第143話 炎の嵐
「美奈子さん…」
僕に向けられた銃口に、迷いはなかった。
いざとなれば、本当に撃つだろう。
避けれる自信はあったが、その後…どうしたらいいのかのがわからない。
(明菜を助けたい気持ちは、僕もある…だけど)
僕は、両手を握り締めた。
(すべてを破壊する力は、手に入れた。だけど…すべてを守る術を…僕はまだ手にしていない)
「明菜のもとへ連れていけ!」
美奈子の持つ銃の無数の銃口が、回転し出す。
「美奈子さん…ごめんなさい」
頭を下げるよりも、僕は右手を銃口に向けて、突き出した。
「赤星浩一!」
美奈子は怯まない僕に、さらに銃を突き出した。肩を入れ、僕の手の平につくかつかないかの距離まで、接近させる。
二人の腕の長さしか離れていない距離に、走る緊張感。
美奈子は興奮しているが、僕は冷静だった。
「赤星」
アルテミアの声がした。
僕は頷いた。
「わかってる」
遥か離れた場所から、こちらに近づいて来る物凄い数の魔物達の気配を感じていた。
(こちらのそばを通るが…目的地は違う?どこに向かう)
これ程の大群が、移動するなんてここしばらくなかったはずだ。
「美奈子さん…。いかなければならないところが、できました。魔物が、大群で移動しています。僕は、やつらを止めなければならないんです」
「知るか!」
美奈子は、僕の手の平に銃口をねじ込んだ。
「あたしは、そんな魔物よりも、明菜の方が!」
美奈子の言葉を聞いた瞬間、僕は腕を下ろした。
そして、美奈子に笑いかけた。
「美奈子さん。僕は、この世界の勇者なんです」
僕は、まだ真っすぐに美奈子を見つめ、
「今は明菜よりも…」
「赤星!」
僕の言葉が終わる前に、美奈子は感情のまま、引き金を弾いた。
無数の光の玉が、僕の全身にヒットした。
(これが、テラの)
テラの銃弾を受けながら、僕は空中に飛び上がった。
炎の翼を広げ、銃弾の勢いも利用しながら、天に浮かんだ僕は、両手で光の玉を集め、ぎゅうと凝縮した。手の平を合わせた時には、力を吸収していた。
「赤星、大丈夫か?」
まだ吸収する技を使いこなせていない僕は、最初は体に受けてしまう。
直撃を喰らった僕を、心配そうに、アルテミアがきいた。
「何とか…」
僕は血まみれになっている胸を、指先で拭った。
「赤星!」
眼下に、海岸で1人立ちすくむ美奈子が遠ざかって行く。
美奈子は、天に浮かぶ僕に向けて、何度も引き金を弾いたが、もう当たることはなかった。
「置いていくのか?」
アルテミアの問いに、僕は頷いた。
「うん。あの島に、魔物はいないし…いたとして、あの力があれば、余程の魔物でないと襲おうとは、思わないよ」
僕は島に背を向けると、魔物の大群の方へ旋回し、進路を決めた。
「相当な数だ!これ程の大群で、何をする気だ」
場所が分かれば、テレポートして先回りするが、予測できなかった。
「赤星!あたしに変われ!」
アルテミアの言葉に、僕は頷いた。
「モード・チェン…!?」
掛け声の途中で、僕は上空から攻撃を受けた。
先程の美奈子の銃弾とは、比べものにならないくらい威力がある攻撃を受けたのだ。
一瞬で炎の翼が消え去り、足下に広がる海面に激突した。
数百メートルにも及ぶ水しぶきが上がり、海中に落ちた僕は、信じられない程のダメージに唖然となりながら、沈んでいく。
(こんな馬鹿な…)
魔王レイの攻撃よりも、凄かった。
沈みながら、敵を僕は探した。
見えなかったが、敵の気を感じ、僕は絶句した。
「フン」
海上で、満月に照らされて浮かぶリンネは鼻を鳴らした。
「これくらいで、やられるはずはないがな」
静かになった海面の下の闇に、明かりが灯ったと思った瞬間、海中から水柱が上がり、それが回転しながら、綱のようになると、空中に浮かぶリンネの全身に絡みついた。
次の瞬間、リンネは海中に引きずり込まれていた。
「炎の魔神であるお前が、海上で奇襲をかけるとは、気でも狂ったか?」
マーメイドモードになったアルテミアが、思念でリンネに話し掛けた。
「それは、どうかしら?」
笑うような思念をアルテミアに送ると、リンネは襲い掛かってきた。
「速い!」
炎の魔神であるはずのリンネが、まるで魚のようにアルテミアとの間合いを詰めてくる。
アルテミアは、チェンジ・ザ・ハートを鎌のような形に変えた。
海中で鎌を振るうが、リンネは避けた。
リンネの腕が形を変え、鋭い刃になる。
「チッ」
アルテミアは舌打ちすると、チェンジ・ザ・ハートをトンファータイプに変え、リンネの刃を受けとめた。
「なぜ動ける?まさか、お前も」
「モード・チェンジではない」
アルテミアの思念を感じ、リンネは否定した。
「だったら…この力は!?」
人魚の姿になっているアルテミアが、リンネに力で押されていた。
足のないマーメイドモードは、格闘戦向きではない。
(トルネードサンダー!)
