第151話 馴れ合いの音符
ため息すら…出ない。
涙も流れなかった。
冷静に、事実を受け止めてるわけではなく、
他人事のように冷めているわけでもない…。
ただ…すべてが終わったような脱力感だけが、残っていた。
「ジェーン様…」
王の寝室に置いてある鏡の前で、自分の顔を見つめ、動かなくなったジェーンに、後ろで控えていたカルマが声をかけた。
もう小時間は、動かないジェーンの身を案じて、たまらずカルマは、沈黙を止めたのだ。
「…」
ジェーンは少し眉を痙攣させた後、うっすらと笑った。
その後すぐに、唇の端を引き締めると、軽く鏡に映る自分の顔を睨んだ。
「状況はどうなっている?」
ジェーンはそのまま振り返ると、片膝を床につけているカルマを見下ろした。
「は、は!」
自分を見るジェーンの瞳の冷たさに、カルマの背筋が一瞬凍り付いた。
しかし、反射的に頭を下げると、ジェーンの視線から逃れ、カルマは言葉を続けた。
「昨日…炎の騎士団と思われる魔物の大軍が、ロストアイランドといわれる大陸を蹂躙!一瞬のうちに、大陸全土を焼きつくし…ロストアイランドに住むすべての人間…いや、生物を燃やし尽くしました」
その事件は、普通の人間の間には、話題にすらなっていなかった。
もともとロストアイランドは、魔王に幽閉された者や、人に混じっている者達が逃げ込んだ大陸である。
隔離された大陸など、人々には実感のない…架空の世界に近かった。
しかし、一部の世界を感じることのできる者達は、その事実に驚愕していた。
魔王ライは、先代レイとは違い…人々をただいたぶり、殺すことはしないと思われていた。
妖精や精霊の力を封じ、人々から魔法を奪ったりしたが、圧倒的な力で直接蹂躙することはなかった。
出過ぎた勢力を、騎士団で殲滅したことはあるが…あくまでも、人間の自滅を誘っているように感じられた。
だが、今回…魔王は、ロストアイランドを力で皆殺しにしたのだ。
その事実に、力ある人々は戦慄を覚えた。
「つまり…魔王が本気になったと…いうことか」
ジェーンの言葉に、カルマは頷いた。
「は!……?」
カルマは妙な雰囲気を感じ、顔を上げた。
すると、目の前に口元を緩めたジェーンの顔があった。
「!?」
カルマは、目を見開いた。
その表情は明らかに…笑っていた。
それも、自嘲気味に。
「ジェーン…様?」
カルマは、恐る恐るジェーンに声をかけた。
異質な笑み。
その笑みには、嬉しさもあった。
カルマは、そのまま…再び頭を下げた。
この場にいてはいけない。
カルマの本能が告げていた。
だから、そのまま…カルマはテレポートして、寝室から消えた。
「くくく…」
カルマがいなくなって、数分後…ジェーンは声を出して、笑った。
自分では、嬉しくて仕方がないように笑ったつもりだが、泣いてるような声になった。
だけど、その事実にジェーン自身は気づかない。
「魔王が…殺してくれる」
ジェーンは再び、顔を鏡に向けると、自分自身を睨み付けた。
「こんな醜いあたしを」
明菜の顔…。
アステカ王女となり、何度も他人の肉体を乗っ取ってきた。
物心ついた時には、自分の顔がわからなかった。
王女として、存在する意義は、肉体にはなかった。
だけど…この前の姿こそが、自分だと思いかけてた。
(知らない顔…)
ジャステンに出会うことで、彼女は自分自身の姿に、アイデンティティーを持ちかけていた。
「あたしは…どこにいる?」
ジェーンが鏡を睨み付けると、明菜の顔が映った表面が砕けた。
「くっ!」
苦悶の表情を浮かべたジェーンは、自らの変化に気づかなかった。
瞳から流れた一筋の涙。
それは、本人に自覚がなかった故に。
その涙は、心の奥から流れたものだから。