄色の戦闘服を着た女が、店内に現れた。
「え」
目を見開く男の子に、乙女イエローになった女が近づき…微笑んだ。
「あなたも、絵本に載るかしら?」
女は堪らなくなり、満面の笑みになり、
「ヒーローに倒される…悪人としてえええええええ!」
そのまま…男の子の頭を踏み潰した。
脳漿と血が舞う。
「乙女ソルジャー…」
致命傷を受けたが、まだ意識のある木村は…男の子を殺した女を見た。
「本当は、月影のことは秘密なんだけど…いいじゃん!見たやつ!知ったやつを殺したら!」
女の周りに、いつのまにか…数えきれない程の包丁が浮かんでいた。
「乙女包丁!雨だれ!」
そして、包丁は店内で足を切られ、動けなくなっている人々に向かって、刃から降り注いだ。
「ぎゃあああっ!」
断末魔の叫びが、店内に鳴り響いた。
「この能力…最高!」
人々に何度も、包丁を突き立てながら、女は腹をよじって、笑い転げた。
「うん?」
妙な光を、視界の隅にとらえた女は、新たな包丁を召喚したが、一瞬で切り取られた。
「チッ!」
舌打ちすると、女は後方にジャンプした。
包丁を切ったのは、飛来した光のリングだった。
回転しながら、光のリングは逃げる女を追ってくる。
「自動追尾機能か!」
女は逃げるのをやめると、近づいてくる光のリングを睨んだ。
「クッ!」
女は顔をしかめた。
血飛沫が飛び…光は消えた。
「…なるほど」
女はフッと笑った。
「生身の相手を切らないと、消えないのか…」
手に持っていた女の店員を、投げ捨てた。
イエローになった女は、店員の返り血を浴びた顔を拭った。
とっさに、店員を盾にしたのだ。
「乙女ソルジャーか」
女は、光のリングの軌跡を目でトレイすると、テレポートした。
「やはり!」
女は店を出ると、路地裏に身を潜めている者を確認した。
乙女イエローは口元に笑みをたたえながら、鋭い爪を伸ばし、路地裏に突進した。
「やっぱり....乙女ソルジャー同士は、引き合う!」
建物の影に隠れていた乙女ソルジャーの色が、わかった。
「グリーンかあ!」
狭い路地裏に入るとすぐに、2つの光のリングがジグザグに、軌道を読ませないように、飛んできた。
「馬鹿め!」
イエローの変身が解けると、人間に戻ったと思った刹那、黒い鎧に被われた姿になった。
光のリングは、その鎧に跳ね返った。
「月と魔!そして、人間の!安定者の知識を持つあたしに、勝てるかよ」
光のリングが消えると、また乙女ソルジャーになった。
「お前らは!あたしの糧になれ!」
イエローの正体は、佐々木神流。
もと防衛軍の最高機関…安定者の1人にして、魔獣因子が目覚めた女である。
信じられない程の跳躍力を見せると、神流はグリーンの頭上から、攻撃を仕掛ける。
「死ね!」
包丁の刃を下に向けると、グリーンを頭から突き刺そうとした。
グリーンは逃げることなく、頭上を見上げた。
グリーンの眼鏡の表面に光の膜ができ…盛り上がると、光線を発射した。
「な!」
空中では、足場がない為、よけれない。
テレポートしょうにも、間に合わなかった。
光線は、神流を直撃した。
「くっ!」
神流は、全身に力を込めた。すると、グリーンの眼鏡にできた膜と同じ光が、神流の全身を覆った。
地面に、着地した時には…グリーンはいなかった。
「この光の扱い方を知らなければ…やられていた」
全身から煙を発しているが、戦闘服の表面が焼けただれているだけだった。
グリーンの光線も、神流の体を守った光も…ムーンエナジー。
月の光である。
出力が違ったが、何とか最小のダメージですんだ。
神流は変身を解くと、人間の体に戻った。
「逃がしたか」
神流は、グリーンの気を探ったが、気配を感じることはできなかった。
「まあ…いい」
神流はフッと笑うと、乙女ケースを握り締めた。
「そう簡単に、手に入る力なら…意味はない」
神流の目が輝くと、魔に変わった時に破れた服の繊維や切れ端が集まり、もとの状態に戻った。
乙女ケースをデニムの後ろポケットに突っ込むと、ゆっくりと何事もなかったかのごとく歩きだした。
「なかなか…面白いものを手に入れたじゃない」
唐突に、真後ろから声をかけられて、神流は一瞬びくっとしたが…すぐに状況を理解した。
「何の用?」
ギロリと後ろを振り返ると、腕を組んだリンネがいた。
火の属性の魔物を束ねる…炎の騎士団長、リンネ。
「久々に会ったのに…」
リンネは軽く肩をすくめると、神流に微笑んだ。
「あそこから、脱出できたのね。よかったわね」
白々しいリンネの言葉に、神流は鼻を鳴らした。
そして、前を向くと、リンネを無視するように、歩きだした。
そんな神流に、これ以上話しかけることなく、無言で見送るリンネに、後ろで控える2つの炎が訪ねた。
「よろしいのですか?」
「あれは、間違いなく…月の光」
ツインテールのユウリと、ポニーテールのアイリは、顔をあげることなく、リンネの背中に話しかけていた。
「太陽程ではありませんが…」
「闇を打ち消す力…」
2人の言葉に、リンネは鼻で笑った。
「構わないわ」
「リンネ様」
2人は、顔を上げた。
リンネはゆっくりと振り向くと、2人を見つめた。
2人は出過ぎたことを口にしてしまったと… 再び頭を下げ、身を固くした。
そんな2人に、リンネは微笑むと、
「あやつが、どうなろうと…あたしには、関係ないわ。所詮…魔王復活までの余興に過ぎない」
リンネはそのまま…真上を見上げた。
まだ太陽があった。
「それに…」
リンネは、人の目では見れない太陽を直視すると、
「月の光は、人を惑わす」
切なげに、切れ長の目を細めた。