アルテミアは海中で、拡散する電撃を放った。
自分も受けながらも、リンネにも直撃した。
しかし、電気はアルテミアには効かない。
リンネが少し怯んだ隙に、アルテミアは海中から飛び出した。
「モード・チェンジ!」
白い翼を広げ、天使の姿を月下に晒したアルテミアの目の前に、リンネがすぐに飛び出してきた。
その力強い雰囲気に、アルテミアは目を細めた。
(あたしが知ってる…リンネではないのか?)
アルテミアの疑問を見透かしたように、リンネは笑った。
「あたしは…進化したのよ。それも、魔王から力を貰ったのではなく、自分でね」
「進化?」
魔物が、個々で進化するとは…普通はあり得ない。
確かに、戦い続け、生き残った魔物が、強力になることはあるが…。
蝋燭の火が、マグマになるくらいはあるが、炎が水になることはない。
つまり、属性が変わることはない。
対峙するリンネを、アルテミアが凝視した。
そんなアルテミアに見て、リンネの冷笑は止まらない。
(属性が変わっていない!?いや…属性というか…)
アルテミアは、信じられなかった。
(属性を感じない。そんなあり得ない…。まるで)
「人間だと言いたいのかしら?」
リンネは腕を組み、右肩を上げた。
アルテミアは、目を見開いた。
それは、アルテミアの思ったこと…そのままだった。
「図星ね」
リンネは笑った。
そして、全身に力を込めると、炎が吹き出した。
「属性を変えるとかじゃなくて、力をコントロールすることで、あたしは水の中でも戦えるようになった。そして、力を意識することで、さらにあたしは強くなれた」
リンネの炎のレベルは、アルテミアの予想を超えていた。
「人間と交わることで、あたしは、女神以上の力を得たわ」
ネーナを上回る炎を身に纏い、圧倒的な迫力で、リンネは襲い来る。
「アルテミア!僕に変われ!」
僕はピアスの中から、叫んだ。炎の属性である僕なら、リンネと渡り合える。
「死ね!天空の女神よ」
リンネの全身からほとばしる炎が、無数の蛇になり、アルテミアに絡み付こうとする。
「アルテミア!」
僕の絶叫も、リンネの嘲りも、アルテミアは苦笑した。
「……舐めるな」
アルテミアは、こうを描くように空中で蹴りを放った。
その一蹴りで、炎の蛇は消え去った。
「何!?」
今度は、リンネが驚く番だった。
「自分だけが、人と触れ合って強くなったと思うなよ!」
アルテミアは一瞬で、間合いを詰めると、炎を纏うリンネの鳩尾に拳をたたき込んだ。
「お前とあたしとでは、守るものの大きさが違う!」
アルテミアの拳が、リンネの背中まで突き抜けた。
「フッ」
リンネは笑った。
そして、アルテミアの耳元で囁いた。
「同じだよ…」
そう言うと、リンネの体が燃え上がり、揺らめくと…消滅した。
「チッ!逃げたか」
アルテミアは、拳を引いた。
「一体…何がしたかったんだ?」
アルテミアは、リンネを貫いた拳を見つめ、はっとした。
「まさか!」
「命が消えていく」
僕の呟きに、アルテミアの頬に一筋の涙が流れた。
大量の命が消えていく感覚に、アルテミアの拳が震えた。
「あ、足止めか!」
アルテミアは、命の消えていく場所にテレポートした。
僕達は…戦ってはいけなかったのだ。
リンネを無視して、助けにいかなければならなかったのだ。
テレポートアウトしたアルテミアの眼下に、燃える大陸が映っていた。
わずか数分。
数分で、ロストアイランドは燃え上がっていた。
暖炉の中のように、大陸そのものを、燃やし尽くそうとしているかの如く。
絶望に打ち拉がれる僕と、アルテミアの耳に、声が飛び込んできた。
「フフフ…えらそうなこと言って…守れなかったじゃない」
