第142話 女という魔物と男の野心
ジェーンへのダウンロードを見届けた後、外の世界へ出かけていたソリッドは、王国に戻っていた。
あまりにも破壊されたドーム内の状況を確認し、唇を噛み締めていた。
アステカ王国というが、国自体のつくりは、移動都市に近い。
巨大な岩盤を海底に沈め、その上にドーム状の居住区を作っていた。
かつては、地上にあったが、ノーマルの人間に迫害され、海底へと逃れたのだ。
ロストアイラインドへ逃げ込んだ…エルフの血を引く人々に、境遇は似ていた。
一人一人の力は、ノーマル人よりは強いが、体力や寿命が明らかに劣っていた。
さらにノーマル人が、魔法を行使できるようになり、組織力を身に付けるようになると対抗できなくなり、彼らは海底へと逃げたのだ。
それは、安定者が支配する前、元老院の時代のことである。
たまに、ノーマル人の中にもサイキッカーとして目覚める者もいた。そういった者は率先して、戦場に送られ、戦死した。
カードシステムという曖昧で強力なものに誤魔化されて、魔力と超能力の狭間で、死んでいったのだ。
人は一人一人が同じではないのに、違うものを否定する。
だが、特別にもなりたいと願う。
蟻のように役割を分担され、その通りに働くだけの人生なら、社会は円滑に回るのだろう。
しかし、人はそんな風にはできていない。
同じような姿をしながらも争う人類を、知性ある生物は笑う。
滑稽で、醜いと。
「あんたも、そう思っているのか?」
穴が開いた天井を見上げていたソリッドは、真後ろへ振り返った。
「どうかしら?」
白い壁にもたれるストレートヘアーの女は、肩をすくめた。切れ長の瞳と、透き通るような肌。
女の名は、リンネ。
魔王に次ぐ実力を持つ魔神。
「俺は、お前に言われた通り、異世界から来た女の中に、ジェーン様をダウンロードした!」
ソリッドのどこか…興奮したような口調と、どこか漂う懺悔感が、リンネには気持ちよかった。
本人が懺悔感に気付いていないのも、心地よかった。
(人間の男の…こういうところが面白いわ)
「これで…赤の王は、我々に従うことになるのか?」
ソリッドは、リンネを睨んだ。
リンネは微笑みながら、
「沢村明菜は、赤星浩一の幼なじみ。そして、この世界に何度も来たことのある異能者。まあ〜自分の意志で来た訳じゃないけど」
軽く肩をすくめ、
「でも、そんな彼女を、赤星浩一は傷つけることはできない。それに、彼女の特殊能力は、あたし達魔物よりも、人間…それも、あなた方に近い?そうでしょ」
楽しそうなリンネの様子に、ソリッドは逆に冷や汗を流していた。
最高位の魔神であるリンネと、自分の間には、超えられない程のレベルの差がある。
ここで彼女の気を悪くすると、王国自体が滅ぶ危険があるのだ。
「俺は!」
何とか冷静になろうとするが、力が入ってしまう。
だが、それを気にする余裕もない。
「いや、我々アステカ王国は、人間よりも、あなた方に近いと思う。だから、赤の王を手に入れた後は、俺とカルマを魔神の中に、いれて貰いたい!」
ソリッドの少しすがるような口調に、リンネはクスッと笑った。
確かに、108いた魔神の半数以上が、赤星とアルテミアによって倒されていた。
「そんなこと言っていいの?」
リンネは壁から離れ、
「あなたは、アステカを守る守護神の1人でしょ?普通、身体能力が低いはずのアステカ人の中で、王を除き、二人だけが、恐るべき肉体を持って生まれる…」
ソリッドはリンネの言葉を遮り、
「俺は、こんな場所で死にたくないのだ!アステカ王国に住む者達は、長年の海底での生活で、さらに身体能力が下がっている!さらに、人口が限られているから、近親相姦に近い…関係を結んできた為に、種としての末路を走っている」
「そのようね」
「今が限界だ。あと数年したら、王国は崩壊する」
「だったら…外の人間を拾って来て、無理矢理…子供をつくればいいじゃない」
