第146話 父と母
バンパイアであるあたしは、必ず血を吸わねばならない。
いや、必ずではないが…血を吸う行為は、他の生物を圧倒し、中々の恍惚感を伴った。
泣き叫ぶもの達をまるで、一杯の水を飲むように命を吸う行為は、癖になる。
「人間なんて、あたし達の家畜!湧き出る家畜!」
二人の御姉様が、人間の町を襲う様はまるで…バイキングのようだった。血を吸い続ける二人の姿から、あたしは顔を背けはしなかったが、真似しょうとは思わなかった。
それは…小さい頃、あたしにお母様が教えていたからだ。
「バンパイアは、人からだけでなく…魔物からも血を吸う…いえ、命のエネルギーを吸い取ることができます」
あたしを見る…切なげなお母様の表情を忘れることはできない。
「あなたにはできるだけ…抑えてほしいの。あなたには、人間の血が半分流れているのだから。だけど…血を吸わないと、バンパイアは力を発揮できない。それに、あなたは…まだ小さい」
あたしの頭を一度撫でると、お母様は自らの指を少し傷つけ、血が流れる指をあたしの口に、入れた。
「あたしの血で、我慢してね。あたしの血を吸いなさい」
あたしは、お母様の血を吸うことで、成長したのだ。
だから、あたしは人間を襲っても、血を吸わなくなった。
あたしに血を飲ませ、日に日に痩せていくお母様の顔を知っていたからだ
(あたしの血の半分は、人間のはず)
だから、血を吸わなくてもいけるはずなのに。
魔王の血が濃いのか…人間の血を抑えているのか…血を欲する時が、どうしてもあった。
(人間になればいいのか?)
あたしは、お母様の血を吸いながら、そう思った。
(人間になれば…お母様の血を吸わなくていいのに)
薄ら涙を浮かべるあたしを、お母様はただ優しく頭を撫でてくれた。
(誰よりも強くて…誰よりも優しい…お母様)
あたしは目を閉じた。
(お母様のようになりたい)
そう...お母様のようになりたかった。
だけど…あたしは、バンパイアにして、魔王の娘。
魔王の娘が、人間になどになれるはずがない。
父でもある魔王ライと、あたしが直接話すことは、殆んどなかった。
あたしの側近である騎士団長達が、お父様の御言葉をあたしに、伝えていた。
その役目は、騎士団長のリーダーであるバイラ。
御姉様方と違い、あたしにだけ…側近は三人いた。
バイラ、ギラ…サラ。
その中で、特にバイラは口うるさくて、あたしに王とは何かといつも言い聞かせていた。
お母様が所属する防衛軍と魔王軍との関係は、緊張状態になっていた。
お母様が、2つのまったく違う組織内で、何とか平穏な状況をつくろうとしていたけど…。
「人と我らは違うもの…。相容れるわけがございません。それに…人は狡猾です」
バイラの言葉も、あたしは右から左に聞き流していた。
(あたしは、お母様の子)
だから、できれば…お母様がいるところにいたかった。
だけど、魔王の娘が人間の側につくなんて…あたしは想像もできなかった。
だけど、そんな風に思ってた日々を変える…運命の日がやってきた。
それは、雷鳴とともに。
お父様の名を持つ雷が、城を闇の中に、浮かべ上がらせていた夜。
あたしは、信じられないものを見た。
お母様が、防衛軍の本部から帰ってきたという報告を聞いたあたしは、お母様を探して、城を歩き回っていた。
部屋にいなかったからだ。
あたしが足を踏み入ることができるすべての場所をチェックした後、あたしは恐る恐る王の間を覗いた。
そこで見たものは、血塗れになったお母様を抱く…お父様の姿だった。
「お母様!」
あたしは、王の間に飛び込んだ。
玉座の後ろは、巨大なガラス張りの窓になっており、轟く雷鳴の光が、お父様の表情を隠していた。
窓の外で雷鳴が轟く中、黒い影と化したお父様に抱かれて…お母様はぐったりと、首をくの字に曲げ、眠っているように見えた。
純白の服の胸元に、血の跡なければ…。
お母様のブロンドの長い髪が、床についていた。
石造の王の間の中央に、お父様は、無言で立っていた。
雷に照らされても、床に影を落とすこともなく、抱かれているお母様の影だけが、床に伸びていた。
「何があったの?お母様!」
思わず、走り寄ろうとするあたしを、お父様は眼力だけで跳ね返した。
石造の床を、転がるあたしは、すぐに体勢を整えると、お父様を見上げた。
「!!」
その何とも言えない殺気に、あたしは理解した。
「お母様に、何をした!」