大陸をおおう炎が、さらに燃え盛り…巨大なリンネになる。
「ははは」
アルテミアは、リンネの目玉くらいしかない。
「何も守れなかった!」
リンネは大笑いすると、アルテミアの目の前で、空中に飛び上がっていく。
それは、リンネを形作る数十万の魔物の群れ。
魔物でできたリンネの全身が、目から爪先まで、ロケットのように飛び上がっていくと、今度は成層圏で360度に拡散し、空を真っ赤な炎が埋め尽くし、夕焼けよりも、赤に染めた。
その後、炎の空はすぐに消えたが、緑豊かだったロストアイランドの草木は、すべて灰になっていた。
僕とアルテミアは、しばらくただ空に浮かび、天も地も見れずに......ただ固まっていた。
「アハハハ!」
リンネの高笑いだけが、周囲にこだまし…やがて聞こえなくなった。
「…」
アルテミアは唇を噛み締めると、ロストアイランドに向かって急降下した。
「アルテミア!」
焼け野原に、見覚えのある崖が見えた。
確か…その向こうには、エルフの血を引く人々の村があったはずだ。
しかし、家屋はすべて灰になっていた。
翼を折り畳み、赤いジャケットを羽織ったファイアモードになったアルテミアが、まだ熱い大地に降り立った。
バリバリ。
枯れ木を踏んだような感覚に、足元を見たアルテミアは思わず、顔を反らした。
枯れ木ではなかった。
踏んだのは、炭と化した人間だったのだ。
一気に、炎と熱気を吸い込んだ人間が、内臓が燃え尽き…炭と化したのだ。
「ひどい…」
よく見ると、家屋の残骸に混じって、人の形をした黒い物体が、そこらじゅうにある。
「お、お前は…」
そんな惨劇の中…炭の中から声がした。
炭の山をかき分け、姿を見せたのは、真っ黒に炭のようになり…まだ燃えている老婆だった。
「アルテミア!」
アルテミアから僕に変わると、その老婆に走り寄った。
老婆は僕の姿を見て、目を見開き、震える手を差し出した。
「あ、赤の王…」
「長老…」
僕は、老婆を抱き起こした。
まるで鉄板を手にしたように、熱い体に僕は言葉を失った。
「一瞬じゃった…結界を張っても…結界が焼けた…」
「……」
「赤の王よ。我々は死なぬ!我々の血を吸え!我々は…お前の中で生き…魔王ライに、復讐をす…」
老婆は最後まで、言葉を発することはできなかった。
赤星の腕の中で、炭になったのだ。
腕の中で、ぼろぼろと崩れ落ちる老婆を、僕は…どうすることもできなかった。
涙が頬を伝い…悲しみから絶叫しょうとした時....声がした。
「泣いてはいけません。あなたは、泣いては…」
その声は強い意志を持って、僕に話し掛けていた。
僕は立ち上がり、声がした方を探した。
炭の山の中で、微かに息遣いが聞こえた。
僕は両手で、熱い炭と化した人間の山を掻き分けると、その下にいた人物を助けだした。
「赤星さん」
下にいたのは、炭にはなっていないが、全身に大火傷を負ったジェシカ・ベイカーだった。
「ジェシカさん!」
僕の顔を見て、ジェシカは何とか微笑んだ。
「あなたが…来るなんて…」
「待ってて下さい」
僕は手の平に、気を溜めて治癒魔法を発動し、ジェシカの胸に当てた。
しかし、治らない。
「無駄ですよ。全身が焼けていますから…。とっさに、仲間達があたしの盾になり…直撃は避けられましたが…そう長くは持ちません」
ジェシカは笑った。
「折角…一度は、あなたに、助けて貰った命ですけど…すいません。あたしの使命は、ここまでのようです」
僕は首を横に振り、
「何を弱気なことを!あなたは、戦士でしょ!こんなことぐらいで、諦めるなんて…駄目だ」
「ありがとう」
ジェシカは、真っ赤に腫れ上げった手を上げた。