「駄目だ!」
ソリッドは首を横に振り、
「そうした場合…サイキッカーが生まれる確率は、60%しかない」
リンネはまた、クスッと笑った。
「何がおかしい?」
ソリッドは、リンネのどこか馬鹿にしたような顔に、堪らず訊いた。
リンネは腕を組み、
「おかしい?そうね…あたしが思うのは、サイキッカーであっても、ノーマル人だとしても、同じ人間じゃないの?」
と自分で言ってから、リンネは苦笑し、
「そうね。そう言ってしまったら、あなた達の存在意味がなくなるのよね。あたしが認識している人間は、異国の人間でも結婚し、その間には子供ができたら…自分の一族として扱うと思っていたから」
リンネの言葉は、もっともだった。
しかし、ソリッドは唇を噛み締め、
「超能力を使えない者など、アステカ王国の人間ではないわ」
と言い放った。
その言葉を聞いて、リンネは頷いた。
「そうね。そうかもしれないわね」
そうねを繰り返す自分に、リンネは心の中で、苦笑した。
(あたしが気を遣うなんてね…。それにしても、やはり…この男も、人間だわ)
魔物であるリンネには、差別と言う意識はない。
魔物は、容姿ではなく、強さで決まる。
弱ければ、従うだけだ。
(人は、愚か)
リンネの脳裏に、沙知絵の顔が浮かぶ。
(だけど…時折見せる愛の為の自己犠牲)
赤星を守る為、魔王レイに立ち向かうフレア。
(沙知絵…フレア。あなた達をそんなにも、狂わした愛とは何?)
リンネは、目の前にいるソリッドを凝視した。
自分とカルマもと言ったソリッドの心の底にあるものも、愛だろう。
「炎の騎士団長リンネ!赤の王を捕らえし時は是非、魔王ライに直接お会いしたい!」
ぎらぎらと目を光らすソリッドに、リンネは頷いた。
「わかったわ。赤星浩一を拘束した暁には、魔王ライに進言してみましょう」
「有難い」
嬉しそうに頷くソリッドを、リンネは心の中で、冷ややかに見つめ続けた。
ソリッドと話すのも飽きて来たリンネは、
「じゃあね」
と軽く言うと、アステカ王国からテレポートして消えた。
海底都市から一番近い小島に、テレポートアウトしたリンネは、潮の香りよりも緑の臭いの強い場所に、顔をしかめた。
炎の魔神であるリンネには、緑はただ…自分に触れると燃え尽きるものという認識しかない。
(フレアは…だから大切にしたいと言ったな)
かつての妹の言葉を思い出していた。
昔は、つねに全身を炎で包み、安易に近づく者はすべて灰にしていたリンネが…炎を抑え、人と対話できるようになったのは、フレアのお陰だった。
海岸の砂浜に降り立ったリンネは、一番近くの茂みの中に咲く花に手を伸ばした。
(罪のないものまで、燃やすことはないでしょ)
フレアの言葉に、リンネは笑った。
(思えば…おかしな魔物だった)
しゃがみ込むと、そっと赤い花びらに触れようとした時、花びらは燃え尽きた。
花びらだけではない。その小島にあったすべての緑が、一瞬にして炎に包まれたのだ。
「リンネ様」
ツインテールのユウリと、ポニーテールのアイリ――二人の魔神が、リンネの後ろで跪いた。
「炎の騎士団。ご命令により、集結致しました」
ユウリとアイリが同時に告げると、緑を燃やす炎は数えきれない程の魔物へと変わった。
火に属するすべての魔物を束ねるもの。
炎の女神亡き後は、リンネがその資格を得ていた。
「フッ」
リンネは静かに笑うと、伸ばしていた手を握り締め、そのまま立ち上がり、
「久々の進軍だ!ロストアイランドに残るレイの配下であった人間どもを、皆殺しにする!我らが魔王ライに糾う者は、抹殺する!それが、我ら炎の騎士団の役目だ!」
リンネの言葉に、炎の魔物達の体が興奮したように揺らめいた。
「行け!」
「は!」
リンネの命を受け、数十万の魔物が、ロストアイランドに向けて、進軍する。
その様子を、焼け野原になった島に立ちながら、リンネは呟くように言った。
「さあ、どちらを救う?赤星浩一よ」