あたしの瞳から涙が流れていたが、拭うことはしない。きりっとお父様を睨んだ。
「お母様に、何を!」
お父様は、こたえない。
あたしは堪え切れずに、絶叫した。
「どうして…お母様を!!」
「あらあ。いいじゃない」
右の柱の影から、マリーが姿を現した。
「そうよ。名誉なことよ」
左からは、ネーナが…。
「一生…お父様に、尽くすことが、できるんだから」
「家畜としたら、大したものよ」
「まあ」
マリーは、泣いているあたしに顔を近づけ、
「一生…飲み物としてだけど…」
クスッと笑った。
「生きた樽ってとこ」
ネーナも笑った。
しばらくの沈黙に震えてから…
「うわああああ!」
あたしらさらなる絶叫とともに、お父様に襲いかかった。
「な!」
あまりの迫力に、マリー達は怯んだ。
あたしは、お父様に生まれて初めての殺意を覚え、生まれて初めて…攻撃した。
その瞬間、凄まじい電流があたしの体を包み、そのまま…意識を失った。
天空の女神であるあたしを、電流で痺れさせたのだ。
「お母様…」
崩れ落ち、意識を失う寸前まで、あたしは何とかお母様に手を伸ばそうとした。
だけど、届かなかった。
気が付いた時、あたしは牢屋に鎖で繋がれていた。
「おいたわしや…アルテミア様…」
牢屋の前で、鉄格子の向こうで、ギラが泣いていた。
サラは顔を反らせ、目をつぶっていた。体を震わせながら。
「ギラ…サラ…」
心配してくれる二人の気持ちが、嬉しかった。
「魔王に、襲い掛かったのです。これは、当然の報いです。例え、女神といえども」
二人の横から、バイラがあたしの前に、姿を見せた。
手足、首…全身を繋がれたあたしを見ても、バイラは表情一つ変えずに、
「本来ならば、極刑であることころを…魔王のお慈悲により」
「お母様は、どうなったの!」
あたしは、バイラの言葉を遮った。
「今のあなたに、知る権利はない」
バイラは冷静に、述べた。
「答えろ!」
あたしの目が赤く光り、バイラを射ぬく。
普通ならば、これで意識を乗っ取れるはずだが、 バイラには効かなかった。
「彼女は、我々に抵抗する防衛軍の最高責任者である安定者の1人!普通ならば、すぐに殺されてもいい立場にいた!しかし、それを免れていたのは、あなたを産んだからです!」
「お母様は!」
あたしは全身に力を込めて、鎖を切ろうとした。
しかし、切れない。
「無駄です。今のあなたは、しばらく血を吸っておられない。力がでるはずがない」
「ウオオオ!」
気合いを入れても、あたしは鎖を切れなかった。
「なんと無様なことですか!魔王の娘であり、バンパイア!天空の女神である…あなたが、血を吸わないなんて…」
顔をしかめ、嘆くバイラに、あたしは言った。
「あたしは、お母様といっしょだ!」
「何を戯言を!あなたはいずれ、翼あるすべての魔物を率い、人間を滅ぼすお方!ティアナと同じではありません!」
「魔神のくせに、お母様を呼び捨てにするな!」
あたしの剣幕に、バイラはため息をつくと、あたしに背を向けた。
「しばらく、ここで頭を冷やされることです」
牢屋から離れようとするバイラは、まだあたしの前にいるサラとギラに言った。
「帰るぞ」
「ああ…」
ギラは、ちらっとあたしを見た。
鎖を引き契ろうと、力を込めたあたしが汗だくになっていることに気づいた。
「アルテミア様…」
鉄格子を破壊し、あたしのそばにいこうとするギラを、バイラが一喝した。
「魔王に逆らうか!」
その言葉に、ギラの動きが止まった。
「いずれ、血を吸わなければ…禁断症状が出る!その時、必ず…アルテミア様は、魔王に許しをこう!」
バイラの言葉に、ギラは仕方なく…牢屋の前から歩きだした。
サラも続く。
三人が、牢屋の前からいなくなろうとした時。
「あたしを舐めるな」
去りゆく騎士団長達の背中を睨み、
「あたしは、お母様の娘!決して、許しなどこうか!」
あたしの言葉に、ギラは泣き、サラは肩を震わしたが…バイラだけは無表情で、その場を後にした。
1人、牢屋に残されたあたしは、首をがくっと落とした。
鎖を切ろうと、残りの魔力を使った為、あたしは全魔力を失った。
「あたしは…」
その瞬間、あたしは禁断症状に襲われた。
血が吸いたくって、血が吸いたくって、仕方がない。
目に血管が浮かび、あたしの頭が…獲物になりそうな魔物や人間を探す。
(いや!)
あたしは、自分の無意識の思考を、止めた。
(あたしは…お母様の娘!)