僕は、ジェシカの手を握り締めた。
「赤星!」
アルテミアの声が聞こえた。
僕は頷いた。
アルテミアの言いたいことが、わかった。
ジェシカを、死なさない方法がある。
それは…。
僕はやったことがないが、バンパイアの従者にすることだった。
ただ血を吸い、力を奪うだけでなく、相手が人間の場合は、自らの従者にすることができる。
但し、そうなれば…ジェシカは僕が死ぬまで、そばにいて付き従わなければならない。
そんな運命を強制するのが、嫌いで…アルテミアも僕もしたことはない。
(だけど…ここで、彼女を見殺しにはできない)
悩んでいる暇はない。
早くしなければ、死んでしまう。
僕は悩むのをやめた。
(彼女は…生きてほしい)
僕は口を開けると、ジェシカの首筋に噛み付こうと、牙を近付けていった。
「やめて下さい!」
ジェシカは、僕のやろうとしたことを拒んだ。
突き立てようとした牙を、僕はジェシカの首筋から離した。
「あたしは、人間として死にたいのです。人間ではなくなっても、生きたいとは思いません」
「…」
ジェシカの言葉に、僕は無言になった。
それに気付いたジェシカは、言葉を付き足した。
「あなたを、否定している訳ではありません。ただ…」
ジェシカはショックを受けている僕の手から、自らの手を抜くと…僕の頬に手を触れた。そして、優しく微笑んだ。
「あたしは、あなたと違い…普通の人間ですから」
「ジェシカさん」
僕の頬に、涙が流れ…ジェシカの手に当たった。
ジェシカは震えながら、力を振り絞り、僕の涙を指で拭った。
「優しい…勇者」
クスッと笑った後、ジェシカは嗚咽した。
血を吐き出したジェシカに、もう時間がなかった。
「僕が、もっと早くここに来たら…あなたも、みんなも守れたのに!僕は…」
自分を責めだした僕に、口元から血を流しながら、ジェシカは首を横に振った。
そして、何とか手を伸ばすと、僕の頭を撫でた。
「ここで…あたし達が、やられたのは…あなたのせいじゃありません。すべてを救わなければならないと思う者は…1人も救えません」
ジェシカは軽く僕を睨み、
「自惚れないで下さい。いくら…あなたでも…みんなは救えません」
そう言った後再び、ジェシカは激しく嗚咽した。
「ジェシカさん!」
ジェシカは、赤星を見て、
「あたし達…人間は、あなた1人に背負わせません…。あたし達は、仲間です。守られるだけでなく…共に戦う仲間…」
僕は何も言えない。
(なんて強さだろ…なんて強さだろ)
人はなんて、強いんだろう。
「あ、あたし…もう一つ…知って…います」
ついに、ジェシカの言葉が途切れ途切れになる。
僕は本当に、何も言えない。言うことなんてできない。
「真のバンパイアは…吸った人間の思いを心に残すことができる…。その中で生きることが、できる…」
「ジェシカ…さん」
「人間の…あたしの…思い……を…」
ジェシカの手が、僕の涙に濡れながら…落ちていく。
「人に…未来を……生きる…未来を…」
これが、ジェシカの最後の言葉だった。
ジェシカの命が終わる刹那、僕はジェシカの首筋に噛み付き、全身の血を吸い取った。
熱く熱く…沸騰しているような血を吸った。
「うわあああああ!」
僕の腕の中で血を吸ったのに…少し重くなり、命の火が消えたジェシカをただ、抱き締めた。
生命の息吹きが消え去った大陸に、僕だけが叫び続けた。
なぜなら、今はそれしかできないから。
「僕は勇者でもない!真のバンパイアでもない!」
泣き叫ぶ僕に、アルテミアは何も言わなかった。
なぜなら、彼女もまた…泣いていたからだ。
例え…ピアスの中で、涙を流せなくても。
太陽のバンパイア。
第一部完。