頭で抵抗しても、体が本能が血を求めていた。
(あたしは、負けない)
だけど、全身に血管が走り、血を欲する本能は、止めれなくなる。
(あたしは…)
瞳から涙が流れたが、鋭い牙が生えてきて、あたしは絶叫した。
「オオオ――!」
嗚咽のような咆哮を上げた時、何かが飛んできて、鉄格子を切り裂いた。
その飛んできた二つは、あたしを繋ぐ鎖をも切り裂いた。
そして、あたしはその物体を掴んだ時、心の中でこう叫んだ。
(モード・チェンジ!)
2つの物体は、あたしの手の中で槍へと変化した。
チェンジ・ザ・ハート。
あたしはバンパイアとして覚醒し、天空の騎士団を率いるようになってから、髪の色も変わっていた。
お父様のような黒髪に、赤い瞳。
それが、今は…。
お母様と同じ青い瞳に、ブロンドの髪。
あたしは、人間にモード・チェンジしたのだ。
自由になったあたしは早速、壁に回し蹴りをしたが、びくともしない。
「痛っ!」
逆に、あたしの足が折れそうになった。
痛みよりその事実に、あたしは驚いた。
ちょっと前まで、軽く砕けたはずだ。
「こんな脆い体が…人間?」
あたしは、痛みが残る足を擦りながら、壁を見つめた。
「お母様は…こんな体で、魔神やお父様と戦ったの?」
こんな体で…戦い、魔王であるお父様に、あと一歩まで迫り、お姉様や騎士団長さえ倒したという。
「お母様!」
あたしは、まだ痛みの残る足で立ち上がった。
そして、壁を睨み、
「あたしは、お母様の娘!」
あたしは、槍タイプのチェンジ・ザ・ハートを握り締めると、目をつぶった。
(人間には…無限の可能性があると、お母様は言った!だったら!)
目を開けたあたしは、きりっと壁を睨みながら、叫んだ。
「モード・チェンジ!」
力がほしい。
あたしの体が変わる。
黒のボンテージ姿に、短髪。
筋肉質に変わったあたしは、正拳突きを壁にたたき込んだ。
ストロングモード。
あたしの格闘専門のモード・チェンジた。
一撃でヒビが入り、次の回し蹴りで壁に穴が開いた。
「一撃ではないか…」
だけど、脱出口は開いた。
あたしは、穴から飛び降りた。
しかし、あたしが閉じ込められていたのは、城の城門近くにある塔の真上。
勢いよく空に向かって、ジャンプしたあたしは、
人間が飛べないことを思い出した。
だけど、後の祭りだ。
あたしは落下していった。
「飛べない!」
天空の女神であるあたしが、飛べない。
塔から、落下し…加速するスピードがあたしを恐怖させた。
(空で…恐怖を感じるなんて…)
昔なら、もし落下しても、死ななかっただろう。
だけど、人間の体になったあたしは、自分が地面に激突し、肉片が飛び散るのを想像した。
「いや!」
目をつぶってしまったあたし。
だけど、あたしの体は激突することはなかった。
飛んできたチェンジ・ザ・ハートが、あたしを空中でキャッチすると、そのまま城壁を越え、城を囲むように咲いている向日葵畑に、優しく着地させたからだ。
「チェンジ・ザ・ハート…」
あたしは、向日葵畑に降り立った。
チェンジ・ザ・ハートは、トンファータイプになり、あたしの両腕におさまる。
安心して、胸を撫で下ろしたが、ゆっくりしている場合ではない。
ストロングモードはいつのまにか解けていた。
「モード・チェンジ!」
また叫んでみたが、変わらない。
どうやら、さっきのモード・チェンジは、残っていた魔力の絞りカスで変身できたようだ。
「ということは…」
あたしは、走りだした。
徒歩である。
天空の女神と言われたあたしが、空も飛ばずに、自分の足で走る。
信じられなかった。
だけど、仕方がない。
今のあたしは、人間なのだ。
向日葵畑を抜けたところで、あたしは崩れ落ちた。
「なんて…疲れるんだ」
喉が乾いた。
血がほしいとは、違う感覚だ。
足が痛い。息が乱れる。
「人間って……大変」
あたしは、少し休むことにした。
天に輝く夜空を見上げた。
昔なら、星も掴めると思っていたのに…。
あたしは天に、手を伸ばした。
「遠いな…。地上とは、こんなに空が遠い場所だったんだ…」
あたしの瞳から、涙が流れた。
「お母様…」
お母様も、空に対してこんな気持ちを感じていたのだろうか。
女神として、恵まれた肉体を持っていたあたし。
それが、どんなに特別なことだったのか…。
あたしは初めて知った。